裏切り者の帰還[05]
 フィラメンティアングス公爵殿下は俺が遠征中、
「残ってゾローデとゲルディバーダ公爵の帝星挙式の準備するんだろ」
 帝星に残ることになっていた ―― のだが、
「いやだー! ついていくんだ! オランベルセ」
 どうしても付いて行きたいと騒ぎだした。そんな王子を、帝星防衛に携わる軍人たち……見覚えのあるかつての同級生たちが取り押さえてくれた。
 ありがとうボールセルディク侯爵、マディウィフ子爵。
「その王子がいると感動的な見送りができないから、片付けてねえ」
 ジベルボート伯爵が手を振る。
「オランベルセエェェェェ!」
「うるせえええ!」

 フィラメンティアングス公爵殿下の叫び声に侯爵の咆吼が重なり――

「皇太子妃殿下がお見送りに?」
 知らない間に俺が率いる艦隊まで用意されていた。そこはもう、どうでもいい。王が本気を出したらこの程度は簡単なのだろう。あまり本気を出して欲しくはないものだが……言っても仕方ないな。 
「そうなんですよ」
 遠征の見送りに、皇太子夫妻がいらっしゃるとのこと。
 リディッシュ先輩複雑なんじゃないかな。先輩と在学期間が重なっている生徒は知っている。俺ですら知っているのだから……皇太子妃がリディッシュ先輩のことを好きだということを。当時在学していた皇太子殿下に会いに来る名目で、リディッシュ先輩を見つめている姿を俺ですら目撃した。
 可愛らしい幼い少女が、皇太子殿下の後ろに隠れながら、ふっくらとした頬を赤らめて先輩を見つめる姿。通常ならば妻が他の男に懸想している状態なので、決して良いものではないと ―― 俺たちのような階級の者は思うのだが、上流階級はそうでもないようで。
 なにより皇太子殿下は皇太子妃を「年が離れた妹のように思っている。だから彼女が幸せになってくれると嬉しいのだ」と言っておられた。
 先輩と皇太子殿下が卒業した後は知らなかったが、皇太子妃殿下は今だにリディッシュ先輩のこと好きなのか。
「エゼンジェリスタは来ないと言っていたが」
 リディッシュ先輩が口元を手で覆い隠して、やや焦ったように……順調に恋を育んでおられるようだが、いいのかなあ? 相手は皇太子妃殿下なのに。それもローグ公爵姫。
 そう言えば皇太子妃殿下のお父上は前線基地にいらっしゃるはず。
 ローグ公爵家の嫡男閣下に会うのか。リディッシュ先輩が「ローグ公爵家からしてみたら、俺は下賤貴族。あの人たち、普通に下賤言ってくるからな。帝国上級貴族は慣れたもんだ」と……俺、下賤どころじゃないんですが。下賤言われるのは構わないのですけれども、リディッシュ先輩で下賤ってことは、俺に該当する言葉はないのでは?
 無視されるのかな、無視は結構辛いよな。でも声の掛けよう無さそう……。
「うん。恥ずかしいとか言っていましたが、僕の見送りに来てくださいと頼んだ所”仕方あるまい。儂は主の見送りをするだけじゃ。リディッシュの見送りではないのじゃからな!”と何時も通り。僕に感謝してくださいね、オランベルセ」
「おま……」
「良かったですね、オランベルセ卿」
 ウエルダまで笑顔で応援している。何時の間に知ったんだ、リディッシュ先輩と皇太子妃殿下のこと。
「エゼンジェリスタ、お菓子作ってくれたんですってね。僕にもくれます?」
「……ああ。それにしても、良く聞き出せたな」
「エゼンジェリスタって、ぽろっと零しちゃうじゃないですか。楽しみだなあ、エゼンジェリスタのマドレーヌは絶品ですからねえ」
 リディッシュ先輩が俺のほうを見た。
「失敗しなくなったんだ」
「良かった……ですね、リディッシュ先輩」
 まだ子供だった頃、皇太子妃殿下が寮に持って来てくれたマドレーヌは……軍の教材に使われる不味いパンに匹敵するような、しないような。皇太子殿下とリディッシュ先輩が「大丈夫、下手なだけだ! これなら上達できるから! ロガじゃない、ロガじゃない! ロガだったら形にならない! 素材の味が分からない! これは砂糖と重曹を間違っただけ」と慰めていたお姿と、お裾分けを……奴隷の飯のほうが美味しいと感じてしまうようなマドレーヌだった。

