混凝土棺・5 − 少年残像≪後編≫
《ゆけ! エーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエル。私の全てを自由にするがいい》
「うおぉぉぉ!」
平素とは全く違う “高い” 叫び声を上げてビーレウストに正面から突進してゆくエーダリロク。叫び声に気づいたビーレウストは振り向く。その口の端からは小腸がぶら下がっている。
痛みからか涙を流し、声にならない声で呟き続けているシーゼルバイアを無視し、口に含んでいた小腸を床に唾とともに吐き捨て、
「グァァァァァ!」
ビーレウストも叫び、エーダリロクに向かって駆け出す。
両者とも体勢を低く、床に手が付くほどに低く、その長い髪は疾走により翼にも見える。
互いに間合いに入ったところで、軸足に力を込めて手を伸ばして飛びかかる。腕で半円を描く赤に染まった男と、腕で直線を描く空色の男。赤い手は指先がエーダリロクの頬に触れ、そのまま肉を引きはがす。
空色の鈴蘭が図案化された手袋をはめているエーダリロクの手は、ビーレウストの胸に当たりそのまま間合いをとって突き進む。蹴り上げるように進む床はヒビが入りながらも、エーダリロクは押し続ける。押されるビーレウストは攻撃を加えるが、体の大きさで上回っているエーダリロクの腕の長さに阻まれ体に攻撃を与えることができない。
両足ですら押されている状況では足で攻撃するのもままならない。
「うぁぁぁぁぁ!」
「ウォォォォ!」
“目的の場所” へと一直線に押し進むエーダリロク。
「カルニスタミア! アシュレート!」
叫び声に反応して二人が飛空挺備え付けのホースを持って、壁を壊して突入を開始。二人の目の前には、ビーレウストの両手をつかみ、浴室へとたたき込んだエーダリロクの姿が目に映った。
それに続いて二人も駆け寄り、一斉にホースから “ビーレウストを止めるための素材” を流し込む。
エーダリロクの作った速乾性にコンクリート。そこから出ようともがくビーレウストの顔も、すぐにコンクリートに覆われた。
小さな浴室が20秒ほどで満たされ、静けさが戻ったところでその場にいる者達ににシーゼルバイアのうめき声が聞こえてきた。カルニスタミアはそれを無視して持っていたホースをその場に投げ捨てエーダリロクに話しかける。
「言われたとおりにコンクリート流し込んだが、大丈夫なのか」
「平気、平気。これは俺が作ったやつだから。大体エヴェドリットは普通のやつでも平気だろ?」
言いながらエーダリロクはビーレウストに抉られた頬を手のひらで撫でる。
「それにしても、よくお前の身体能力でビーレウスト相手にその程度の怪我で済んだな。作戦を聞いた時は、随分と不確定要素の多いものだとおもったが、お前のどこにその力があるのだ? それほどの力が安定して出せるなら、近衛兵団団長の地位もたやすく得られるだろう」
カルニスタミアは “ビーレウストは俺が止める” と聞かされた時、思わず耳を疑った。
エーダリロクは体こそビーレウストよりも大きいが、スピードや戦闘センスでは誰の目にも明かな程に劣っている。特に純粋な力に関しては、全く勝負にならない。
「いやあ、試作品のためなら火事場の馬鹿力も出すさ」
首や鎖骨を血で濡らしながら笑ったエーダリロクに、カルニスタミアも苦笑いするしかなかった。
「無事か? 公爵妃」
会話を途切れさせたのはアシュレートの声。
ビーレウストに食われたシーゼルバイアの側に顔色を失い立ち尽くしている彼女に声をかけながら、自分のマントを “喋る肉塊” にかける。
決してシーゼルバイアに対しての感情ではなく、エヴェドリット王族らしくもない行動。
カルニスタミアは遠くから眺めつつ眉をひそめた。
「だから俺の妃になるなと言ったんだ。忠告したのに、なぜ作戦に参加した?」
エーダリロクは彼女の側まで近寄ると、咎めるように声をかける。
優しく手をさしのべるような態度を全く見せない、人が望み見ることしかできないような銀嶺を思わせる容姿と態度。その険しく美しい山を前にしても彼女は引き下がらない。
