裏切り者の帰還[06]
「どうした? ゾローデ。なにか他のことを考えているようだが」
カードを切っていたクレンベルセルス伯爵に聞かれたのだが、侯爵の寝顔が怖いなんてこと、ウエルダ以外は知っているので今更話題に出す気になれない。それに雰囲気がいいので、聞いてみよう!
「フィラメンティアングス公爵殿下のことが気になっていて」
「具体的になに?」
「ウエルダと勝負すると言われたが、なんで勝負をするつもりなのかと」
ウエルダは小さく頷き……
「……」
リディッシュ先輩は目を閉じて、顔の前で片手を振って見せる。
「……」
ジベルボート伯爵はと言うと人差し指を唇に当てて首を傾げた。
「……」
手に持っていたカードをテーブルに置き、エイディクレアス公爵殿下の方を向くクレンベルセルス伯爵。
「グレイナドアのことだから、なにも考えてないよ」
柔らかな笑みの下に、なにか毒気のようなものがあるように……いままで見たこともない、元帥殿下の表情に、背筋になにかが走る。
「え?」
「ヴィオーヴ侯爵もウエルダさんも知らないでしょうけど、バイなグレイナドア殿下は、頭良いバカなんですよぅ」
フィラメンティアングス公爵殿下が頭が良いことは知っている。俺も分類としては頭が良い方になるのだが、その俺から見ても殿下の頭の良さは異常。
「……」
ただ頭は良いとは聞くが、その……賢いとは失礼ながら一度も聞いたことはない。
「なにも考えてはいないだろう。グレイナドア殿下はそういう御方だ」
側近に希望されているリディッシュ先輩は、やはり困ったような表情で殿下をそう評された。
「頭はおそろしい程に良いんだよ。まさに帝国を奪えると言われる程に」
「そんなに? ですか、バルデンズさん」
「凄いんだよ、ウエルダ。グレイナドア殿下の演算処理能力は前線基地要塞に匹敵するんだ。処理能力はね」
そこで念を押すところに色々とあるのだろう。
「グレイナドア殿下は特に思考実験が得意な御方でな。市場経済も前線予測も的中率100%なのだが……」
リディッシュ先輩が言い終わる前に、
「でもそこに性欲が混ざるとポンコツ品に成り下がるんですよ。オランベルセ捕獲方法とか」
ジベルボート伯爵が。王子殿下にポンコツは駄目だろうと思うが、誰もなにも触れないので、許されているのだろうな。
「サクラも常々零しているね。ナジュはあんなに頭いいのに、どうしてバカになるのかと。ナジュとサクラは同程度に頭が良いから、バカな行動を取るとびっくりしちゃうんだって。リディッシュを捕まえるって、直径20cmの籠に紐を結び付けた棒で片側だけを持ち上げ、籠の下に餌として西瓜の切れ端置いて、本気で捕まられると思ってって言うからさ」
それは本当ですか? エイディクレアス公爵殿下。本当に本気だったのですか? 身長が210cmあるリディッシュ先輩を直径20cmの籠で捕まえられると?
「ロヌスレドロファそれはマシですよ! 前にグレイナドアは棒に紐を付けることを知らなかった上に、籠の外に餌を置いた罠を作ったんですよ!」
もうそれ、罠じゃないよジベルボート伯爵。
「まあ、みんな。あまりグレイナドア殿下のその……」
「隠しておいても知られちゃいますよ、リディッシュ」
「知らせておいたほうが戸惑わなくていいと思うんだ、リディッシュ」
ジベルボート伯爵が教えてくれたような罠を仕掛けて、どこかに隠れてかかるのを待っている姿を見たら、エイディクレアス公爵殿下が仰る通り、戸惑うと思います。戸惑うしかできないと ―― 可哀想な子なのかな……と思ってしまうかもしれない。なんとも失礼なことだが。
「それはそうですが……」
「っていうか、罠と迷宮の達人であるオランベルセに対して、グレイナドアはなにをしたいんでしょうね」
リディッシュ先輩は罠と迷宮に関しては他者の追随を許さないのだそうだ。長期休み期間中、寮滞在組で作った「軽い迷路」は凄かった。リディッシュ先輩としては軽い迷路だったらしいが、一緒に入った侯爵ですら頭を抱え、抜けるのに三日かかった。
