囲い込み外に出さないように育てていたケシュマリスタ王だが、ゲルディバーダ公爵の礼儀作法は王族としては充分身についている。
　育ててくれたのがテルロバールノルの貴族、シラルーロ子爵であったことと、王妃がエウディギディアン公爵であったことが大きく影響している。
　もちろんこの二人がいなくとも、テルロバールノル王がいる限り、礼儀作法とは無縁の生活を送ることなどできないが、身近に良い教師がいたことも事実。
「ゾローデが頑張ってるから、僕も頑張ろうと思ってね！」
　皇太子の腕にぶら下がり、くるくると回りながらゲルディバーダ公爵は歌うように答える。
　人に頼む時の態度ではないのだが、ケシュマリスタ特有の甘えさせたくなる雰囲気と、軽やで心を軽くする声、
「なるほど」
　そして抗いがたい”なにか”生まれながらの支配者が持っているもの。
　それらを前にしてヒュリアネデキュア公爵が怒れるはずもなく、注意することなく受け答えを続ける。
「君のことだから、相手役にも格を求めるだろうと考えて、ジェルヴィアータにしたの」
　当初は近くにいたジアノールをオーランドリス伯爵から借りるつもりで　――　彼女は無頓着なので”貸す”と返事をしたものの、イルトリヒーティー大公が”ヒュリアネデキュア公爵は代役にもそれなりの地位を求めますのじゃ”救うつもりなく、当然のことを教えゲルディバーダ公爵が納得したので、ジアノールは無事に逃げることができた。
「まあ……よろしいかと」
　僭主の末裔にして皇帝に酒を注ぐ者を内側に持つ、皇帝に最も近い人物の配偶者の代役には少々……そうは思ったヒュリアネデキュア公爵は口には出さなかったが、態度には出ていた。だがいつものことなので、皇太子もゲルディバーダ公爵も気にはしなかった。
　出入り口の前で話をしていたので、
「グレスや、何をしておるのじゃ」
　用事を終え、部下たちを伴い部屋から出てきたテルロバールノル王は、奇妙な取り合わせに声をかけない訳にはいかない。
「エゼンジェリスタのパパに礼儀作法の最終確認して貰おうと思って来たの。ゾローデ頑張ってるから、僕も頑張るの」
　皇太子の腕から離れ、両手を腰にあてて胸を張る。
「ほう、偉いのう。どれ褒めてやろう」
　その子供っぽい仕草にテルロバールノル王は表情を和らげて、まだ180cmほどと小柄なゲルディバーダ公爵の頭を撫でる。
「頭撫で……僕、子供じゃないよ」
　首を窄め、両方の腰に当てていた手で頭を覆いかくし、赤らんだ頬を膨らませてやや斜めな上目遣いで言い返す。
「分かっておる。結婚して髪を結い上げてしまったら、こうして頭を撫でることも出来ぬから、最後にと思ってな」
　艶やかで輝く黒髪の感触を楽しむように、子供ではなくなることを惜しみつつも祝福する。
「偶には撫でてもいいよ、ニヴェローネス」
「子供でもあるまいし」
「くーやーしー。ヴァレドシーアが言うと意地悪だけど、ニヴェローネスはそうじゃないから……くやしー！」
「明日の式典、楽しみにしておるぞ。ヒュリアネデキュア、少し時間を作って見てやれ。儂は皇太子殿下は見ておらぬからな。ではな」
　皇太子を一切無視しているのは、彼は今の時間、本来であれば仕事中なのだ――　一日程度の休みで困るようなスケジュールは組んでいないので、仕事が滞るようなことはないのだが、一応は全く別の場所で仕事中となっているので、テルロバールノル王は居ない者として扱い、ヒュリアネデキュア公爵の母であり、不仲なローグ公爵を伴い立ち去った。
「ニヴェローネスって母性もあるのに、お母さんって感じしないよね。どうしても王様だよね」
　見送る形となったゲルディバーダ公爵は、まだ頭を自分の手のひらで押さえながら、二児の母ながらそんな雰囲気を微塵も感じさせない王者の背に向かって呟く。

