我が名は皇帝の勝利


― 72 ―


『我が明けの明星よ 我が宵の明星よ 

               我はその星に祈り

                     我はその星となりて堕る』

 あの星を見て有名な一節を呟きながら、私はかの王が待つ場所へと向かいました。
 ベルライハ公の方が軍人然しているような気がしておりましたが、同じように確りとした格好をなされば、かの王も軍人以外の何者でもありませんね。
 全く相手にならなさそうな剣の差。私は握っていた手を開いて柄の部分に描かれている、葡萄を図案化したこの国の紋章を見ました。
「インバルトボルグ、最後の望みを聞いてやろう」
 私の目の前にいるかの王は、王ですらないようです。今、私の目の前にいるのはリスカートーフォン。
「何で御座いましょうか? ジルニオン」
 ジルニオンという男性もなく、王という称号を持って呼ぶものでもない。
「即死か? それとも少しだけ死に行く道を楽しむか」
 この人は戦争と呼ばれたそのもの。
「楽しませていただきましょう。私、欲張りなので走馬灯というものも観てみたいです」
「そうか、ならばその望み叶えてやろう。始めようぞ、最後の王女」


剣を掲げ腕を広げ、黄昏とその殺す為の武器を従えた、かの王。
「インバルト!」
私も剣を掲げ腕を広げます。今までありがとうございました、陛下。


 殆ど力は込めていないに違いないかの王の剣を受ける。
 何戟目かは解かりませんが、上がる息と暗くなってゆく周囲、そして
『皇后陛下はもう少し腕力を付けたほうがいいでしょうな』
 ダンドローバー公の言葉が蘇ります。指が痺れてついに剣を飛ばされてしまいました。
 もう握るのは不可能です。
「インバルト!」
 聞こえてくるのは陛下の声だけ。
 かの王は目蓋を閉じられ、次の瞬間鋭い音が響き渡るかのように目蓋を開きました。
「いくぞ、最後の王女」
 シュスターの末裔が建てたと名乗ったこの国は、かつての家臣であるエヴェドリットに屈しますが、私は最後まで皇帝の一族でありましょう!
「来るが良い、侵略者よ!」
 広げられたマント、そして少しだけ身を沈めて駆け出してくる姿、全てがスローモーション。

この身を刺し抜けと私は両腕を広げ、宵の明星を見上げる
「止めてくれぇ!」
私はその星となりて、堕ちた

 私の身体を貫いた刃、まるで身体に吸い込まれるかのよう。でも衝撃はありませんでした。
「痛くありませんわね、ジルニオン」
 全く痛くないのですが立っていられません、体が崩れてゆきます。かの王は片手で私の身体を支えて笑いました。
 私を殺した方の笑いですが、恐怖も何もありません……ジオの笑い方ですから。
 見えるのはかの王の金髪と、その向こう側の宵の明星、広がる藍に近付く空。
 遠くから聞こえるのは陛下の声。近くで語るのは”かの王”
「痛くねぇように刺したからなぁ。剣を抜けば死ぬが、最後の言葉は纏まったかい? インバルト」
 喋り方も戻りました……終わったのですね、全て。


あの日の事を
すっかりと忘れていた日の事、陛下とお会いしたのは春の日でした


「ところで、インバルト。お前なんで俺の事ジルニオンって呼ぶんだ? ジオで良いって言っただろ?」
「陛下がそう呼ぶなと申されましたから。私は陛下の妻ですから」
「そうかい。さてと、じゃあそろそろお前さんの大切な陛下を自由にさせてやるか。抜くぞ」
 貴方は約束を守ってくださるでしょう。心臓の鼓動が弱まっていくのが解ります……
「お往き下さい“皇帝”よ」
 私は最後に腕を上げて宵の明星を指差した。
「さらばだ。そして我が元へと来るが良い“皇帝の勝利”よ」
 抜かれた瞬間、血が背中から流れ出てゆくのを感じながら視界がぼやけて、今までの事が本当に思い出されました。人生少々短く、そして回り道ばかりしていましたが、悪くはありませんでした。此処で終わりですけれども。
「インバルト!」
 私を支える手が覇者の風格あるかの王から、どこか懐かしい人の腕に。
「ラディスラーオ?」
 八年前に私を抱き上げた人の手です。
「そうだ!」
 初めて出会ったあの日、私笑って出迎えましたわ、陛下の事。だから今も笑っていきましょう。


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