グィネヴィア[04]
 ウエルダは儀典省の職員たちに囲まれ、新しい少尉の制服を着用し、最終仕上げを施されていた。
 通常は軍隊内の体格の標準化した寸法で作られた既製服。これを手直しする。
 軍人というのは体格も込みで”軍人”であるため、この既製服で事が足りる。だが皇帝臨席の式典に並ぶとなると、既製服を手直しという訳にもいかず、職人が仕立てなくてはならない。
 皇帝直属の軍人である上級士官学校卒業生は、二年の上級士官候補生を経て少佐となる。候補生も基本少佐待遇のため、これ以下の階級の軍人が皇帝主催の式に並ぶことは滅多にない。
 大宮殿内の被服を預かる儀典省の職員にしてみると、華々しい席に列席する回数の多い上級大将や元帥の制服を作るよりも、少尉の制服を作るほうが難しい。
「少尉、お時間はおありでしょうか?」
「時間はありますよね? 伯爵」
 この後は帰宅するだけだと聞いていたウエルダは、イズカニディ伯爵に尋ねた。この場において自分の意志だけで返事をするのは、問題が起こりかねないだろうと考えてのこと。
「無駄なことに使う時間はない」
 側近らしくイズカニディ伯爵は返事をする。
「それは存じております。実は少尉に中尉と大尉の制服を着用していただきたいのです」
「……?」
 いきなりのことにウエルダは事情がよく飲み込めなかった。
 イズカニディ伯爵は少し考えてから、
「ウエルダ、試着してくれるか」
「はい!」
 ウエルダに合わせて作られた、上の階級の制服に袖を通す。
 一応は士官学校を卒業しているので、なにか間違いがあったら袖を通すことはあるだろう――と考えていたウエルダだが、二十代初めでまさか大尉の制服を試着することになるとは思わなかった。
 ウエルダのような士官学校出の軍人は、成績優秀で出世街道を邁進し、運が良くても少将が限界。普通は中佐で大出世。成績優秀者ではないウエルダは、第一准佐にでもなれたら御の字だ――。ウエルダだけではない、ほとんどの卒業生はそう思っている。

「自宅まで送る」
 試着を終えたウエルダを、イズカニディ伯爵が自宅まで送る為に車を用意した。
「俺が運転する」
「さすが!」
 車は基本自動。法定速度を守り走る、ちょっと高価な公共移動機関。事故を回避するために、個人の反射神経や注意力などが必要となる車を運転できる資格を得るのは、高額な資金と高い運動能力と卓越した知識を持った者のみ。
 上級士官学校卒業生は在学中に免許を取得しなくてはならない。あの学校は軍事に関する全てのことを学び身に付けることを目的としているため、宇宙に存在する機動装甲以外の乗り物全ての免許を取得し、単身で完璧に操縦できなければ卒業できない――大体の生徒は、入学前に幾つかの免許を取得していたり、操縦の練習をしているので、あまり苦労をすることはない。

 ゾローデは一人なにも持たずに入学し、死ぬほど苦労して全ての免許を取得し卒業した。

 普通道を走っている、やや丸みを帯びた定数三人の小型自動車ではなく、軍人仕様の黒塗りで、五人乗ることのできる大型の車。
「本当は、運転席の後ろに乗ってもらうのが正しいんだが、隣でどうだ?」
「はい」
 ウエルダは助手席に乗り込んだ。
「儀典省のやつらが中尉と大尉の制服を勧めたのは、明日どうなるか分からないからだ」
「はい?」
「明日、陛下と四王に挨拶回りするだろう」
 明日ウエルダはゾローデの側近三人で、皇帝と四王にもとへ、挨拶しに行くことになっている。
「……はい……」
「緊張するなとは言わない。最後になる俺たちの王は、怖いと言われているだけで、実際は恐がるようなことはなにもない」
 皇帝や四王に対しての緊張はもちろんだが、一緒に挨拶回りする二人のうちの一人がグレイナドア――勝手にウエルダをライバル視しているロヴィニア王子であることも気が重かった。だが、それを上回るのが、

