藍凪の少女・下働きとおっさん[10]

「あの下働きはどうしますか」
「そんな事はどうでも良い。急いで用意しなさい!」
 下働き区画の管理者を任されているサウダライトの娘クライネルロテアは、画面に映し出されたレミアルの映像をすぐに下げさせて、急遽、今日の夜に行われる事になった 《呼び出し》 の用意に入った。
「ビデルセウス公爵殿下、シルバレーデ公爵殿下がおみえに」
 その用意に呼び出された兄と、打ち合わせを開始する。皇帝の後宮に関する事で、過去何度も行われている事なので事例も多数ある。
 復習のような打ち合わせを終えて、一息入れた所で、ザイオンレヴィは妹に声をかけた。
「お前は反対か?」
「当然でしょう! 年齢的に見ても!」
 管理者のクライネルロテアはグラディウスの実年齢を知っている。
「待った! 年齢が達していないのは解る。だが教養を得させるのには、年齢の早い方が良い。私も個人的に調べたが、就学すらしていなかった少女だ。規定年齢に達するまでは、愛妾という立場で教育を施してやるべきだろう」
 此処で妹の言い分を 《遮断》 しなければ、ザイオンレヴィはグラディウスの実年齢を知る事が出来た。
 もっとも年齢を知ったとしても、ザイオンレヴィはこの状況下では愛妾の区画に移すことを勧めただろう。医務室から届いた顔の腫れた映像と、殴られた角度や殴った物の報告に、心を痛めていたからだ。
「……そうね。教育すると考えれば。世話役に誰を選ぼうかしら」
 兄の 《個人的に調べた》 という言葉を聞き、クライネルロテアは兄がグラディウスの実年齢を知っていると勘違いした。その上で愛妾にすることを勧めているのだとも。
 『十三歳になったばかりなら、まだ普通教育で何とかなるでしょうしね……兄の言い分は尤もだ。私も感情に流されすぎだわ……』
 まさか兄が 《十五歳》 と思って話しているとは解る筈もない。
 そして後に知る。《グラディウスという存在》 は普通教育とかそう言った問題ではないことを。
「それも選んでおかないとな。初日から世話させるんだから、今日中に通達しないとな。やはり此処は慣習に則り、私達の最遠縁皇王族を選ぶべきだろう」
 真面目な母親に育てられた二人は、グラディウスに一定の知識を持たせるべく世話役兼家庭教師を選ぶ。
「勿論でしょう。最遠い血縁だけれども、父方遠縁にする? 母方遠縁にする?」
 父方は王家や皇族に連なるが、母方の血筋でも皇王族と結婚している多数いるので、結局皇王族に血縁はいる。
「……何となくだが、教育というのなら母上の血縁の方が良いような」
 母親の実家に嫁ぐ事が決まっている妹の顔を立てる必要もあるだろうと考えて、そちらの血筋を推した。
「じゃあ、この男ね」
 妹の表情が少しだけ晴れたのを見て ”良かった” と胸を撫で下ろす。


