「帝星最大の総合楽器店ですか!」
歌おうとしてタックルを食らい、歌わせまいとタックルを食らわせ、浴槽に落ちて部屋へと戻ってきたケシュマリスタ二人。「音痴」の披露は後回しにし出かける準備をして、帝星でも最大の売り場面積を誇る楽器店へとやってきた。
音楽は無伴奏の歌のみの国で育った二人はピアノを購入するためにやって来た子爵よりも興味津々といった面持ち。
「僕、一般の店で買い物って初めてだな。クレッシェッテンバティウは?」
「僕も初めてです」
貴族の子弟らしい二人。
「我も初めてだな。店で買い物しているうちに気が狂ったら困るからと」
店で買い物をしたことのない別の一名は貴族の子弟と言うより、狂人的な理由で買い物をさせてもらったことがなかった。
残りの二人だが、
「エルエデスは?」
「一般の店を貸し切りにしてだが、買い物をしたことはある」
エルエデスは大貴族らしく貸し切りで買い物をしたことはあった。
「シクは」
「初めてではない」
子爵はこの性格もあって、普通に店で買い物をした経験がある。
※ ※ ※ ※ ※
イルギ公爵から連絡を受けた店でもっとも楽器の知識が豊富でイルギ公爵とも親交のあるシリルという貴族が、数名の店員を連れて正面玄関で待っていた。
イルギ公爵もそうだが、大貴族が店を訪れて商品を購入するのは非常に稀。
連絡を受けたシリルは総支配人に連絡し、接客態度が優秀な上位十名を借り受けて、
「今日来る御方だ」
イルギ公爵から連絡を受けた貴族の経歴を調べさせ、それらを画面に次々と表示して覚えろと指示を出す。
「イルギ公爵の紹介でヨルハ公爵?」
「個人レベルでは敵対していないそうだ。閣下はあの通りで、ヨルハ公爵は……閣下曰く”我のことなど歯牙にもかけていないよ”と。ただ本当に戦争狂人だそうだ。気を付けろとは言わないでおく」
気を付けたところで、ヨルハ公爵はどうこう出来るレベルではない。
「ケディンベシュアム公爵には失礼がないように」
「はい」
「マネージャー、ギュネ子爵は皇王族扱いで?」
シリルは帝星の貴族とエヴェドリットの一部貴族は知っているが、他の貴族となるとほとんど知らない。シリルが不勉強なのではなく、ごく一般的なことだが、店に来るとなるとそうも言ってはいられない。
「皇王族の血統なのか?」
付け焼き刃だろうがなんだろうが、経歴からなにから全てを覚えて気持ち良くお買い物をしてもらう接客をしなくてはならない。
「父方の祖母が皇妹殿下っすよ」
「皇妹って陛下の?」
「はい」
「イネス公爵ってあれですよね、アディ……ケシュマリスタ王太子殿下の部下の綺麗な顔した中年男性」
接客に優れた能力を持つ彼であったが”アディヅレインディン公爵”を噛んだ。
「そうだな。あと間違っても爵位を噛むなよ」
「ケディンベシュアム公爵閣下……自信ないなあ」
「ケディンベシュアム公爵は私が付く。閣下の大事な方だからな」
「そうですね。……ジベルボート伯爵はカロラティアン副王家の直属か。名門だな……うわっ名前難し!」
「えっとクレッシテンバティウ……発音できてた?」
「ちょっと違う気がするぞ」
「ケシュマリスタは発音が独特で難しいんだよな」
「お名前は言わなくてもいいとは思うが……もしもフレンドリーな方で名を呼べと言われたら、私が”無理です”と言っておくから、まずは爵位だけを練習しろ」
「はい。マネージャー」
「ジョフラダ、お前はエヴェドリットの出だったよな。だからこの子爵様を担当してくれ」
「ケーリッヒリラ子爵ですか。聞いたことない子爵だ……」
「どうした?」
「この人、血筋が地味に恐いです」
「そうなのか? フレディル侯爵もイズカニディ伯爵も聞いたことないんだが、エヴェドリットでは有名所か?」
「まあまあ有名ってか、地味に有名というか。フレディル侯爵の祖先はサラ・フレディルで、この人双璧のガウ=ライやラウ=センによく食らいついてたって。言葉上の意味じゃないですよ、実際にですよ」
