君想う[028]
帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[79]
 エリュカディレイスが即位しなかったのは、カロラティアン伯爵にこれ以上権力を握らせないようにするため。
 もう一人の部下であるイネス公爵が皇帝に渡りをつけて”彼”は納得し”彼女”は娘と楽しい日々を過ごした。
 圧倒的な力を誇る娘に”彼”は驚いたが、自分がいなくなっても生きていけるだろうと”彼女”は安心した。

※ ※ ※ ※ ※


 ジベルボート伯爵邸にいる三人の話題はマルティルディから、いつもの生活に関係することへと移動していった。
「エルエデス、頼みがあるんだが」
「なんだ。ケーリッヒリラ」
「ピアノを選ぶのに付き合ってくれないか?」
「ピアノ? なんでまた」
「我はあまりピアノが得意ではないから、練習したいと思ってな。幸い一人だから空いている部屋にピアノを入れようと思って。その方が音楽室まで出向くよりも楽だから。そのピアノだが特注するほどのものでもなく、市販の物でいいのだが、そうなると逆に選び辛くてな」
 子爵は貴族なので当然ながら実家にも自領の邸にも特注のグランドピアノが、専任の調律師付きで数十台所持している。
 その為、寮で使ったグランドピアノは卒業後にどこか一般に寄付しようと考えた。
 寄付先を考えて特注品ではなく市販のものを購入することにしたのだが、普通に販売されているピアノなど子爵は購入したことがない。
「なるほど。寮の音楽室はヴァイオリン専用みたいなものだろうし……ただの練習なら音響も室内の基本システムでどうにかなるだろうから市販のでも良いだろう」
「エルエデスは音楽室に通ってるのか?」
「まあな。我もそれほどピアノは上手くはない。ゼフは上手いよな」
「上手いらしいね。王の前でリサイタルして褒められたー」
 上手いと言われるイルギ公爵とは違い、ヨルハ公爵の腕前は天性の音を持つ。だが本人はピアノにはさほど興味はない。精々サズラニックス王子が喜ぶので王城で弾く程度。
「お前は本当に桁違いになんでもこなすな、ゼフ」
「そう? あのさシク、ピアノ買ったら練習しにいってもいい?」
 だがみんなで練習するとなると話は変わってくる。彼は結構人と一緒に楽しんで練習するのが好きなタイプ。孤独を好み、一人黙々と鍛錬を重ねるのはあまり好きではない。
「もちろん構わないぞ」
「時間もあるから、これから選びに行くか?」
「一緒に行ってもいいですか。ピアノって興味あるんで」
「僕も一緒に」
 ケシュマリスタの二名も、あまり馴染みのない楽器に興味を持ち同行を申し出る。
「じゃあメルフィに知り合いの楽器店に連絡しておくように言っておくか。それに、兄がどうなったのかも知りたいしな」
 容姿以外はピアノしか取り柄のないと言われるイルギ公爵は、王国よりも帝星に滞在することが多く、ピアノに没頭するので帝星のピアノ専門店に知人が多数いる。
「じゃあその店にする。連絡を入れておけ」
『ああ』
「ところでリスリデスはどうなった?」
『ガルデーフォ公爵は……』
『ただいま必死に弁解中ですよ』
 説明をしようとしていたイルギ公爵の脇から画面に現れたのは、
「ベリフオン公爵! どうして貴様そこに!」
 ベリフオン公爵。
 イルギ公爵を押しのけて画面の前に座って、
『驚かなくてもいいでしょう。私はただいま、研修について話をしにきていたのですよ。リスリデスがあんなことになってしまって、本当に困り果ててイルギ公爵にお話をしにやって来たのです』
 体を揺すりながら嘘つきめいた笑顔でエルエデスに語りかける。
「おま……」
『イルギ公爵と話しがあるので通信を切ってもよろしいかな? それでは、今日の夜にでも』
「誰が!」
 エルエデスは乱暴に通信を切り、頬を”ひくひく”させる。
 怒っている女性に触る勇気のない子爵は見なかったことにして、
「ああ、そうだ。ヴァレンは五年になったらどこに研修に行くつもりだ?」
 適当に話題を逸らした。
「まだ決めてはいないけれど、エヴェドリット以外だね。シクは?」
「やっぱりそうだよな。我もまだ決めてはいないがロヴィニアが第一候補だな。もっともロヴィニアに知り合いは皆無だが」

