グィネヴィア[14]
「ところで王」
下げた頭を上げ、ヒュリアネデキュア公爵は先程の冗談と取るのが難しい意見について尋ねた。
「なんじゃ」
「エリザベーデルニ殿下に意見を聞けとは、本気ですか?」
「主の意見もあの二人と同じ、というわけか」
「あれたちと儂が同意見かどうかはわかりませぬが、エリザベーデルニ殿下にはあまり縁のないことかと」
「そうか」
姉であるテルロバールノル王は妹が王妃としての苦悩を抱えていることは知っているが――その苦悩がごく有り触れた王妃が持つものではないことも承知していた。
妹であるエリザベーデルニの苦悩、それはヴァレドシーアという男を救えないでいること。王を補佐することも助けることもできるが、個人を救うことができない。
愛人であるシラルーロ子爵や、あのクレスタークとは別に彼女はヴァレドシーアを救おうと苦闘している。
王妃として王を支えるだけで充分――だが彼女は見捨てることも諦めることもしない。
報われることなど期待せず。そこに恋愛感情は一切存在しない、あるのはテルロバールノル王女としての矜持。
そこに僅かでも異性への愛情が含まれていたら、ヴァレドシーアは彼女を疎むこともできたが――非の打ち所がないのが唯一の非――とまで称される彼女は、そのような感情を挟むことはない。
彼女の苦悩は別次元にある……そう言われても、仕方のないこと。
「これも”ない”と儂がはっきりと言い切れるものではありませぬが、配偶者の苦悩を知りたくば、儂の次女あたりが一般的かと」
ヒュリアネデキュア公爵の娘エゼンジェリスタは皇太子妃として苦労しているが、
「エゼンジェリスタはたしかに苦労はしておるが、苦悩は既にしておるまい。最早死を受け入れておろう」
苦悩については、自身の中で決着がついていた。
「そうでなくては困りますが」
帝国に比類ない名門公爵家の姫君は、無知蒙昧ではない。様々なことを学び、知りながら生きている。だから彼女は、自分が殺される運命にあることも理解している。
彼女のイズカニディ伯爵にむける恋心に周囲の者達が寛大なのは、皇太子が即位する可能性は皆無に等しいと気付き、どうしてやることもできないことを理解している者たちの、優しさ――そのように評するのが正しいのかどうかは分からないが。
「儂は侯ヴィオーヴを殺すようなことはせぬ。絶対に生かしてやる」
「王の真意をお聞きしたい」
「なんじゃ? ハンサンヴェルヴィオ」
「王はシュルティグランチを生かすおつもりですか?」
「儂は帝国に忠実であり、儂は帝国に混乱を起こすつもりはない。故に皇太子妃の処遇について考えてはおらぬ……そのように言うのは簡単じゃが、儂は主の忠誠に対してそのような誤魔化しをするつもりはない。儂はエゼンジェリスタを殺すつもりはない」
「さようで……」
ヒュリアネデキュア公爵も”なんとなく”そんな気はしていた。
「じゃが主は殺すつもりじゃろう」
「……」
「王家が帝国の法を守れぬとき、ローグ公爵家は代わりに遂行する。ましてそれが、ローグの一門出なれば尚のこと」
「はい」
「儂は止めはせぬ」
「……」
「ハンサンヴェルヴィオ。主はエゼンジェリスタを知っておるか?」
「娘としては知りませぬ。成績くらいは知っておりますが……優秀とは言えませぬな」
「そうじゃな。知れとは言わぬ。それでな、儂が知っておる主の娘は、やはり主の娘よ」
「……」
「皇太子が殺害され、自分だけおめおめと生き延びるような娘ではない」
ヒュリアネデキュア公爵の娘であった期間は短かったエゼンジェリスタだが、皇太子妃となってからもローグ公爵家の姫として生きてきた彼女は、同じくローグ公爵家の貴公子として生きてきた父親と似ていた。
「それは良かった」
「じゃが同時に、むざむざと夫である皇太子を殺されるような娘でもないぞ」
言いきったテルロバールノル王の表情にヒュリアネデキュア公爵は息を飲む。それは娘の才能に関しての驚きではなく、
「あれにそんな才能がありますか?」
自分が跪き仰ぐ相手が王であることを感じ――幼少期より付き合いのあるテルロバールノル王の王者たる風格に触れる度、彼は王に仕えられることに喜び、同時に不安になる。
「ある」
「……そうですか」
自分はこのテルロバールノル王に仕える価値があるのだろうかと。
