「インバルト、そろそろ時間だ」
「はい、陛下」
迎えに来てくださった陛下と共に、私はその場所へと向かいます。
「剣を持ってやろう」
私がかの王とあわせる剣を陛下が持ってくださり、腕を差し出してくださいました。私はそれに腕を組ませ、人気の無いラベラント国立競技場の通路を二人だけで歩きます。
「陛下」
「どうした」
「お願いと申しますか、希望がございます」
陛下は足を止められまして、
「叶えられる事なら叶えよう」
私の方をみてくださいました。
「かつて関係に不満を持った私が言うのもおかしいですが、ラニエと幸せになってください。ご子息と三人で是非とも新しい人生を歩んでください」
その言葉に陛下は少しだけ口元を緩め、
「ラニエは別の人間が良いそうだ。それを叶えてやろうと思っているのだが、クラニスークは引き取ってやろう」
笑ってくださいました。
「そうですか。私はあの時不満も持ちましたが、こうなってみれば陛下にご家族があって良かったと本心より思います」
「そうか。歩くぞ」
そして私と陛下は再び歩き始めました。響き渡る音だけが耳に、陛下と組んでいる腕だけが温かさを。
通路を抜けて外に出ます。空は黄昏の色と染まり渡り、競技場の周囲は機動装甲で取り囲まれていました。
腕を組んだまま、周囲を見渡します。その音のなさ、まるで世界が停止してしまったかのようです。
「皇后陛下」
『兵器』としか言い表しようのないベルライハ大元帥が傍に近寄ってきてきます。
「何でしょう、大元帥」
兵器ではありますが、怖いとは感じられません。
「まだ時間は少々あります。体の緊張を解されるために、少々動かれてはいかがですか? 打ち込みなさるのでしたら的になります。剣を振るわないまでも何かなさった方が良いかと」
神経に直接装着する武器を纏った、ベルライハ公はそう言いながら半分だけ見えるお顔が微笑まれました。
最後に……剣を振るう気にはならないのですが、少しくらい動いた方がいいでしょうね……
「インバルト」
「はい?」
「踊らないか。軽くステップでも踏まぬか?」
「……はい! 喜んで!」
ベルライハ大元帥は微笑んで私の剣を預かってくれました。
*
インバルトが踊っている姿はよく観ていた。
練習中に何度か通って観てはいた。結局インバルトが宮殿の舞踏会で踊る事はなかった訳だが。
ゆっくりと揺れる髪と、合わせた手、腰に回した余の手と肩に触れているインバルトの手。
インバルトが口ずさむテンポに合わせて、ステップを踏む。
踊っているお前は美しかった。黒の練習用スカートをフワリと広げて回るお前は美しかった。
何時かこの国の女主人として、舞踏会などを仕切るのだろうかと。
当然、舞踏会にでれば若い男とも踊るわけだ……。そう考えると、気分は良くなかった。
途切れる事なくインバルトの口から聞こえてくる、余とインバルトにしか聞こえない小さな旋律と、裏寂れた競技場の片隅で踏むステップ。
こんな所で、こんな男と共に踊るような生まれではなかっただろうが。……違うな、俺はお前と踊る栄誉を得た……そうだったんだな、ずっと……。
微かな旋律が終わり、足も止まる。
空に現れた宵の明星に、あの兵器たちが武器を掲げた。
あわせていた手を離し、肩に乗せていた手を外し、両手でインバルトは首に抱きついて、
「この言葉が正しいのかはわかりませんけれど、精一杯の語彙を集めてみました……陛下、お慕いして……おりました」
昨晩は「お慕いしております」
半日で、それも過去のものか。
余も自由となった腕でインバルトを抱きしめる。
「どうぞ末永くお元気で」
それに返す言葉は
「ああ、ありがとう。インバルト」
見当違いにも程がある。インバルトのことを言えたものではない。
「我よ、宵の明星が現れた」
ベルライハの声、そして向こう側の通路から現れたジルニオン。赤と白と金に彩られた軍服。
腕でマントを払いながら、中心に歩いてくる男のその姿。漂う空気、その表情……覚えがある。
八年前の自分だ。
人を殺すと決めた時のあの表情、確実に殺すと物語るその気配。あの男は本当に殺す。
それ以上に、来た男は楽しみにしている。俺は殺したが、殺すつもりではあったが楽しくはなかった。だが今、目の前に現れた男は、人を殺す事を『楽しみ』にしている。
インバルトを殺す事を楽しみに、この男は来た。
外されたインバルトの腕、
「どうぞ、皇后陛下」
ベルライハに差し出された剣を掴み、鞘から抜く。
「アグスティン、元気で。それでは陛下、行って参ります」
まるで少し何処かに出かけるだけのように、余に向かって軽く礼をするとインバルトはあの男がいる中心に向かって歩き出した。臆すことなく、一人あの男に向かって歩き出した。
唯一人、この国の幕を引くことが許されている娘。