グィネヴィア[25]
公式発表されていないレティンニアヌ王女の秘密を前に、無言で”あたふた”しているマローネクス家の人たちを混乱から救うべく、侯爵はウエルダと王女を連れてウエルダの自宅へ。他の家族はユシュリアと共にソヒィルヤが調理しているのを見学させることに。
バンディエールは先程、王女が喜びの舞により、抉り陥没させてしまった場所に突っ立っている。
人間の居住区に使われる材質は彼らにとっては脆いのだ。
ユシュリアならば補修できるのだが、いたたまれない雰囲気になってしまったマローネクス家の面々の気分を変えるために、良き解説員を務めているので修復にまで手が回らない。
バンディエールに関しては、不器用すぎて補修させたら、辺り一帯が焦土と化すこと確実なので、補修員が来るまで、怪我人がでぬように標識よろしく立っていることしかできない。
これは道路を破損させたときの正しい対処法である――
もっとも、左右の目の色が違う”全長”ニメートル超え、ちょっと調べればすぐに王女と分かる人物や、凶悪面の代名詞が軍用車両と共に居る空間に、ふらふらとやってきて陥没箇所に足を取られて怪我をするような平民はいないのだが。
「あの髭面は歌劇と薔薇庭園に関しては一流なんだが、料理や修復になると役立たずだ」
「・・・・・・・・・」
「それは言わなくても言いと思うが。レティンニアヌが言うには”バンディエールは戦闘も一流だよ”だとさ」
「・・・・・・・・・・」
「それは言わんでもいいだろ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「分かったよ。レティンニアヌが言うには”ラスカティアほど戦闘は上手じゃないけれども、一流の範疇内だよ”だとさ」
「そうですか。説明わざわざありがとうございます。ラスカティアさん、王女殿下も」
「で、レティンニアヌのことだがな。声が聞こえないのは分かったな。簡単に説明すると、人間には聞こえない周波数などではない。そもそも音じゃない」
「はい?」
「早い話が超能力ってやつなんだ。手を触れなくてもモノを動かすことができるとか、そういう類の一つで”テレパシー、だだし失敗”ってやつだ。ユシュリアが”音声解読器”といったのは、普通の人間は知らないからだ」
予想通りで、想像の遥か上 ―― ウエルダは口をぽかんと開き、無意味に何度も頷いた。
「この能力の失敗部分が集まった結果がレティンニアヌだ。こいつは暗号に特化してんだ」
「暗号ですか?」
「えーとだな。まず、こいつは絶対に声は出ない。そしてテレパシーで会話できるんだが、受信機能がない者には感知してもらえないタイプ。失敗作とも言われている。それで……言葉は些か奇妙だが、通常の失敗テレパシーならまだ受信できる能力を持つものは多いんだが、レティンニアヌは、それに暗号機能が付くんだ。だから暗号機能解読機能がある個体じゃないと、受信しても意味が分からない」
暗号そのものは解読されているので、解読器を通すと会話は成立するのだが、あまり王女と会話をしてくれる人はいない。
「ラスカティアさんは、暗号解読機能を持っているんですね」
「そうだ。ただこれは、滅多使うものじゃないし、わざわざ測定するものでもないから、こいつに会って初めて、俺も自分の能力を自覚したようなもんだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
にこにこしながら口を動かす王女のその表情に ―― 王女殿下も侯爵に会えて嬉しかったんだ ―― と通訳されずともウエルダに伝わった。
だがウエルダに伝わったのは、王女の喜びだけではない。ウエルダは王女の表情に、あり得ない何かを感じ取ってしまった。
「”我の言葉を初めて解読してくれたのはラスカティア。嬉しかった”そうだ。……嬉しかったのか」
「・・・・・・」
王女が侯爵に話しかける仕草を前に、ウエルダの思考は爪で引っ掻かれた。
「そうか”嬉しかった”とさ」
「それは、嬉しいでしょう。王女殿下の声を聞ける方は、他にはいらっしゃらないのですか?」
「ウエルダの予想通り、俺の兄貴ことクレスタークは分かる。俺が持ってる機能で、あいつが持ってない機能はない。悔しいことに」
「・・・・・・・・・・・・・・」
楽しそうに話す王女を見ているうちに、ウエルダは違和感の正体が見えてきた。
「ま、それもどうだか。”射撃はラスカティアのほうが上”だとさ……どうした? ウエルダ」
「王女殿下の口の動きが……」
王女の口の動きでは、そのような発音にならないのだ。
最初は帝国語ではなく、エヴェドリット語で喋っているので、違和感があるのだろうかと考えたのだが、そうではなかった。
王女の口の動きでは決して「ラスカティア」にならないのだ。例えエヴェドリット発音であったとしても。
「ああ。不安にさせたな。レティンニアヌ、少し黙ってろ」
先程までとても嬉しそうだった、王女が肩を落として項垂れてしまった。豊かな金髪で顔が覆い隠されてしまったので、表情までは分からないが、悲しそうな表情をしているのであろうことは分かる。
「あっ、あの! そういう意味では」
「いや、不安になるんだ。こいつに誰も話しかけようとしない理由なんだ。おい、顔上げろ。ウエルダが気にしてる」
侯爵に言われたが、王女は顔を上げようとはしなかった。
「今すぐ顔を上げないと、ウエルダと仲良くなれないぞ。この先、一生会えず終いでいいのか」
「あの、お顔を上げてくださると嬉しいです。ラスカティアさんから説明を聞いたら、大丈夫ですから。あのー不安になってはおりませんよ」
「俺は黙れといっただけだ。顔下げろとは言ってないぞ」
言われて王女は顔を上げると、その表情はウエルダの想像通り、今にも泣き出しそうであった。
