繋いだこの手はそのままに −53
本日は久しぶりに買い食いである。
ロガと一緒に歩く際に肩に手を置こうかな? と思いつつ手を動かしていたら、周囲の者に変な顔をされた。
いや! 緊張するのだ、奴隷達よ。ロガの肩に手を置こうと考えるだけで! 考えるだけで……肉屋に到着してしまった。余の意気地なしめ!
「久しいな」
ここは気持ちを切り替えて、シャバラに声をかける。
「おう! そうだ、まだ礼を言ってなかったな。ありがとよ!」
「何が?」
余、何かしたか?
「全滅した豚とか鶏とか補充してくれただろ。まあ、あんたにゃ大したことのないモンかも知れねえが」
「あ、そうなのか? 全く気にせんで良いぞ」
何時もながらのフォロー、感謝しておるぞデウデシオン!
そうしてコロッケと、ロガが夕食用の食材を買っておる。その隣で黙って立っておると、店の奥から、
「ちょっと聞きたいんだけど」
「どうした? 小さいの」
が出てきた。
小さいのと言われたのが不服だったらしく、
「ロレンだ!」
大声で叫んできた。済まぬ、お前の名前を確りと覚えておらぬのだ。ロレンな、ロレン。
「悪かった、ロレンか。それで、ロレンよ。何を聞きたいのだ?」
余に答えられる物であれば良いがな。
「あんた “バオフォウラー” が何なのか知ってるか?」
……ふむ、それならば簡単に答えられる。
「ビシュミエラがどうした?」
余の中におる、もう一つの血統の名だ。
「ビシュミエラって……」
「第三十三代皇帝ビシュミエラだが」
意外な答えだったようで、ロレンは少々口をパクパクとさせて余を指差す。
「何でその皇帝陛下のお名前がバオフォウラーになるんだ?」
シャバラが続けるように尋ねてきた。それの説明なら簡単だ。
「“バオフォウラー” とはビシュミエラをロヴィニア語で発音したものだ。通常、皇帝の名は帝国語で発音するのが正しく、滅多に皇帝の名を他言語で発音することはない」
皇帝の名は名前に使われることもなくなれば、他言語で発音することもなくなる。
「そうなのか……でも、バオフォウラーって言ったヤツはいるんじゃないのか?」
「おるぞ。第三十二代ザロナティオンは、ビシュミエラのことを終生バオフォウラーと呼んでいた。あの男は、ロヴィニア王族出身でロヴィニア語以外使えなかったのでな。帝国語を覚えようともせず、また誰も教えなかった為 “バオフォウラー” 以外で呼ぶことはなかったそうだ。ザロナティオンが死んで “バオフォウラー” は封印され、ビシュミエラと呼ばれるようになっていたと思ったのだが? どうした?」
ビシュミエラの名前をバオフォウラーと呼ぶ者はいなくなったと思ったのだが? 何処で覚えたのであろうか?
「あのな、この前ミネスの爺さんが死んだんだが。そのいまわの際に、ロガに向かって “バオフォウラーになれ!” そう叫んだんだってさ。そうなんだろ? ロガ、ロレン」
「確かに、バオフォウラーだった。ねえ、ロガ」
「う、うん…… “お前はバオフォウラーだ!” そう言われた……んです」
もしかして老人は、余がザロナティオンであることに気付いたのか?
ま、まあ……老人は亡くなったようだから、ザロナティオンと同一人物であり違うということ、他者には知られぬであろうが……老人が過ごしていた頃はまだ、ビシュミエラがバオフォウラーと呼ばれていた頃だったのか。
歴史を感じるな。……感じている場合ではない!
「バオフォウラーか……ああ、その、あの老人は我輩のことをザロナティオンと勘違いしておったから、ロガのことをそのように言ったのであろう」
「どういう事だ?」
いや! 余も勝手に口をついて出た言葉であって、それ程深い意味はないのだ! ザロナティオンと言ったらビシュミエラなのだ! それは当時から現在までの決まり事のようなものであってな! 余が皇帝という身分を隠しておるからして、ここで苦しくなるのであろう!
だが、もう少し違う場所でそれは明かしたいので、さあ! 全知力を使って当たり障りのない返答するのだ!
「ザロナティオンはビシュミエラの言うこと以外は聞かない男でな。ビシュミエラの言うことですら聞かないこともあったが、他者の意見に全く耳をかさない聞き入れない男だった。だからその……我輩に忌憚なく意見しろということではないか?」
実際、そのように言いたかったのであろう。
世間に流布しておったザロナティオンとビシュミエラの関係を余は知らぬが、こう言った所ではないかなとおもう。
「忌憚なく?」
「遠慮しないってことだよ」
「その通りだ。まあ、我輩をザロナティオンと思い込めば、隣に居る “女” をビシュミエラと思ってしまう。それは、過去を覚えている老人には当然の事かも知れぬな」
実際は女ではないが、世間的には女だと思われておるはずである。
思われていなければ困るのだ。
バオフォウラーの回答には満足がいったらしく “ありがとよ” とロレンに言われた。そうか、良かった良かった。尋ねられたことが皇帝のことで良かった。これは余の歴史でもあるので、重点的に学ばされたからな。他王家の歴史だったりしたら、ちょっとばかし怪しい。殆ど覚えてはおるが、皇帝の歴史よりも自信がないのだ。
「なあ……」
「どうした、ロレンよ」
「あのさ! 後で! その、出世したら代金払うから! 辞書買ってくれないか?」
これまたいきなり如何したのだ?
