偽りの花の名[08]
「おっぱいのことです」
「胸の膨らみについてじゃよ」
「つるぺた同盟だそうだ」
「……はあ」
俺はゲルディバーダ公爵殿下の側近三名と廃墟の一角にあるテラスで茶を飲みながら、先程の裏切りについて聞き ―― 返ってきたのは胸囲についてだった。
俺たちは場所を移動したのだ。ジベルボート伯爵がやってきて”裏切り”について確認しあってから、
『グレスさま、あなたの美少女はできる子です。ゾローデ卿の生活風景を撮影してまいりましたし、バルデンズやウエルダさんに、ゾローデ卿が言わなさそうなことや、面白い出来事を聞いて参りました! これでグレスさまも、ゾローデ卿通になれますよ』
―― 何時の間に……
ゲルディバーダ公爵殿下はジベルボート伯爵がもたらした情報に興味を持たれ、
『二人きりで見たいから、ちょっと時間潰してきて。三人が相手してね。ラスカティア、よろしく頼むよ』
『えー。トシュディアヲーシュ侯爵ですか?』
ジベルボート伯爵の否定的な声を受けつつ、俺たちは場所を移動した。
それで裏切りについて聞いた所、胸囲についてだったと。
たしかに先程のゲルディバーダ公爵殿下のドレス姿。上半身にぴったりとしたデザインで……胸の膨らみはなかった。
「気になりませんでしたか?」
「あの……ケシュマリスタ王が”それにだけは触れないように”と、いつになく本気のようでしたので」
気にはなるが、触れられるわけない。言われなかったとしても、触れるはずない。ただ、本当に真っ平らだった。びっくりするくらい……。細身だということもあるのだろうが”なかった”
「さすがにヴァレドシーア様もそこは真摯に対応なされたか」
トシュディアヲーシュ侯爵が右口の端を少し釣り上げ、在学中によく見かけた皮肉めいた笑みを浮かべた。
「前も後も同じと言ったせいで、帝国最大の内乱の一因だからな。儂からも言っておこう、決してケシュマリスタ女の胸について言葉で触れるでないぞ。触れる時はその手で直接のみだ」
話しぶりからすると胸が真っ平らだったことに、誰か失礼な言い方して、暗黒戦争が起こった ―― いや、まさかな。
大理石の丸テーブルを囲み、細密画が描かれているカップで珈琲を飲む。周囲はやはり廃墟で、窓硝子は割れ床のタイルにはヒビが入り割れ目から花が。花はよく見かける雑草類ではない。青紫色で楕円系の花弁を五枚持つその花は、植物に疎い俺でも名を知っているほど。花屋でケースに飾られている類のもので三本で初任給の半分ちょっと吹っ飛ぶという……そういう代物。それがこうして無造作を装い俺の足元で咲いている。
「ゾローデ、俺から詳しく説明しよう」
「ありがとうございます。トシュディアヲーシュ侯爵」
トシュディアヲーシュ侯爵は髪質が帝室タイプで、癖無くサラサラとしていて、ケシュマリスタ貴族に引けを取らない光沢を持つ。
バーローズ公爵家ともなれば王家から配偶者を下賜されることも珍しくないから、皇帝によく現れる特質を所持していてもおかしくはない。
ゲルディバーダ公爵殿下と同じ髪質なのだろうが、髪型が違うことと、顔が大きく異なるので、髪だけ見るとそれほど似ているような……改めて比べてみたら、なんか似ているような。あれ……気にしないでおこう。
「ラスカティアでいい。こっちもゾローデと呼ばせてもらっているのだから」
なぜ俺がトシュディアヲーシュ侯爵を名前で呼ばねばならぬのですかなあ。でも意固地になって爵位呼びするのも大人げないというか、心の中では目上だと思っている人には従わないとな。
「はい。それでは説明をお願いします、ラスカティア=ラキステロ」
でもせめて第一名を完全形で呼ばせてください。
「ラスカティアだけでいいのだが、まあ良いだろう。このロヴィニア貴族、デオシターフェィン伯爵ジャセルセルセ。年齢は俺たちよりも一歳年上の二十六歳。三十歳になったらメーバリベユ侯爵家を継ぐことになっている。軍事関係には疎いが実務能力に長けている男だ」
「説明ありがとう、ラスカティア。だが一つ訂正しておきたい。私は軍事関係にもそれなりに長じているよ。貴方が軍事関係に優れ過ぎているだけだ」
「そういうことにしておいてやる。こいつがケシュマリスタの次期王の側近を務めているのは、次期王婿候補筆頭がロヴィニア王子だったからだ」
先に配下を送り込んでいたわけですか。
それなのに俺が選ばれてしまい、デオシターフェィン伯爵の人生設計が大きく狂ったと。申し訳ないものの、俺にはどうすることもできないので。
「まさかギディスタイルプフ公爵サキュラキュロプス殿下が退けられるとは思わなかった。婿になるために身綺麗にしていたというのに。反動で一度に五百人くらい愛人囲いそうだがな」
「愛人囲うならマシだろ」
トシュディアヲーシュ侯爵の笑みの理由は、俺でもわかる。間違いなく簒奪だ。現ロヴィニア王の子供たちの中で、もっとも優れているのが「最後から二番目のロヴィニア」ことギディスタイルプフ公爵殿下だ。
あまり王位を狙っているとは聞かなかったが、王婿狙いだったのか……もしかしなくても俺、ロヴィニアに跡取り争奪の火種?
