グィネヴィア[24]
「ちょっとトイレに」
「ははは……」
 理由を聞かれてもいないのに、トイレに行って来ました報告をするウエルダとビエルント。
「そうか」
「あの……」
 後まわしにしても良いことないだろう……と、侯爵に王女のことを聞こうとしたウエルダだったのだが、
「ラスカティア、来たぞ。ユシュリア、お前の大ファンがやって来たぞ」
 路上にもう一台、大きな車両が停車した。
 民間人が乗る小型車の七倍ほど大きさの軍用調理車両。二十種類ある調理車両の中でもっともウエルダに馴染みのない、高級将校専用の調理車両が自宅の斜め前に停車し、そこから目にも鮮やかな赤い調理服を着た背の高い男性が降りてきた。
「初めまして、マローネクスの方々。私、本日の昼食を作らせていただく、ソヒィルヤと申します」
 ウエルダは調理車両にも驚いた―― 遠巻きに見学したことはあるが、動いているのは見たこともない ―― が、現れた調理人にも驚いた。
 もちろん知り会いでもなんでもない。有名なのかどうかも知らないが、その界隈では有名なことは分かった。
「あ、あ、はい。初めまして、ウエルダ・マローネクスと申します」
 彼が被っている料理人特有の高さがある帽子を飾るエンブレム。それは権威ある料理人が技を競う大会で、見事優勝した証――が、たくさん。いや、数えると六十七。
 それだけエンブレムが縫い付けられていたら、帽子重いのでは? 心配になるが、被っている本人にとっては重さは苦にならない。

 帝国全土で行われる料理人の技を競う公式大会は六十九。そのうちの六十七を制覇した証なのだから。

 ウエルダは詳しい大会名などは知らないが、六十九の公式大会があることは知っている。
「こいつ、実家の料理人だ」
「あ、はい。えっと、軍用車両の使用が許可されているということは、軍人で? よろしかったら階級などを教えていただけると」
 軍用車両は軍人以外は使用出来ない。そして帝国はあらゆる”職業”の軍人が存在する。
「おう。ウチの国の大将だ」
「大将閣下でいらっしゃいましたか」
 ウエルダはエヴェドリット王国軍の大将だと聞かされても、これに関しては驚きはしなかった。それと言うのもソヒィルヤは、明かに上級貴族の特徴である左右が違う目の色を持ち、顔立ちも”教科書でなんか見たことある”顔立ちをしているので、大貴族だろうと容易に想像がつく。生まれがよくてこれだけ皇帝や国王が主催する大会で優勝していたら、そのくらいの階級にはなるだろうと――
「戦争はあまり得意ではありませんがね。では、昼食の用意をさせていただきます。皆様、ご足労をおかけしますが調理車両の方へと来てください。皆様に原材料をお見せいたしますので」
「魚にしたんだろうな、ソヒィルヤ」
「もちろん! 皆様、トシュディアヲーシュ侯爵はこんな顔ですが」
「顔は関係ねえだろうが」
「大いに関係するよ! 私のように賢帝似ならば、問題はないんだよ」

「あっ……いえ、済みません。話続けてください」

 ソヒィルヤという男は第十六代皇帝《賢帝》オードストレヴによく似ている……が、色彩が違うのですぐにウエルダは辿り着けなかったのだ。賢帝は白銀に近い金髪で、その頭髪は癖一つなかった。また長い前髪を全て後ろへともっていた状態にし、顔を露わにしていた。肌の色は透き通るような白。対するソヒィルヤは髪はまとめて帽子の中に入れているので、髪の色もそうだが、癖毛か直毛かははっきりしないものの、眉毛の色からすると灰色っぽいと推察される。肌は白ではなく象牙色で、賢帝よりも健康そうに見える色彩をまとっていた。

 賢帝の顔は帝国臣民ならば、ほとんどの者が知っている。かつては「全臣民が知っている」と言われていたのだが、帝国史に残る帝后が知らなかった事実が明かになって以来”ほとんどの者”と言われるようになった。
 賢帝は確かに賢かったが、努力家であったことも広く知られているので、賢帝陛下にあやかりたいと――試験前などに、歴史教科書に載っている賢帝の映像に祈る者が多い。努力家であった賢帝は、そんな事はしたことなどない。
 祈ることは努力ではないこともあるが、帝国で祈りを集めるのは在位している皇帝――要するに自分自身なので、祈りはしなかった。
 賢帝よりも頭脳優れた皇帝は存在しており、誰もが知っているのだが、そちらの皇帝の”ご尊顔”に祈る者はいない。
 その皇帝は第四十五代皇帝サフォント。顔面は怖ろしいまでに不協和音を奏でておきながら美形という、あり得ない顔立ち。纏う空気は誰もをひれ伏させ、畏怖と畏敬と尊敬と恐怖と厳格と信念と宇宙規模の兄弟愛を持って、臣民を新たなる世界 ―― 対異星人戦役、初勝利 ―― へと導いた皇帝。
 こちらの皇帝に祈ると、間違いなく「現皇帝に祈るがよい」と、重低音で叱責されて死んでしまいそうなので、試験前に自分の努力が足りない時に祈ったりはしない。そのような状況で祈ったら、間違いなく殺される――ような気がしてくる皇帝なのだ。