「へえ……」
「お父さまのイズカニディ伯爵はデルヴィアルス公爵の出で、この公爵家”狩り好き”で有名です。なにを狩るかは聞かないでくださいね。ヨルハ公爵やケディンベシュアム公爵のシセレード公爵のような知名度はありませんが、間違いなくエヴェドリット」
ジョフラダの言葉にシリル以下全員「……」になったものの、逃げるわけには行かないので気を引き締めて、時間ギリギリまで経歴を調べ作法を復習し、総支配人が手配した新しい制服を着て玄関で待った。
「お前がシリルか」
「はい、そうに御座います。ケディンベシュアム公爵閣下。このたびは……」
エルエデスは歩みを止めずにシリルの挨拶を聞き、まずは目的のピアノ売り場へと足を運んだ。
「この建物、何階建てですか?」
「三十四階建てでございます、ジベルボート伯爵閣下」
「天井低くて大変じゃないのか」
「低くはないはずですが、ギュネ子爵閣下」
「コロニーで階層を見たことあるけど、ここは充分な高さがあるほうだよ」
「そうなんですか、ヨルハ公爵。僕、知りませんでした」
校内や寮内なら「ヴァレン」と呼んでも軽く流されるが、一般人の前では正式な名称で呼ぶ必要がある。
シリルに案内されピアノ売り場へとやって来た五人と接客のジョフラダ含む十名と、マネージャーのシリル。目立つというより浮いている五人だが気にせずに品定めに入る。
「このグランドピアノが市販では最高のものです。あとは特注品が幾つか」
「特注品は要らん。弾いてみたらどうだ? ケーリッヒリラ」
「そうするか。だがこれ勝手に弾いていいのか?」
「もちろんですとも。ジョフラダ」
ジョフラダが椅子を引こうとしたが、
「いやいい。自分にあった位置に合わせるから」
子爵はそれを制して自分で椅子を引き、鍵盤に指を置いて二、三人差し指で叩いてから、練習曲を弾いた。
「お上手ですね」
子爵の曲は本人の性格が良く出ていて、本当に「さらり」としている。自分が前面に出ることがなく、歌を生かす伴奏に最適。
―― 後々子爵は帝后の歌の伴奏をも担当することになる ――
「ありがとう、ジョフラダというのか。……ヨルハ、なにをしているんだ」
立ち上がった子爵は、グランドピアノ売り場の端の通路に俯せに寝そべっているヨルハ公爵に声をかけた。
子爵がいる場所から姿は見えないのだが、ヨルハ公爵に付けられた店員が下を向いてうろうろしているので、寝そべっているのだろうとあたりを付けたのだ。
「ヨルハめ、なにをしているのやら」
子爵の曲を聴いていたエルエデスはシリルに「目を離して悪かったな」と言い、二人はヨルハ公爵の方へと向かう。
普段は大人しいヨルハ公爵だが、やはりどこか”外れて”いるので、外に出す際は細心の注意と、同行者は連れてきてからには責任を負う必要がある。
「シクシゼム、この小さなピアノなんだけれど、値札に”小さくても本格的。グランドピアノにも引けをとりません”って説明が書かれてるんだ。興味ないか?」
ヨルハ公爵が興味を持ったのはミニグランドピアノ。
彼らの腕の中に簡単に収まるサイズで、どう見ても子どもの玩具か、ちょっとしたインテリア。
「それは面白そうだな」
「これ、弾いてもいいの?」
「もちろんご自由に」
ヨルハ公爵はなぜか体育座りをして長い手を前に出し、顔の位置まで上げてから腕を降ろした。
※ ※ ※ ※ ※
「この箱形のピアノはなんですか? なんか踏むところが多いですよ」
ケシュマリスタの二人は《初めてのピアノ》と書かれていた区画へとやってきていた。二人ともピアノを見ること自体が初めてに近いので、初心者は初心者らしく……と。
「箱形のピアノはアップライトピアノと言いまして、そのアップライトピアノは連弾専用の物です」
「連弾?」
「二人で一緒に同じ曲を弾くことです」
