ガルベージュス公爵が着用したカピバラの着ぐるみは後日ジベルボート伯爵が着たところ、非常に可愛らしくなった。エンディラン侯爵が大喜びするくらいに。

　着ぐるみは完璧であった。中に入っていた男も完璧であった。その完璧さの方向が違っていただけである　――　その証明、　必要であったのか？　否かは不明である。

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　今回の夜会は皇太子がエンディラン侯爵と会話することがメインなので、ガルベージュス公爵は三十分ほどカピバラ着ぐるみで付きまとっただけで、あっさりと切り上げ着換えた。
「似合っていますよ！　ガルベージュス公爵」
「ありがとう、ジーディヴィフォ大公」
　着換えてきた格好は、大公兄弟とおなじく膝丈まである腰布。上半身はもちろん裸。
　一枚の布を腰の低い位置で結んでいるだけの、スリットが眩しい姿。スリットから覗く足の筋肉の見事なことと言ったら、言葉もないほどである。
「……」
「どうしたの？　ロメララーララーラ」
「ザイオンレヴィ、あなたあの三人の隣に立って」
「え？」
　エンディラン侯爵の言う”あの三人”とは、腰布の三人。
　ザイオンレヴィは並びたくはなかったが、言われた通りにしないと後が恐いので仕方なく隣に並んだ。
「ザイオンレヴィ、あなた足短いわね。本当に短いわね」
「そんな力強く言わなくたって……」
　ザイオンレヴィは上級貴族にしては足が短く、腰布の三人は足が長い部類に入るので、その差は歴然過ぎて、今まで敢えて誰も触れなかった程。
　だがそこに針を突き刺してゆくのがエンディラン侯爵である。
　並び打ち拉がれている婚約者を放置して、エンディラン侯爵は笑顔をつくり皇太子の元へ近付く。
「お待たせしました、皇太子殿下」
「来たかエンディラン侯爵」

――　なんの為に、今この場面でネロムにあの三人の横に並べと言ったのじゃ？

　ここでそんな事しなくてもいいではないか？　寮に来た際に並ばせてみれば……と思ったメディオンだが、ケシュマリスタ女とはそういう存在なのだから仕方がない。
「殿……おや？」
　三人と一人に意識を奪われていたメディオンが振り返ると、そこにイデールマイスラの姿はなく、
「休憩室に」
「そうかえ」
　近くにいた従者から行き先を聞き、メディオンは後を追った。”声をかけて下されば良いのに”と思いながら。
　普段のイデールマイスラであればメディオンに声をかけた。それなのに、敢えて声をかけなかったのは理由がある。
「殿下……」
「……」
　休憩室の扉を開けた先にいたのは、ガルベージュス公爵が脱いだカピバラの着ぐるみに足を通しているイデールマイスラ。
「し、失礼いたしましたのじゃ！」
「待て、メディオン！　中に入り扉を閉めるのじゃ！」
「は、はい」
　周囲に人の気配はないが、イデールマイスラのこの姿を衆目に晒すのは忍びないと急いで扉を閉め、
「殿下、どうなさったのじゃ？」
　”大丈夫ですか？”の気持ちを込めて尋ねた。その”大丈夫”に掛かる部位は頭か精神か、はたまた……メディオン本人としても深く追求したくはない所である。
「……大丈夫じゃよ」
　イデールマイスラは着ぐるみを完全に着て、フードも被り鏡を見て溜息をつく。自分でしておきながら、その溜息はないだろう……と言われそうな程、深く疲れた溜息。
　そしてまた”儂等の王子第一”のメディオンが見ても、どうしようもない格好。
「殿下？」
「こう……面白みすらないな」
　これで面白ければ着てマルティルディを出迎えてみようと考えていたイデールマイスラだが、どうみても面白くない。
　ガルベージュス公爵のような破壊的な似合わなさもない。
　なんとも言えない、ただの似合わない格好をしているだけの人。
「？」
「気にするでない。今見たことは内密にな」
――　ヨルハあたりが着たら、似合わなくても”可愛い”と、マルティルディは大喜びするのであろうな……
　そう考え、マルティルディが喜ぶ姿を想像して、他人には言えないしこりを腹部に勝手に抱える。
「はい！　決して口外いたしません！　この儂を信じてください！」