「喜ばぬのか?」
「正直、喜べませぬな。儂は強敵を前にして高揚するような性質でありませぬので」
「そうじゃったな。いずれ主は娘の実力を目の当たりにすることになるじゃろう。その時、遅れを取らぬよう、日々精進するがよい」
王国の玉座に腰を降ろしているかのような錯覚に陥りながら、ヒュリアネデキュア公爵は再び頭を下げる。
「ありがたきお言葉」
皇太子が廃嫡となり、娘を殺す――王の真意に叛いても、伝統を踏襲する路を選ぶのか? ヒュリアネデキュア公爵が決め行動に移したとき、王がどのような手段を講じるのか……彼には分からなかったが ――その時、遅れを取らぬよう、日々精進するがよい―― 王に応えるために、全力で殺害する覚悟は決まった。
「それで、ハンサンヴェルヴィオよ。この計画書に、なにか問題でもあるのか?」
テルロバールノル王は側近同士に交流を持たせる案の書類を持ち、頭を下げているヒュリアネデキュア公爵に問いかける。
「その……それは」
「はっきりと申せ」
この計画書を見てから、ヒュリアネデキュア公爵の言動が些かおかしいことに王は気付いていた。
「……」
その計画内容は――
明日ゾローデとゲルディバーダ公爵が帝星での結婚式典を終えてから五日ほど、側近たちはまとまった時間が取れる。その時間を使い、ゲルディバーダ公爵の側近たちと、ゾローデの側近たちの親睦を図ることをテルロバールノル王は決めた。
結婚式典を終えてから六日後に、ゲルディバーダ公爵はゾローデの生まれ故郷へと行く。その際に側近たちは当然付き従う。
夫と妻の側近たちの意思疎通が図れていないと、色々と問題が起こるので、その前にある程度友好を深めておこうと、テルロバールノル王は考えた。
案そのものはヒュリアネデキュア公爵も納得しているのだが……ある一点に困っていた。
「どうした、ハンサンヴェルヴィオ」
「……クロチルレイデ殿下」
王を王と呼ばず、名で呼びかけて、彼は覚悟を決めた。
「どうした」
「トシュディアヲーシュはマローネクスに性的な興味を持っておりますので、二人を組ませるのは危険にございます」
テルロバールノル王は期間が短いので、全員と親交を深めるのは無理だろうと、二人一組を作り、両者の自宅や実家を行き来させることにした。
その組み合わせが【グレイナドアとベルトリトメゾーレ】【ジャセルセルセとバルデンズ】そして【ラスカティアとウエルダ】なのだ。
「それはまことか?」
「はい!」
「トシュディアヲーシュが両刀使いとは聞いておらぬが」
「両刀ではございませんのじゃ。同性愛者にございます……」
―― クレスタークめ! 貴様……
ヒュリアネデキュア公爵は知らなければ無視していられたのだが、知った以上、王に進言せずにはいられない。その内容が馬鹿げていようとも、愚かしいと感じようとも。だから自分にこれを教えたクレスタークのことを恨んだ。
「そうか…………じゃが、問題はなかろう」
「クロチルレイデ殿下!」
「主の言いたい事は解るが、トシュディアヲーシュは自覚がないのであろう? そして今まで誰とも性交渉をしたことがない。ならば今回もやり過ごせよう」
「自覚がないと、なぜお気づきになられ……」
「あれ程の男じゃ、自覚があったらすぐに行動に移すであろう。例え共に過ごして自覚したとして、即座に襲うような男か? 違うであろう。殺人衝動に耐えて上級士官学校を卒業した男じゃぞ。その程度の我慢はできようぞ」
帝国上級士官学校は学内や寮内で殺人をおかすと退学になる――エヴェドリットからの受験生が少ないのは、退学になる性質の生徒が多いため受験しない者が多いのだ。またエヴェドリットからの入学者の退学理由の一番は殺人である。
それどこか、殺人以外で退学になった生徒はいない――
「たしかに。ですが、あれは男に抱かれる側でして!」
「そうか」
テルロバールノル王はその程度のことではたじろがない。ヒュリアネデキュア公爵の話を聞いても驚きもしない。それは内心を隠しているのではなく、全てを受け入れる覚悟があるゆえに出来る態度。頑固で伝統に固執するが、それは事実を受け入れられないのとは違う。
「クロチルレイデ殿下……」
「主が言いたい事は解るが、自覚するならば自覚したほうが良かろう。組み合わせは変えられぬ。ウエルダ・マローネクスの自宅にベルトリトメゾーレなど行かせられぬ。それはお主も分かるであろう」
