繋いだこの手はそのままに・2
 式が終わって数日後、アシュレートから届いたアトラントフィートカゲの居住区域作成のために資材を持って建築中の爬虫類園を歩き回っている彼女の元に、ロガがシュスタークとボーデンを連れてやってきた。
 濃い灰色のつなぎに、作業用の紐靴を履き、泥が顔についた彼女は、同じ格好をしてやってきたロガになんと言っていいのか解らなかった。
 シュスタークはいつも通りの皇帝然とした格好だが、腕にはボーデンを抱えている。その抱え方は、彼女がエーダリロクの大事な爬虫類を抱える姿に似ていた。
 抱えられているボーデンは寝入っている姿で、リオンテのほうを見ようともしない。
「あの……リオンテさん」
「どうなさいました?」
「”ボーデン”の名前の由来、飼い主のゾイ……友達に聞いたんですけれど、特に理由ありませんでした」
 式後すぐに招待されたゾイ。
 使わないだろうがと、小さなポーチ(奴隷同士の結婚祝い)を作ってきたゾイにロガは直接尋ねた。

―― 王子様ならそういう名前も思いつくだろうけれど、私は……

 ゾイの困惑にロガは”そうだよね”と昔と変わらない態度と、洗練されてきた動きで答えた。
「わざわざ、ありがとうございます」
「あの、私も一緒に作業していいですか。ちょっと爬虫類って興味があるので」
「どうぞ」
 普段であれば彼女は断るが、犬を撫でながらロガを見守るシュスタークの視線を受けては、さすがに断れなかった。
 蒸し暑い空気と背の高い木々、落ち葉が積み重なり水気を帯びた柔らかい地面。
「この住み家気に入ってもらえるといいですね」
「気に入るとおもいます」
 ロガが自分になにかを言いたそうなのは解ったが、何を言いたいのかは解らなかったので、

―― お友達とまではいいませんが、仲良くしていただけたら……その……

「ロガ、時間になってしまった。名残惜しいが帰ろう」
「あ、はい!」
 シュスタークの声に頭を下げる。
「また来る」
「御意」
 ロガの希望を叶えることはシュスタークにとって何よりも大切なこと。そして”従兄”も大切であった。だから声をかけようとしたのだが、名前をど忘れして必死に思い出す。
「リオンテ?」
 落ち着き払いながら名を自信なく呼ぶも、
「はい」
 彼女はそれに気付かなかった。
 名前を間違わなかったことに胸を撫で下ろし視線まで落とし、抱いているボーデンと目が合い”ああ! ボーデン卿には気付かれた!”と焦るが、やはり彼女にもロガにも気付かれずに済んだ。
「エーダリロクの爬虫類たちを頼むぞ」
「はい」
 水を飲み終えたロガと共に帰ろうとした所、
「陛下、皇后」
「エーダリロク」
「エーダリロクさん」
 この爬虫類園の総責任者とも言えるエーダリロクがやって来た。
「来られること事前に連絡くだされば、もっと変わったの用意しておいたのに」
「いや、充分見応えはあったぞ。なあ、ロガ」
「はい。私、爬虫類をしっかりと見たのは今日が初めてなので。たぶん変わった爬虫類たちがいても、気付けなかったと思います」
「皇后は爬虫類嫌いじゃないですか?」
「?」
「そっか、先入観がないのですね。リオンテの説明は解り易かったですか?」
「はい」
「そりゃ良かった」
 近衛兵たちと共に去った二人を見送ってから、
「リオンテ」
「はい、殿下」
「よくやった」
「ありがたきお言葉」
 エーダリロクは彼女を褒めた。
「リオンテ……」
「はい?」
 そしていつかは言わなくてはならないと考えていたことを、かなりぼかし気味にだが伝えた。
「お前が爬虫類たちの世話してくれるから、俺は安心していくことができる」
「殿下」
 はっきりと言うエーダリロクにしては珍しいとは思ったものの、
「頼むぜ」
 やたらと胡散臭い最高の笑顔を前に、彼女は泥のついた手で顔を拭い汚れを広げてから、頷いた。

