グィネヴィア[21]
 ”軽装で行く”と聞いていたウエルダだが、
「狭っくるしい家ですが」
 やってきた侯爵は、どう見ても軽装ではなかった。
 足の長さが引き立つ黒いズボンに、シンプルな白いシャツ。腰には太いベルトが回され、右側には銃。左側には剣。
 黒いズボンはウエルダの認識でも普通だ。
 普通ではないのは、その足の長さ。よく平民たちが悪口――ではないが「なに食ったらあんなに足が長くなるんだ」「エヴェドリットは人だろ」「人食ったら足長くなるのか。俺の短足は人食ってない証か」と、彼らの認識内で性質の悪い軽口を叩くことがある。
 それで侯爵の足の長さを、間近であらためて見たウエルダは、

―― 人を食って足が長くなるとしても、食ってる人は俺たちと違う種類だろうなあ

 長いだけではなく、ズボンの上からでも分かる形とバランスの良さに”俺たち食っても、こうはならないよ”と、一人奇妙なことを考えていた。
 足がなぜそこまで露わになっているのかというと、普段はマントで隠れているのだが、ウエルダの実家は部屋が狭いので、侯爵はマントを着用せずにやってきたため。普段は踝まである、黒地に赤と白と金で彩られたマントをはおっているので、足が長いことは分かるが、ここまではっきりとは分からなかったのだ。
 マントの着用は貴族にとっては必須。
 あの着衣が乱れていることで有名な侯爵の兄、クレスタークであっても、前線基地内をふらつく時以外は、マントをはおっている――だから、
「マントも兼ねて白いシャツにした」
 侯爵はマント代わりに、帝国において至尊の色たる純白のシャツを着用してやってきた。鋭角な襟には真紅の薔薇が刺繍されており、カフスやボタンは乳白色の光沢を放つ――天然の真珠。
「そ、そうなんですか」
 それを聞き、ならば黒と赤の踵まである長さのマントをはおってきてくれたほうが、緊張しないと――今更言っても仕方のないことだが、呟く自由はあるだろう。そしてなにより、ウエルダが気になって仕方がないのは、腰に下げられている剣と銃。
 剣は「軍刀」と呼ばれる片刃で先端が反り返った物で、帝国近衛兵のみが所持することを許される代物。そして銃は、帝星では使用禁止となっている破壊力のあるもの。通称 ―― 僭主銃 ――
 人間ではない同族であり裏切り者である【僭主】を刈るために作られた威力のみを追求した銃で、反動軽減装置もなければ自動照準補佐装置もない。帝国最強の銃キーサミナー、通称・ザロナティオンの腕とは違い、破壊力はあるが貫通性は低い。
「えっと、その銃はいいんですか?」
「これか? ああ。俺は帝国内では銃器所持制限がない役職に就いているからな」
「そ、そうでしたね」
 最強クラスの身体能力を誇る男が、最強クラスの武器を二つぶら下げている状態なのだが、
「さすがの俺もこれほどの軽装は初めてで、ちょっと落ち着かないな」
「あー済みません。家小さくて」
 本人が軽装だというのだから、軽装なのである。
「いや、それはいいんだ。なあ、ウエルダ」
「はい」
「家を案内してくれないか?」
 貴族は初めての訪問客に自宅を案内する習慣がある。それは各部屋に名画なり、名のある人物が作った家具がさりげなくを装っておかれていたり、窓から望める中庭が見事であったりするので、そのような習慣があるのだ。
「はい! 目新しいものはないんですが、えっとー」
 兄弟と姉妹の部屋と、両親の部屋に、バスルームにトイレ。リビングに、
「ほとんど物置ですね」
「地下か」
 昨日「大貴族さまがお出でになる!」と、家族で家を片付け――きれなかったので、不要な荷物を軒並みつっこんだ地下室。
 部屋よりも天井が低く、飾り気のない作り。
「ほー」
 見せるのが恥ずかしいとは思ったものの、部屋も地下室も侯爵にはさほど違いはないだろうと、ウエルダは思って見せた。
「なにか興味を引くものでも?」
「結構面白いなと。あの立てかけられているやつ、通販の”短期間で体格大改造”ってやつだろ」
 上腕二頭筋が鍛えられると評判の棒っぽい器具――なんでも、地球時代から使われていたという由緒正しい品だとか。
「はい! 弟が買ったやつです! 全然鍛えられてませんが」
 ウエルダは全く関係ないのだが、非常に恥ずかしくて、声を裏返らせて答えた。