―― 僕に任せてください。オランベルセが何言っても聞きはしませんよ。ここは僕が上手く宥めますから。グレイナドア殿下が大人しくなったら、褒めてくださいねえ ――

 ジベルボート伯爵の一言。
 ウエルダは王族相手に下手なことをしたら、ジベルボート伯爵が危険なのではないか? と危惧しているのだが、実際はそんなことはない。むしろグレイナドアが危険になる可能性のほうが高いのだが、でも彼はそのことを知らない。
「それで制服の件なんだが、明日陛下や四王がウエルダに”中尉はどうだ?”や”大尉をくれてやろう”と言ったら、明後日の式典はそっちの制服で並ぶ必要がある。佐官制服は急ぎ対応が出来るが、尉官制服は滅多に仕立てることがないので自信がないんだろう。だから、あらかじめ用意しておきたいようだ」
「なるほど……あの、授けるって言われたら”はいっ”て受け取った方がいいんでしょうか?」
「そうだなあ……多分陛下は大丈夫だ。階級を授けてくれるとしても控え目に中尉くらいだろうが……そこの兼ね合いがなあ」
「情報も届いたんで、少し説明を聞いて帰るか?」
「お願いします!」
 イズカニディ伯爵は公園で車を止め、ハンドルに両腕を預け寄りかかるようにして説明を始めた。
(軍用車両のため、公園だろうが問題はない。帝国では自家用車というものがほとんど無いので、路駐という概念もない)
「挨拶の順番は基本通りだ」
 この基本とは「シュスター・ベルレー(初代皇帝)の仲間になった順番」を指し、現在でも皇帝が四王に声をかける順番はそれに倣っている。
「はい、陛下、ケシュマリスタ王、ロヴィニア王、テルロバールノル王、そして最後にエヴェドリット王の順ですよね」
 これは帝国臣民ならば常識中の常識。
「そうだ。それで、まずは陛下だが、陛下は軍人じゃないだろう」
「はい」

 帝国は軍事国家ゆえに、軍人ではない皇帝は軽んじられる傾向にある。現皇帝エルタバゼールは軍人ではない。故に現皇帝は軽んじられる。
 軍人には二種類あり、ゾローデたちのように帝国上級士官学校を卒業し軍に属する方法と、学校に入ることなく実際に軍を率いて戦争功績を上げる二種類がある。
 後者は最初から軍が手元にあることが前提ゆえに、通常の者には不可能。できるのは皇族や王族のみ。
 前者の場合、皇帝には非常に厳しい制限がある。
 帝国上級士官学校以外には入学できない――
 ウエルダが在学した帝星の士官学校に通うようなことは”許されない”
 帝国の支配者は神であり、優れた軍人でなくてはならない。それゆえに、平凡な軍人であってはならない。
 その結果、軍人の素質のない皇帝は、軍人になることを許されない。
 エルタバゼールは早々に軍人の素質無しとされ、飾りの皇帝の座についている。エルタバゼール本人も、自分にそれらの能力がないことは理解しており、判断を下した相手に従っている。
 判断を下したのは、帝国宰相ゼルケネス親王大公。
 政治家としても軍人としても、また血筋も皇帝エルタバゼールを凌駕する男。
 だがこの男が居る限り、エルタバゼールは安泰である。
 ゼルケネス親王大公という男は、おおよそ人を尊敬するような男ではないのだが、数少ない例外としてエルタバゼールの父で、自身の兄であるエルロモーダ帝のことは尊敬していた。
 そして軍帝ナイトヒュスカのことを崇拝している。このナイトヒュスカ帝が退位する際、エルロモーダ帝と、当時まだ立太子もされていなかったエルタバゼール帝のことをゼルケネス親王大公に託し、その信頼に応えて治世をしいている。

