君想う[086]
帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[137]
 イデールマイスラは大宮殿で二人を待っているヒレイディシャ男爵に連絡を入れ、
「殿下どうなさいま……メディオン?」
「儂は会場に戻る、あとのことは任せたぞ」
「畏まりました」
 理由を告げることなく会場へと戻った。”ガルベージュス公爵”が関係していること以外は解らないので、説明のしようがなかったこともある。
 会場へと戻りガルベージュス公爵と目が合うも”向こう”はいつもと変わらず。
 夜会が終ったら問い質そうと決意し、グラスに手を伸ばした……つもりだったのだが、
「ベル公爵。まだお酒は駄目ですよ」
「うぉあ! ゾフィアーネ」
 酒を取ろうとした手首を酒宴の支配者ゾフィアーネに掴まれた。
 隣にいたのは普通の給仕だった……筈なのだが、いつの間にかゾフィアーネ大公にすり替わっていた。
「お酒っぽく見えるジュースでどうぞ!」
「……分かった」
 何時の間に! と思ったが、彼らの無駄に高い身体能力、人を驚かせることに生き甲斐を感じている姿勢を前に、問い質しても無駄だとイデールマイスラは口を噤む。口を付けたグラスを傾け、あと少しで飲めるところでゾフィアーネ大公が耳元で顔を近づけ、
「ガルベージュス公爵とお話するときは気をつけてくださいね」
「どういう意味じゃ?」
「エシュゼオーン大公! 何飲みます? この私が注いで差し上げますよ!」
 言いたいことだけを思わせぶりに言い、去ってゆく。それもまた彼の特徴であった。
 傾けていた一人グラスを戻し、去ってゆく彼を見ながら立ち尽くす。
 ガルベージュス公爵の全てが明るいとはイデールマイスラ自身思ってはいない。深部には暗さがある。それは誰もが持つ部分だと思っていたのだが、

―― 儂が考えているよりもずっと……

 イデールマイスラは不安を覚え、また離れたところにいるガルベージュス公爵を見つめる。皇太子と話をしているエンディラン侯爵を見つめる彼の瞳は、普段と変わらず何も探ることはできなかった。
 イデールマイスラは渡されたジュースを一気に飲み干した。

※ ※ ※ ※ ※


「メディオン」
 メディオンを連れてヒレイディシャ男爵は寮へと戻り、どうしたものかと部屋を出たところ【適任者】と遭遇し、部屋へと戻り私室の扉をノックし来客を告げる。
「ケーリッヒリラ子爵が礼をしたいと来ているが、今日は帰ってもらうか?」
 しばしの沈黙のあと、メディオンは扉を開き、
「儂の顔色、もとに戻っておるか?」
 気遣われたくはないとばかりに顔色の確認をする。
「大丈夫だ」
 普段よりは少々青ざめていたが、できれば会って欲しいとヒレイディシャ男爵は考えているので悪いことは言わない。

 二人は大宮殿から寮へと戻る際に執事と同便となった。

 メディオンの顔色を見た執事は、精神的なものであることを見抜きヒレイディシャ男爵を呼び、部屋に帰したらすぐに出て行くように告げた。
 体調不良のメディオンを置いていけというのですか? ―― ヒレイディシャ男爵の問いに”同属に弱っている姿を見られるのは、どの一族でも嫌がるものですよ。それが精神的なものなら尚更のこと。貴方だってそうでしょう?”
 言われてみれば当然のこと。
 先程ローグ邸に帰るかと尋ね拒否されたところからも、弱っている姿を身内に晒したくはないのは明確であった。
「そうか。では会う……迷惑をかけたなイヴィロディーグ」
「同室同士じゃ、さほど気にする事ではない。儂は大宮殿に戻るが、大丈夫か?」
「ああ」
「それでは」
 出来る限り素っ気なく、万が一に備えて後のことを執事に頼みヒレイディシャ男爵は大宮殿へと戻った。

