晴れ渡った空。朝と昼の間、グラディウスはベッドに少し横になり目を閉じる。外界の音が途切れて、グラディウスを違う世界へと誘う。
「なんだろ、眠い……」
藍色幻想
次にグラディウスが目を覚ますと部屋が一変していた。
「ここどこだろ?」
グラディウスは居眠りしている間に、別の部屋に移されることが多いので、眠った部屋と目覚めた部屋が違うことに驚きはしないのだが、移動先は見覚えがある場所ばかり。
だが今回はどこなのかさっぱり解らずに少しばかり不安になった。
「ここ……誰かいませんかーあてし、あてし……」
人気がまったくない部屋。
声を張り上げても誰からも返事はない。
大きな寝室に一人っきりで、誰の声もしないことに不安を覚えたグラディウスはこの部屋から出ようと、近くの扉に手をかける。
「あれ? ここ、あてしのお家と同じ」
扉に刻まれた《帝后》の紋を観てグラディウスは首を大きく傾げる。
そして扉を開こうしたとき、
「何者じゃ!」
背中全体で驚きを現して、グラディウスは振り返る。
怒鳴り付けた相手は剣を抜いて近付く。
「あ、あてし、グレス。グラディウス! 恐いよ」
振り返ったグラディウスの視線の先にいたのはマルティルディに似た剣を持った人物。
「グラディウス? じゃと」
「ドラ様のお友達? あてしドラ様の友達のグレスだよ!」
テルロバールノル王家特有の訛りと、緋色が大量に使われている着衣を身に付けている、まだ剣を構えたままの人物に、精一杯《不審者ではない》と名乗る。
「ドラ様……皇妃ルグリラドのことか?」
「う、うん!」
漠然とした不安と、恐怖にくすんでいた顔色が”ぱあっ”と色を取り戻し、大きな藍色の瞳が輝く。
その人物は腰に剣を戻して、
「儂の名はカレンティンシスじゃ」
まだ警戒したまま名乗った。
「カ、カリ……かりんちんしす……」
「カレンティンシスじゃあ! たわけが!」
「ごめんなさい! かりんちんしすさん!」
「カレンティンシスじゃ! ”かりんちんしす”呼ばわりであろうとも、儂には様を付けろ!」
そしてグラディウスの腹が《ぐう》と鳴った。
**********
カレンティンシスは三十七代皇帝の御代の人物で、グラディウスは二十三代から二十五代皇帝の御代に生きていた人物である。
二人の間には二百年弱の《間》があるのだが、なぜかこの場に二人は居た。
どちらが、どちらの時代にやって来たのか?
**********
「かりんちんしす様、ひもじいよ」
床に正座して縋る眼差しで”食べ物をください”と懇願する。
「ひもじいじゃと? 仮にも皇帝の生母が……ここで大人しく待っておれ! 確か……」
グラディウスは空腹を抱えて言われた通り、大人しく待った。グラディウスは大宮殿に来る前の生活から、空腹に耐える力は相当なものだが、それは誰かと一緒にいるという条件が必要だった。
一人でいるときの空腹は、僅かでも耐えられない。
―― みんなと一緒にいるとお腹空いていること忘れるけれど、一人だとすぐにひもじくなる
「持って来てやったぞ。ありがたく食うがよい」
カレンティンシスは隣室から、この宮の正式な主であるビーレウストのレーションを幾つか抱えて戻って来た。
「ああ! テルチちゃまのご飯! 缶詰!」
デルシに連れられ野外演習場で缶切りを使ってあけて、そのまま食べたことがある。
”テルチちゃま、美味しいです”
食べ終わり空になった缶を水洗いし、缶蹴りをして遊んだこともある。
「お、おお……」
カレンティンシスはテーブルにレーションと缶切りを置く。
「好きなものを食うがよい」
「ありがとうございます。かりんちんしす様」
グラディウスは”きりきり”という硬い音を出しながら缶詰を開けているのだが、満面の笑みで体全体で缶切りを動かしているので、どうしても”もっさもっさ”と表現したくなる。
「……まあ、仕方ないか。貴様が”あの”グラディウスであるのならば」
カレンティンシスは椅子に座り、レーションにかぶりついたグラディウスを「どうしよう」と言った面持ちで眺める。
この時代はカレンティンシスがいる時代で、グラディウスがいた時代ではない。
―― クローン? いや、クローンなど……だが偽物という感じもなく。だが本物であるという確証はないのじゃが、本物らしさが体から溢れ出しておるというか……なんじゃ、この気持ち
時代がまったく違うので存在するはずがない。
そのことが解っているカレンティンシスは、自分の気が狂ったのだろうか? と、華の顔を無造作につねってみる。
痛みは感じたが、ふと我にかえる。
―― 夢か現かを確認するためにつねるのは解るが、狂っているのはつねったくらいでは解らん……どうやって調べるのじゃろう? ビーレウストに聞いて……ぬがあああ! 狂ったやつに「どうやって自分が狂っているかどうかの確認をしているか?」など! 誰が質問するのじゃあ!