次期王の婿になったことで、他国の王位争奪戦が始まるとか。どこに引き金があるのか、分かったもんじゃないな。
「それでこっちが、イルトリヒーティー大公ベルトリトメゾーレ。こいつは男でテルロバールノル王族の血を引いている。見た目と落ち着きから年齢不詳だろうが、こいつこれでまだ十七歳」
年齢を聞いて驚いたが、テルロバールノル系皇王族なのだから驚くだけ無駄ってか、まあ基本だろうな。
「儂が落ち着いているのではない。貴様等が落ち着きなさ過ぎるのじゃよ。二十を超えてその落ち着きの無さ、まったく貴族として恥ずべきじゃな」
―― もともと絡む気はなかったから良い物の、絡み辛いな
「俺のことは説明しなくても分かるだろう? ゾローデ」
「もちろん」
在学中に色々と聞いたので。
その中でもっとも記憶に残っているのが”実兄クレスターク=ハイラムと不仲”ということ。なんでもトシュディアヲーシュ侯爵が一方的に嫌っているとか。
聞いた時はさほど深刻には感じなかったが、ケシュマリスタ方面の総監になったあたり、かなり深刻なんだろうな。
「ゾローデ、お前は帝国の権力闘争関係についてどこまで知っている」
「権力闘争というと……ケシュマリスタ系皇王族とケシュマリスタ王族の関係などでしょうか?」
「そうだ」
やっぱりその話かあ。苦手というか嫌いというか……。
「クレンベルセルス伯爵から少々聞きましたが」
でも知らないで過ごすわけにはいかないのだろう。
クレンベルセルス伯爵から聞いたことをそのまま伝えると、トシュディアヲーシュ侯爵は頷いて、続きを説明してくれるそうだ。
「バルデンズからそこまで聞いているのなら、説明しやすいか」
「なんでしょう?」
「俺たちに説明できる範囲だが、まずはイルトリヒーティーがケシュマリスタ次期王の側近を務めていることには理由がある。その理由はお前がさきほどクレンベルセルス伯爵から聞かされた事情のもう一代前が絡んでくる。お前が直接説明しろ、ベルトリトメゾーレ」
「良かろう。ヴィオーヴ侯爵よ、テルロバールノルに属しておる儂がケシュマリスタ次期王に仕えている理由は、第一にヴァレドシーア王の妃がテルロバールノル王女であること。第二にヴァレドシーア王の愛人がテルロバールノル貴族であること。そして第三がラスカティアが言った理由じゃ……今から遡ること四代前の第五十五代皇帝が嫡子なく薨去なされたことは知っておるな?」
「ええ」
「ベルトリトメゾーレ。ゾローデは帝国上級士官学校卒だ、基本的な情報は網羅している」
「くどくて悪かったな」
丁寧に説明してもらうことは悪くないんだが、三人の会話に口をはさむのもできないので、黙っておこう。
「テルロバールノルの悪癖だな」
「煩いわい、ジャセルセルセ。話が逸れそうじゃから戻るが、五十五代皇帝には皇妹が一人おり、この親王大公皇女はエヴェドリット王の妃となっておった」
「そうですね」
帝室の系図はしっかりと叩き込まれいるので、この部分で話を見失うことはない。
「エヴェドリット王はこの妃との間にもうけた二歳の王女を幼帝とし、自らが権力を握ることを画策し、その策は成功するのじゃが……それに協力したのが儂等のテルロバールノル王家じゃった」
二歳の幼帝がトゥーヴェ帝。この方がゲルディバーダ公爵殿下の両祖父の母君に該当する。
「ケシュマリスタ系の皇帝ばかりが立ったので……なる理由でしたよね」
ケシュマリスタ王家は皇位継承権の優先順位が高いので、皇位を射止めやすい。
「その通り。帝国には皇帝の配偶者第一の地位は各王家で順々に回すという不文律があるのじゃが、あいつらはそれを守らずにケシュマリスタ出の者ばかりを”皇后”や”皇君”にし過ぎておった」
「それで正統王家が怒って協力したわけ」
「ナイトヒュスカ大皇陛下の父君は、テルロバールノル王家出の王子でしたね」
緻密かどうかは知らないが、計算された婿だったんだ。……政略結婚なんだから、計算づくなのは当然か。
「そうじゃ。まあ、あいつらも引き下がらず、王子は皇君でありながら大公ではなく侯爵となり、完全勝利とはいかなかったのじゃがな。……で、儂はテルロバールノル系の皇王族じゃ。軍帝の次と現帝はテルロバールノル王家とは縁のない皇帝。ケシュマリスタにはテルロバールノル王家の血を引いておる軍帝の孫であり暫定皇太子がおる。よってそちらに付くよう命じられたのじゃよ」
それってゲルディバーダ公爵殿下が皇位を継ぐのを周囲が望んでいるということですよね。
あの見た目からすると、皇帝になりたいと言えばなれそうな感じですが……ご本人の意志はどうなんでしょうね?
