後宮の庭園に三人の正妃が集っていた。
「十五歳の平民か。楽しみだな」
皇后デルシ=デベルシュ、傭兵王家エヴェドリットの王女。現王の実妹にあたる。現王は先代皇帝とほぼ同い年で、彼女もサウダライトより十三歳年上の五十三歳。既婚歴も離婚歴もない、大柄な女性。
「デルシ=デベルシュの楽しみ発言は、自分の好みの娘かどうかを検分するかの様に聞こえるな」
口を開いたのは正妃の中で最も若い、ロヴィニア王女イレスルキュラン十九歳。
「平民如きに、それもたった一人相手に、この場を設けてやる必要なぞあるのか?」
忌々しげに言い放つのが、テルロバールノル王女ルグリラド、二十一歳。
デルシ=デベルシュは皇后の称号を得ているが、他の二人は調整上まだ称号はなく ”后殿下” のままである。
イレスルキュランとルグリラド、このどちらかが次の皇帝の母の座に就くと同時に、称号が決定することになっていた。
次代皇帝の母は 《帝后》 もう一人は 《皇妃》 となる。
「嫌なら帰ってもいいのだぞ、ルグリラド。誰も困りはせぬ」
皇后であるデルシ=デベルシュがこの年まで独身でいたのは、彼女が男性を好まない所にあった。皇后は生まれつき同性が好みで、それを押し通した。
彼女にはそれを押し通す実力があり、認められていたのだが、サウダライトが皇帝になった事で、状況に変化が訪れる。
サウダライトではない、死亡した最後の直系皇太子の妃にはデルシ=デベルシュの兄の孫姫、まだ一歳になるかならないかの王女が添えられる予定だったが、皇太子が死亡した事で帝国の軍事権が浮いた。
全権代行は皇王族・ガルベージュス公爵が受け持ったが、皇帝の正妃には規定の軍が与えられる。
イレスルキュランもルグリラドも軍隊など率いた事もない。そして后になる予定だった一歳のエヴェドリットの王女も然り。
彼女達 ”三人” は皇太子が皇帝となったら正妃になる予定だった。だが誰も軍を指揮したことはない。理由は皇太子妃が指揮する資格を持っていたので、必要ではなかったのだ。
”帝国軍の一部が指揮官不在の状況になる” 無論それらを全てガルベージュス公爵が率いても良いのだが、彼はそうはしなかった。
ガルベージュス公爵は出来るなら、正妃に一人は用兵の解る人物が欲しいと、各王家に申し出た。
自分の全権を与えるのは、危険であると。全く危険の感じられない誠実な態度でそれを申し出た。
正妃の座に就くことが出来る女性で、その条件を満たしていたのはデルシ=デベルシュ王女だけであり、彼女は帝国の為ならばと己の 《本性》 を捨て、皇帝に抱かれる事も含めて皇后という地位を与えられるなどの好条件で迎えられた。
「そうそう。帰ったらどうだ? 大体、平民娘はあのマルティルディが一押しだ。お前とは仲が悪くなるのは必至」
後の二人は 《皇太子》 で決まる。
「煩い! 黙れ、ロヴィニアの!」
そんな彼女達が一堂に会して待っているのは、グラディウス。
正配偶者候補は正配偶者の ”ご機嫌を伺う” のが慣例となっている。
多様で煩雑な行程があり、まずは正妃に飲み物と茶菓子を振る舞う。茶器など全て寵妃側で用意してくるのが決まりだ。
この時の手順や味、茶葉の等級に茶器の質など、様々責められる。
褒めるつもりなどなく、威嚇するのが目的なので、粗を捜しては責める。これは男であろうが女であろうが、変わらない。
最初から正配偶者の地位に就く事の出来る王家と、上級貴族の違いを身をもって教える為に。
「来たようだな」
茶会の場所に向かってくる車。運転はルサ男爵で、後ろにはグラディウスが一人で乗っていた。
ジュラスは付いて行きたかったのだが、ジュラス自身が正配偶者候補であり、今回の呼び出しはグラディウスだけなので、どうしても従う事が出来なかった。