「ロヴィニア王族として、僭主狩りに参加することを王子にとやかく言われる筋合いはございません。私はロヴィニア王族であり、ロヴィニア王に従ったまで。王子が私の夫であろうとも、このことに関して意見することはできません。王子は私のロヴィニア王族としての権利を侵害するおつもりですか?」
彼女は銀の王子を得るために、見て満足するだけでは飽き足らずにそれに挑む。エーダリロクを見つめる彼女の視線を受け止めた《彼》は、エーダリロクに笑いかける。
《お前の負けだ、エーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエル。この目をした女は決して引き下がらない、殺そうとも離れることはない》
「悪かった、たしかにロヴィニア王子としても出過ぎた発言だった。それで怪我はないか? 暴力的な行為も含めてだ」
エーダリロクはシーゼルバイアと彼女の間に入り視線を閉ざす。それを確認したアシュレートとカルニスタミアは、僭主に与した残骸を袋に詰め込む。シーゼルバイアはこれから体を再生されて、尋問されそして処刑される。
「何もありませんでした」
蠢く肉が保管用の袋に触れ奇妙な音があたりに聞こえるが、それを無視してエーダリロクは話し続ける。
「メーバリベユ侯爵……いや、ナサニエルパウダ」
「何でございましょうか?」
「俺は極限の際にはあんたじゃなくてビーレウスト=ビレネストを選ぶ。だから俺はあんたに選ばれる権利はない」
彼女を見つめる夫の眼差しは決して優しいものではなく突き放している。だがその中にあるのは幼稚な拒絶ではなく成熟した大人の持つもの。夫は妻になろうとしている女性の身の安全を考慮しての言葉だが、妻にとってその言葉は夫にますます惹かれるだけのもの。
「……」
自分は成長したと彼女は慢心ではなく事実として思う、だがそれ以上に彼女の思い人は成長していた。かつて “喧嘩” をして宮殿を飛び出した少年は、身の危険をも顧みずに相手を助ける。
その様を目の当たりにして、彼女が引き下がるわけもない。
「どうした? 微笑んで」
愛した男の堂々たる態度に、彼女は礼をとりハンカチを取り出す。
「その言葉を聞いて公爵殿下を “見直し” ましたわ。貴方はやはり私が思い描いたとおりのお方。役には立たないでしょうが、どうぞ傷を覆ってください」
エーダリロクはそれを無言で受け取った。
ハンカチを受け取ってもらえた彼女は、真白な顔色のまましっかりとした足取りとはいえないが、歩いて部屋を後にする。廊下にでて暫く歩いたところで躓き、壁に体をぶつけそうになったところで手が伸びた。
「申し訳ございません、ジュシス公爵殿下」
肩に触れた手の赤い手袋と、美しい金髪に顔を確かめる必要もなかった。
「初めてだ。無理もない」
言いながらジュシス公爵は彼女を抱きかかえる。いつもの彼女ならば拒否することもできたが、今の彼女にはそれを断る気力が無かった。冷え切った自らの体が感じる、ジュシス公爵から伝わる温かさに安堵の溜息を漏らしつつも、
「どうしたら慣れることができますか? リスカートーフォンの公子であられるジュシス公爵殿下なら……」
彼女はデファイノス伯爵の親友の妻であるために、自らの欠点としてそれを乗り越えようとする。
「教えてやっても良い、だが今は体を休めるのが先だ」
「はい」
意識を失ってはいけないと思いながらも彼女は意識を手放した。腕の中にある体の重みが少し増したことに意識を完全に手放したことを知り、彼女の無防備な表情をジュシス公爵は見下ろす。
「アシュレート」
「どうした? カルニスタミア」
背後からかかった声にジュシス公爵が振り返ると、ライハ公爵が小さな袋を持って立っていた。
そのシーゼルバイアの頭部と手足が放り込まれた袋は、見慣れない者が見れば “不気味” だが、見慣れているジュシス公爵にとっては何の感情もわき上がらない……はずだった。
「そんな物、持ってくるな」
