藍凪の少女・後宮配属・寵妃編[13]

 グラディウスは ”むいーん” としていた。
「美味しいかい? グラディウス」
「おいちい」
 グラディウスは搗きたての餅を満面の笑みで頬張っている。
 餅が何処まで伸びるかを試しているかのように軟らかな餅を千切るために伸ばしながら、必死に食べていた。
「そっか。おっさんも嬉しいよ」
 グラディウスの満面の笑みを眺めながら、サウダライトはグラディウスから勧められた餅を千切りながら口に運ぶ。
「おっさんも、いっぱい食べよう!」
 打ち粉を口の周りに付けて微笑むグラディウスに、頷きながらサウダライトも口に運んだ。
「おいしいね、グラディウスの搗いたお餅」
「むいーん」

 グラディウスの餅は何故だか良く伸びるように見える。

「胡散臭い」
 それを見ていた息子ザイオンレヴィは、父親の怪しさに頭痛を覚えた。
「おいおい、不敬罪じゃないのか?」
「不敬……あの人な、餅嫌いなんだ」
 息子は寵妃と仲良く餅を頬張る中年の笑顔を眺めながら、溜息混じりにそう言った。
「……嫌いなのか」
「ああ、嫌いだ」
 貴族ともなれば色々な料理を食べることが出来て、また好き嫌いを言っても咎められたりはしない。サウダライトはどちらかというと、好き嫌いの多い方で、餅も嫌いなものに分類されている。
「でも餅を食べさせるのは、陛下の提案だった筈だが」
 餅つき器と餅米は間違い無くサウダライト帝からのプレゼントであった。
 グラディウスは作り方をリニアに読んでもらい一生懸命に作って、プレゼントに同封されていた手紙に記されていた時刻に訪問したサウダライトを持てなしている。
「食べさせてみたかったらしい」
 白い餅を前に幸せに浸っているグラディウスを見て、何となく ”気持ち” が理解できたケーリッヒリラ子爵だった。
「お腹いっぱいになったね」
 沢山作ったのは良いが、全てを食べきることの出来なかったグラディウスは、部屋の隅に立っているザイオンレヴィに目を止めて箱を抱えて近寄ってきた。
「お餅食べませんか?」
 室内にいる他の人達は作っている最中に一緒に味見をし、訪問したサウダライトは仲良く食べた。室内でザイオンレヴィただ一人だけ口にしていないので ”お腹が空いたらいけない” と重い箱を持って声をかけてきたのだ。
「あ、あ……」
 実は息子も餅嫌いである。
 が、
「そうだな、貰っておけザイオンレヴィ」
 サウダライトの言葉に、ありがたく頂いた。内心では ”余計な事、言うなよ” と思っていても。
「美味しいよ」
「そうですか」
 彼の態度は、優雅さに満ちている。
 その後ソファーで横になりながらサウダライトに絵本を読んで貰っているグラディウスの居る部屋から、餅の詰まった箱を持って廊下に出て憎悪が篭もった溜息をついて、部下に餅の詰まった箱を渡す。
「如何……」
「捨てろ」
 ザイオンレヴィも上級貴族の一員、好きでもないものを進んで食べるようなタイプではない。マルティルディに命じられたなら、どれ程嫌いなものであろうと我慢してでも食べるが……
「シルバレーデ公爵閣下。マルティルディ殿下より」
 突如はいったマルティルディからの通信に礼を取ると、
《餅、全部消費するんだよ。君が嫌いな餅を食して苦しんでいる様を見るのも一興だ。一人じゃなくても良いけど二人以上は消費の手伝いをさせちゃ駄目よ。そう、調理も何もかも。解ったね、白鳥》
 それだけ言って通信が切れた。
 箱を渡されていた部下は ”どうすれば?” と言った雰囲気を隠さないで戸惑っている。
「おい、ザイオンレヴィ」
 その時、グラディウスが居眠りを初めたので部屋から出てきたケーリッヒリラ子爵が、悲哀を背負っているザイオンレヴィに声をかけた。
 振り返ったザイオンレヴィは ”がっちり” とケーリッヒリラ子爵の肩を掴んで、
「僕と君は親友だよな」
 ”離さんぞ!” といった面持ちで顔を近づけてくる。
「いいや、親友じゃあねえ。お前の親友は、あのガルベージュス公爵だろ」
「あれは勝手に、親友であり強敵であると喚いているだけだ」
 同じ女性に恋をしている強敵! と勝手に位置付けられて親友扱いされているのだ。ガルベージュス公爵の中では ”強敵” と書くと同時に ”親友” の位置付けになるのだそうだ。ザイオンレヴィがジュラスの事を好きじゃないと何度言っても聴いてくれない、ある意味強敵である。
「お前もそれと変わらんよ。なんだよ? 親友じゃなくても相談には乗ってやるぞ」
「も、もち……も、……もちが……」
 息子は父親よりも重度に餅が嫌いだった。