「辞書? 何の」
「俺、省庁にはいりたいんだけど、勉強するのに辞書がどうしても必要で! 機械じゃなくて紙で出来てる高いやつ! 絶対に稼いで返すから」
「……省庁に入る、そして辞書な。それを用意するのは構わぬが、何を目指すのだ?」
「何って?」
「帝国には帝国語以外に言語が存在する。四王家独自の言葉なのだが。試験は全て帝国語で行われるが、省庁にも王家の派閥があってな、財務関係を目指すならばロヴィニア語が使えたほうが採用されやすく、軍事関係を目指すならばエヴェドリット語を使えたほうが出世しやすい。貴族関係であるのならばテルロバールノル語を使えなければ先ず採用されず、宮殿勤めや法務関係となればケシュマリスタ語を使えねば無理だ。各々の支配下にある庁の専門用語が各自の王国語なので必須となるであろう」
……らしいのだ。
余は全ての省庁を統括しておる立場だが実際の組織の中はわからぬ、それでもこれだけは知っておる。
「ナイト……」
「どうした? シャバラ」
「もしかして、あんた頭いい?」
何処に頭の良さが感じられたのだ? 今の発言で感じられたのか? それは誰でも知っておることで……確かに今までの流れからすれば、この程度でも頭よく感じられるかも知れぬが……その、一応常識なのだ。皇帝としての。
「全く。生まれつきの家柄がよければ、一言語いえるだけでそれ相応の地位に就けるぞ」
「じゃあ、あんたは一言語だけしか言えないのか?」
「ま、まあ我輩、その……色々あって、四王家の言語も言えるが、理由あって帝国語以外は決して言わぬ」
皇帝たるもの帝国語以外を使用するわけにはいかぬのだ。だが! 覚えておかないわけにもいかぬので、決して使わない言語を必死になって習得する必要がある。
無意味と言えば無意味だが、体面上必要なのだ。公開会議のようなのがあって、王は自分の国の言葉で喋り、皇帝は帝国語で返すような場面があるのだ。当然王は自分の国の言葉しか喋らぬし、翻訳など使わない。あくまでも全員、全てを網羅しているという姿勢が必要なのだ。
「何処が一番入りやすい?」
奴隷が入省か……入れてやろうと思えば簡単に何処にでも入れてやれる…… “はず” だが……ロレンが求めているものはそういった事ではなかろう。
「ふむ。確かゾイは貴族省であったな」
「ああ」
「一番入りやすいのは財務関係のロヴィニアで、次は貴族関係のテルロバールノルだろうな。軍事は省庁入りするとなると上級士官学校を経ねばならぬし、法務関係は王族がずらりと並んでおる」
法務は帝国法に携わる故に、我々の根幹を知らない階級の者を登用するわけにはいかぬのだ。
「じゃ、じゃあ! ロヴィニア語の辞典と専門用語集をくれないか! 絶対に金は返すから!」
返してくれずとも良いのだが、紙か?
「ところで紙でなくてはならぬのか? 電子辞書の方が一般的だと聞くが」
「それだと、壊れたら終わりなんだよ! 高額なのは知ってるけど、そっちの方が確実だから!」
「ゾイはそれで勉強したんだけど。壊れちゃって。私のお父さんが持ってた、凄い古いものだから仕方ないんだけど」
「なんと! 形見が壊れたと! それは何処にあるのだ?」
言うと、ロレンが店の奥から持って来た。年季の入ったものではあるが、
「これが、ロガの父の形見か。どれ……ロレン、使いを頼んでも良いか?」
「何処に?」
「ここの警官のエーダリロ……髪が銀髪の鋭い目つきをした男を連れてきてくれぬか? ナイトオ……桜墓侯爵が呼んでいると言えば来る筈だ」
「解った」
店の脇で、古い辞書を持ったまま待つ。エーダリロクは機械を触るのが得意だったから、何とかしてくれるであろう。
「あの……でも、それ古いから」
「直させてみよう。大事なものであろう?」
「あ……はい」
直ぐにロレンはエーダリロクを見つけてきてくれ、
「これですか。少々お待ち下さい……かなり古い型で部品がなさそうですが、それさえ調達すれば」
簡単に直せると確約した。
「部品は何時出来る?」
「今日中に作って持ってまいります。えっと……ロガ? でいいですかね? はい、ロガはそれを持って家で待っていてください、修理器具を持って伺わせていただきますので」
そう言って頭を下げて去っていった。
「あれは子供の頃から指先の器用な男でな。修理したりするのが大好きなのだ……直させてやってくれるか?」
「ありがとうございます」
本当は余が直せれば良いのであろうが、機械関係は怪我をする可能性があるということで触らせてもらえなかったので……それだけはなかろうが。多分、興味がなかったのだろう。とても難しいし。
「ロレン、先ほどの賃金としてロヴィニア語と財務庁関係の辞書を与えよう。頑張るがよい、ロレンよ。そなたのような努力を重ねた者が入ってくれれば、我輩としても嬉しい」
「俺が入省すると、あんたに何か関係あるの?」
「……いや、別に……その、別に……」
建前上帝国に君臨しておるので、それなりに嬉しいのだ
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