グィネヴィア[41]
 イルトリヒーティー大公とグレイナドアは、大宮殿内のレストランへと行き、各自「いつものを」と注文し夕食を取った。
 怒りを覚えていたイルトリヒーティー大公だが、徐々に”彼にも分からぬ理由で”怒りが収まり、メインを食べ終えた時には落ち着きを取り戻していた。
 メインを食べ終えたグレイナドアがナイフとフォークを置き、
「なるほど。テーブルマナーは必要なものなんだな」
 ”初めて知った”というような面持ちで腕を組み、何度も頷く。
「主、いきなり……」
 同じくメインを食べ終えたイルトリヒーティー大公は、話がまったく見えず、やや呆然を含んで問い返す。
「機嫌、直っただろう」
「……」
「お前の性格や性質からするに、美味いものを食った程度じゃあ治らない。だが目の前で礼儀正しく食っているのを見ていると落ち着く……じゃないか」
 グレイナドアに言われて、イルトリヒーティー大公は自分の胸に問い ―― 
「悔しいが、主が言ったことは正しいようじゃ」
 自分の気持ちが落ち着いたのは、目の前で流れるように美しく、一寸の隙もなく料理を口に運んでいた ―― グレイナドアのメインディッシュは鹿肉のソテー ―― ことも大きく影響していると認めた。
「だろう。ガチガチのテーブルマナーなんて必要ないと思っていたが、お前の機嫌を直せるんだから、覚えていて損はないんだな」
 怒りを鎮める方法を脳裏に描き、そして、同族相手ならば決して取らない手段をグレイナドアはこうじた。
「覚えていて損……」
「いままで、正しく食って良い気分になったヤツって見たことなかったからな!」
「……まあ。そうじゃろうなあ」
 二人がそんな話をしていると、メインの皿は下げられ、デザートが運ばれてくる。
「デザートが終わったら、酒にしよう。私はいつものを。イルトリヒーティー、お前はどうする?」
「主のいつも、とは?」
「白ワインとオイルサーディンのバリエーション料理。十品くらいだ」
「白ワインの銘柄は」
「特に。お任せだが、甘口が好きだ」
「儂も白ワインにするが。アルデゥルテス産で当たり年……そうじゃな、2741年を二本」
「わあ。格好いいぞ、イルトリヒーティー。私は酒は飲むが、銘柄や当たり年は全然分からん!」
 帝国では酒は投機対象となっていないため、グレイナドアはこれらに関しては疎かった。もっとも彼が口にする酒は、指定などしなくともほぼ上質なもである。
「儂は幼少期から、ほれ、あのジャスィドバニオンと過ごしたゆえに、酒については詳しいのじゃよ」
 だが当たり年は指定しない限り提供されない。 
「なるほど。楽しみだ……なあ、当たり年じゃないアルデゥルテス産と飲み比べてみていいか!」
 それは教養であり、またイルトリヒーティー大公は自身が言う通りジャスィドバニオンと、酒に関して共に学んだ ―― ガニュメデイーロの座を二人で競ったのだ。イルトリヒーティー大公は競いたくはなかったが、血筋も才能も拮抗していたため。候補に選ばれたことは栄誉あることなのだが……自分に決まらなくて良かったと、彼が思ったとしても責められはしない。
「構わんぞ。なれば、当たり年の前後一年も用意せよ。主は舌は悪くないようじゃしな」
 全ての酒を網羅しなくてはならないので覚えることは膨大で、候補に選ばれる者は一度覚えたことは、そう簡単には忘れない。
「まあな!」
 
 グレイナドアに悪いところなど一つもない。ただ馬鹿なだけで ―― 馬鹿でなければ、ガニュメデイーロの候補にも選ばれ、大公二人と競いあっていたかも知れないくらいの男。それがグレイナドア。