 すぐに自宅案内が終わり、居間へと戻ると、侯爵と共に降ってきた男性――顎髭が逞しいことから男性と判断――が、玄関側の窓を開け、窓枠に肘を乗せ、
「椅子できたぜ」
 反重力装置が付いた卵形の椅子を手渡してきた。侯爵はそれを受け取り、スイッチを入れて座る。
「次の用意に取りかかれ」
「はいよ」
 命じウエルダたちに向き直った侯爵は、ウエルダたちに説明した。
「俺が座ると、椅子が壊れる可能性があるから持参してきた」
「そうですよね」
「それで、お前たちも座れ」
 他人の家にやってきて、命令口調――だが、この位偉そうに喋ってくれたほうが、ウエルダたちとしても動きやすくて良い。
 家族全員が座ると、
「一応自己紹介をしておこう。俺はトシュディアヲーシュ侯爵 ラスカティア=ラキステロ・ナイトサイル=ナイトルセン・カルシェルトファータニア。現バーローズ公爵の第三子で、二十五歳。妻はヨルハ公爵だ」
 この程度のことは知っているだろう―― これらは平民が普通に貴族名鑑にアクセスし、見ることができる情報で、誰がアクセスしたのかは即座にアクセスされた貴族に報告されるので、昨日マローネクス家が必死に自分のことを調べていたことを侯爵は知っている。
「あ、はい。ラスカティアさんはご存じでしょうが、こっちが父でこっちが……」
 ざっくりと家族の名前と年齢を説明して、
「えー以上になります」 
 ”どのように”話を持っていっていいのか分からないので、取り敢えずウエルダは終わった。
「わざわざ説明、感謝する」
「そんなことは御座いません」

「ラスカティア。準備出来たから外に来いよ」

 先程侯爵に椅子を渡した髭面の男性が、窓から声をかけてきたので、マローネクス家の面々と侯爵は表通りに出た。
 そこには簡易のテーブルと、椅子が用意されており、
「こっちで話すか」
「はい」
 開放感がある外で、一家は座り直して話をすることになった。
「何話していいか分からないだろう、ウエルダ」
「え、はい」
「まあ聞きたいことを聞けよ。大体のことなら答えてやるぜ」
「あーはい。そのー、一緒に来た方々は、ラスカティアさんの側近なんですか?」
 三名だったので、側近なのか? と、考えて尋ねてみたところ、髭面の男だけが側近で、
「バンディエール=バシュティエールだ。よろしくな」
 右手の甲をウエルダにむけた。同時に侯爵も右手の甲をウエルダにむける。そこには同じ紋章が描かれていた。違うのは大きさ――黒い生地が少なく感じられるのが侯爵で、髭面のほうは黒地が多い。
「我はラスカティアの従弟だ。母親がバーローズ公女で父親が皇王族だ」
 髭面はそう言うと握手しようとばかりに手を差し出してくる。
「初めまして、バンディエール卿」
 ウエルダは手が握り潰されるのではないかと恐怖したが”男ならば、ここは手が潰されても握手せねば”と、己の勇気を奮い立たせて……握手は何の問題もなく終わった。

―― 上流階級の中でも、とびきりの上流は違うんだ。そうだよ。ゾローデのことを悪くいったやつらとは全く違うんだよ!