 帝国宰相は現皇太子については、大皇から依頼されていない――

 残念というべきか、幸せというべきなのかは分からないが、現皇太子ジェルヴィアータが、己の苦境を未だ影響力のあるナイトヒュスカ大皇に訴えても、助けてもらえる可能性は皆無。
 それというのも、皇太子の現状と、ナイトヒュスカ大皇が皇太子当時におかれていた状況を比べると、皇太子のほうが格段に楽な状態なのだ。
 命を狙われ続け八歳で初陣し、大宮殿に帰ってくることができないような状況に十年以上おかれていたナイトヒュスカ大皇には、皇太子の苦境のどこが「苦境」なのか、理解できない。

「帝国軍人の階級を引き上げてやりたいと考えると、当然帝国軍の責任者と話をする。陛下の希望通りになるだろうが、軍事の方はな」
「あ、はい」
「帝国軍の総司令長官はリスカートーフォン公爵。俺たちの王だ」
 軍人ではない皇帝の代わりに、名のある軍人が帝国軍を管理している。現在はエヴェドリット王にしてリスカートーフォン公爵 エレスヴィーダ=ヴィード。
「はい」
 自国の軍をも掌握している彼がこの地位に就くことは、様々な者が難色を示したが、エヴェドリット王らしく武力でねじ伏せ、彼はこの地位に奪い取った。
 彼がこの地位を得た理由はたった一つ。
 エイディクレアス公爵に王位を譲るための下準備。自分の国も、娘も息子も武力で蹂躙して弟に王位を譲る。彼はその為には努力を惜しむことはない。
「陛下がウエルダの階位を上げる際は、俺たちの王と事前に話しあって決めるが、俺たちの王がウエルダの階位を上げようと思ったら陛下には事後報告でもいい……本当は駄目なんだが、力関係とかそういった問題で事実上、そんな形になっている。それで、陛下がウエルダの階級を一つあげるのは確定だろう。だから儀典省の職員が用意した、だが俺たちの王はあまり内心を明かさないというか、聞かれても答えないというか……儀典省泣かせだ。それもあって、中尉と大尉の制服を用意しているようだ」
「えっと……俺、中尉になってしまうんですか?」
「中尉にはなるな。その……諦めて中尉になってくれ。俺一緒に少将になるから」
「それはおめでたいことですが、俺は……」
「いやいや、俺もなあ……。バルキーニは祝いとして少将を与えられるようだから、気にせず受け取れ」