「なんで君は、そんなに優雅なのかなあ」
　王に時間を作れと言われたのだから、ヒュリアネデキュア公爵は当然時間を作り、希望に応え場所を移動して式典用の動きの最終チェックをする。その際に公爵が動いて見せるのだが、これがまた完璧で美しく優雅。
「儂はテルロバールノル貴族ですから」
「うーわー相変わらず、ムカツクなあ」
「では、テルロバールノル王族の血を引いているからと答えましょうか」
「僕だって、曾祖父はテルロバールノル王子だよ！」
　ゲルディバーダ公爵の母方の曾祖父はテルロバールノル王子だが、
「ですな……薄まり過ぎかと」
　教えているヒュリアネデキュア公爵は父親がテルロバールノル王子。
「あー悔しい！」
　故に血が遠いと言われると、さしものゲルディバーダ公爵でも言い返しようがない。
　何度か礼をする角度と、歩く際の足の出し方を確認すると、
「これから、エゼンジェリスタとイグニアにカーサーとシアとキャスたちと一緒に過ごすんだ！」
　飽きてしまったゲルディバーダ公爵は、召使いに椅子を用意させて座り、これからの予定について話はじめた。
「明日に差し支えなければ、何をしても構いませぬがのう」
　お気に入りの奴隷ノーツを連れてきているのだが、ここに伴うことはしなかった。
「楽しみ」
　彼はいま、主とその他王侯貴族を持てなすために、色々と準備をしている。
「そうですか」
「君はさあ、エゼンジェリスタのことどう思ってるの？」
「娘と思っておりますが」
「そう」

　その時のゲルディバーダ公爵の笑みはケシュマリスタ特有の蠱惑的なものではなく、彼らの王テルロバールノルに良く似ていた――

「そろそろ時間だから帰る。ジェルヴィアータ、行こう。じゃあね、エゼンジェリスタのパパ！　クレスタークによろしくね」
　現れた時と同じように皇太子の腕に強引に自分の腕を絡ませ引っぱる。
「はい……あの、失礼いたします」
　皇太子は引きずられながらも、頭を下げて挨拶をして、苦手極まりない義理父の前を去った。
　一人になったヒュリアネデキュア公爵は、
「テルロバールノル王家の血はほとんど引いている気配はないが、皇帝の血は確かに引いておるゆえに……」
　自分に娘のことを尋ね、答えを聞いたときの笑みを思い出し身震いした。

＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

”貸し切りにしたいとは言いませんけど、本日はヴィオーヴ侯爵の側近ウエルダさん（平民）が訪れるので、女性は自重してください。できたら同性者も自重してね・バルデンズ”
「えーと。この張り紙は」
　エヴェドリット王との面会を終え”本日の仕事”が終了したウエルダは、そのまま皇王族たちが住む区画へと行き、まっすぐ公衆浴場へと連れていかれた。
　大宮殿の公衆浴場は約九万ほどあり、
「女の子と一緒、所謂混浴は苦手でしょうウエルダ」
「はい」
「だから、張り紙しておいたの。大宮殿内の公衆浴場は混浴なんだよ」
「あー」
　その全てが混浴。なのでクレンベルセルス伯爵そのような張り紙を朝から貼っておいたのだ。
　本当は二人きりでゆっくりと風呂に入るつもりだったのだが、色々と予定外のことが起こった。
「公衆浴場は初めてだ！」
　予定外だが想定内のグレイナドアの追加……だけと思われたのだが、
「意外といるなあ」
　脱衣所にはかなり大勢の男性がいた。
　ウエルダからすると、みなキラキラしている人たち。本来であれば「足が長い」とつくところだが、彼らは全裸にタオルを腰に巻いて、足を折って座っていた。それは正座というのだが、ウエルダは知らなかった。
「お借りします」
　キラキラした集団の前を通り抜けようとしたのだが――
「ウエルダ・マローネクスさん！　申し訳ありませんでした！」
　正座していた総勢十八名が突如頭を下げて謝罪の言葉を述べる。予想もしていなかったことに、ウエルダは飛び上がり、思わず近くにいたグレイナドアにしがみつく。
「ウエルダ。こいつらに何かされたのか？」
「いえいえ、なにも！」
「…………ああ！　君たちあれね！　ウエルダ、謝罪している十八名は、今朝君とゾローデに対して暴言を吐いて、リケに処分された皇王族の近親者だよ。謝罪しにきたらしいよ！」
　彼らの顔を見て、家系図を遡ったり下ったりして、クレンベルセルス伯爵は”どこに連なる者たちなのか”に気付いた。
――　あの、平民が思い描く嫌な貴族そのままだった人たちの……えーっと
「お前たち、金は持ってきたのか！」
　和解といえば和解金。示談といえば示談金。講和といえば講和金。それがグレイナドアの属する一族。
「私たちの資産に、それらは計上されておりませんで」
「陛下より与えられし資産ゆえに……」
　ここでタオルを巻いて謝罪している皇王族たちは、高位でなければ、才能もさほどなく職に就くこともできず、正攻法で直接謝罪できるような伝手もない者たち。
　そんな彼らなので、自由になる財産もない。
「話になんらんだろう！　口で謝って終わりにするつもりか！」
「まあまあ、グレイナドア殿下。彼ら、そんなお金ないんですよ。私たちは、そんなにお金必死に増やすタイプじゃないんで。貰った資産で食いつなぐ程度なんですから」
「資産を増やすために、もっと攻めるべきではないのか！」
「ですよねー。ウエルダ、彼らのこと許してやってくれる？」
「はい」
　恨みを引きずらない訳ではないが、当事者がその場で処刑されているのを、直接見ているので、これ以上のことをウエルダは求めるつもりはなかった。
「ゾローデには私が伝えておくから、謝罪組は出ていって。私たちは、優雅に楽しく過ごすんだから。はいはい、帰って、帰って」
　クレンベルセルス伯爵が彼らを促し立たせて脱衣所から追い出そうとしていると――