途中で休息を取り、その際に侯爵と一緒に寝るハメになったんだが。でも侯爵と一緒じゃなければ、俺は迷路で死んでいただろう。
イズカニディ伯爵領内のご自宅には、寮で作ってくれた「軽い迷路」など比較にならないような、本気迷宮があるそうだ。全部お一人で作られ……リディッシュ先輩以外は入ったら出て来られないので、必然的に一人で作ることになるらしいが。
「あのー、それでウエルダどうしたらいいのでしょう?」
「大丈夫。僕が守ってあげるから」
ジベルボート伯爵が椅子から立ち上がって、ウエルダに抱きついた。女性慣れしていないウエルダは、照れながらも、
「お願いします」
……それが最良だろうな。俺たちがどうにか出来るような相手じゃない。
人となりを聞いて、益々そう思ったよ。
「僕が学校に行っている間は、オランベルセとバルデンズが守ってくれますよ。ねっ!」
「もちろん。同じ側近同士だからな! 一応説明しておくと、グレイナドア殿下はポンコツ恋愛機能が発動しなければ有能で、事務方は任せておけば完璧だ」
ポンコツ恋愛機能って……クレンベルセルス伯爵。
「迷惑かも知れないが、俺のことを側近にしておいてくれないか? グレイナドア殿下に仕える気は毛頭ないので」
「リディッシュはエゼンジェリスタが好きなんだもんねー」
「いや、ちがっ……」
「違うって言ったら、僕、告げ口しちゃうよ。いいのかな?」
「おま……」
「テルロバールノル王に」
「それだけはやめてください、キャステルオルトエーゼさま」
リディッシュ先輩がテーブルに手をついて、深々と頭を下げた。過去になにか合ったとしか思えないが、聞く勇気などない。
「ふふふ。恋愛関係は女の子に勝てるわけないよ、リディッシュ。それに……キャス、ケシュマリスタ女だし」
エイディクレアス公爵の表情が翳り、目が死んだように光を失って下向きになったのは、気付かなかったことにしておこう。
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一日を規則正しく過ごさなくてはいけない。
惑星上にいるときとは比べものにならないくらい、しっかりと、時間を意識して。
「寝るか」
夜更けというわけではないが、特にする事もないので眠ることにした。眠って起きて、時間通りに食事して。時間外にうろちょろされると、下士官たちが困るから。
「ふう……」
やっと敷いて座るのにも慣れてきたマントを専用のハンガーに掛けて、手袋を外し上着のボタンに指をかけたら……
「ゾローデ先輩、一緒に寝よう!」
枕を持ったエイディクレアス公爵殿下が突如部屋へと乱入してこられた。殿下の白く柔らかな膨らみを持つ頭髪に似た、ふんわりとしたチュニックを着用した姿で。
ふくらはぎの中程までの丈で素足が露わになっている。強い御方なのに、足は細くて全体が本当に頼りなさげで。
「えっと、一緒に寝られ……ええ! 殿下?」
筒状のチュニックを手早く脱ぎ捨て、パンツを降ろし始めた。なにをなさって、いら……うおあ! ベッドに押し倒され……動きはや……
「ドロテオ、なにやってんだ」
ベッドを背中に感じるとほぼ同時に、侯爵がやって来て殿下の髪を無造作に掴み引き離してくれた。
「なにって、寝るんだよ」
ベッドに放り投げられた殿下は髪を乱し見上げ”心外だ!”と言わんばかりの表情で答えられたが。
「なんで全裸なんだよ」
「弟と寝る時は全裸だろ」
はい? 俺には弟はがいませんし、異母兄とは仲がよろしくなかったので、一緒に寝ることもありませんでしたから分かりませんね。ウエルダの家に遊びに行った時も、そんな素振りはなかったような。
上流階級の兄弟は全裸で?
「俺は兄貴と全裸で寝たことは、一度たりともありませんよ。服を着たまま一緒に寝たこともありませんがね」
「ええーお兄さまがそうだって」
殿下のお兄さまとはリスカートーフォン公爵ですよね。……何をなさっていらっしゃるのですか……。
「王とドロテオが裸で寝るのは構わないんですが、ゾローデと裸で寝るのはやめたほうがいいですよ」
「でも、だって、ゾローデ先輩は弟だもん」
先輩で弟とはこれいかに?
