繋いだこの手はそのままに −90
 石抱きの刑の後、エーダリロクはロガの警備にあたっていた。
 警備と言っても、ロガがシュスタークから文字を教えてもらったりしている姿を凝視しない程度に見て、自分の仕事をこなしているくらいに余裕のある警備であった。
 シュスタークの今の警備担当は帝国最強騎士キャッセル。
 帝国騎士としても、純粋な身体能力もエーダリロク以上の強さを誇る閣下も、楽しそうに皇帝と后殿下の会話に混じっている。
「ねえ? エーダリロク」
「なんだ? キュラ」
 そしてもう一人、キュラが居た。
「君のお兄さんが《国璽》預かったの?」
「預かっちゃいねえよ。《国璽》は帝国宰相が持ったまま……なんじゃねえのか」
「そうなんだ」
「なあ、キュラ」
「なあに?」
「お前はなんで俺が后殿下警備担当の時、いつも付いて歩いてんだ?」
 キュラはエーダリロクが后殿下の警備担当の時は、いつも側に居た。一二回ならエーダリロクもおかしくは感じなかったが、進軍以来三ヶ月間続くと意図的なものを感じないわけにはいかない。
 もちろん三ヶ月も気付かなかったわけではない。一ヵ月半程度で気付き、理由にも思い当たるところがあったが、それを敢えて無視していた。
 エーダリロクは “童貞王子” の情けない異名で、最も后殿下の側においても安全な警備とされているし、その后殿下軍を実質的に管理しているので誰よりもロガに会う回数が多い。そのたびにキュラがついてくるのだから、可笑しさを感じないわけにはいかなかった。
「何でだと思う?」
「ラティランの命令」
「ご名答。理由は僕も知らないけどね。僕は命令を遂行するだけだしさ」
 そしてキュラも隠そうとはしなかった。
 隠れてもエーダリロクには気付かれるだろうと、堂々とラティランの命令としてエーダリロクを見張っていた。
「理由、教えてやろうか?」
「君は解っているの? エーダリロク」
「当然。俺が后殿下警備担当終わったら、ラティランに会う。その時後ろで聞いてりゃいいぜ」
「…………へえ」
 二人の間に沈黙が流れ、遠くからシュスタークとロガ、そしてキャッセルの楽しそうな声が聞こえてくる。
 モニターを見て、延々と端末を叩き続けるエーダリロクと、それを見続けるキュラ。この状態で警備が終了するかと思われたのだが、
「なあキュラ。俺に后殿下軍の補佐、実質的な指揮権を与えるのはおかしいと思わないか?」
 エーダリロクはモニターから目を離さないでキュラに話しかける。
 その真直ぐで “風を表したような” 銀髪が指を動かすたびに、すこし揺れる。
「君は外戚だからだろ?」
 何を言っているんだろう? とキュラは 《狂人皇帝》 と瓜二つの王子に返事を返す。
「別にカルニスでもいいじゃねえか。俺よりカルニスの方が才能あるし、カルニスは国軍じゃあ少将で、国軍元帥の俺より仕事は少ない」
 カルニスタミアの名前が出て、キュラは無意識だが声を低くする。
「テルロバールノル王が断ったんじゃないの?」
 エーダリロクが言うとおり、カルニスタミアは役職が少ない。兄王と不仲なのが響いて、本人の才能は無駄にされているばかりだった。
「ラティランとカレティアは、二人で后殿下をカルニスの妃にしようと企んでいたはずだ。后殿下軍の補佐にカルニスを配置しておけば、公的に二人きりにすることも可能なんだぜ」
 “エーダリロクが奴隷警備の際は見張れ” と命令されていたキュラにとって、この言葉は言い返すことが出来なかった。
 后殿下軍の補佐、代理で管理しているので毎日必ず会うのだ。帝国の儀礼上、高位の者に会う際には通信では済ませずに必ず足を運ぶ。
 后殿下であるロガと王子であるエーダリロクの身分だけでいけば ”同等” の部類だが、あえて王子から足を運ぶ事で后殿下が正妃であることを他者に知らしめる為に、エーダリロクが ”うかがう” 立場になっていた。
 公的任務に類するな訪問であるために、皇帝が居ない時に僅かな人数だけで会うことも許されている。
 ラティランがカルニスタミアとロガを関係させようとしていることはキュラも知っている。それの機会を捨ててまで、四王として同意しセセナード公爵を后殿下の軍管理に配置した理由とは?
「ねえ、僕は君について行って全てを知っても良いの?」
 自分の肩についている階級証を握り締めて、立ち上がりエーダリロクを見下ろす。キュラの本能が側にいるモニターから目を離さない男を危険と教えていた。
 幼少期から害意にさらされることの多かったキュラは、危険に対しての嗅覚が発達している。
「さあ。どっちにしても、俺はラティランに会って話をしなけりゃならない」