「ウエルダが不安……じゃなくて、奇妙に感じたのは、口の動きと喋っている内容が合わないからだろ」
「はい。王女殿下の口の動きでは”ラスカティア”とはならないような」
「それはな、こいつが暗号機能付きだからだ。口の動きを読まれて情報を得られないようにするためのな」
「ああ! そうか」
「だが、これが最悪なんだ」
「え……」
「そもそもテレパシーってのは、頭の中で考えていることを、言葉を介さずに伝えるもんだ。だから口を動かす必要はない……んだが、頭の中で考えていることが全部伝わったらマズイだろ?」
「それは……困ります」
「それを解消するのが、口の動きだ。声を出さずに、伝えたいことを”言う”ことで、伝えたい情報だけを伝える。だからレティンニアヌは口を動かさないと、意志を伝えられない。これに口の動きを読まれては困る暗号機能が足されると、口の動きと喋っている内容がまるで違うという、能力としては正しいのかも知れないが、顔を見て会話していると、違和感を覚えるってわけだ。暗号機能のせいで悪いことに口の動きが一定じゃないから同じ単語でも、全く違う動きをしてしまうため、向かい合って会話をしていると、表現できない不安が蓄積されていくんだ。ウエルダが真面目に顔みて会話してくれると、嬉しいからついつい喋り過ぎちまったんだろ?」
王女は口を動かさず、首を大きく縦に振る。
「あの……ラスカティアさんが通訳するのが面倒ではなく、王女殿下さえよろしければ、喋ってくださいませんか」
触れなければ傷つかなかった――だが、知ったからには無視しない。
なにせウエルダは、ゾローデが人間ではないと知っても、なんだか受け入れることができた、かなり度量が広い男である。
事情を知ったら、あとは受け入れるのみ。
「俺は構わないぞ。ほら、良いって言ってくれたぞ」
それでも動かない王女に、
「お願いします! 我が家、あの、女性陣のほうが強いんですよ。家庭内の地位は、母さん、姉さん、妹、そして父さんの順なんです! 俺と兄弟は最下層に横並び。女性に悲しい思いさせたとか知られたら、俺が! 俺がああ! 皆さんがお帰りになった後で、俺が責められる! 俺だけではなく、兄貴と弟も巻き添えに。俺を助けると思って、先程のような笑顔でお話してください」
本気でお願いした。
これ、王女を笑顔にするための言葉ではなく、マローネクス家の日常。
「ほら、あんまり困らせるな、レティンニアヌ。俺は通訳するのは、構わないぞ。そうだな、俺も言ったことはないが、通訳するのが嫌なら近くに置かねえよ。安心して喋っていいぞ」
緋色の右目と、緑色の左目を大きく見開き、
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
王女は侯爵に抱きついた。その時、鋼鉄と鋼鉄が激突したかのような、通常ではあり得ない轟音がしたのだが、
―― へえ。初めてみた。凄い音するんだなあ
抱きついたことも、抱きつかれたこともない、彼女居ない歴と己の年輪が同じウエルダは、これもやたらと広い度量で受け入れてしまった。
「”お友達になってくれるかな?”だとさ。どうする? ウエルダ」
「お友達ですか?」
王女と友人になるなど、ウエルダは想像したこともなかったのだが、
「えっと。はい。失礼なこと、言っちゃうかもしれませんけど、その……よろしくお願いします」
悲しそうな表情をさせるくらいならばと受け入れた。……が、
「でも、その、俺の側近にキャスさんが。ジベルボート伯爵キャステルオルトエーゼさんなんですが。女性同士あの……皆さんが非常に心配してくれてると言いますか。俺はとっても良い人だと思うのですが、その……」
あれほど皆が自分のことを心配した人が側近であることを、教えておかなくてはと。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「あー。俺も言った以上、逃げはしねえよ。通訳してやる。ウエルダ、レティンニアヌは”キャステルオルトエーゼと、お話してみたかった”だそうだ。俺はあいつと会う時は、お前を同行させてなかったからな。ウエルダが王女の友人になってくれるってんだ、俺も覚悟を決める! 女同士の生々しい会話だろうが、陰口だろうが、俺に対する罵詈雑言だろうが全部通訳してやる」
女性同士の赤裸々な会話の数々を熟知しているウエルダは、侯爵のあまりの男らしさに震えるほどに感動した。いや、その時ウエルダは確実に震えていた。
「ラスカティアさん! その時は俺も臨席しますから。女性同士の会話になら免疫あります! 恋人はいませんが!」
生々しい会話に免疫が在りすぎて、彼女ができなかった ―― とも言えよう。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
侯爵の首に回していた腕を解き、今度は侯爵の右手首を持ち、ウエルダに向き直る。すると入り口のドアが開き、食欲をそそる匂いと共にユシュリアが三人を呼びに来た。
「食事の用意が出来たぞ。どうした? 王女殿下。嬉しそうだな」
「嬉しそうなんじゃなくて、嬉しいんだよユシュリア。飯食おうぜ、ウエルダ。それとレティンニアヌが言ったのは”初めまして、ヴェルヘッセ公爵レティンニアヌです”だ」
ウエルダの手首をも掴み侯爵の手を近付けて握らせる。
「俺とウエルダが握手すりゃあいいのか?」
「・・・・」
「分かった。握手して欲しいそうだ。ほら、握手したぞ」
握手した二人の手のひらを両手で包み込むようにして、最初と同じ笑顔を二人に向けた。
「初めまして、ウエルダ・マローネクスです。よろしくお願いします、王女殿下」
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