「へえー。ところでこれ、どうするんですか」
「どうすると言いますと?」
「ピアノってどうやったら音が出るの?」
「鍵盤を押すのです」
「押してもいいのか?」
ジベルボート伯爵とザイオンレヴィは確認をとって、鍵盤を軽く押す。
「うわあ! なんか楽しい」
「楽しいね、これ。見てる時はそんなに楽しそうじゃなかったけどさ」
二人のあまりに楽しそうな姿に、接客についていた四人は目配せして首を傾げた。彼らは普通教育で成長したので、その過程でピアノやヴァイオリンなど王家特有の楽器にも、それ以外のフルートやホルン、サクソフォンやビオラなどを目にし、触れる機会があった。
彼らの場合は王家の楽器とそれ以外を区別できるようにする目的の教育。だが中枢に近いところにいる貴族たちは、自分で区別できなくても問題ないので触れないまま成長してしまう。
「あれ? これって」
「もしかしてヨルハ公爵が弾いているのでは?」
ピアノで遊んでいた二人は床に近い位置から鋭く広がる音の中心を見る。先程の子爵とは真逆で、ヨルハ公爵のピアノは彼独特の音がある。「奏でる」「旋律」そんな言葉が似合うようで、似合わない音。
簡単な曲を弾き終えたヨルハ公爵は、圧倒されているフロアの人たちに気付かず、ミニグランドピアノを抱きかかえ、
「これ買う! 楽しいよ! 部屋に置いてもいいよね、ケディンベシュアム」
「……あ、ああ……好きにしろ」
「ケディンベシュアムも弾いていいよ」
そう言い頭上にミニグランドピアノを掲げて、ケシュマリスタの二人の方へと駆け出した。
「天才って……まあ、天才だな」
「そうだな。ヨルハを追いかけるぞ」
※ ※ ※ ※ ※
「ヨルハ公爵上手でした」
「お上手ですね」
ケシュマリスタの二人に褒められて、上機嫌になったヨルハ公爵はミニグランドピアノを掲げたまま身を捩って奇妙な踊りを踊っている状態になっていた。
子爵はミニグランドピアノを受け取り、店員に渡す。
「ピアノって押すと音が出るんですね」
ジベルボート伯爵の素直な言葉に、
「お前等、本当にピアノに疎いな」
エルエデスは傍にいた店員と同じ気持ちになった。
「正直なところ、楽器なんて見たことないです。ザイオンレヴィは違いますけどね」
「クレッシェッテンバティウよりは詳しい程度だけどね。僕は軍人になるように命じられる前は、王国声楽隊に入るつもりだったからね」
ケシュマリスタ王国声楽隊は完璧なエリートコース。
「ケシュマリスタの王国声楽隊ってことは、五オクターブは確実に出るのか」
「八オクターブまでなら特に苦もなく出るよ。声量も特一級だからね」
軍人としてはいまいち足りない男だが、歌を歌わせたら帝国でも屈指……の筈なのだが、ほとんどの人が知らなかった。
「お前そんなに凄い才能あるのに、まったく有名じゃないのはどうしてだ?」
八オクターブを操り声量が特一級となれば、もっと知られていてもおかしくないだろうとエルエデスが尋ねる。
「……いや、特に考えたことないんですけれども」
嘘を言っているとは誰も思わない。ザイオンレヴィの声は納得させるだけの「通り」と「美しさ」がある。
「ザイオンレヴィはいままで外で歌ったことなからですよ。ずっとマルティルディ様の専任先生でしたから」
「マルティルディの先生?」
「僕、マルティルディ様に歌を教えてたんです。母が歌好きだったんで、色々覚えてて。それを習ってからマルティルディ様に」
「マルティルディ様、他の人から習おうとしなかったんですよね」
「大変だったよ、クレッシェッテンバティウ」
エルエデスはザイオンレヴィの髪を毟るように掴んだ。
「お前、相当なモンだな」
「あ、はあ? そうですか」
エルエデスは言いたいことは多々あったが、取り敢えずそれだけ言いたくて仕方なかった。
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