※　※　※　※　※

「ほら、ハンカチだ」
　目から胃液、その後胆汁まで流し出したイルギ公爵は、イデールマイスラが居る部屋とは違う休憩室にエルエデスと共にいた。
「ありがとう、エルエデス」
　目から色々な体液が溢れ出したイルギ公爵だったが、いつになくエルエデスに優しくされたので、ガルベージュス公爵とカピバラは彼にとって良い想い出となった。
　レースで縁取りされた淡い紫色のハンカチを持ち、凛々しい妻を見つめる。
「早く拭け」
「あ、うん」
　勿体ないと思いながらも、機嫌を損ねてはいけないと目元をハンカチで押さえた。
「面倒だったら、あとはここで時間を潰してもいいぞ。我も付き合う」
　エルエデスはソファーに力強く豪快に腰を下ろして両手を背もたれに広げ、会場に戻りたくない気持ちを露わにした。
　隣にイルギ公爵は腰をおろして、
「我は特に用事はないから、ここに居ても構わない」
「そうか」
　エルエデスの横顔を見つめる。
「どうした？」
「……彼のような男性が好きなんだろう？」
　イルギ公爵が初めて近くで見た彼。
　どれ程弱く、戦いに向かぬイルギ公爵であろうとも一目で解るその”強さ”この強さがあったなら、自分はもっと胸を張って隣にいることができ、そして野望を叶える手助けができるのに――
「……誰のことだ？」
「ガルベージュス公爵」
「それはない！　強くても、あれはない！」
「え……そうなの？」
「断じて違うわ！」
「でも彼強いよ？」
　エヴェドリットは無類の強い人好き。
「強ければいいってもんでもない！　いや、強さは必要だが、あれは強さに無駄なオプションが付きすぎてだな！」
「でも文句なしの強さだ……」
「馬鹿か！　メルフィ！」
「エルエデス、照れているようにしか見えないんだが」
「怒りだ、怒り！」
　エルエデスは立ち上がり乱暴に扉を開けて部屋を出て行った。
　照明の下輝く菩提樹蜂蜜色をした髪をイルギ公爵は見送る。彼は勘違いしたままであったが、エルエデスに対しての気持ちに変わりはなかった。彼が勘違いしてもしかたなのないこと。カピバラの着ぐるみを着てもガルベージュス公爵の強さには何ら変わりはない。

――　たしかに強い男が好きだ……その前提があるからメルフィの勘違い、仕方ないと言えば仕方ないし、思い込ませておいたほうが何かと便利なのだが

　ヨルハ公爵が好きとばれるよりは、ガルベージュス公爵が好きと思われていたほうが良いのだから、ムキになって訂正する必要はないどころか、上手く誤魔化せば良かった……分かっていることだが、分かっていても訂正したくなるときが、勘違いされているのが耐えられないことがある。
　部屋を出て会場に戻ったエルエデスは、
「いやあ、マルティルディ様のおばさん恐い」
　皇太子の腕にまとわりつき皇太子妃を挑発するエンディラン侯爵を見て、どっと疲れが沸き上がってきた。
　エンディラン侯爵は皇太子に上手に腕を回し、語れば吐息が微かに前髪を撫で、目がその唇を追うことができる位置に頭を置いて。
　しな垂れかかっているようで自分で立ち、視線は腕を回した相手を見ているようで、実は隣に立つ女を刺激する。
　男から見れば蠱惑、女から見れば反感はあれど見事な物だと感服する動き。
　だが感服すると同時に疲れが沸き上がるのも事実。
「あら？　エルエデス。こっち来なさいよ、殿下のご命令よ」
――　そんな命、下っていないだろうが
　そうは思えど断ることも出来ないので、エルエデスは大股で真っ直ぐに皇太子の座へと近付く。
「ケディンベシュアム」
「はい」
「制服で来たのか」
　”見ての通りだ、一々聞くな”と言いたくなるのをぐっと堪えて、エルエデス皇太子の気分を害さないように答える。理由はどうあれ自分に好意的な皇帝の跡を継ぐ男の不興を買うのは得策ではない。不安定な位置にあるエルエデスにとっては、多少の不快さは飲み込まねばならぬ。
　休憩室から戻ってきたイルギ公爵は、エルエデスが皇太子と会話している姿を遠目に見て、皇太子が少なからずエルエデスを気に入っていることにすぐに気付いた。
　女心は今ひとつであるが、同じ女を気に入っている同性は分かる。
　分かったところでエルエデスを独占できるわけでも、するわけでもないのだが。
「……」