 ちなみにサフォント帝と同じような顔の者はいないが、部分的に同じパーツの者は多い。それというのもサフォント帝は、顔のパーツ一つ一つが、各王家の特徴をはっきりと持っていた ―― その特徴あるパーツが一つ鋭き輪郭に収まった時、整っているのに収拾がつかなくなってしまった……とされている。ともかくパーツ一つ一つは、非常に整っている。
 それとこのサフォント帝、自分の顔が恐れられていることは知っていたので、賢帝とは違い前髪を上げることなく、真紅の直毛でやや顔を隠すようにしていた。それは臣民に対する皇帝の深い愛情なのだが、赤毛があまりにも見事すぎて圧倒的な迫力を持っているため、あまりその愛情は伝わっていない。

「お話を続けさせていただきますよ、中尉。トシュディアヲーシュ侯爵はこんな顔ですが、気配りは出来る男なので、皆様の不安を取りのぞくために、材料は本来の形がある状態から調理するように命じました。肉をそのまま持ってくるのは、少々大変なので、本日は魚にさせていただきました。というわけで、本日はイストガルーという高級白身魚をご賞味いただこうかと」
 正当なアシュ=アリラシュ顔の継承により、怖いだけで顔面が不協和音を奏でているわけではない侯爵を両手で指し示しながら、素材の説明をする。
「高級なんて、下らないモノつけるな」
「トシュディアヲーシュ侯爵は食べ慣れてるから高級って感じないようですけど、高級品なんですよ。中尉が一昨日遭遇した皇王族なんて、食べたことがないような、一生食べることもできないような魚です」
 どの階級の人が食べているのかな……と思ったが、ウエルダは聞かないことにした。そして、先日の出来事があちらこちらに知られていることに少々恐怖を覚える。
 平民はその存在すら知らない白身魚を、
「赤身は嫌でしょう。ほら、トシュディアヲーシュ侯爵だから」
「いえ、あの」
 用意させた最大の理由――見た目。
 侯爵は赤いものを食べていると、人肉を食っているように見える顔立ち。エレガントなエヴェドリット貴族は、そのまま食べずに調理する――と、平民たちの間で言われており、それは真実でもあった。

 エレガントの意味がかなり間違って使われているのも事実。

 その赤は肉類だけではなく、野菜や果物にも言えること。
「デザートもオレンジなんだよ。私はラズベリー系のデザートが得意なんだけど、口の端から垂らすと、あの顔はマズイからって」
 在学中に苺ジャムが中に入っている焼き菓子を食べた際、中身が飛び出し”どろっ”としたのが口の端から垂れている侯爵を見てしまったゾローデは、二週間ほどうなされたくらいに。
「えっ……と」
「結構気にしてるんだよ。面は凶悪で性格もナンだけど、可愛らしいところもあるでしょう」
「あんまり喋ってると帰すぞ。ユシュリアに料理食べてもらいたいって頼んできたくせに、余計なことばかり言うんじゃねえよ」
「ソヒィルヤの料理、楽しみにしてるよ」
「はい! 閣下! 私の修行の成果を是非とも! そして至らぬ場合は、熱い鉄串を下さい」
「いいから、早く料理作れ……済まんな、ウエルダ。こいつはこれでも、料理の腕は確かだ。普段はもう少し大人しいんだが、憧れのユシュリアがいるとなあ」
「ユシュリアさんに憧れ……もしかして、ユシュリアさんは料理を」
「そうだ。リディッシュは迷路造りで、ユシュリアは料理を作るの大好きな上に達人だ。ソヒィルヤがウチの実家を選んだ理由が、ユシュリアが婿として居たからだ」
「そうなんですか……」
 脇で微笑みながら指を不規則に動かしているユシュリアを”ちらり”と見る。
「ウエルダも料理人の勲章は六十九って知ってるだろ?」
「知ってますよ、ラスカティアさん……でも、あの、詳しいことは知らないです」
「数だけ知ってりゃあ充分だ。ウエルダは料理人になるつもりはないんだろ」
「はい」
「実は料理人の競技会のようなものはもう一つある。それは十年に一度で、チャンスは生涯一度きり。参加するのに、資格も経歴も職歴も必要無く、申込料金なんてものもない。博打にも似たそれの優勝者の一人がユシュリアだ」
「凄いですね!」
 規模が大きすぎて、ウエルダには何がなんだか分からないのだが、凄いということだけは辛うじてわかった。
「こいつら兄弟は手先が器用なんだよ。デルヴィアルス公爵家の血は器用で有名だ……一般にはあまり知られてないがな。俺も少しは血入っているはずなんだが、器用には縁遠いな」
「なこたあねえよ、ラスカティア。お前は充分器用だよ」
「お前は特別不器用だからな、バンディエール」
「我が不器用なのは皇統由来だから仕方ない。ラスカティア、お前は器用だぜ。戦いに関して」
「それはデルヴィアルス公爵家の血は関係ねえだろ」
「そうか? 少しは関係するような」
 生涯一度きりの挑戦で勝者となったユシュリアはというと、
「我よりオランベルセのほうが器用だけどね」
 なんでもないことのように、実弟の器用さを称賛する。
「オランベルセの器用さは尋常じゃねえよ」
「リディッシュはなあ。だがアレでも、ヌビアの足元には遠く及ばないどころか、足元が見えもしないらしいからな」
「我あたりは、ヌビアからしたら”使わない腕をぶら下げるのが趣味か”って、絶対言われるな」
「ああ、言われるな。間違いなく言われるな。ぶった切れって言われるな」
「ひでぇえなあ、ラスカティア」