「よろしくな。もっとも我はエヴェドリット王国待機の側近だから、会うことはあまりないだろうが」
「俺はこれでも帝国とケシュマリスタとエヴェドリットで、それなりに仕事してるから、現地に統括を設置していないと、面倒でな」
「そうですよね。ラスカティアさんは、そうでしたもんね」
「ああ。もう一人の側近は、ケシュマリスタにいる。今度会わせる。そして帝国にいるのは、昨日、ここらを挨拶回りした男だ。来い、マシュティ」
 路上に止まっていた黒塗りの車から現れたのは、柔らかそうな白髪に、穏やかそうな顔立ちの――
「ああ! グレイナドア殿下の異母兄弟のお一人」
 ロヴィニア王に挨拶に行った際、部屋にいた一人。名前の紹介もされなかった異母兄……ではなく、紹介されることなどなかった大勢の一人。ただし比較的”前のほう”にいたので、ウエルダは何となくだが覚えていた。
「マシュティと申します」
 ”殿下の異母”父親が国王のマシュティだが、非常に腰が低く、マローネクス家の面々に深々と頭を下げた。
「あの、マシュティさま。あの」
 顔を上げたマシュティは、
「トシュディアヲーシュ侯爵のことをラスカティアと呼んでいる方に、様付けされると色々と困るのでマシュティでお願いします」
「え、え……」
 ロヴィニア王の庶子など希少価値などないに等しいが、それはあくまで上流階級の人々にとってのみ。
「ウエルダを困らせるな。黙って様付けで呼ばれてろ」
「かしこまりました」
「気にしないで様付けで呼べよ、ウエルダ」
「あ、はい。ありがとうございます、ラスカティアさん」
 そのように話していると、卵形の椅子の背もたれごと侯爵を背後から抱きしめて、
「意地悪しないで、我のことも紹介してくれよ。ラスカティア」
 耳元で囁く人物。
 ウエルダはどこかで見たことがあるような気がしたのだが、雰囲気が違い過ぎて分からなかった。
「意地悪するくらいなら、連れてこねえよ。ウエルダ、こいつリディッシュの兄貴で、俺の元義理兄パシュトラフィ伯爵ユシュリア」
 侯爵に抱きつき、紹介をせがんでいたのはイズカニディ伯爵の兄、パシュトラフィ伯爵ユシュリア。彼は左手の手のひらをウエルダに向ける――その手袋は手のひら側にバーローズ公爵家の紋が刺繍されていた。もちろん大きさは侯爵のそれよりも遙かに小さい。
「リディッシュさんの、お兄さん。あの! お世話になってます!」
「いやいや、こちらこそ。あの世捨て人に仕事をさせてくれて、感謝の言葉もない」
「……」
―― 俺ではなくジベルボート伯爵キャステルオルトエーゼ様がですね……皇太子妃殿下の乳房とともにですね……
 ウエルダはその経緯を説明するべきか? 悩んだが、侯爵が真実を教えているに違いないとして、あえてなにも言わなかった。
「本当は明日の挨拶に混ざりたかったんだが、ラスカティアが許してくれなくて」
「はい?」
 くすくすと笑う顔からだだ漏れする殺意。悪気はないのだが、漏れ出すそれを、侯爵は裏拳で沈める。
「顔がこえぇよ、ユシュリア」
 両手で顔を覆って膝をつくユシュリアに、侯爵は向きもせずに言う。
「ユシュリアもラスカティアには言われたくないだろう。あ、気にすんな。こいつの顔は、この程度で壊れるような柔なな顔じゃないし、ラスカティアも本気じゃない」
「俺が本気なら、ユシュリアなんざ一撃で殺せる」
 ”びくっ”としてしまったマローネクス家の皆さんに、
「ホント。こいつ、むちゃくちゃ強いから。その強さで明日の挨拶人員を整理したの」
 髭面は事情をかいつまんで説明した。
 未来のケシュマリスタ王の婿の側近とお近づきになりたい貴族は大勢いる。特にウエルダはケシュマリスタ王が直々に用意した側近なので、出来ることなら顔を覚えてもらって……と希望する者が数多い ―― そしてやっと巡ってきた機会。それがこの両者の自宅回り。
 明日侯爵はウエルダをバーローズ公爵邸へと連れて行くのだが、その際に、貴族たちがずらりと並ぶ……
「予定だったんだが、ラスカティアが本気を出して殴りに殴って、蹴るは切るは撃つわで数を減らしまくった」
 ウエルダが困るだろうと侯爵は考えて、己の強さにものを言わせ、内臓と共に譲歩を引きずり出して、
「必要最小限にした。……つもりだが、結構多い。悪いな、ウエルダ。面倒だろうが、会ってやってくれ。うちの親父に」
 バーローズ公爵とその一族。侯爵にとっても親戚と、
「俺は駄目ってことになったから、付いてきた」
 イズカニディ伯爵の両親と跡取りである姉だけに絞った。
「ああ、それで最後……お、菓子が来たな、後にしよう」

 最後の一人は鎖骨辺りのまでの長さがある金髪で、毛先が内側に巻かれている、右手にエヴェドリット王家の紋章に左手にはロヴィニア王家の紋章を刺繍した手袋を身に付けている――

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