 ルサ男爵 エルセ・テル・ラー 二十五歳


 何の感情も持たないこの男爵は、選ばれた事により人生が大きく変わる事になる。

**********

 グラディウスは呼び出しに向かった二人を見送った。
 《呼び出し》 とは皇帝が下働きの中から気に入った者を選ぶ催しだ。通常なら何日か前に通達があるのだが、当日正午に突如命じられて職員は大急ぎで用意を調え、下働き達に通達をした。
 皇帝以外にも多数の貴族が直接足を運び、下働きを見に来るので男も女も目に止まろうと必死になる。
 愛人としてではなくとも、見た目が気に入ってペットを飼うかのように召し使いを貰う事も珍しくはない。
 グラディウスはサウダライトに言われた通りに、同室の者が呼び出しに向かった後に荷物を纏め始めた。
「リニア小母さんは行かないの?」
 だが同室の全員居なくなってからとは言われた無かったので、部屋に人が残っていてもお構いなしだった。
 サウダライトもまさか初の呼び出しに来ない者が居るとは思わなかったので、それらの事は言わなかった。
「え、ええ……私は」
 リニアは逃れた相手である、下級貴族の夫の存在が恐ろしくて向かう事が出来なかった。居る筈はないが、もしかしたら……という思いから。そうでなくとも彼女は、性格からして向かわなかっただろう。
 グラディウスはドミニヴァスからもらったキャンパス布の鞄に、やはりドミニヴァスから買ってもらった服をしまい込み、此処に来て買った髪留めを二種類とケースにしまった 《宇宙》 を追加で入れ横がけにした。
「グラディウス?」
 どこかに出かけるかのような格好を取ったグラディウスに、当然ながらリニアは驚く。
「荷物を纏めるように言われたの」
 その驚きを他所にグラディウスは、貴重品保存ケースからカードと、フェリエが書いてくれたメモを取り出し大事そうに握りしめた。
「誰に?」
「内緒って言われたけど、リニア小母さんには教えたげる。おっさんの家にお仕事に行く事になったの」
「そ……そう、そうなの。良かったわね」
 リニアは不安になった。グラディウスが誰かに騙されているのではないか? そうは思ったがリニアには何も出来ない。
 医務室から戻ってきて何時もの顔でニコニコしているグラディウスに、どこに連れて行かれるのかを聞いておいた方が良いのではないか? どうやって聞いたら答えてくれるだろうかと思案していると、ドアがノックも無しに開かれた。
 入り口から見て数え切れない衛兵を連れた女性が一人、部屋へと足を踏み入れる。
「用意は出来ていますね。グラディウス・オベラ」
「ひっぃ!」
 大勢の衛兵を連れて来た女性を見て、リニアは声を上げた。
 グラディウスを連れて行く使者はビデルセウス公爵 クライネルロテア。
「どうしたの? リニア小母さん」
 宮殿の下働きを統括している人物で、当然グラディウスも仕事に就く前に説明されていたのだが、全く覚えていなかった。
 リニアは当たり前ながら覚えている。
 現皇帝の公爵時代に誕生した公姫、下働きと父である皇帝の愛人の全てを統括している公爵が、直接足を運んで連れて行く。
 リニアは ”まさか、まさか” と思いながら、厳しさを隠そうともしない公爵を震えながら見ていた。
「何故人が。貴方は何故行かなかったのです……そんな事を言っている場合ではりませんね」
「リニア小母さんは行きたくなかったんだって」
「貴方はこのリニア・セルヒ・イーデルラ・マドウと良好な関係を保っていますか?」
「何が?」
 公爵は眉間に皺を寄せて、グラディウスに理解してもらうために平易な言葉を選び、再び声をかける。
「……そのリニア小母さんのこと好き?」

「好き!」

 公爵は頷きながらグラディウスから視線を外し厳しい眼差しで、有無を言わせぬ口調で命じた。
「リニア・セルヒ・イーデルラ・マドウ。急いで荷物を纏めなさい。これは命令です」
「はっ! はい、ビデルセウス公爵様」
 リニアは急いで荷物を纏めるが、着の身着のままで逃げてきた彼女の荷物はグラディウスと似たり寄ったりで僅かな物。
 宮殿で働き出しても何も欲しいとは思わなかったので、全く増えてはいなかった。精々増えたのは昨日買ってきた氷嚢と鎮痛剤くらい。
「ビデ、ビデ? 様?」
「私の名前は覚える必要は……あるかも知れませんが、追々覚えれば宜しい」
 ビデルセウス公爵の言葉にグラディウスは首を傾げた。
「用意出来ました」
「付いてきなさい」
 言うや否や歩き出す。
「リニア小母さんも一緒に働くの?」
 ビデルセウス公爵は足を止め、
「貴方の小間使いにします。さあ、早く来なさい」
「リニア小母さんと一緒だ! やったぁ! 嬉しいなぁ!」
「……え、ええ」
 リニア小母さんと一緒だ! と喜んでいるグラディウスの隣で青ざめてゆくリニア。
「グラディウス、あなたが仕える方のお名前は?」
「おっさん!」
「……」
 言葉を聞きながらリニアは周囲にいる衛士達を見た。
 彼等、彼女等の表情は訓練をしているので、何事を聞いても変わる事は無いが、グラディウスが 《おっさん》 と言うと、さすがに表情が動く。
 衛士達も困惑しているのが解る表情と空気の動きの中、リニアはグラディウスと共に、愛妾が集められる区画へと足を踏み入れた。

**********

「凄かったね」
「そうだね……あれ?」
 呼び出しに出席していた二人は、圧倒される数の人と、美しい下働き、そして高い位置にいた彼女達からは見えない白いヴェールの向こうに座っている皇帝と、それを取り囲む貴族達の煌びやかさを見学して帰ってきた。
「リニアさん?」
「グラディウス?」
 その部屋には居る筈の二人の姿は無かった。
 ベッドには温もりはなく、シャワーが使われた気配もない。二人で夜遅くの食事にでも向かったのだろうかと思いながら寝支度を整えるが帰ってくる気配はなかった。
 二人は無言のまま就寝し、浅い眠りと聞こえない筈の物音に何度も目を覚ますことを繰り返し、翌朝早くに事務に二名が戻ってこないことを届け出た。
 だが職員から、
『二人は別の場所に配置になったので心配はない』
 その様な返事が返され、何処に連れて行かれたのか教えてはもらえなかった。
 クロチェルとディレータはそれ以上の事を知ることは出来なかった。
 二人が真実を知ったのは二年近くが経過した、帝国で最も華やかな式典の一つを観た時である。

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