 楽しそうに笑っている――のは分かるし、上機嫌なのは間違いないのだが、二人の笑顔は怖かった。

「……ウエルダ」
「はい、ユシュリアさん」
「自己紹介に不備があったから、善くわからないんだな。我が説明してやろう」
 実弟イズカニディ伯爵ほど気が利くわけでも、心配りできる性質でもはないが、興奮状態の侯爵や”気遣い? 殺せってことか?”のバンディエールなどに比べたら、ユシュリアはマシである。
 なんとなく落ち着かないウエルダを見て「根底が分からないのだろう」と判断して、当たり障りのない紹介を買って出たのだ。
「あ、あの。その、まずあの金髪の女性の説明を」
―― リディッシュさんのお兄さん、ありがとうございます!
 心中で大喜びしながらウエルダは、まずはエヴェドリット王女”らしい” ―― 胸部に乳房らしい膨らみが見て取れるので性別女性は確実 ―― 人物について尋ねた。
「…………」
 平民からすると侯爵やバンディエールより、取っ付きやすい顔立ちをしているユシュリアは顎にやや丸めた手のひらを押し当てて、
「説明してなかったか」
 首を少々捻った。
「多分。聞き逃したかなあ……」
「・・・・・・・・・・」
 今まで口を開かなかった胸の膨らみにより女性と分かる人物が、なにかを発音したのだが、ウエルダたちには聞き取ることはできなかった。
「ラスカティア、今、なんて言ったんだ」
 ユシュリアが先程とは反対側に首を傾げ、不器用さについてバンディエールと語り合っていた侯爵に尋ねる。
「”紹介してないって”言った」
「そうか。では紹介しよう。この金髪の女は現エヴェドリット王の第……第……なん王女だったかなあ」
「・・・・・・・!」
「なんて言ったんだ? ラスカティア」
「”第六子だぁ!”ついでに言うと第二王女な」
「感謝する、ラスカティア。現エヴェドリット王の第二王女レティンニアヌ殿下だ。年は幾つくらいだったかなあ……」
「・・・・・・」
 ウエルダを含む平民たちも、徐々に説明されなかった理由が解ってきた。彼女の声はある一定の人にしか聞こえない。
 その仕組みは多くの人には分からないが、ウエルダには思い当たるところがあった ―― 人造人間という個体には、稀か頻繁かは分からないが起こることなのだろうと。
「なんて言ったんだ? ラスカティア」
「”二十一歳”」
「あーん、了解した。というわけで、二十一歳の王女レティンニアヌ殿下。聞いて分かる通り、殿下の声は聞き取れる人が僅か。その僅かな一人がラスカティアなんだよ。それで殿下が頼み込んで、部下にしてもらってるって訳。筆談しないのは字も書けないから、機械入力も無理。一応専用の音声解読器はあるが、でかくて持ち運びはできない。読んだり聞いたりはできるし、知能もシセレード公爵みたいなことにはなってないけどね。意思疎通できる相手がほとんどいない状態」
 ウエルダはここでは聞かないほうがよかった……と後悔したものの、
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 レティンニアヌ王女は上機嫌になり、くるくると回って踊り出した。
「生まれて初めて自己紹介されて嬉しいって言ってるぞ。そういうもんなのか」

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