「かりんちんしす様は食べないの?」
床に崩れおちたカレンティンシスに、行儀の悪いばたばたと足音を立ててグラディウスが近付いてきて、口を開けた缶詰を差し出す。
「儂は先程腹一杯食ったからよいのじゃ! 気にせずに食え」
「そっか」
「のう、グラディウスよ」
「はい、なんですか? かりんちんしす様」
褐色の肌に白髪のお下げ。藍色の大きな瞳に、満面の笑みでコーンビーフのしぐれ煮を食べているグラディウス。
馬鹿で有名なグラディウスに、どうしてここにいるのかを尋ねても答えは返ってこないだろうと、だがどうしたものか? とカレンティンシスは悩む。
そうしているとドアをノックし、許可も得ずにカルニスタミアが一人で部屋へと入ってきた。
「兄貴。邪魔するぞ……」
カレンティンシスに用事があってやってきたカルニスタミアは、あり得ない存在を見て僅かに首を傾げた。
「カルニスタミア! ……貴様は食っておれ」
「兄貴なにごとじゃ?」
食べる手を止めて期待に満ちた目でカルニスタミアを見つめるグラディウス。
ルグリラドの教育の成果により、緋色が大量に使われている服を着用している人たちには、声をかけられるまで待つことをグラディウスは覚えた。
だから声をかけてください、お話がしたいです! その気持ちで見つめている。
貴族の名前を覚えるのに苦労するグラディウスだが、人と話すことは大好きで、わりと物怖じしない。
まだ教育を受けていなかった頃は、話が通じず諦めることもあったが、いまはなんとか話が通じるまでに進歩したので、生来の人好きからとにかく話したがる。
「本人はグラディウスと、グレスと名乗った」
カルニスタミアに近付き耳打ちするカレンティンシス。
「……まあ、そうじゃろな。というか、間違いなくグラディウス・オベラ・ドミナスであろうよ」
以前【自分に潜む他者・ラヒネの記憶にあった泣いているグラディウス】と遭遇したことのあるカルニスタミアは、グラディウスを前にして納得する。
「なぜ言い切れるのじゃ!」
「儂にも色々とな。初めましてじゃな、グラディウスよ。儂はカルニスタミアじゃ。この男、カレンティンシスの弟じゃよ」
「初めまして! あてしグラディウスです! かりんちんしす様の弟さんのか、か……かるにちんたみあ様、よろしくお願いします!」
差し出されたカルニスタミアの手を両手で握り返す。
「微妙にあっているようで、あっていない。さすがじゃな」
名前が似ている様で絶望的になっているが、相手がグラディウスだということでカルニスタミアは気にはしなかった。
「お前それで良いのか! カルニスタミア」
「グラディウス・オベラ相手に騒いでどうする。マルティルディを”ほぇほぇでぃ”と呼んでいた程の人物じゃぞ」
「かるにちんたみあ様、ほぇほぇでぃ様のこと知ってるの!」
「もちろんじゃ」
「嬉しい」
喜んでいるグラディウスを前にして、二人は「どうしたものか?」を考える。人一人を隠して養う程度のことは簡単にできる権力も財産も持っているのだが、相手が「何故かいるグラディウス」
(このグラディウス・オベラ・ドミナスが過去からやってきたとして……儂等に返す方法がないのはともかく、返したいともあまり思わんな)
グラディウスの妊娠出産の経歴を考えればカルニスタミアもそう言いたくはなる。
(そ、それは確かにそうじゃが。じゃが……儂等の祖先であるアルガルテスが!)