運転席から降りたルサ男爵は、グラディウスの席の扉を開く。
そこから ”ぽんっ!” と飛び降りたグラディウスは、中から茶会の道具を引っ張り出し、三人の元へと近付いてきた。
「あれは……なんだ?」
「ルグリラド、知らないのか? 山羊だ」
「これは、何をしてくれるのやら」
がちゃがちゃと音を立てて、三人の傍まで近付いてきたグラディウスは教えられた通りに挨拶をする。
「あてしグラディウスです。これは山羊です」
”めぇ〜” と鳴く山羊を前に、三人は無言のまま頷く。
その困惑した表情を全く気にせず、グラディウスは山羊を引いていない方の手に持っていたバケツを降ろし、中からボウルを取り出した後、乳を搾り始めた。
手際よく搾り、乳で満たされているバケツにボウルをくぐらせて、汲み上げてエプロンでそれらを拭き、
「はい、おきしゃきさま!」
最高の笑顔で差し出してきた。
三人は視線を交わした後、
「まずはこの皇后が貰ってやろう。あの二人にも飲ませるように」
「はい!」
グラディウスはデルシ=デベルシュにボウルを手渡すと、二人にも乳を満たしたボウルを渡す。
「おいしです! おっさんも大好き! おっさんが持って来てくれた山羊おいしい!」
三人はボウルに並々と注がれた乳を観た後、
「ではこのデルシ=デベルシュ、飲んでみるか」
一気に飲み干した皇后。
後の二人は、少しずつ口を付けながらグラディウスを見つめていた。
女の子が好きなデルシ=デベルシュは、過去に何度か行われた集団での検分の時も割合優しかった。
苛烈だったのは利害のロヴィニアと、伝統のテルロバールノルの王女達。
泣いたり医師にかかる程追い詰められた者が出るほどに、礼儀作法がなっていない事を責めたり、持って来た品々の金額で貶めたりとした二人だが、
「ほお。その山羊はイネスの小僧がなあ」
「イ ”ゲ” スの小僧じゃなくて、おっさんがくれたんだよ!」
「悪かったな。我は ”おっさん” ことダグリオライゼが、鼻水垂らし襁褓をつけて小便漏らしている時から知っておるので、ついつい小僧と言ってしまうのだ」
皇帝から貰った山羊に文句を付けるわけにはいかない。
「おきしゃきしゃまも、ほぇほぇでぃ様みたいに、おっさんの事ダグ……ゼって言うんだね。みんなはシュターサダラトって言うのに」
「ぶっ!」
山羊の乳に口を付けていたルグリラドは吹き出しかけ、イレスルキュランは吹き出した。
シュターサダラトは大した事ではない。おきしゃきしゃまも問題ではない。
彼女達が吹き出したのは、
「”ほぇほぇでぃ” か。小僧を未だダグリオライゼと言う人物で、お前が出会った事があるとなると ”ほぇほぇでぃ” とは、アディヅレインディン公爵マルティルディ王太子のことか?」
”ほぇほぇでぃ様”
ルグリラドとイレスルキュランとはマルティルディとは同年代。その為 ”ほぇほぇでぃ” などという呼ばれ方を黙って受け入れるタイプではないことを良く知っている。
「アディ……は知らないけど、ほぇほぇでぃ様! 金色の髪がとっても綺麗で、お花と一緒に来る人!」
性悪女として影で名高く、冷徹な政治家として表では名高い、
「僕のお話をしてくれていたのかい」
他王も皇帝も御し辛いと口を揃えて言う、ケシュマリスタの王太子にして未だ暫定皇太子。それ程の相手に向かって、
「ほぇほぇでぃ様!」
「元気で何よりだね、グラディウス」
”ほぇほぇでぃ”
輿を担ぐ、鎖のついた首輪を付けられた奴隷達は僅かでも表情を動かせば ”死” に直結するであろうその言葉。
「ほぇほぇでぃ様も飲む?」
「当然だろ。僕に差し出さないなんて、愚か者のすることだ。さあ、早くしないかグラディウス」
言われている本人は全く表情を動かさず、何時も通りの口調で命じていた。