※ ※ ※ ※ ※


 エルエデスが怒りにまかせて通信を切ってから、
「さ、イルギ公爵、楽器店に連絡を」
「はい」
 年下のベリフオン公爵の指示に従い、イルギ公爵は連絡を入れてすぐに話を終えて、座って待っている彼の前に座る。
「貴方はエルエデスを守りたい。それでよろしいですね」
「……はい」
「よろしい。では、サステベイロは殺害します」
 この頃のイルギ公爵メルフィは特殊な立場にいた。
 彼の後継者を産むのはエルエデスで確定なのだが、彼女は妃になるのか? と問われれば、曖昧に首を傾げるしかない。
 エルエデスがイルギ公爵との結婚を望んでいないことは当人も知っている。イルギ公爵自身はエルエデスを好いているので、彼女の好きなようにすると良いと考えていた。だから子どもさえ産んでもらえれば、自由に生きてゆけばいいと身を引いていた。
 その自由は兄との対立を激化させ、彼女の命をも脅かすまでになった。
 この状況でまだ自由に生きてゆけばいいとはさすがに言えないのだが、彼女の生殺与奪権を握っている主家であるシセレード公爵までもが彼女を殺害しようと考え出した。
 その理由の一つがイルギ公爵の従妹サステベイロ。兄のリスリデスがこの従妹に目をつけて、イルギ公爵自体を変えようと動き出した。
 エルエデスを殺せないでいるのは、イルギ公爵が《男性》である部分が大きい。
「我等の命はシセレードを支える物ですので」
「そうですか」
 それらを察知した皇王族側は、先程のことを謝罪をしているリスリデスの前でカードを切った。”エルエデスは皇太子の妃の一人になる可能性が高い”ことをシセレード公爵に告げたのだ。娘であろうと簡単に殺す一族だが、皇帝が欲すればさすがに殺害の手は鈍る。
 だが鈍るだけであって、殺さないという選択肢は生まれない。
 よって危険因子を潰す必要がある。
「ベリフオン公爵」
「なんですか? イルギ公爵」
「あなたはそこまでして……」

―― シセレード公爵の夫になりたいのですか?

 言葉を濁したイルギ公爵に、ベリフオン公爵はきっぱりと否定をする。
「違います、私は陛下に忠実であるだけです。ですが陛下に忠実であるだけでは、彼女に認められないのですよ。彼女に私の実力を見せる必要があるのです。私はあなたとは違い、見せる実力があります”エヴェドリットを納得させる”実力が」

※ ※ ※ ※ ※


 帝国上級士官学校の五年生は半年ほど研修に出る。
 五〜六人が一組となり、他王家の領地で有力貴族の元、上級将校としての態度を学ぶ。ほぼ人脈作りの為の研修なのだが、普通の研修とは違い、研修に行く先を自力で見つけなくてはならない。それというのも学校で研修先を斡旋することはなく、一年から四年の間に各方面に人脈を作り交渉し、王国軍で研修を受けるための手筈を整えて学校に書類を提出しなくてはならない。その書類提出が五年の最初の定期考査でもある。
「ロヴィニアか。我もそうするかな……あいつらは金さえ積めば割り切るからな」
 怒りを収めたエルエデスも子爵の意見に同意する。
「僕まだ決めてません。みんな結構考えてるんですね。僕も考えなくちゃ」
 ジベルボート伯爵は”すごい!”という顔をして頷く。
「でもベリフオン公爵がエヴェドリットかあ。意外だったな。ジーディヴィフォ大公がケシュマリスタ勧めてたのに」
 反重力ソーサーレース部部長にして、マルティルディの次にケシュマリスタ王位継承権を持つ、喧しい男が必死に勧めていたことを思い出して首を傾げたが、
「ガルベージュス公爵と一緒に育ったから、エヴェドリットに一度は来てみたいと思ったのかもね。ベリフオン公爵自身は完全に帝国筋だしさ」
 ヨルハ公爵の答えに納得して、その疑問を解決と判断し片隅に押しやった。
「ジーディヴィフォと言えば……どうしてザイオンレヴィが部活で倒れた時に呼び出されるのはケーリッヒリラなんだ? 普通は同室のジベルボートではないのか?」

―― ちゃらららららぁ! 放送部より呼び出しです! 反重力ソーサーレース部部員ギュネ子爵ザイオンレヴィさんが意識不明の普通な状態ですので、ケーリッヒリラ子爵は早急に回収お願いしまぁす! 以上放送部の弟さんでした! ――