訛りがきつく賢くないことが一目瞭然のグラディウスを見て、まだ自分たちの直接の祖先にあたるアルガルテス皇子は生まれていないと判断したカレンティンシスは、やはり返す手段はなく、返したいとは思わないが、あの変態皇帝に返さざるを得ないだろう……そうは思えど、
「うめぇ! これは、なんですか」
「鶏肉と乾無花果を煮たものじゃ」
「うめえ」
やはり返してはいけないような気がしてくるカレンティンシスであった。
グラディウスを見て途方に暮れかけたカルニスタミアは、今日の自分は余裕がなく、ここに足を運んだのもカレンティンシスを説得するためであったことを思い出し、カレンティンシスの肩に手を置き引き倒すようにした。
「カルニスタミアいる?」
だが訪問者により説得しそびれる。
「殿下。お一人で?」
「そう!」
部屋に入ってきた幼女と少女の境に位置する年齢の”殿下”がカルニスタミアに飛び付く。
「あの子だれ?」
「あのお方は、デキュゼーク親王大公殿下、将来の皇太子殿下じゃ。まだ立太子されてはおらぬがな」
「あてしのベルテも皇太子になった! あてしのベルテと一緒なんだ! 初めましてゼークちゃん!」
語尾が”じゃ”ではなく、着衣も白が多いものを使用しているので、声をかけても怒られはしないだろうとグラディウスはカルニスタミアに飛び付いているデキュゼークに近付く。
「初めまして! 誰?」
「あてしグラディウス・オベラ・ドミナス。グレスって呼んでね」
デキュゼークは近代史はまだ習っていないので、グラディウスの存在は知らない。知っていたとしても、シュスタークの娘なのであまり深く追求することはない。
「私はデキュゼーク! ゼークでいいよ!」
―― そこに居たのです ――
―― そうか、そこにいたのか。理由は知らぬが、会えて良かったではないか ――
―― 父上ならばそう言ってくださると思いました ――
取り残されたカレンティンシスは、グラディウスの言葉を反芻して呆然とする。
「……ベルティルヴィヒュが立太子されたじゃと……ということは……あのグレス、あれで二十三歳越えておるのか!」
二十四代皇帝アルトルマイスが立太子された年齢は公式に記録に残っているので、そこから簡単に計算することができるのだ。なによりもグラディウスは今「グラディウス・オベラ・ドミナス」と名乗った。その名を受けた年もカルニスタミアもカレンティンシスもしっかりと記憶している。
「……帝星にきたばかりの頃だと思っておったわ」
カレンティンシスの叫びを聞いてカルニスタミアはデキュゼークと手を繋ぎ、変な踊りを踊っているグラディウスを見直す。
自分の胸の下辺りにグラディウスの頭の天辺があることを確認し、自分の体の位置により長さを測ることができるカルニスタミアは、グラディウスが二十三歳時の公表身長であることを確かめて、両手で「2」と「3」を形作り頷く。
それを見たカレンティンシスは隣室へと駆け出した。
「グレス。殿下を頼むぞ」
「うん! いいよ! 任して!」
隣室へと飛び込んだカレンティンシスは通信機で、
「エーダリロク!」
エーダリロクを呼び出した。
『なんだよ! アルカル……大君主様』
「タイムマシーンを作れ! 今すぐ作れ! はよう作らんかああ!」
『落ちつけよ!』
「儂が行って、彼奴を! 彼奴を! 葬りさってくれるわ! 儂等が存在できずとも! 許せるかあ!」
『何言ってるんだ? 彼奴って誰だよ。な? 落ちつけ、落ち着くんだよ。今日はあんたの大事な弟王子の叙爵式典じゃねえか。な? 落ちつけよ』
技術庁の元上司であったので、この手のことは慣れているエーダリロクだが、今回ばかりは意味が解らず落ちつけようもなく困った。
「済まんなエーダリロク」
部屋に遅れてやってきたカルニスタミアがカレンティンシスの顔を押さえ込んで、
『お、おお。カルニス。説得失敗したのか?』
「そんな所じゃ。だから気にせんでくれ」
通信を切って暴れるカレンティンシスを親が幼子を抱き掲げるようにする。
「騒いだところで仕方あるまい」
「降ろさんか!」
二人とも突然現れたグラディウスは《大宮殿に来たばかりのグラディウス》だと、勝手に解釈していた。グラディウスは二十歳を過ぎた辺りには《大宮殿にやってきた時とは比べものにならないほど精神的にも知能的にも成長した》と記録が残されている。
ということは、いまここにいるグラディウスよりももっと幼く賢くなかった少女が、サウダライト帝の毒牙……という単語でも生温いが、とにかく毒牙にかかったのだ。
このグラディウスでも《度し難き男じゃ、サウダライト》怒りゲージが振り切れそうであったカレンティンシス。年齢の事実を知り「過去に戻って殺してやる!」と、開発能力に優れているエーダリロクにそれ用の機械を作れと怒鳴りだした。
「兄貴の気持ちは解る。儂とて過去に戻ってサウダライトをくびり殺したい。じゃが、あの時代のマルティルディも我慢したのじゃぞ。儂等も我慢せねばなるまい」
「確かにそうじゃが」
「それにあの様子じゃと、まだ儂等の祖先の配偶者たるアルガルテスは生まれておらんじゃろう」
「うおおお! 儂はなぜ生まれて来てしまったのじゃあ!」