「メディオン」
 ヒレイディシャ男爵と入れ違いに部屋に入った子爵は、私室の扉を声をかける。
「エディルキュレセ」
 少々表情は強ばっているが、来てくれたことを喜び笑顔で扉を開けたメディオン。
「……具合悪いのか?」
「(イヴィロディーグ、大丈夫だと言ったのに、すぐにバレてしまったではないか)そ、そんなことはない」
 人並みに気遣いできる子爵は、普通に体調不良を気遣うこともできる。別に珍しい能力ではないのだが、エヴェドリットは持ち合わせていない人も多いので、備考欄あたりに記入されるクラスの能力でもある。
「そうか? だったら良いんだが……」
「あ……あの……く、空腹じゃ!」
「そうなのか?」
「夜会はその……ガルベージュス公爵が着ぐるみでエンディランに迫ったり、エルエデスが襲撃されたりと色々あって飲み食いできんかったのじゃ」
「そりゃあ……じゃあなにか食べ物を買ってくる。希望はあるか?」
「特にはない。着換えて待っておるから! そして話を聞く!」
 子爵はメディオンの部屋を出て、自動販売機区画に向かう途中ヨルハ公爵の部屋に寄り、
「エルエデスが襲撃されたそうだ」
「そっか。デルシ様に詳細聞いてみる。教えてくれてありがとう、シク!」
「それじゃあな」
 事件を教えてから自動販売機の前に立ち、
「顔色が悪くなるくらいの空腹なら、軽いものがいいよな……軽い物、軽い物……」
 子爵はかつて読んだ一般小説の食事に関する部分を必死に思い出し”人間が軽いと言って出す料理”を選んだ。

 子爵の実家基準で選んだ場合、それは重い料理を通り越してしまう――

※ ※ ※ ※ ※


「寿命を削る方法で殺すのを見たのは初めてなのじゃが、あの場面で出したということは、お主が持つ力のなかで最も早く確実に操れる力なのじゃよな?」
「そうです」
「それを滅多に使わぬのはどうしてじゃ?」
 メディオンの問いにガルベージュス公爵は手を伸ばし、先程の襲撃犯にしたように頭を掴む。
「リュティト伯爵」
 そしてガルベージュス公爵は笑いながら、メディオンを見下ろすようにしてのぞき込む。
「なんじゃ……」
「削られた寿命はどこへ行くのでしょうね?」
「……主が分からぬのならば、儂には分からぬ」
「貴方の寿命を少し削って感想を求めてもいいですか?」
「そんなに知りたいのか?」
「はい」
「……」
「わたくしは寿命を削ることはできますが、なにを削っているのかは分かりません。寿命を、命を削っておりますが、それはわたくしにも見えません。見えているのに見えないものを破壊するしているのに実感がない、感覚も無いに等しいが、目の前で生物が死んでゆく。これを恐怖というのか愉悦というのか? どちらだと思います?」
「儂は寿命を削れぬから分からぬ」
「そうですよね。寿命を削るのではなく奪えるのでしたら、わたくしにも分かるでしょうが、わたくしにはなんのメリットもないことなのです、不確かな何かを削っていると言われているだけ」
「……」
「だからわたくしは寿命を削る時、死ぬまで削り続けます。何年分くらい削れたのか分かりますけれども、死ななければはっきりとは分かりません。あとで測定寿命とわたくしの感覚を照らし合わせ、正しかったかどうかを確認するのです。外したことはありませんが、それは本当に外れていなかったのかどうか? 証明する術はありません」
「見えているのに見えないものとは何じゃ?」
「生命です。目の前で生きている人を見ながら、見えない寿命を削る。メディオン答えてください。削られた寿命はどこへゆくと考えますか?」
「……」
「人体破壊は目に見えた破壊です。記憶消去は確実にないことを確認できます。超能力を無効化する力もはっきりと見て分かります。ですが寿命だけは、削っているわたくし”だけが”実感を持てません。この不確かでわたくしには知ることのできない感覚を教えてくださいませんか?」

 ガルベージュス公爵が何を求めているのか?
「滅多に使わぬ理由はそれか?」
 ガルベージュス公爵が求めているものは何か?