 ”ロガ”とは奴隷皇后。三十七代皇帝シュスターク陛下が愛した御方で、それはお優しく、気遣い上手で、ロガ皇后を尊敬、敬愛する者たちは大勢いた……のだが、料理が怖ろしく下手だったのだそうだ。学校で聞くまでは知らなかったし、現物を見るまではその怖ろしさを理解はできなかったが。
 ロガ皇后の料理下手は遺伝したらしく、稀に脅威の料理 ―― その業はロガの手と呼ばれる ―― を作る者が現れるのだとか。同級生にこのロガの手持ちは五人。その一人がクレンベルセルス伯爵だ。オムライス大祭でオムライス作製側に回ったクレンベルセルス伯爵は、挑戦者をかなり退けた。

 アレ、オムライス言ったら駄目だろ。どうして米粒が一つ残らず内部から破裂するんだ?

 出立式典を終えて、
「死んじゃ駄目だよ。全滅しても君だけは生き延びてグレスの元へ帰ってくるんだよ。いいね、ゾローデ」
「はい」
 王から”らしい”言葉を贈られ、エイディクレアス公爵殿下の後ろに従い元帥旗艦へと乗り込む。タラップを上がる時、皇太子殿下とその隣に立つ皇太子妃殿下が見えた。
 皇太子殿下はいつもと変わらず手を振って下さったが、皇太子妃殿下は昔、寮で”ばいばい、りでぃっちゅ。またらいしゅう……”と目に涙を浮かべて別れを惜しんでいた時の顔になっていた。最近、皇太子殿下と共に公式行事で手を振られる時とはまったく別物。
 リディッシュ先輩は軽く頭を下げるだけで、手を振り返すこともなく乗り込んだ。
 入り口扉が閉まる直前、

「愛しているオランベルセエエェェェ! 勝負しろ、ウエルダ・マローネクスーー!」

 声が聞こえたような気がした……いや、実際聞こえたけど、なにを考えればいいのか分からない。
「何をしておるのじゃ、ロヴィニアの! 下がれえ!」
 ですが、かつては舌足らずだった皇太子妃殿下の成長が聞けたことは、臣民としてとても嬉しいです。
 怒り狂った侯爵が宇宙港に(正式にはフィラメンティアングス公爵殿下と名指しだが)ミサイル投下と命じて元帥殿下がそれを止めないので……戦争に行くとなると、気分が高揚して何時も以上に好戦的になるとは聞いていたが、これ程までとは。
 エヴェドリットは戦争始まる前に、三割が戦死していると言われる所以らしい。
「大丈夫ですか? リディッシュ先輩」
 ミサイル投下を必死に回避するべく、リディッシュ先輩に”全軍最速で移動するよう命じてくれ、ゾローデ”言われた俺は、いきなりのことなので”へろへろ”状態で命じたものの、部下となってくれた人たちが優秀だったため、戦闘艦のミサイルが帝星に届かない領域まで移動させることができた。
 帝国軍人の本懐は帝星を守ることなので、任を果たせた気持ちになれた。初めての防衛戦に向かう前に。
「慣れてるから、ゾローデが気に病むことはない。ウエルダも気にしないでくれ。グレイナドア殿下は若いからな。これからお気に召す相手に出会えることだろう。俺は信じている。ちなみにグレイナドア殿下は抱く方だそうだ。この俺を抱こうと思う辺りに、ロヴィニアの気合いを感じてくれ」
 元々達観した感じのあるリディッシュ先輩だったが、フィラメンティアングス公爵殿下のことになると、ある種の境地に達しているかのような表情になってしまった。
 だから俺とウエルダは尋ねることができなかった。
「なあ、ゾローデ。ロヴィニアの王子様は、俺とどんな勝負をしようとしてるんだ? ……預金残高勝負とか?」
 俺もそれは気になっていた。
「少ないほうが勝ちってのなら、ウエルダの勝ちだろうな。ロヴィニア王族は成人時に最低でも《イルゴメーテ》は蓄財していないと王族としての地位を失うらしい」
 子供の頃にある程度の元手を与えられ、それを利殖するとのこと。それがロヴィニア王族の通過儀礼。
「《イルゴメーテ》……前年度の国家予算の半額程度って意味だよな」
「その通り。ロヴィニアの場合は”半額程度”ではなく”半額”だそうだ。少なくとも総資産勝負じゃないだろう」
「でも身長も学歴も家柄も、家族の数も勝負にならないんだけど」
「……そうだな」
 ―― 女性経験も ―― 言いそうになったが、それはウエルダ本人が一番良く知っているので。
 フィラメンティアングス公爵殿下はウエルダと何勝負をするつもりなのだろう。もう少し落ち着いたら、リディッシュ先輩かドロテオ”くん”に聞いてみよう。……学校だけの付き合いで、一生直属部下になることなんてないと思っていたのに。
「それでゾローデ。なんでエヴェドリットの王子様のこと”ドロテオくん”って呼んでるんだ? バルデンズさんはそんな呼び方をしてなかったのに」
「それか……帝国上級士官学校ではあだ名が付く。俺は大貴族や皇王族じゃなかったから付かなかったんだが。それであだ名は基本呼び捨てなんだ」
「だろうな」
「俺がエヴェドリットの王子殿下を呼び捨てにできると思うか?」
「無理だな」
「折衷案で”ゾローデ先輩”と呼ばれたら”ドロテオくん”と呼び返すと、学内集会で決まった。学校から出たら会うこともないと思って受け入れたんだが」
 簡単に受け入れるものではないんだな。でも断り切れなかったし。