「はい」
テルロバールノル王やヒュリアネデキュア公爵と血が近いベルトリトメゾーレは”それだけで”平民と近付けることは困難。前者の二人のように、ある程度の経験を積んでいるならまだしも、彼はまだ十七歳と若く、他階級と上手く交流することはできない。
機会を見てゆっくりとウエルダと交流させるしか、方法はない。
「デオシターフェィンは貴族の嗜みの範囲内じゃが、愛人を五名ほど抱えておる。ロヴィニアの名門貴族としては慎ましいものじゃが、ウエルダ・マローネクスの自宅には母、姉、妹の三名の女性がおる。ロヴィニア貴族を泊めさせては、女たちに在らぬ噂が立ちかねぬ」
「おっしゃるとおりにございます」
「その点トシュディアヲーシュは上級士官学校にて平民との生活基礎を学び、またあやつらの性質が人殺しと周知されているゆえ、性行為に関するような噂は立たぬ」
「……ですな」
誰よりもクレスタークの側に長くいる男は、クレスタークの弟の実力も理解していた――
ちなみにヒュリアネデキュア公爵がここまで必死になったのは、トシュディアヲーシュ侯爵が性的にウエルダを殺害してしまったら、テルロバールノル王の名誉に関わるためである。別にウエルダのことを心配しての言動ではない……全くそうではないとも言い切れないが、誇り高き選民意識の固まりであるヒュリアネデキュア公爵は、決して認めないであろう。
「ところで、ハンサンヴェルヴィオ。クレスタークがラスカティアの性癖に気付いたのはいつ頃じゃ?」
「十八年ほど前でございます」
「あの男のことじゃ、早々に気付いておったじゃろうとは思うたが……なる程な」
「どうなさいました」
「クレスタークはラスカティアをバーローズの次期当主にしようと考えておったのじゃろうよ。まだハステリシアが生きておる頃から。殺させて跡を継がせようとしたのじゃろう。それにしても徹底した男じゃのう」
クレスタークは才能のないハステリシアではなく、才能のあるラスカティアにバーローズ公爵家を継いで欲しいと考え――ここまで実弟の性癖に触れないできた。
「自殺は最後の抵抗……というわけですな」
跡取りを殺害した者が次の跡取りとなる。彼らの世界で、それは珍しいことではない。だが跡取りを殺害できなければ、爵位は順当に下り、継ぎたいとは思っていない相手に転がり込む。
それが出来うる最後の抵抗。
「そうじゃ。じゃが、本当に自殺したくもなったのじゃろうよ。バーローズの実子は四名、うち三名が天才で、跡取り一人だけが凡才。耐えられまい。だからと言って、逃げていいものではないが救いもできぬ。儂の国の貴族ではないからな」
「やはり気付かぬまま、過ごさせたほうが良さそうですな。次のバーローズはトシュディアヲーシュで決まりでしょうし」
「気付いても良かろう。次の跡取りはシアが産んだ子でよかろう。ヨルハ公爵を継ぐ子の父はクレスターク。バーローズ公爵を継ぐのは兄以外の男であれば、継承問題もなにも起こるまい。クレスタークのことじゃ、シア自身に好きな男を捜させることも、士官学校行きの理由の一つであろうよ」
ヨルハ公爵家を継ぐものは、主家であるバーローズ公爵家から配偶者、或いは遺伝子を貰うが、バーローズ公爵家の跡継ぎに制限はない。
「……」
シアが好きな男――と聞き、
「どうした? ハンサンヴェルヴィオ」
ヒュリアネデキュア公爵は少しばかり意識が遠のいた。性格は善い娘だが、見た目の問題が……と頭を過ぎったのだ
「い、いいえ」
最悪、好きな男を略奪すればよいであろうと考え、混乱を頭の隅に押しやった。
その後、幾つかの話をして部屋を出たヒュリアネデキュア公爵は、
「やっと出てきた! エゼンジェリスタのパパ」
扉近くで待っていたゲルディバーダ公爵に声をかけられた。
「何ごとじゃ?」
「礼儀作法の最終確認してよ! 相手役はジェルヴィアータ」
皇太子の腕にぶら下がるように抱きついている笑顔のゲルディバーダ公爵と、
「こんにちは。義理父殿」
義理父が苦手で仕方のない皇太子。
―― なぜこの男はいつも死んだような目をしておるのじゃ。もう少し、活力をみなぎらせぬか。情けない
Copyright © Iori Rikudou All rights reserved.