　イルギ公爵の視界を遮った影。彼はその背に見え覚えがあった――

「どうぞ、夜会を続けてください」
　イルギ公爵が見覚えあった背は、リスリデスが放った襲撃犯であった。
　その襲撃犯を殺害したガルベージュス公爵が皇太子に告げ、死体を持ち会場を後にする。
　さりげなく皇太子に抱き締められているエンディラン侯爵と、襲撃犯の顔を見て、自分が目的だと判断し皇太子から離れたエルエデス。
　多少の戦闘はあったものの、多数対一で夜会を中止するほどの被害が出ることもなく事態は終息した。
「大丈夫かえ？　エルエデス」
　会場に戻ってきたメディオンが、犯人の目的であったろうエルエデスに近寄り、怪我はないかと尋ねる。
「ああ」
　エルエデスが負傷し治療が必要なほどの傷が残っていたら、その時はすでに死んでいる。だが尋ねたくなる気持ちというものがあることをエルエデスは理解し、素直に心配を受け入れた。
　同じことを皇太子に言われたら、内心では先程と同じく”見て解るだろう”と考えるだろうが――
「噂には聞いておったが、凄いものじゃな」
　メディオンは襲撃の最中を目撃したのだが、その戦いぶりに足がすくんだ。襲撃犯は生きて帰ることなど考えずひたすら戦闘を楽しんだ。目的を果たすよりも、自身の欲望が赴くままに。
「まあな」
　エヴェドリットが放つ一族の特性を持った襲撃犯ほど手に余る物はない。襲撃し、最終的に死ぬで自爆と同一視されそうだが、エヴェドリットの襲撃犯は戦うことを楽しみ結果として死ぬので、目的のために死ぬ自爆とは違う。戦うために死ぬのだから。
「まあな……未だ時間は早いが、皇太子に辞する挨拶をして帰ることにする」
　襲撃犯の背後関係が明かにされ、デルシに書類が上がることは確実なので、そちらへ顔を出すことにした。
「気いつけてな。帰り道に襲撃犯が潜んでおるやもしれぬし、お主等リスカートーフォンは襲撃犯から逃げるという考えがないからのう」
「ああ。気をつけて帰るとする」
「では見送ってやろう」

　エルエデスを見送ったメディオンは、会場に戻る前に周囲を見回ってこようと思い立ち、建物の外側を一人で回った。回っている最中に”儂、襲撃犯と遭遇しても能力不足じゃなあ”と気付いたものの、見回りはしたかったので歩き続けた。建物の内部にある中庭と外を唯一繋ぐ通路を通り抜け、やや背の高い植木の向こう側に動くものを見つけて近付いてゆく。
「ガルベージュス公爵？」
　そこにはいつも通りの格好に戻っていたガルベージュス公爵が立っていた。
「リュティト伯爵」
「お主、ここで何をしておるのじゃ？」
　可愛く見せるのを諦めて、この格好で口説けば良いものを……メディオンはそう思いながら、皇王族の正装を着こなしているガルベージュス公爵に話しかける。
「特に何もしておりません」
「そうかえ……なあ、ガルベージュス公爵」
「なんでしょうか？」
「先程の襲撃犯を殺害したの方法は、人体破壊ではなく寿命を削る方法じゃよな？」
　エルエデスを含む多数で取り囲み、体が破損してもおかまいなしにかかってくる襲撃犯の頭を掴む。血と戦いに飢えた凶暴ながら輝いていた瞳が濁り、体から力が抜けてゆく。
「はい、そうです」
「寿命を削る方法で殺すのを見たのは初めてなのじゃが、あの場面で出したということは、お主が持つ力のなかで最も早く確実に操れる力なのじゃよな？」
「そうです」
「それを滅多に使わぬのはどうしてじゃ？」

――　ガルベージュスの口元が笑ったとき、儂は殺されると思った

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「メディオン。どこじゃ？」
　カピバラの着ぐるみを脱ぎ、会場に戻ってきたイデールマイスラは襲撃の報告を受けて、皇太子に無事を喜ぶ声をかけてからメディオンを捜した。
　普段のメディオンであれば、イデールマイスラが戻ってきたらすぐに側へと寄ってきて隣をにいる筈なので見当たらないことが気になったのだ。
「エルエデスを見送りに行きました」
　事情を知っていたザイオンレヴィから出入り口に向かったことを知り、イデールマイスラは玄関へと回り、そこで衛兵から外周を見て中庭から入ると言っていたと聞かされ、後を追うことにした。
　襲撃犯が一人とは限らず、その襲撃犯が見境がないタイプであれば危険が及ぶからだ。
　静かな会場の周囲をぐるりと回り、そして中庭に辿り着いたところで、
「おや、イデールマイスラ」
「メディオン！　ガルベージュス、貴様なにをした？」
　真っ青になったメディオンを横抱きしているガルベージュス公爵と鉢合わせした。ガルベージュス公爵はいつもと変わらず、
「お話をしていただけです。ねえ、リュティト伯爵」
「そ、そうじゃ。殿下、儂はなにも。ちょっと疲れたようで……もう降ろしても大丈夫じゃよ、ガルベージュス公爵」
「そうですか」
　降ろされたメディオンは話を聞いている最中から覚えた眩暈が再度襲いかかり、そのまま意識を失った。
　倒れたメディオンを抱き支えたイデールマイスラ。
「なにをしたのじゃ？」
「本当にお話をしただけですよ。詳しい説明は寮でいたします。メディオンを医務室に預けてあなたは戻ってきてください。殿下の夜会はまだ続きますので。途中退出するようなあなたではないでしょう？　イデールマイスラ」