**********


 新米幕僚長である俺の仕事は、主だった将校と親交を深めること ―― 全員顔馴染みでもあるので、会話は弾み交流もうまくいった。
 親交を深める相手にジベルボート伯爵も当然入っている。
 彼女の提案でカードゲーム「ババヌキ」をすることに。ルールはシンプルで、時計回りでカードを一枚抜き、数字が合ったら捨て、最後までジョーカーが残った人が負けというもの。
 ジベルボート伯爵はジョーカーを引くと、その大きく綺麗な瞳にカードを近づけ”わざと”ジョーカーを見る。”ここにジョーカーがありますよ”と瞳に写し知らせて引かせる。
 彼女の可愛らしさに免疫のない俺やウエルダが抵抗できる筈もない。
 数回ごとに座席を変えてゲームに興じる。総司令官のエイディクレアス公爵も混ざり ――
「ドロテオ、その顔はやめたほうがいいですよ」
 自分の手札にジョーカーが回ると哀しげな表情となる。そのあまりにも辛そうな表情に、思わずジョーカーを引きたくなるのだが、リディッシュ先輩はさくっと流す。
「そうですよ。私とリディッシュで挟んで、会話できなくしますよ、ドロテオ」
 俺も”流す”ことは随分と上手いつもりだったが、リディッシュ先輩は更に上行く。
「オランベルセ。さっきトシュディアヲーシュ侯爵から何の連絡だったんですか?」
 ジベルボート伯爵がリディッシュ先輩のカードを一枚引き抜き、ハートの3とスペードの3を捨てた。俺は彼女の手札から一枚引き……残念ながらダイヤの11と合うカードはなかった。今度はウエルダで、俺が引いたばかりのダイヤの11を引き、クラブの11と共に捨てる。これでウエルダの手札は残り二枚。俺はまだ七枚ほどある。
「暇なので酒でもどうだとのお誘だった。こっちでカードゲームをしていると伝えたら、来たいと言った」
 ウエルダは頭脳ゲームは苦手だが、運が大きく関係するゲームの場合、かなりの確率で一位で上がることができると学生時代に言っており、事実そうだった。今もわざとジョーカーを引いても、最後には一位で上がっている。
 本当に運が強い。だがウエルダこの運の良さをあまり良い物とは捉えていない。俺はそんなに運が良い方ではないので最初は言っている意味が分からなかった。表層的なことは理解していた ―― 運の良さが自らには過ぎるものをもたらすのではないかと ―― さほど運の良くなかった俺は、そんなものかと思っていたが、ついに真の意味を理解した。
 俺自身の身に舞い降りた幸運、ゲルディバーダ公爵殿下との結婚を経て、過ぎる幸運に身構えていたウエルダの気持ちが分かった。
「断ったんですよね?」
「まあな。いきなりアーシュと一緒にカードゲームしろと言われても、ウエルダ困るだろう。答えなくていい。俺だって初めてアーシュに会った時は死を覚悟したからな。ゾローデも恐かっただろう?」
 いつの間にか俺とリディッシュ先輩だけが手札を残した状態。
「あ、はい。恐かったです。今は良い人だと分かっているので平気ですが」

 怖さは出会った時から変化はない。今だって怖い。なにが一番怖いかって、寝顔が怖い。寝てても怖いんだ侯爵は。そして俺はリディッシュ先輩に勝つことができた。


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