「落ちつけ、兄貴」
―― 落ちつけ兄貴 ―― 言ってから「落ちつけといって兄貴が落ち着いたことあったか……儂もつくづく……」無駄なことを言ってしまったなと顔を隠して苦笑いを浮かべる。
「貴様! 儂を馬鹿にしておるな!」
笑い顔を見たカレンティンシスは、笑われたとばかりにまた怒りだす。
「いや……まあ……」
―― いつもの兄貴らしくていいのじゃが
「ゼークちゃんは、かるにちんたみあ様が好きなんだ」
「カルニスタミア格好良いでしょ」
「うん。あてしが知ってる人のなかで一番格好良いよ」
「歴代テルロバールノル王の中で一番格好良いってみんな言ってるよ。あ、まだテルロバールノル王じゃなくて、今日これからアルカルターヴァ公爵になるんだった」
「へえぇ。ゼークちゃん、いろんなこと知ってるね」
「うん。でも残念」
「どうしたの? 公爵さまになるって、お祭りでしょ? 楽しいことなのに」
「だって私、カルニスタミアをお婿さんにしたかったのに。公爵になるなんて」
「公爵さまになると、お婿さんにできないの?」
「んー多分無理」
アルカルターヴァ公爵叙爵式の主役であるカルニスタミアは、正装してカレンティンシスの元に話したいことがあってやってきたのだが、様々な妨害が入り話ができぬまま。
親王大公を長時間一人きりにしておくわけにはいかないと、カレンティンシスを引き摺り部屋へと戻り、
「そろそろお部屋にお戻りください、殿下」
「はあい。カルニスタミア」
「はい、殿下。なんでございましょう」
「格好いいよ!」
「ありがとうございます、殿下」
なんとかデキュゼークを皇帝の私室に返し(私室には人が待機している)時間のないカルニスタミアは、さっさと用件だけを告げる。
「式は見られるように細工してある」
紙で作られた大宮殿の部分見取り図を出し、
「帝后宮からこの塔までは警備を配置していない。塔に昇れば遠目だが式を見ることはできる」
指で通り道をなぞる。
わざわざ証拠になる紙の地図を持って来たのは、皇帝が許可したサインを見せるため。
本来であれば参加してはならないカレンティンシスに式を見に来いとカルニスタミアは言いにやってきた。
普段であればここから怒鳴り合いになるところなのだが、
「説得する時間込みできた筈だったのじゃが……」
一緒に地図を覗き込んでいるグラディウスを見て”どうしようもないな”と、カルニスタミアはすぐに立ち去った。
すっかりと静かになってしまった部屋で、
「お式、観に行かないの? かりんちんしす様」
地図を前に項垂れているカレンティンシスを気遣うように声をかける。
「……お前は観たいのか? グラディウスよ」
「うん!」
カレンティンシスは地図を折り手に持って、
「では連れて行ってやろう。ほれ、ついて来い」
グラディウスの頭に手を置いて”行くぞ”と促す。
「かりんちんしす様は観たくないの?」
「……そんなことはない。ただ……」
誰よりもカルニスタミアがアルカルターヴァ公爵になることを望んでいたカレンティンシスだが、即位する姿を見ることになるとは考えてもいなかった。
カレンティンシスの考えた未来では、自分は簒奪された際に《殺害》されているはずであった。だが現実は生き存え、皇帝に引き取られて大君主となり帝后宮の主であるビーレウストの元にいる。
事情を知っている者達に囲まれ、気を張った生活とは無縁となり……悪いことは一つもないのだが、自分が生きていることだけがどうしても納得できなかった。
「かりんちんしす様、がんこなの?」
「なんじゃと!」
「キーレ様が言ってた。ドラ様は”がんこ”なだけだって。でもとっても素直だって。アルガルベーはみんながんこだから、……なんだっけ? 忘れちゃった」
「キーレとはキーレンクレイカイムのことか」
「うん! かりんちんしす様、なんでも知ってるんだ」
―― では行こうか、四公爵家の当主たちよ。戦争だ。そうだ大帝太后が死んだから ――
―― あなた様ですら大帝太后には弱かったですものね。クレスケン殿下 ――
これから起きることをカレンティンシスは知っている。
それを回避するために、グラディウスに排除するべき相手を告げたくなったものの、
―― 無理じゃな。過去を変えてしまうというのではなく、言ってもあまり理解できぬであろう
未来を教えたところでグラディウスには解らない。
変えてはならない過去を”変えよう”と足掻きたくなる。未来を知る者として当然の感情。だがそれはグラディウスの満面の笑みによりあっさりと醒めた。
「……それほど知らんよ。ところで”アルガルベー”はアルカルターヴァと言いたかったのか?」
―― この大帝太后が巻き込まれるのであれば教える意味はあったかもしれんが、一生幸せに暮らしたのじゃ……関係ないか
「うん!」
「他の爵位はどうでも良いが、アルカルターヴァだけはしっかりと言えるようになれ! ……なにを笑っておるのじゃ」
「ドラ様そっくり!」
そう言って笑いグラディウスはカレンティンシスの腕に抱きついた。
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