そして夜が訪れる【01】
窓から差し込む陽射しを感じ、シャタイアスは目覚めた。
昨晩カーテンを引かず、星明かりが美しい夜空を眺めながら一人眠りに誘われた。
誰もいない大宮殿のゾフィアーネ大公宮。今日は丸一日フリーだが、シャタイアスは信用していなかった。
なにか厄介毎が持ち込まれるに違いないと――
「……」
実際既に、誰もいない筈の大公宮に人の気配があった。
何者だろうか? シャタイアスは剣を持ち、気配がする食堂へと向かう。
「おはよう」
勢いよく扉を開けると、そこにはフライパンを持った自分によく似た少年が立っていた。そして――そう言えば、宮の鍵を渡していたな――自分とゼンガルセンと皇帝サフォント以外に立ち入ることができる人物がいたことを思い出した。
「なにをしているのだ? ザデュイアル」
シャタイアスの一人息子ザデュイアルが、灰褐色の髪を後ろに一本にまとめ、
「見て解るだろう。あんたと俺の朝食作ってたんだよ」
シャタイアスと自分の分の朝食を作っていた。
「……ますますもって分からん。陛下への朝の挨拶は?」
ザデュイアルは半年前、晴れて皇太子の三番目の夫の座に就いた。それにより皇帝の身内にも数えられ、朝の挨拶にも並ぶことを許されている。
「昨日の夜に”あんたに親孝行してくる”って言ったら許してくださった。顔は怖いけど話せば分かるお方だって、皇君さまのお言葉信じて良かったぜ」
「おま……陛下のご尊顔、怖いとか言うな」
「実際怖いだろう。朝からアレは、帝国の試練だよなあ。尊敬申し上げるけれど怖い」
「否定できないから、口にするなと言っているのだ」
シャタイアス=シェバイアス、わりと正直な男である――息子も同様。
テーブルに並ぶのは、むらなく上手に焼かれ積み上げられたパンケーキ。
カリカリに焼かれたベーコンに、両側を焼いた目玉焼き。ベーコンのうま味が残っているフライパンで温めた輪切りのトマト。
オレンジが鮮やかな野菜サラダに、水煮された豆(ガルバンソ、あるいはひよこ豆とも呼ばれる)とホールコーンを乗せ、オリーブオイルと塩胡椒で味をととのえたヨーグルトに、搾りたてのレモンと、
「蜂の巣から奪ってきた」
採取したての蜂蜜で作られたレモネード。
「蜜蜂に刺されなかったか?」
「蜜蜂が逃げてったぜ」
手の込んだ料理ではないが、形よく盛られているそれらは、食欲を誘った。
二人で朝食を取りながら、
「それにしてもどうして」
「いやあ。あんたが一日フリーだって聞いたからさ」
「誰から?」
「ゼンガルセン王」
「そうか……」
爽やかな青空と眩しい陽射しが差し込んでくる朝、息子が作ってくれた朝食を取ることになるなど、シャタイアスは考えたこともなかった。
「後片付け、頼んでもいい?」
「構わんが」
「あんたが一日フリーだってこと、前々から知ってたら、俺もフリーにしたのに」
「今日の予定は?」
「皇王族のみんなと一緒に勉強会」
ザデュイアルは帝国騎士の才能を持っているが、身分がやや不安定なこともあり、将来皇帝の夫としての立場を確固たる物にするために、帝国上級士官学校を受験することに決めた。もちろん受験だけではなく、合格し、卒業することが目的である。
シャタイアスの息子なだけあり、身体能力はずば抜けているので、あとは学問の面を補強するのみで合格できるのだが……これが中々難しかった。
ザデュイアル、頭は良く、賢いが勉強はあまりしたことがなかった。
母親は息子に興味なく、父親は息子がいることは覚えていたが九年経っても赤子の頃の姿しか覚えていなかったくらい両親に構われなかった息子だ。
その頃ザデュイアルを支配下においていたロヴィニア王はというと、機動装甲の能力を伸ばし、暴れないよう精神面を成長させるようには命じたが、勉強させるようには指示しなかった。
もちろん最低限の教育は成されているが、勉強ができるか? と聞かれると、当人も父親であるシャタイアスも素直に首を振って否定する。