腕の中にいる女性が嫌悪感を覚えるだろうと、彼はその時初めて「パーツだけで動くからだ」に不快感を覚えた。
「持ってくるなもなにも、コイツはお前が持ち帰る証拠の品じゃろうが。セゼナード公爵妃は儂が責任を持って預かるから、お前はお前の仕事をしろ」
言いながらライハ公爵が近付いてくる。
腕の中に居るのはジュシス公爵の妃ではなく、彼女よりも友人をとった男の妃。
証拠品のシーゼルバイアの入った袋を持ちながら、ライハ公爵はジュシス公爵の肩を掴み顔を近づけて耳打ちする。
「そのままセゼナード公爵妃を我が物にしたいのは解るが、相手が悪い」
「気付いていたか」
「重大任務である “僭主と繋がっていた証拠品の保存” を投げ出して、他人の妻を抱きかかえて優しげに見つめているその態度で気付くなと言う方が無理だ。エーダリロク、いやヴェッティンスィアーンが気付く前に手を離すべきだ。ヴェッティンスィアーンに気付かれたら精神感応が開通しているリスカートーフォンにも気付かれる。お前は貴族の娘との結婚を破棄した、そしてダバイセスは死んだ。残るアジェ伯爵とビーレウストが王族を増やすことが出来ない以上、リスカートーフォンは取引をもちかける。お前は愛した女を “繁殖の道具” として王より買い与えられたくはないだろう? 愛しい女は商品か? かつての両性具有のように売り買いの対象にしたいか?」
二人は暫く睨み合い、ジュシス公爵は溜息を付いた。
「秘密にしていてくれるか」
「条件がある」
「何だ?」
「ザウディンダルが襲われていたら助けてくれ」
「……解った。だがな、言われずとも助けるとおもう。かつては何も感じなかったが、今は……後は任せた」
ジュシス公爵は公爵妃を渡して、シーゼルバイアの入っている袋を持ち部隊を撤収させた。
ライハ公爵は公爵妃を抱きかかえたまま艦に戻り、療養のためにと領地へと連れてゆく。途中で弟が近くにいることを知り呼び寄せた。
皇帝の正妃になると覚悟を決めてから約二年、その疲労は堰を切ったように公爵妃を襲い、意識を取り戻すまでに三日ほどの時間を要した。
「……公爵殿下?」
やっと意識を取り戻した時、彼女の枕元には男性がいた。
まだ視線の合わない彼女は手に触れている感触から、感じたままを彼に向かって口にすると、
「公爵殿下ではあるが、申し訳ないことにあんたの公爵殿下じゃねえ」
皇帝の正妃候補になった際に教えられた『我が永遠の友』の声に驚き体を起こそうとしたが、肩を押さえられて起き上がることができなかった。
「驚かせたようだが、まだ起き上がるな。疲労がたまり過ぎだと医者が怒っていたぞ。病人を怒るわけにはいかんと儂が代わりに怒られた」
微笑みながら言うライハ公爵に触れている自分の手は、なぜかライハ公爵をセゼナード公爵に勘違いさせた。
「申し訳ございませんでした」
「構いはせんよ。ところで弟を側に呼んでも良いか、心配であんたに付きっ切りだった」
ライハ公爵の言葉と指先の動きに、公爵妃は驚いて視線を向けると、部屋の隅に申し訳なさそうに弟が座っていた。
「セゼナード公爵妃に不名誉な噂が立たぬように見張ってもらっておった」
ライハ公爵はずっと公爵妃に付き添っていた。
「ライハ公爵殿下はもっとも噂の立たないお方でいらっしゃると思います。そしてありがとうございました、もう大丈夫です」
「そうか? 顔色をみるとそうでもなさそうだが。まあ、夫でもない儂が心配しても仕方ないか。委細などについては明日にでも書類を届けさせる。夫のセゼナード公爵とあんたを心配しているジュシス公爵から意識を取り戻したらすぐに連絡が欲しいと言われている。もちろんあんたから直接な。だが儂としてはもう少し顔色が良くなってからの方が良いと思うので、儂でよければ代理で報告してこうよう」
公爵妃はライハ公爵に代理を依頼し、心配して来てくれた弟に笑顔を見せた。その笑顔に安堵した弟も、姉に笑顔を見せた。
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