 当たり年とそうではない年のものを飲み比べ、ほろ酔い気分になりながら、グレイナドアは先程までイルトリヒーティー大公が感じていた怒りの理由について尋ねた。
「なんで怒ってたんだ」
「それは……」
「私に対してではなさそうだったが」
「主に関してではない……トステオンについてじゃよ」
 トステオン侯爵ラベンパルペス。オーランドリス伯爵の夫に自ら立候補して、運良く選ばれた男。
「あれがどうかしたの……あまり金を持ってないからか!」
 ロヴィニア王族からすると、二十四歳にしては資産が少ない部類に入る。書類を書く際に資産照会をしたグレイナドアは、その明晰で優れ金勘定が得意な頭脳を持ってして「0」の数を指で追って数えたほど ―― 彼の認識ではあまりにも「0」の数が少なかった。
 もっともウエルダやゾローデも「0」の数を数えるが、それは数が大きすぎて……トステオン侯爵の資産は、皇王族としては並といったもの。
「資産は……まあ、言われてみれば少ないが、儂は……どうもあの男の嘘が気に食わん」
「嘘をつかれたのか?」
「そうじゃ」
「お前、嘘は全て排除する! というタイプか」
「儂とて弁えておる……じゃが、あの男の嘘は、なんというか生理的に受け付けんかった」
 白一色の美しいテーブルクロスが敷かれたテーブルに、飲み干したワイングラスを上品に置く。
 グレイナドアは”こんな時でも叩き付けたりしないんだなあ。こいつらは金がもったいないという感性はないから、自制心に富んでいるんだな……なんか凄いぞ、自制心”密かにイルトリヒーティー大公のことを尊敬した。
「どんな嘘だ?」
「あの男、エキリュコルメイのことが昔から好きじゃったと」
「……嘘なのか?」
「嘘じゃろうて。トステオンが言うには、オルドファダンで大宮殿に避難した、幼いエキリュコルメイを一目見て恋に落ちた……初恋じゃとほざいておった」
 前線の崩壊により、生まれたばかりのオーランドリス伯爵はロヒエ大公の手により大宮殿へと避難させられ、祖父に預けられた。
「幼児に恋をしたというのが気持ち悪いと」
 滞在期間は約二年 ――
「……そう言われると、たしかに幼児じゃな」
「おおよそ十六年前だから、カーサーが零歳であいつが八歳。……気持ち悪いな」
 グレイナドアは自分には理解できない領域の話だと、その細くすっきりとしている黒い眉尻を釣り上げて、蔑みを含んだ声を上げる。
「それもそうじゃが、あの男、確実に嘘をいっておる」
 イルトリヒーティー大公がここまではっきりと言いきるのには訳があり、
「…………あ、そうか。会えるはずないな」
 グレイナドアも何を言っているのか? トステオン侯爵の容姿と血筋を思い浮かべ、理解に至った。
「じゃろう。もしも奇跡的に見ることができたとしても……考え辛いのじゃ」

 トステオン侯爵ラベンパルペス、二十四歳。
 彼はケシュマリスタ貴族女性たちが言ったように普通の容姿で、祖父は帝国宰相の実兄で、権力闘争に負けた人物である。

 要するに彼はロヴィニア系皇王族で、ケシュマリスタ系皇王族が住む区画には容易に立ち入れない ―― ということ。
 オーランドリス伯爵の祖父はケシュマリスタ系皇王族であったため、彼女はそちらに身を寄せた。その結果、皇帝ですら会えず。二年後に帝国騎士の才能測定された後、認定するために会った。二年間の滞在で皇帝が会えたのは、この一度きり。