「合格できそうか?」
「まだギリギリかなあ」
「そうか。ま、無理するなよ」
わざわざゾフィアーネ大公宮まで迎えに来てくれた皇王族の友人たちと共に、
「じゃあ、行ってくる」
講師が待つ部屋へと向かう息子を見送ってから、シャタイアスはテーブルの食器を片付け、特にすることもないので着換え大宮殿の共有部分の散歩をすることにした。
デバランが生きている時はできなかったが、かの女怪も寿命が費え、いま大宮殿は「朝には向かないお顔。でも昼は昼でなんか……夜はできれば避けたいお顔立ち」なサフォント帝が全てを支配している――大宮殿の正しい姿とも言える。
目的も荷物も地図も持たず、気分が赴くままに歩き続け、気が向いた時に木陰に腰を下ろし目を閉じる。
百年以上前に直されたものの、人が少なく、ほとんど誰も近寄らない庭とは言えないほど、草も木も自然に成長している空間。
「……」
なのだが、朝と同じく人の気配を感じ取り、シャタイアスは注意深く相手の動きに注意を払う。目を閉じたままなので、相手はシャタイアスが気付いたことに、
「気付いてるんだろう?」
”気付いていた”
声をかけられたシャタイアスはゆっくりと目を開き、声の主を見る。顔は「見覚えあるが、知らない」
帝国の皇王族や王族にはよくある「初期の誰かに似ている」人物、それもデセネアが少し離れたところに立っていた。
淡く儚く、頼りなげな雰囲気の――
「誰だ?」
解るのは容姿だけで、誰なのか? シャタイアスには分からなかった。
声をかけられた相手は近付こうとはしなかった。
「名前はないような物だ」
「私生児か?」
着衣から身分や属する勢力が判断できなかったので、そうではないか? とは思っていたが、最初から”そうだ”と言うのは気が引けた。
「そうだよ……君と歳は近いし、君のことはよく知っている」
「我の名を知っているのに、我に名を教えてはくれないと?」
「知ったところで、なんの得にもならないよ」
「……」
シャタイアスもそれほど相手の名を知りたいわけではない。ただ、なぜ自分に声をかけてきたのか? それが知りたかった。
陽射しに照らされた緑は眩しく、青空は青くそしてやはり眩しい。空を飛ぶ鳥はなく、雲もなく。
「憧れてたんだよ。君は私生児じゃなくて庶子だけど、陛下のご学友だった程じゃないか」
「ああ」
「殺されたアウセミアセンのこと、俺も嫌いだったよ。俺じゃあ君を助けてあげられなかったけれどね」
そう言い相手は自分の背中に手を回し、なにかを引きちぎる。前に現れた手に握られていたのは白い羽毛。
「完全に人間の姿にはなれないんだ」
シャタイアスの方に向かって吹く風にその羽を乗せる。シャタイアスは一枚その羽を掴む。手袋越しではあったが、羽に覚えがあった。
昔アウセミアセンが自分の頭上に降らせた羽。
半異形の私生児からわざわざ毟りとって来ていたとは――と、シャタイアスは死んだアウセミアセンのことは、成人してからの、ゼンガルセンに完全に敗北してしまってからの彼ではなく、自分に羽を降らせていた幼少期の彼ばかりが思い浮かぶ。
「もう、羽をむしられることはないか?」
「ああ。ないよ――もう行くね」
「なにか困ったことがあったら」
「近寄らないよ。住む世界が違う。君がいる世界に近付いたら、俺はこの羽毛よりも軽くどこかへ吹き飛ばされてしまう」
「じゃあ何故、今日、ここで”俺”に声をかけた?」
「分からない」
その人は去っていき、シャタイアスは手に持っている羽を青空にかざす。調査すれば彼がどの血筋なのかは分かるし、サフォントに聞けば答えてくれる。
そんなことはしない方がいいのだろうか? と思う反面、知って欲しいのではないだろうか? とも考え、胸のポケットにその羽を入れて、また腰を下ろしてしばらく空を眺めていた。
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