キュラは今までエーダリロクに感じたことのなかった ”危険” を確かに感じた。

 警備終了後、待ち合わせの時間と場所を聞き、略式正装に着替えてキュラはその場へと向かった。
 遅れていけないと 《彼》 を待たせてはいけないと、だが同時に “行くな” ともキュラの中にある自分が叫んでもいた。待ち合わせ場所で落ち着きなくしているキュラに、ラティランクレンラセオの本性を知っている側近のブラベリシスが、敵意を含んだ声で話しかけてきたがキュラの耳に入ることはない。
 とにかくエーダリロクが何者なのかを知りたかった。
「ロヴィニア王子もいきなりだ」
 この言葉で、ブラベリシスがエーダリロクを出迎えに来たことを知り、同時に……
「予定の時間よりも遅れて……王に謁見するのに遅れてくるとは何事だ」
 遅れていることをも知った。だが、キュラにはそれが意図的ではないのだろうか? と。
「……何だ?」
 エーダリロクが来る方向から声が消え始め、同時に緊張した空気が彼等にも感じられた。
「静寂と狂気……」
 その空気の異様さを表現することはキュラには出来なかった。ラティランの内にあるどす黒さとは全く違う、そんな物とは比べることも出来ないような重圧感。
 白銀の髪、皇帝眼、真白な肌に冷酷は “かくあり” と言われているロヴィニアの顔からは一切の表情が消え去り、それはまるで死んでいるかのよう。皇帝に最も近い王家として空色を基調に白を大量に使った第一級正装をまとい、風すらも支配しているかのような空気をまとい、恐怖を感じさせる足音と共に《それ》は現れた。
「エーダリロク?」
「セゼナード公爵エーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエルだ」
 キュラは自分の声が震えていることに気付かなかった。そして隣にいた出迎えのブラベリシスが、震えて声も出せない状態でいることも気付く事はなかった。
 《その男》 は酷くゆっくりと首を動かし、ブラベリシスに早く通達に行けと目を大きく見開き無言で重圧をかける。腰を抜かしたかのような状態で、駆け出したブラベリシスをキュラは見ることができなかった。
 動くことが出来ないのだ。
「キュラティンセオイランサか、いくぞ」
 純粋な恐怖。
 笑い話で良く言われる “目があったら殺される” それが今、笑えない状況でキュラの目の前にある。
「……君は 《誰》 ……なの」
 キュラは息を飲みながら、顔を伏せて尋ねた。
 この着衣と色彩にこの顔立ち、そして体形全てがエーダリロク以外ありえないのだがキュラの全てが “危険” を叫んでいた。
「それを教えてやるために同行を許した。《国璽の謎》も教えてやる。付いて来い」
「……」
 両手でマントを払い、歩き出したエーダリロクの背中を見ながらやっとの思いで 《それ》 に従う。