「続けて説明するが、五十五代皇帝の皇妹はエヴェドリット王の二人目の王妃で、前妃は追い出されている。それも前妃が産んだ子共々だ。ここは勝てなかった前妃の子たちが悪いのだが、追い出された先がバーローズ公爵家。俺の祖父は本来であればエヴェドリット王になっていた男だ……で、その追い出された男がオルガレア」
トシュディアヲーシュ侯爵が俺の記憶力の限界を見極めようとしているのか? 次々と情報をもたらす。
オルガレア……オルガレア。その時代でオルガレアでエヴェドリットとなると……。
「トゥーヴェ帝の夫の?」
トシュディアヲーシュ侯爵の祖父は王になり損ね、皇帝の夫になった人でしたか。なんか名前が重複しているなと系図を見る度に思っていたのですが。
「そう。帝婿オルガレア。異母兄弟での結婚は珍しく無いからな」
そこなんですよね。
一般階級では異母兄弟同士の結婚は禁止されているので、すんなりと頭に入ってこないんですよ。
「ラスカティア=ラキステロはエヴェドリット皇王族となにか問題が?」
「ない」
「え?」
「血筋の説明だけだ。俺がここに居るのは単に自分自身の問題だ」
「そうなんですか」
やはりあれか、実兄のクレスターク=ハイラム閣下との不仲が問題なのか。
「ラスカティアは、問題先送りにしてるだけだよね」
「うるせえな、ジャセルセルセ。俺が先送りにしている問題は、先送りでカタが付くんだよ」
「思わせぶりなのは良くないよ。ゾローデ卿も気付いただろう? キャス、ジベルボート伯爵キャステルオルトエーゼがラスカティアのこと嫌ってるの」
「……はい」
デオシターフェィン伯爵から話を振られて……嘘をついても勝ち目がなさそうなので、素直に答える道を選んだ。ロヴィニア相手に嘘つくと絶対はめられるから。嬉々としてはめてくるからな。
「キャスはラスカティアの妻と仲良しなんだよ。千五百年ちかく昔にクレンベルセルス伯爵とジベルボート伯爵が仲良くなった頃、キャスの祖先はクレンベルセルス伯爵よりも遥かに仲良くなったエヴェドリット貴族がいた。それがヨルハ公爵。現在でもヨルハ公爵とキャスは親交がある。……で、ラスカティアはヨルハ公爵が嫌いでね」
現ヨルハ公爵はシア=シフ閣下。
「シアは見た目が女じゃねえだろ」
隻眼で肌が途轍もなく白く、白く……なんか絵の具塗ってるような白さで、目の下の隈がとっても濃くて、唇がチアノーゼ起こしているような紫なのが印象的な……でも強いよな。
エヴァイルシェスト(帝国騎士能力上位十五名を指す。帝国最強騎士オーランドリス伯爵は除く)のナンバー2。現在戦争に参加している帝国騎士の中で三番目に才能優れている御方だよな。エヴェドリット貴族は容姿などよりも、結婚相手に強さを重視すると聞いたのだが。トシュディアヲーシュ侯爵の感性は若干エヴェドリットではないのだろうか?