―― お二人は、帝国上級士官学校卒業生ですから、少将だろうが元帥だろうが可能でしょうが

「陛下の次に会うのがケシュマリスタ王、あの王様は……そのー悪戯好きでな。ゾローデを迎え入れる時の行動を見ても解る通り、驚かせることが大好きだ。だから下手すると、ケシュマリスタ王国軍の元帥位などを提示してくる可能性がある」
 実は可能性ではなく、ケシュマリスタ王は本気でからかいにくる――先程、ウエルダが大尉制服を試着している時に、トシュディアヲーシュ侯爵からイズカニディ伯爵に連絡が入っていた。
「…………冗談で?」
「冗談だが”光栄です”といったら最後、即日元帥だ。ちなみに”お断りします”言っても即日元帥だ」
 ケシュマリスタ王国軍を実質動かしているのは侯爵なので”元帥増やしていい?”と聞かれたのだ。
「無茶です!」
 もちろん、こちらに情報が流れることも計算の上で。
「だよな。一応聞聞くが、ケシュマリスタ王国軍の元帥位は、本当に要らないんだな」
 侯爵はケシュマリスタ王との付き合いは長いので、対処方法を考えるのもお手の物なのだが、その対処方法を聞いて”最良なのは分かるのだが、その……”イズカニディ伯爵は頭を抱えたくなった。
「要りません! 要りません!」
「ケシュマリスタ王国軍の大佐くらいならどうだ?」
 それ以上の策がないことは分かっている。
 自覚していない侯爵は、おかしな気持ちなど持っていないことも。
「はい?」
「断るにしても、完全に拒否というわけにはいかないから、妥協点を今のうちに捜しておくのが最良だろう」
 ここに来るまで考えたが、何ら策を思い付くことができなかった自分の無能さを恨めしく思いながら、侯爵の案を提示することにした。
「リディッシュさん。妥協点で大佐ですか?」
 ウエルダは自分が佐官になった姿など、想像したこともない。
「ウエルダの言いたいことは分かるが…………」
「どうしました?」
「一つだけ、ケシュマリスタ王の悪戯を防ぐ方法はあるんだが、諸刃の剣というか、100のダメージを受けないかわりに99のダメージを受けるかというか……自分から役職が欲しいという方法がある」
「役職ですか?」
「具体的に言うとアーシュの副官の一人になりたい……なんだが。嫌だよな、アーシュで、バーローズで、面はアシュ=アリラシュで麦チョコだから」
 トシュディアヲーシュ侯爵個人は嫌っていない、むしろ友人として好きといっても差し支えないイズカニディ伯爵だが、ウエルダのことになると遠ざけたいというか、できれば引き離したく、だが、侯爵ほど守ってやれる権力はない。
「…………」
 言われたウエルダはというと、頭の中は「       」まさに何も考えられない状態。侯爵には往復の間、随分と世話になり、ゾローデから話を聞いて、本能と骨髄まで染み渡った恐怖から少しは脱却できたものの、怖いものはやはり怖い。
「この案はナシにしような。アーシュにそう返事しておく」
「あ、あの! 副官って具体的には」
「勉強中扱いになるだけだが」
「じゃあ、お願いします! あの、その、ゾローデ、トシュディアヲーシュ侯爵のこと、良い人だって言ってたし」

―― ゾローデ。親友を死地に追いやって……いや、アーシュのこと嫌ってないことは、個人として感謝するが、あああ! アーシュ、どうしてお前は同性愛者なんだ!

 恐怖されまくり冷や汗浮かべ、眼球が忙しなく動き回り、引きつった笑顔をむけられるのも悲しいが、認められるのも辛いものだと、エヴェドリットの宿業を噛みしめるイズカニディ伯爵。
「そうか? じゃあ……後で連絡しておく。ケシュマリスタ王のところはこれで上手くいくだろう。ロヴィニア王は帝国軍に関与してこないし、王国軍に誘うこともないだろう。テルロバールノル王も然り。最後の俺たちの王は、そのー正直よく解らん。自分の国の王だが、なにを考えているのか今ひとつ。対応策を練るにも……」
 エヴェドリット王に強い影響力を持つエイディクレアス公爵に頼めば良さそうだが、彼には欠点があった。
「ドロテオは喋り方が悪い。確実に”ウエルダの階級は大尉にするの?”と聞く。こう聞かれたら王は”ああ”と答える。これで確定してしまう」
 この言い方はケシュマリスタ貴族に多く、ケシュマリスタ王国で育った彼は、この癖が抜けない
「……」
「アーシュに余裕があったら、王の調整を頼みたかったんだが、あいつも忙しい男だからな。ケシュマリスタへの報告を終えて、いまはバーローズ公爵家の集まりに出席して身動きが取れないようだ。俺はこれから実家の集まりに……集まりがなくとも、アーシュのように王相手に調整なんてできないが。済まん、情けない側近で」
「いえいえ! リディッシュさんもそうですが、トシュディアヲーシュ侯爵にもあまりご迷惑をおかけするわけには。侯爵はゲルディバーダ公爵殿下の側近ですし」
「まあな。だが俺よりもずっと頼りになるから、ゾローデのことでマズイと思ったことがあったら、あいつに頼め。誰の紹介も要らない。あいつはそう言うことには拘らないからな」
「分かりました! 対処できないことがありましたら、助力をお願いしたいと思います」

―― どうして俺は、アーシュに近づくようウエルダに言っているんだ。キャスから守れても……もっと自分の力を蓄えなくては

|| BACK || NEXT || INDEX ||
Copyright © Iori Rikudou All rights reserved.