 かなり巫山戯た放送が校内、寮内に度々響きわたるのでエルエデスはかなり不思議に思っていた。
「済みません!」
 その質問にジベルボート伯爵が床に崩れ落ち、顔を両手で包み込みながら目を涙で潤ませて語る。
「なにが……済まんのだ?」
「僕が迂闊にも紅顔の美少年なばっかりに、シクに迷惑を!」
 迂闊かどうかは不明だが、ジベルボート伯爵は誰がどう見ても美少年。顔だけは良いと言われるイルギ公爵よりも遥かに美しい。その隣に立っているザイオンレヴィも、吹けば飛ぶような儚げな男。
「……」
 怖ろしく女顔で顔面の基準値が高い男たちを前に、エルエデスはちらりとヨルハ公爵を見る。一人だけ浮きまくっている不細工ではなく奇妙な造形をしている同属の男……いつも通り複雑な気持ちが沸き上がってくる。
「ケディンベシュアム公爵、あのですね、ジーディヴィフォ大公は同性愛者でクレッシェッテンバティウはあの通り美少年顔なので、間違いが起きそうというか、間違い起こす気が満々だとか。ケーリッヒリラ子爵も危ないには危ないそうですが、クレッシェッテンバティウよりかなら……と。部長がそう言ってました」

―― いや、本当は違うんだがな……

 事実を知っている子爵は目を細めながらも否定はしなかった。人生を皇帝の命令に捧げている男に対して、子爵ができることはこのくらいしかない。
 性格はともかく、その真摯な生き様は、

―― 取り敢えず、尊敬はする。なんとなく、それなりに、でも多分尊敬している

 雑ながらも尊敬はしていた。
「ああ、そうか。解った、これ以上は触れない。それと話をがらりと変えるが、ザイオンレヴィ」
「はい? なんですか、ケディンベシュアム公爵」
「エルエデスと呼べ。それと頼みがある」
「マルティルディ様になんの用事でしょうか」
「なんで解った」
「いや、それ以外のことでケディ……エルエデスさんから頼まれるようなことはないだろうなと」
「ぷっ!」
 ザイオンレヴィの「エルエデスさん」がツボに入って、子爵は思わず噴き出した。
―― エルエデスに”さん”はないだろう。呼び捨てか”様付け”くらいにしてほしい、よりによって”さん”は……
「なるほどな。お前の読み通りで、寮に戻る前にマルティルディに会いたい。ほんの少しだけでいい」
 笑っている子爵に腹を立てることもなく、さきほど聞けなかったあの後の事情を当事者から直接聞きたいと頼み込む。
「解りました。いま連絡してきます」
 再度ザイオンレヴィは通信室へと向かい(マルティルディに連絡するには特別仕様の通信機でなくてはならない)噎せ気味だった子爵は目頭を苦悩する人のように押さえて必死に立ち直ろうとしていた。
「ねえ、シク」
「なんだ? クレウ」
 そこに同じように紅顔の美少年の苦悩から立ち直ったジベルボート伯爵が話しかけてくる。
「あのですね、ピアノ習うと音痴が治るって聞いたんですけれども、本当ですか?」
「まあ偶に聞くが、音痴なんてお前達には最も縁遠い言葉だろ」
「実はですね……僕、音痴なんです」
「はあ?」
 天使の歌声を持つ一族といわれるケシュマリスタに属している、見た目は紅顔の美少年に”音痴なんです”と言われたら、誰でも子爵と同じような気の抜けた声が上がるだろう。
「ケシュマリスタが音痴だと? あり得るのか」
 エルエデスも身を乗り出し、
「クレウ、それは”ケシュマリスタとしては歌が下手”という部類じゃないのか?」
 ヨルハ公爵も小さく首を振りながら”基準値が変なんだろ”と、まったく信用する素振りを見せない。
「違うんですよ、ヴァレン。僕本当に歌下手なんです。下手というより音痴」
 そんなに堂々と言われても困る……というのが子爵の正直な気持ちであったが”うじうじ”と言われるよりかはましとも言える。
「想像がつかんな。特にお前の話し声は顔に似合った、まさにボーイソプラノのような声だから……それが外れるのか?」
「聞いてみて下さい」
 エルエデスの疑問にジベルボート伯爵が声を吸い込んで歌い出そうとしたその時、
「駄目だって! クレッシェッテンバティウ。危険過ぎる! やめるんだぁ!」
 通信を終えたザイオンレヴィが戻って来て、歌い出そうとしているジベルボート伯爵に気付きタックルを決めて阻止した。
「え、今危険って言った? 危険ってなに?」
 ザイオンレヴィのタックルが強すぎて、二人は壁を破壊して隣の部屋まで転がっていってしまった。あまりの出来事に、エヴェドリット勢が棒立ちするしかないほど。
「たしかに言ったな、ヴァレン」
 ”ぼちゃん”と浴槽に落ちた音を聞き、子爵は中庭のほうへと視線を向ける。
「マルティルディ以下見た目は可愛らしいのに、なんなんだ、こいつ等は!」

 人は見た目ではないと言うが、エルエデスが”そう”言いたくなるのも解るというものである。


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