 その後理由を聞いたケーリッヒリラ子爵は、突如現れたガルベージュス公爵と共に三人で大量の餅巾着を作り、餅巾着鍋を作って何とか消費した。

**********

「やあ」
 何時もながら、赤子ですら引きつけを起こす程の美しさを容赦なく露わにしてマルティルディが、グラディウスの邸に現れた。
「ほぇほぇでぃ様! お歌歌ってぇ!」
「あん? 僕に歌えと言うのかい?」
 輿を降ろさせてゆっくりと地に足を付けたマルティルディは、医学的に見てやっと栄養失調から回復したグラディウスの頬を両手で引っ張りながら、期待に充ち満ちている藍色の瞳をのぞき込む。
 あまりにも純粋に期待されているので、
「全く。僕の歌が聴けるなんてことは滅多にないんだよ。ありがたく思うんだよ」
 そう言ってグラディウスの頬から手を離し、周囲が驚くような声を上げる。
「……」
 あまりの音量にグラディウスは硬直して、そのままひっくり返り地面に頭を打ちそうになったが、マルティルディの腕が伸びて服を掴んでそれは回避された。
「何、吃驚してるんだよ。今のは発声練習だよ。まあ、僕には必要ないと言えばないんだけどね。それと頭はぶつけるなよ、君は頭悪いんだから、ぶつけると益々馬鹿になるからね」
 マルティルディは邸の玄関に立ち、目の前にグラディウスを座らせて両手を広げ、嘗て人間が 《天使の歌声》 を模して作った声の最終到達点である 《声》 を聴かせた。
 それは啓示のようであり、歌であり、支配である。
 全ての音が消え去り、マルティルディの声だけが一帯を支配した。グラディウスの藍色の瞳には喜びや嬉しさは沸き上がらず、ただその声に圧倒された。
 この宇宙で最も人間が望んだ 《声》 を持つ、人間が最も美しいと考えて創り上げた 《生き物》 が歌う。
 本来ならば宇宙に存在しなかった 《存在》 が、その存在を求めた者達の同族に向かって歌う。マルティルディの歌を聞き終えた時、グラディウスの顔には表情はなかった。
「どうしたんだよ、褒めるなり、ありがたがるなりしたらどうだよ。賛美とか称賛とか貰い慣れてるけど、受け取ってやるよ」
 何時ものマルティルディの声を聞き、グラディウスは精一杯の笑顔を向けて、
「ありがとう、ほぇほぇでぃ様」
 感謝を述べた。
「ふん。もっと気の利いた言葉とか無いのかい? まあ、君には無理か」
 マルティルディはその飾らない言葉に気分を良くしたようで、
「また気が向いたら歌ってやるよ。ありがたく思いな」
「はい! ほぇほぇでぃ様」
 珍しく ”次” を約束してやった。
「僕は歌いにきたんじゃなくて。持ってこい」
 グラディウスの笑みが徐々にいつもの ”馬鹿っぽい” ものになったのを見下ろしながら、マルティルディは本来の目的を果たすために、持って来たものを呼んだ。
 部下達が丁重に運んできたのは ”驢馬”
「僕から君へのプレゼントだよ。僕から贈り物をして貰えるなんて栄誉なんだからな」
 足首が白く額にも白い菱形の模様のある、黒い驢馬。
「……驢馬! ありがとう! 驢馬!」
 驢馬に抱きついたグラディウスを満足げに眺めながら、マルティルディはあることを告げた。
「君にやるよ。そして君には僕から使命を与える。使命ってのは、仕事よりも大変なんだよ。君がちゃんと使命を果たさないと、君の大事なおっさんが大変な事になるから、仕事よりも僕からの使命を果たすんだよ」
 満面の笑みで驢馬に首に抱きついてたグラディウスは 《おっさんが大変なことになる》 と言われて、慌てて振り返り、
「あてし、何をすれば良いの! 教えてほぇほぇでぃ様!」
 ”使命” を教えてくれとマルティルディに瞳でも訴える。
「よし、良い心がけだ。でもさ、僕を立たせて話させるってのは間違いだ。部屋に通して冷たいお茶を差し出して喉を潤わせてから聞かせてもらうべきだ」
「は、はい! ほぇほぇでぃ様! どうぞ! ろ、驢馬はどうしよう?」
「君が連れてきな」
 玄関はケーリッヒリラ子爵によって開かれると、召使い達が入り口ホールで膝をつき頭を下げて並んでいた。
 ”面白みのない奴等だ”
 思いながらマルティルディはその間を歩き、グラディウスは驢馬を引いて邸へと入った。そのまま中庭に抜けて、用意されていた籐の椅子に座り、ヴェールを被っているジュラスが用意した茶を口に運んで、驢馬の隣に立っているグラディウスに声をかけた。
「使命を聞く前にさ、君、その驢馬に名前付けなよ」
 声をかけられたグラディウスは、マルティルディに ”何を言っているのか解りません” とはっきりと解る顔をして、首を傾げた。
「ペットに名前付けるのって普通だろ」
「ペットってなんですか! ほぇほぇでぃ様! おっさんも前に言ってたけど! 驢馬じゃ駄目?」
 未だグラディウスにとって動物は家畜で、名前を付けて愛おしんだりパートナーになったりするものではなく、農作業をさせる力であり、食糧でしかない。
 ガンダーラ2599世などは、グラディウスにとって見た事もない動物なので食糧ではなく、名前が付けられていてもおかしいとは感じないが、驢馬はグラディウスの生活範囲にいた家畜であり、誰も驢馬に名を付けることなど無かったので思いも寄らない。
「そうかい。じゃあ、驢馬ね」
「うん! 驢馬!」

 こうして驢馬は ”驢馬” と呼ばれることになった。

戻る目次進む