侯爵は凶悪な顔を更に凶悪に……助けてもらっておきながら、酷い言い分だがそうとしか表現できない。
「説明していないだろ、ドロテオ。ドロテオは頭は良いが賢くないと、あれ程言われているだろうが。二十過ぎたんだからそろそろ自覚しろ」
”頭は良いが、賢くない”
先程聞いたフレーズだな……殿下、ショックを受けていらっしゃる。どちらも首席卒業だが、総合成績を比較すると侯爵のほうが上だったなあ。
「俺のなにが悪いんだ!」
「ゾローデは、ドロテオの弟になった覚えはないはずだ」
確かにそうです。
「だって、グレスのお婿さんなら俺の弟!」
「そこが分からないっての。血は繋がっていないけれども、ファティオラ様は自分の妹も同然。だからその婿であるゾローデは……済まないな、ゾローデ」
黙って最後まで話を聞いているべきなのだろうが、どうにも全裸でベッドの上におられる殿下が気になって、脱ぎ捨てられていたチュニックを拾い上げて、そっと腰のあたりに置かせてもらった。
男同士なので気にはならないのだが、見たいとも思わないので。
「まずは服を着ろ、ドロテオ」
「パンツも?」
「もちろん」
「はあい」
チュニックを被り、パンツを履くのだが、その仕草がゲルディバーダ公爵殿下と似ていた。お尻を突き出して履くその姿、反応としてまずい気もするのだが、可愛いと……。その気はないのだが、殿下のお美しさと儚さと可愛らしさは……。
「パンツにチュニックの裾、入ってるぞ。ドロテオ」
着直して下さったものの、足元が寒いということで、俺のベッドにお一人で入ってもらい、念の為にガウンも羽織ってもらった。
その間に隣接するキッチンで侯爵が三人分の温かい飲み物を用意してくださり、俺と侯爵は殿下の枕元に椅子を置き、話を聞く体勢となる。
話をまとめると殿下にとってゲルディバーダ公爵殿下は、命の恩人(俺にはこの部分、意味が分からないが)の娘で、その方に「おにいちゃんになってあげてね」と言われたので、自分は兄なのだそうだ。
殿下はお兄さま、この場合はリスカートーフォン公爵のことだが、その兄公爵殿下の元へと帰って以来、兄弟が一緒に寝る時は裸だよと教えられ、今でも一緒に寝る時は……。
「普通兄弟同士、裸では寝ない。大体、兄弟が一緒に寝ることもない。なあ、ゾローデ」
「ま、まあ。兄弟に関しては貧乏な場合は一緒に寝たりしますが、その際も裸ということはないかと」
「えー裸で寝ちゃだめなの?」
寮ではこんな行動を取らなかったのに ―― と思ったが、寮内には兄弟に該当する人がいなかったから、そういう行動は取らなかったんだ。
「王とドロテオが裸で寝るのはいいです。でもゾローデは駄目です」
「駄目なの? アーシュ」
「ファティオラ様に許可取りましたか?」
「取ってない……駄目かな? やっぱり」
「駄目ですね。ファティオラ様の許可がもらえたら、みんなで仲良く寝ましょう」
みんなって……みんなって?
「お兄さまとアーシュと俺とゾローデ先輩とで! 俺、寝相悪いから許してね」
死にます。寝るだけなのに、死ねます。
「ゾローデは寝相いいですよ。腕の中にいた時、ほとんど動かなくて死んでるのかと思ったほどですよ」
侯爵はすごく良い人なのですが、その時俺は実際半分死にかかっていました。罠にかかった動物って、こういう気持ちなんだろうなーと考える余裕ができたのは、迷路を抜けてからですが、ともかく罠にかかった小動物の気持ちでした。
身長ニメートル越えている自分を小動物と評するのは恥ずかしいが、でも……侯爵の腕を枕にして寝ることになった時点で、小動物だと思う。
「へえ、そうなんだ」
「ドロテオ、いい機会だから教えてくれ。半年ほど前、ファティオラ様に”どうしてそんなに食い意地が張っているのですか?”と聞いたところ、理由はドロテオとネロが知っていると教えられました。ゾローデも当事者……ゾローデ、お前知らないだろうが、ファティオラ様は食い意地張ってるんだ。チョコレート一欠片取られただけで、戦争を起こすことも辞さないほど」
え、あ……あの時の侯爵の驚いたような表情はもしかして!
「グレス、ゾローデ先輩のこと、気に入ったんだね。ネロと僕で……あの時のことか! 山羊の乳の話だね」
”あなたは帰る その場所へ あなたに帰る場所があることが 私にとっては幸せなの”
「……歌詞、間違ってますよね」
険しい侯爵の視線と、怯えたような殿下の視線。
「あれ、俺、今なにか言いました?」
理由もなく俺は自分の手のひらを見つめる。
「言ったが意味は分からない。話を続けようドロテオ」
侯爵は嘘をついたなと分かったが、俺自身、何を呟き ―― 歌詞が間違っている ―― だったか? その意味が分からないので、答えを聞いてもきっと……。
「ゾローデ先輩、顔をあげて。うん、グレスのこと説明するから」
俺が見つめている手を両手で包み込むよう握りしめ、殿下は教えて下さった。
両親の死後、放置されたゲルディバーダ公爵殿下のことを話しているうちに殿下が泣き出してしまった。
握り絞められていない方の手で、泣いている殿下の頭を撫でた。ゲルディバーダ公爵殿下と同じくらい引きずっているのだろう。教えてくれなかった何かを ――
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