 別勢力の区画に住んで居ると、そんなに簡単に会うことはできないのだ。

「あいつの容姿じゃあ、ケシュマリスタたちが特別に通すってこともないだろうしな」
「そうじゃ」
 よほど美しければ、特別に立ち入ることも可能だが、トステオン侯爵の容姿はそれほど恵まれてはいない。皇王族の中では華やかさに欠け、ケシュマリスタとしてみれば凡庸。
「帝国騎士に任命された時は……武官じゃないから、式典には並べないし、準備にも携われないな」
 唯一可能性があるとしたら、帝国騎士任命式の時だが、この可能性も限りなく低い。
「式典を取り仕切っておる帝国宰相から疎まれている、十歳の武官ではない男がどうやって式典に混ざる。シセレードとロフイライシは式典終了後、即座にエキリュコルメイを連れ帰ったといわれておるしのう」
「……完全に嘘だな」
「そう思うじゃろう」
「嘘だろうよ……で、どうしてそれに腹を立てたんだ? 嘘だが別に害があるようには思えないのだが」
 幼いころ彼女に一目ぼれしました。
 それからずっと好きで、婿候補に立候補しました。
 結婚できたので、これから全力で幸せに ――
「嘘はよい。必要な嘘、幸せにするための嘘などがあることは、儂も弁えておる。じゃがな、あの男の嘘は……エキリュコルメイを幸せにするための嘘ではない」
「トステオンだけが幸せになると?」
「ああ、そうじゃ。じゃが、あの男はこの嘘でエキリュコルメイも幸せになると信じておる……ように感じられたのじゃよ。儂を間に挟んでいるから伝わり辛いじゃろうが、あの男のなにかが神経に障るのじゃ。上手くは言えぬし、上手く言うつもりもないが、あの男はエキリュコルメイを幸せにはできぬ……どうしたのじゃ?」
「なんとなく分かる。あいつ、本当に好きなら前線基地に配属されるように願い出て、そこで関係を築き上げていけばよかったのに、いきなりナイトヒュスカ大皇にお願いときたもんだ。血筋がないというなら別だが、あいつ一応皇王族だから、カーサーに会う伝手は幾らでもあったはず」
「……じゃよな」
「あんま気に病むな。トステオンが本当に駄目なヤツだったら、クレスタークなりサロゼリスなり、ハンサンヴェルヴィオなり、レドルリアカインなりが殺してくれるさ。いつも最強騎士に守られている帝国騎士たちだ。守れる時は守るはずだ」
「じゃろうな」
「なあ、イルトリヒーティー。酒追加したいんだけど選んでくれないか。今度はチョコレートケーキと一緒に飲みたい」
「分かった。では、まず肴となるチョコレートケーキを選んでからじゃ……」

**********


「泣かなくてもいいじゃない」
 イルトリヒーティー大公とグレイナドアが、酒と肴を楽しく選んでいたころ、ジアノールは涙を流しながら食事を取らされていた。

 グレイナドアから解放されたジアノールは、昼過ぎまで眠り、喉の渇きと尿意で目覚め、ふらつく足で、まずは用を足しに向かった。
 重い腰と怠い足を引きずり用を足し……ている最中に、快感が背筋を駆け上り、やっと落ち着いたと思っていた全身が再び痛いほどの快感に襲われ、放尿につづき射精し……膝から崩れ落ちた。
 グレイナドアに一晩中与えられた快感は、まだ体内にしっかりと残っていたのだ。
 あまりのことに呆然としたジアノールだが、深呼吸して立ち上がり、緩慢な動きで部屋へと引き返し、震える手で水差しからコップに注ぎ一口含み飲み下す ―― 先程と同等の快感が、口から食道、そして胃から下半身へと伝わり、
「うぁ……」
 テーブルに手をつき必死に耐えるが、体は快感には耐えられず。だが喉は渇き ―― 水を飲めば喘ぎ達し、達すれば乾き……を繰り返し、力尽きてベッド脇に座り愉悦と恐怖に耐えていた。

 そこへやってきたのが、
「あなたがジアノール?」
「コスティヴァンノールの末裔ね」
「これは……できあがっているなあ」
 それは美しい女たち ―― 幼女体も一人混じっているのだが、ジアノールは全て女に見えた。
「……」
 ”綺麗だなと思ったら気を付けろ。そうだ、美しい女は半端ではない毒がある”サロゼリスにそう言われていたジアノールは、いま目の前に現れた三人、とくに白銀の髪に褐色の肌の少女が――

”特にお前が美しいと感じた相手がいたら、それは本能が危険を告げている合図だ。逃げろ、どのような手段を使ってもいいから逃げろ”

 ジアノールがもっとも美しいと感じた、ウリピネノルフォルダル公爵ミーリミディア。そしてサロゼリスの忠告は正しい。ジアノールの祖先コスティヴァンノール親王大公はウリピネノルフォルダル公爵を殺害した。

「積年の恨みを晴らしにきたのよ」
「……」
 言われたジアノールは「俺になんの関係が……」とは思ったが言うことはなかった。女たちはジアノールを抑えつけて、快感が醒めていない体を触り玩び、女の勘でジアノールが口から喉、そして食道にかけて性的に感じていることに気付き、口を無理矢理開き、水を飲ませる。
「どろっとしたポタージュ持って来なさい。熱いのをね」
 水差しの水を飲ませ終え、もっといたぶろうと喉や食道を刺激するポタージュを持ってこさせ ―― 僭主奴隷帝国騎士とケシュマリスタ大貴族当主が相対している場面、召使いたちが後者の意見に従うのは当然のことである。
 口から胃までなにかが通過するだけで、下半身に熱が集まる状態のジアノールは、湯気の上がるポタージュが入ったスプーンを前にして泣くしかできなかった。

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