「エヴェドリット貴族は総じて女ではなかろうが」
「筋骨隆々であってこそエヴェドリット女じゃろうて。ヨルハは骨と皮だけじゃが、強さはお主の兄も太鼓判を押しておろうが」
エヴァイルシェストのナンバー1はトシュディアヲーシュ侯爵の実兄だよな。クレスターク=ハイラム閣下は機動装甲戦では現オーランドリス伯爵に一歩及ばないけれども、白兵戦なら軍帝の後継者と呼ばれるほど強い……なんとなく、トシュディアヲーシュ侯爵が実兄嫌いなの分かる気がする。
「俺とシアのことはどうでもいいんだよ」
おまけにクレスターク=ハイラム閣下は見た目完璧エヴェドリットだ。瞳も皇帝眼配置と言われる右が蒼で左が緑。眼球色等級なる色の濃さを表す数値も優れていると。確か3か4だったはずだ。等級数が1から25まであり数が少ないほうが良くて「1」なんて数える程しかおらず、その数少ない一人がゲルディバーダ公爵殿下だと。そんな所もシュスターク帝に似てるな……子孫だから当然と言えば当然だが。
「まあな。他人の妻のことなんぞ、どうでもいいな」
四人中三人の瞳の色が左右違うと、両眼同じ瞳の自分が異質に思えてくるのが何とも。俺も厳密には同じ色ではないがな。黒目なんだが、左目だけ若干色が薄いが、これは珍しくはない。
「まあな。貴様がうだうだ言っている状況を見かねて、クレスタークがシアを抱くやもしれぬしのう」
「そうなってくれたらどれ程いいか」
ヨルハ公爵がトシュディアヲーシュ侯爵の好みではないことは分かったが、この話しぶりからすると拒否できないのだろう。
王族寄りの貴族の結婚なんて、個人の意志で拒否できるはずもないからな。俺のように ――
「お前の夫婦生活はどうでも良いとして。あとゾローデ卿に伝えておいたほうがいいのは……殿下の呼び名かな?」
デオシターフェィン伯爵が”企んでますよ”と言いたくなるような笑みを浮かべて、二人に同意を求めるように。
「必要だろうな」
「じゃろうな」
殿下の呼び名って、ジベルボート伯爵が言ってた”グレス”のことかな?
名前のどこにもグレスって見当たらない……ケシュマリスタ王のヴァレドシーアも、名前にまったく組み込まれていないが。
「ゾローデ。最後から二番目のロヴィニアことギディスタイルプフ公爵サキュラキュロプス殿下。親しい人たちの間では”サクラ”と呼ばれているが、ゲルディバーダ公爵殿下だけは別の呼び名を付けている」
「その名も」
「”プー”じゃ」
「……」
イルトリヒーティー大公の真顔で「ぷー」とか。ぷぅ? ぷー? いまぷーって言った? ギディスタイルプフ公爵殿下、あの顔でぷー? 冷たき唇と鋭さを感じさせる鼻と、あの目尻険しいあの顔で”ぷー”
「ゾローデが声を失うのはよく解る。ギディスタイルプフ公爵サキュラキュロプス、名前にも爵位にも”プ”入ってるだろう。だからプー」
学生時代トシュディアヲーシュ侯爵が”アーシュ”と呼ばれていたのも結構な衝撃だったのに、プーか! プーですか。
「なんでまた」
最後から二番目のロヴィニア、その名はプー……。
俺、笑いに対する耐性が結構あるから良いようなものの、そうじゃなかったら笑ってるわ。笑撃耐性訓練、どこで役立つのかと思ったが、偉い人と付き合う時って役に立つんだな。
「ヴィオーヴ侯爵、お主には思い当たる節あるじゃろう。帝国上級士官学校はあだ名を付けたり、名前をおかしく省略したりが普通なのじゃろう?」
「ゲルディバーダ公爵殿下は通っていないのでは?」
「キャスが教えたんだよ。あの子は帝国上級士官学校卒皇王族の知り合いが多いからね」
クレンベルセルス伯爵! 犯人の一人はお前だな! トシュディアヲーシュ侯爵とは仲悪いそうだから、クレンベルセルス伯爵! なにを教えてるんだよ。
「プー……ですか」
「プーじゃな」
「ただし、ゲルディバーダ公爵殿下以外の者が言ったら、基本殺されるから注意しろ。ゾローデのことだから言いはしないだろうが、傍で聞いて笑いをこらえる時は、できるだけさりげなくな」
「重要な情報ありがとうございます」
これからは些細な疑問でも尋ねて、細心の注意を払わないと危険だな。
よし、グレスについて聞いてみよう。
「あ……」
突如艦内に流れるヴァイオリン曲。これはエヴェドリットの国家だ。主星で他国の音楽が流れるということは……エヴェドリット王が来たと。
「出迎えに行くか、ゾローデ」
「はい」
「主と殿下の初夜立ち会い人じゃからな」
「はい?」
初夜は分かるが、立ち会い人ってなんだ?
「ゾローデ卿、もしかして、王族などの結婚は初夜に立ち会い人が必要なこと知らないのか?」
デオシターフェィン伯爵が眉間に皺を寄せて聞いてきた。
「聞いておりませんが」
「ゾローデ。今夜、ヴァレドシーア様とウチの王、そしてテルロの女傑様の三人の前で殿下を抱くこと、聞いてないのか?」
トシュディアヲーシュ侯爵が嘘をついているとは思えないので……聞いてない。本当に聞いてない。一切聞いてないぞ、それ! 到着したその日に初夜なのか!
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