『これは 《何》 何時ものエーダリロクじゃないけれど、僕はこれを 《知っている》 何処で?』


 転がるように飛び込んできたブラベリシスの報告に、
「どうした? ブラベリシス」
 ラティランは “まさか……” と聞き返す。
「様子がおかしいと言いますか……その……おかしいのです。上手く言えませんが、何時ものセゼナード公爵殿下とは全く違う雰囲気が」
 ラティランはケシュマリスタ王として、キュラやブラベリシスよりも多数の情報を持っている。特に一般には公表できないようなことも多数知っている。
 セゼナード公爵が何時もと違う雰囲気。
「もしかして、セゼナード公爵は第一級正装でセゼナード公爵エーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエルと名乗ったか?」
「はい」
「急いで通……いやお通ししろ」

 慌てて出て行った側近を見送った後、ラティランは立ち上がり謁見を受けてやろうと座っていた旗艦にある玉座から降りた。

 ブラベリシスに案内され現れたエーダリロクを見て、ラティランは同じ位置に立ったまま声をかける。
「何用かな? セゼナード公爵エーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエル殿下よ」
 エーダリロクはその声を無視し、歩く速度を変えずにラティランに近付き、額をぶつける。骨のぶつかる音が響いた後、周囲にいた部下やキュラが息を飲む。
 彼らは目の前で何が起こっているのか、全く理解できなかった。他国の王子が自国の王に鼻先がつくほど顔を近づけ、
「人を下げろ」
 命令をする。
 自分達は見てはいけないものを見ていることだけは、彼等にも理解できた。《帝国》の根幹に関わることであり、知り過ぎてしまうと自分が殺されるに値する出来事なのだと。
「全員下がれ」
 ラティランの声に全員が背を向けてその場を立ち去ろうとしたが、
「キュラティンセオイランサは残せ」
 ラティランを額で押し続ける彼等には背中しか見えない 《エーダリロク王子》 がそう告げた。
 その声は、エーダリロク王子ではなかったが、誰もその事を口にはしなかった。そこに居るのが《エーダリロク王子》ではないことだけは理解できても、それが《誰なのか》まではたどり着けない。
 一人呼び止められたキュラは、ラティランの表情をうかがう。僅かに見える王の視線にキュラは踏みとどまった。
「二対一なら勝てるとでも?」
 三人以外が居なくなった部屋で、ラティランもエーダリロクを押しながら口を開き、腰に差している剣と銃に手を伸ばそうとするが、即座に両手首をつかまれて動けなくなった。
「お前は銃身に手をかける権利なく、柄を握る自由もない。勝つも負けるもなかろう、たかが王であるお前に抗う権利はない。そもそも、二対一とは何だ? お前とキュラティンセオイランサが私にかかってくると? それで勝てると?」
 ラティランはザセリアバには劣るが、ビーレウストやカルニスタミアと互角に渡り合えるほどの身体能力を持つ。対するエーダリロクは前者の二人とはかなり水をあけられている状態。
 同じ近衛兵であるキュラはそのことをはっきりと知ってた……いや、知っているつもりだった。
 今目の前で腕に力を込め振り払おうと小刻みに震えている王と、額でその王を押し付けながら手首を砕かんばかりに握り締める王子。それはキュラの知る、近衛兵の能力順位を全く無視したありえない状態。
「……」
 無言のまま二人の攻防を見つめるキュラと、
「キュラティンセオイランサに 《国璽》 と、本人が担っている任務の真の理由を教えてやるために此処に来た」
 キュラに背を向けたまま話し続ける 《エーダリロク王子》
「しかし何故私の前で、その事を? あなたが自由になされればよろしい」
 ラティランは腕から力を抜き、エーダリロクはその拘束を解いて彼の腰に刺さっている銃と剣を掴み投げ捨てた。それに批難の声を上げるでもなく、従順と評するしかない動きで、ラティランは自らの腕を頭の後ろに回して頭を下げる。
 まるで皇帝に頭を下げるかのように。

『どういう事? 何でラティランがエーダリロクに向かって 《あなた》 と…… 《たかが王》 って……』


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