「マローネクス卿を困らせるでない！」

　そこにいた十八人の煌めきを足しても足元にも及ばないような、煌めき輝き、発光しているのではないかと錯覚させてくれる、一人の皇王族が現れた。
「パスパーダ大公」
　ゾローデたちの後輩にして、皇帝に唯一酒を注ぐことができる「現在の」ガニュメデイーロ。
「ジャスィドバニオン。お前、服なんか着てどうしたんだ？」
　ほぼ全裸姿しか見たことのないグレイナドアが驚き尋ね――それを聞いていたウエルダは「？」という気持ちになりつつ、今までの彼の言動を反芻し「……」となり。
　そんなウエルダの心の変遷を知りつつも、グレイナドアが言っていることも理解できる、
「エスケールディーグ、一緒に入りにきたの？」
　帝国上級士官学校の先輩であるクレンベルセルス伯爵が”渾名”で尋ねる。なぜジャスィドバニオンがエスケールディーグになるのか？　問うだけ野暮というものである。
「そうだ。ほら、お前達帰りなさい。あとは私が」
　頭を下げ衣服が入っているケースを片手に脱衣所を去る彼ら。何度も頭を下げる彼らにウエルダは同情……することもできなかった。
「同性愛者は出来れば自重して欲しいんだけど」
　その時のウエルダは、余裕がなかった。その輝きを前にして。
「フィラメンティアングス公爵も一緒に入るのだから平気だろう？　初めまして、ウエルダ・マローネクス殿。わたくし、パスパーダ大公ジャスィドバニオン＝エジュラニオンと申します。ヴィオーヴ侯爵となられたゾローデ殿下の後輩であります」

　ウエルダに顔を近付けてきたジャスィドバニオンの、あまりの煌めきにウエルダは仰け反った。

「あ、はい」
――　なにが”はい”なんだよ俺
　王器などとはまた違う、抗いがたい雰囲気を前にして、頼まれごとも聞かずに、とにかく肯定した。
「一緒に入ってもいいと言ってくれたぞ」
「ウエルダがいいのなら」
　これまで通り、ウエルダとしては良くはないのだが、悪いとも言えない状況。
「もちろん良いのですが……大公閣下はどのような御方で」
　ゾローデの後輩なので軍人であることは分かるのだが、それ以外は皆目見当の付かないウエルダ。
　珍しく服を着ているものの私服なので、階級も分からないので、そこら辺を聞いたのだが、
「服を脱ぐ早さにかけては定評のある大公だよ」
　クレンベルセルス伯爵も、
「煌めくことと輝くことに定評のある、酒宴の支配者大公だ」
　グレイナドアも聞きたいことは教えてはくれなかったが、彼を知る上で、これ程重要な事実もない。