繋いだこの手はそのままに −8
 眼を覚ました時、余は……下半身が裸であった。
 正確に言い表すならば『スースーして目が覚めた』。寒くなければ、余は朝まで寝ていたであろう。
 薄暗い部屋で身体を起こすと、
「気が付きましたか?」
 そこにいたのは顔の半分を布で覆った……? 髪が短いから、中性にも見える……貴族ではないだろうな。少年か! 声もそれっぽいしな! 少年は服というよりは布切れを身にまとっていた。その少年は頭を下げて謝罪する。
「驚かせるように言われたんですけれど、驚かせ過ぎてしまったみたいで。ごめんなさい!」
 思い出した、余は肝試しにおいて気絶したのだ。……思い出せば……思い出したくは無いのだが……この現状……下半身がスースーしておるこの状況から考えても……その、このまま……倒れる瞬間、股が! 股間がっ! ……思い出したくない!
「もしかして、余……わ、わ、私は失禁したのか」
 いやな事ばかり記憶に残っておるものだな。
 それにしても失禁する程驚くという言葉を、身を持って体験するとは……一生体験したくなかった……。
「失礼かとは思いましたが、勝手に脱がせました。そして、洗わせてもらいました」
 そう言った少年が指差した先には、濡れた余の服がぶら下がっておった。……洗う……洗う、そうか! 庶民は服は洗って何回も着るのであったな。
 ふっふっふっ……それにしても、二十三歳になった皇帝が、内幕を知っていた肝試しで失神しつつ失禁。
 正しく、歴代の皇帝達に合わせる顔がない。むしろ自分があの帝王・ザロナティオンの直系の子孫などとは到底思えない。帝王・ザロナティオンと言えば、三十八人の敵対僭主を次々と殺害し、力で従えた【皇帝の中の皇帝】と呼ばれる男。
 ザロナティオンは十六歳の頃には血の雨降る中、自ら銃を振り回し一人で一日五万人以上を殺害。それを2259日の間、毎日続けたという。その二十二歳で帝国の内戦を終決させた男の子孫が、危険も何もない墓地で吃驚して絶叫して失禁とは。
 『泣けてくる』というのは、こういう事なのだな。寧ろ泣きたいのは墓の中の祖先・ザロナティオンかも知れぬが。戦いに疲れ、生きる事に疲れて死んだ皇帝よ、眠り足りないであろう皇帝よ、取り敢えず子孫の事は気にせずに寝ていてくれぬか。
 頼むから、寝ていてくれ。隣に眠る皇帝と二人仲良く、叶わなかった恋を成就させていてくれ。頼むから、余の本日の行為は見逃してくれ!
「手間をかけさせたな」
 というか、余の子孫は皆余に似るのであろうか? そう考えると直系を閉ざしたい気持ちで一杯だ。
 余以降、立派な皇帝が生まれるのだろうか? 余みたいなのばかりであれば、そろそろ銀河帝国も終わりだな。終ったほうが良いかな? でも、また暗黒時代になったら困るであろうし。
「いいえ、驚かせてしまって……済みませんでした」
 少年は頭を再び下げた。謝る筋合いはないのだが、あまりに余が驚き過ぎて怖くなったのであろう。脅かし役を恐がらせてどうするのだ、余よ!
「良い。依頼であったのだろう? それにしてもよく出来た面だな? 特殊メイクか?」
 少年の顔は驚くほど恐い造りになっておる。見るもおぞましい半分だ、人間の顔とは思え……
「地顔です」
「そ、そうか。……別に娘子ではあるまいし、顔など別に気にする必要はないだろう」
 言いつつよくよく見れば、控え目ながらも胸が膨らんでいるような気が……する。あれ?
「私は女ですが、顔も別に。気になさらないでください」
 はっ! はっ! はっ! 喉の奥が乾いて声が出ない……今宵はこれ以上口を開かぬ方が良いような気がしてきた。いや、最早開かぬ! 余は、ここから即刻退却するべきであろう。
 全宇宙は余のものであるが、退却も必要だ! むしろ何処か新天地が欲しい! 誰か余に新天地を!
「このタオルを貸してくれるか? 服は後日取りにこさせる。……用事を思い出した! さらばだ! 娘よ! また会う日まで! 壮健でおるがよい!」
 余はそのまま裸足で駆け出した。多分、靴まで濡れてしまっておったのであろう! さほど早くはないのだが、それでも必死に走ることにした。足の裏が痛いのだが、走らずにはいられなかった。
「ご無事でしたか!」
「タバイか」
 タバイ=タバシュ。余の兄の一人、上から二番目の兄である。名前から観ても解かるように、エヴェドリット領に住んでいた軍人を父に持つ。
 リスカートーフォンに連なるものではないが、皇族の血ということで「=」つきの名になっている。名前と父の職業からもわかるように、当人も軍人。余の警護を担当しておる。などと、余は一体誰に向かって話をしておるのだっ!
「ご無事で何よりです。ハルミリアルテが、酷く取り乱して。陛下のお側を勝手に離れるなど……」
 誰だ? ハルミリアルテって?
「戻るぞ! そんな事などどうでも良い! 早くしろ!」
「御意!」
 腰に巻いたタオルの端を握り締めて、小型船に乗り込む。一息ついて着替えをした頃には帝星に到着していた。ハルテレ(略しすぎ)とかいう娘も来たが、下がらせる。ああ、余についてきた娘の名が、ハルテというのか。そんな事どうでもいい!
「陛下、何が……」
「もういい! 今日はもう寝る! 酒を持て! 早くしろっ!」
 デウデシオン兄もタバイ兄もバロシアン弟も、驚いて顔を見合わせている
「陛下……その、この布は?」
「あ……借りたものだ、それ相応の処置を施し余の部屋へ持ってくるように」
 それだけ言って、余は酒を飲んで寝た。
 よく初対面の印象が最悪であれば、あとは好感度が上がるだけだと言うが……地顔をみて悲鳴を上げて失禁して……恐らく泡も吹いたであろうし(襟に大量の涎跡がついておった)白目も剥いたであろう相手に対して、印象が良くなる事などあるのだろうか?
 まあ、最後の一線を漏らさなかっただけ、マシか……? マシなのか? それはもう尊厳レベルの問題ではないか? 尊厳といえば……あの娘の尊厳も……
 大体、女だろうが男だろうが、地顔に向かって特殊メイクか? 言われて気分良いわけない。“おぞましい”とか“崩れておる”とか言わなくて良かった。だが、それでもそれは何の慰めにもならん、余にとっても娘にとっても。

 余は酒をあおり、眠りに落ちた。


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