「そうですね。寿命を削るこの力は、核を捜す必要もなく完全破壊を確認する必要もない絶対の能力ですが、わたくしにとっては不確かなものなのです」
 完全なる”無”を作りだすことが出来る男が、実感することの出来ない”虚”
「……ならば少し削ってみるがよい。儂が感じたままを答えてやる」
 ガルベージュス公爵は手を離す。
「どうです? なにか感じましたか?」
「……」
 メディオンはなにも感じなかった。
 本当に削ったのか? と問い返そうにも喉が震え、呼吸もままならなくなる。呼吸せずとも死ぬことはないが得体の知れぬ恐怖は何かを奪ってゆく。
「貴方が感じている恐怖は貴方の寿命を奪うかもしれませんが、わたくしには関係のないことです。わたくしには恐怖を与える力はありません。本当はその種の力もあったなら、わたくしは納得できたでしょう。わたくしの持つ寿命を削る力はまったく飾り気がなく、わたくし自身つかみ所がない」
「儂の寿命、削ったのか?」
 メディオンの問いかけに、ガルベージュス公爵はいつも通りの笑顔を作り、
「なにも感じなかったようですね」
 それは本当のことなのか?
 問い質す前にメディオンの周囲は回りだし、足元から沸き上がってきた黒い世界に意識が包まれる。

―― わたくしの感覚として一日だけ削ってみました。奪うこともできなければ返すこともできないし、元に戻すことも出来ない……まさに死以外の何物でもない能力です

「メディオン!」
 削られた命の欠片はメディオンの中にあるというのに、それは最早命ではない。どこへ行ったのか? 体のどこかで消えるとしたら、どこかと同化してまた命になれるだろうが……だが無くなってしまうのだ。削られ欠片を失ったメディオンは死が体をかけ回るという考えに襲われ顔色を失う。
「ガルベージュス、貴様なにをした?」

※ ※ ※ ※ ※


「……」
「メディオン」
「お、おおエディルキュレセ。入ってくれ」
 着換えながら思い出し、メディオンは再度”メディオンにしか解らない”恐怖に肌を粟立たせる。
「本当に大丈夫なのか?」
 優れない顔色に子爵は重ねて尋ねる。
「平気じゃ!」
「……」
「あ、あのな! 一人で居るのが恐いのじゃ!」
 体内に残っている砕け散った「死」それが体内を駆け巡り、自らに死を与えるのではないかとメディオンは見えぬ存在に恐怖していた。
「え?」
「その……」
 子爵は買ってきた料理をテーブルに置き、
「椅子に座ってもいいか?」
「おお、もちろんじゃ」
 座っていいかをしっかりと聞き、許可を貰ってから腰を下ろした。メディオンも向かい側に座り、子爵が買ってきたクラムタウダーを手にとり俯く。
「メディオン」
「なんじゃ?」
「陛下に頼んでくれてありがとう。イヤリングに直接触れることまでできた」
「……」
「どうした? メディオン」
 メディオンは自分が頼んだと知られたことに、言いようのない恥ずかしさを覚え、顔を赤くして目を見開く。
「本当にどうした? メディオン」
 ヒレイディシャ男爵は確かに「礼を」と教えたのだが、体が冷え普段よりも思考が麻痺していたメディオンは、ぼうっとしたまま聞き逃していた。
「あ、あ……陛下に内緒にしておいて下さいと頼むの忘れておった。陛下、内緒にして欲しかったのじゃあ、陛下……」
 そう言いクラムチャウダーを一気に飲み、舌や喉を火傷して口を押さえる。
「あ、その……」
「でも礼を言ってくれてありがとうなのじゃ、エディルキュレセ。本当はな、その……なんじゃ……うああ! 解らん!」
 礼を言って貰えて嬉しいのと、照れが交錯し、
「はははは。元気になって良かった。顔色も戻ったぞ、メディオン」
 いつもの健康的な顔色に戻った。
「そうか。その……イヤリング見られて良かったな! 儂も陛下に頼んで本当に良かったわい!」
 早口で言いきりマルゲリータを頬張る。チーズの味が広がり、向かい側で微笑んでいる子爵を見て、また顔を赤くしてやや横を向く。
「理由は言わなくてもいいが、一人が恐いのなら……」
 ”一緒にヴァレンのところにでも行って、朝まで過ごすか?”と言いかけて、突然ヨルハ公爵が狂ったらエルエデスが不在なので対処できないことを思い出し、言葉を濁す。
「……あの、朝ま……」
 メディオンの視界の端にベッドに乗っている子爵からプレゼントされた兎の縫いぐるみ《バーディンクレナーデ》が映り「ベッドに飾っていることを知られてしまった!」と、さきほどまで血の気が無かったなど嘘のように顔が真っ赤になり挙動も不審に。
「メディオン、顔が赤くなって……」
「なんでもない! なんでもないのじゃ!」

 不確かなる死の迷走など、少女の恋心の前に無意味。


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