**********


 そして年月は流れ、リオンテは独り身で大宮殿にある爬虫類園の管理者を務めていた。

―― お前が爬虫類たちの世話してくれるから、俺は安心していくことができる ――

 あの言葉が卑怯であったと彼女は思わない。あの言葉がなくとも、彼女は自分の寿命が尽きるまで爬虫類の面倒を見続けた。
 むしろあの言葉をもらえたことが嬉しかった。
 王子の心が僅かばかりであろうとも安らかにできたことを、今でも思い出すたびに幸せになれる。
 彼女は過去を懐かしむだけではなく、今も幸せだ。
 蒸し暑い空気と背の高い木々、落ち葉が積み重なり水気を帯びた柔らかい地面。目には見えないがそこかしこに感じる息吹き。
「フィレンギラ様」
「どうしました?」
「皇太后陛下がお出でになりました」
「そう」
 貧しい平民の出である彼女は、貴族社会ではほとんど友人を得ることはできなかった。だがまったく居なかったわけではない。
「リオンテ」
「ロガ様」
 美しく優しいかつて皇后で、いまは皇太后であるロガ。彼女の数少ない友人の一人。二人は座って話すのではなく、道らしい道などほとんどない密林の中を歩く。
 偶に石や朽ち木に腰をおろして持参した水を飲む程度で、ずっと歩き続け近況や過去のことを話すのだ。
「今日はアルカルターヴァ公爵はご一緒ではないのですね」
 カルニスタミアは友人ではないが、ロガと一緒によく彼女の元を訪れた。アシュレートも暇があればやってくる。
「はい。お仕事があるそうです。とても残念がっていました」
 結婚した当初は肩口程度であった柔らかい木漏れ日のようなロガの金髪。皇后であった時分もさほど長くはしなかった。一時期伸ばしたのだが、皇帝が”短いのも可愛いな……いや! 長いのももちろん可愛いのだが”と。ロガに関しては際限なく愛し、それと同じ程に欲の深かった皇帝は、短髪も長髪も両方を望み、結果としてロガの伸ばした髪を切り鬘を作り、公的な部分ではそれを被り、私生活では肩に付くかどうか? 程度の長さで過ごした。
 鬘が帝国ではあまり良いものではないことは皇帝も知っていたが、ロガは「ビシュミエラ様に倣って」と言い皇帝の望みを叶えた。
 わりとずけずけと物を言うガルディゼロ侯爵キュラティンセオイランサなど「陛下が皇后の望み叶えたことってありました? 皇后が陛下の望みを叶えているところはけっこう拝見しますけど」皇帝に向かってそう言い、脇で聞いたエーダリロクやビーレウストが「たしかに」と同調して笑ったこともあった。
 言われ、笑われた皇帝は「余もそう思う……やはりそうだな」と。
 全てを持っていた皇帝の望みを作り、叶えることが出来た唯一の存在。
「私としては来て下さらないほうが嬉しいのですがね。なにせあの御方、早くに居なくなった王子たちの愚痴を私に向けるので、ほとほと困ってしまいます」
 ここにいる爬虫類の半分以上はエーダリロクは見たことはない。彼が死去してから生まれたもので、彼が集めたものの半分近くは寿命を終えて、彼があの世で作っているであろう無限の園へ向かった。
「そうですね」
 声が甲高かった最強騎士も、もっとも美しき射撃手も、皇帝再来と呼ばれた男も、すでにいない。
「ロガ様にもこぼしませんか?」
「少々。ザウディンダルさんの所にも良く行って、愚痴を言っているそうです」
 特殊個体名《ドミナリベル・ザウディンダル》の基礎データ体となった”彼”
「あの人は逃げられないから、余計大変そうですね」
 装置を作り、あとのことをカルニスタミアに任せて去っていったのは、やはりエーダリロク。
「そうですね。でも、どうやらそれも終わりのようです。”彼女”はそろそろお暇すると私に言いました」
 帝国は人も増え《女性》も増え始めた。
 決して落日ではない。だが寂寥感からは逃れることはできない。
「ロガ様。アルカルターヴァ公爵の愚痴、聞いていると寂しくはなりませんか? 私は嬉しさ半分、寂しさ半分ですね」
「私もです。リオンテ。……リオンテ、実は私、ザウディンダルさんが亡くなったら……」

 ロガが帰ったあと、彼女はこの建物唯一の椅子らしい石をみつめる。座りボーデンを膝の上に乗せて笑顔で皇后を見ていた皇帝を思い出した彼女の目から、エーダリロクが死んで以来、流れることはなかった涙が溢れ出した。


―― 密猟で生計を立てていた頃の自分では、想像もつかなかったことだ。皇太后の再婚話で涙する日がくるなんて


仲良く手を繋いで帰る二人。それは永遠であると彼女は錯覚していたのだ。

繋いだこの手はそのままに−終

Novel Indexnextback

Copyright © Iori Rikudou All rights reserved.