繋いだこの手はそのままに −122
「陛下」
 余はタバイを伴い、ロガの元へと向かうことになった。
 ロガは必死に治療をしていて、疲れ果てて崩れ落ちるように眠ってしまったのだと。
 それなら急いでミスカネイアの元に連れて行ってくれ! と命じたのだが、

『あのー……意識のない后殿下を 《一応男》 に分類されているレビュラが運ぶのは、あまりよろしくないのですよ』

 タウトライバに、その様に言われてしまった。
 要するに寝ているロガの身体を云々……この混乱している時期にそんな事は! と思ったが、
『平時に后殿下に乱暴を働く者はおりません。混乱している時期が狙われます』
『だがザウディンダルはそんな事はせぬと』
『陛下が信じてくださるのは解っておりますが、醜悪な噂を防ぐことはできません。后殿下には小さな傷も付けたくはないのです。それにレビュラは ”あれ” ですので、貴族内では立場も悪い』

 余が此処で幕僚から与えられる作戦を喋る事よりも、ロガとザウディンダルの名誉を守る事の方が重要のようだ。
 作戦や戦闘は余がおらずとも滞りなく進むが、后殿下であるロガと両性具有であるザウディンダルの身は、皇帝である余しか守ることはできないからな。

 タバイを伴い余は混乱の最中にある治療室へと……は入らなかった。
 治療している部屋に余が足を運ぶと、混乱になると言う事で。ロガは施療にあたる者達の簡易食堂で、机に俯せた形で眠っていた。
「お食事を取られた後、少し疲れたと言われまして」
 答えてくれているのはザウディンダル、その後ろに土下座状態で床に頭を擦りつけた状態の施療責任者。
 ロガが意識を失ったので、ザウディンダルが急ぎ治療の責任者を呼び立てて、診察させたのだという。
 何か危険があったら、ミスカネイアを呼び立てる時間も惜しいとの判断。最良の判断だが、最良の判断であろうとも規則がある。
「后殿下のお体に触れる事を命じた臣と、臣の命令に従ったあの者に寛大な処置をお願いいたします」
 ロガを診察しろと命じたザウディンダルは越権行為であり処罰対象、それに従った医師も同じだ。
 誰でも近寄れると身の安全の確保が困難になるための規則なので仕方ないが。余は二人を不問に処す事を告げた。
 ロガを仮眠室に移動させるかという話も出たようだが、ここには衆人の目があるので、無用な噂を立てられる恐れもない。それらを考慮して 《この状態のまま》 余を呼んだとの事。
「兵士達の治療の方はどうなっている? 医師よ、お前の口から余に直接語る事を許可してやろう」
「ダーク=ダーマを解放して下さったお陰で、何とかなりそうです」
「全ての臣民は余の者である。治療を施し、生かしてくれよ医師達」
 その後医師達は部屋から出て、食堂には余はロガとザウディンダルとタバイが残された。
 タバイは余の警護であるから、手を塞がせるわけにはいかない……
「よし、ザウディンダル。ロガの足を持ってくれ」
 ザウディンダルと一緒にロガを運ぼうとしたのだが、
「嫌です」
 ザウディンダルに即座に拒否されてしまった。
「ええー」
 ザウディンダルは額に手を当てて ”こんなこと言わせないでください” といった表情で教えてくれた。
「陛下、何処の世界に后殿下の足を持てと言われる方が……陛下が抱き上げられない程重いなら、このレビュラもお手伝いさせていただきますが、后殿下はそれ程重い方ですか?」
 あ、そうだった。
 ロガをあまり他者に触らせる許可を出していけないのだった。だがなあ、余一人で運ぶとなると……
「シルクのように軽い」
 ロガの重さなど無いに等しい。
「だから、陛下一人でお願いしますよ」
「あのザウディンダル……抱きかかえるまでは手伝って貰えないだろうか」
 余は椅子に座りテーブルに附している意識のない相手を抱きかかえる方法を知らんのだ! 練習しておけば良かった!
「……はい」
 ザウディンダルの補助の元、ロガを抱きかかえる事が叶った。
「さあ、陛下。私室まで」
「解った!」
 余は必死になって歩いたら、何度も転びそうになった!
 余のマント長すぎるのだ! このマント、身長の2.68倍もあるからして長い、長すぎる!
 何度も踏んでは転びそうになり、見かねたタバイが、
「陛下、レビュラにマントの裾を持つ許可をお与え下さい」
 申し出てくる始末。
 普通に歩いている時も踏む事があったが、両手を塞いでいる今、余は恐ろしい程に踏んでしまっている! 余が一人で転ぶ分には構わないが、ロガが! ロガがっ! 前に倒れてロガを潰してしまったら!
「頼む、ザウディンダル」
「御意」
 マントの裾を持ってもらうと、随分と楽になった。
 懐かしいな……幼少期は父達にマントを持って貰って歩いたものだ。あの頃……
「うわぁっ!」
「陛下!」
 何も無い所で躓きかけた。回想せずに、歩く事に集中しよう……余は己は二足歩行が、かなり苦手なのを忘れていた。四足歩行は得意なのだがな。
 四足歩行は得意? 得意……

「四足歩行でロガを運ぶ場合はどうしたらいい?」

 タバイが ”苦悩するデウデシオン” の様な表情になってしまった! やはり片親だけだが同じだと、同じ表情になるものなのだな!

 無事に私室に辿り着き、ベッドにロガを置いた所で余の疲労は頂点に達した。ロガは重くはないのだが、間違って落としてしまったりしたらどうしよう! と思うと、緊張が!
 寝室にはミスカネイアが控えており、余がロガをベッドに置くや否や、即座に色々と調べはじめた。
「ミスカネイア、ロガは……」
 何処か悪い所でもあるのだろうか?
「普通に眠っているだけですか、ご安心ください」
「そうか。では余は戻る」
 眠っているロガの傍にいると、離れがたくなるので余は急いで踵を返したのだが、それと同時にミスカネイアが跪いた音が聞こえてきた。
「陛下」
「何だ?」
 振り返るとやはりミスカネイアが跪いておる。
 この一連の音は聞き慣れたものだから、間違うことはまずない。そしてこの体勢を取った者達は、次に余にお願いをしてくることになっている。
「后殿下は普通に眠っているだけですが、測定値を観ますとストレスが確認されました。これは不安から来るものです。少しの間だけ、后殿下を抱き締めてはくださいませんか」
「寝ているロガに?」
 それはちょっと……ロガから離れ難くなってしまうから、出来るなら避けたい。本当は一緒にいたいのだが、余はここで指揮をして軍の指揮権を……
「眠っていても全ての感覚が遮断されている訳ではありません。むしろ意識がない分、余計な事を考えずに純粋にそれを受け入れる事ができます。后殿下の不安を解消できるのは陛下だけです。少しの間だけで良いので」
 この場で不安を取り除かないと、後に響くと言われては余として頷かないわけにはいかない。
 ロガは此処から帰ったら、余の子を……余、余の……つ、次の皇帝を、う産んで……も、も、も、もらう……のだ……考えただけで恥ずかしいが、ともかく不安をそのままにしては、次代皇帝の誕生に関係すると言われては、余としても拒否は出来ぬか。
「解った。少し遅れる事をタウトライバに」
 少しばかり持ちこたえてくれ、タウトライバ。
「はい」
 余はベッドに登り、ロガを抱き上げてから座った。ちょうど母親が赤子を抱くかのような体勢だ。
 この余の腕にすっぽりと入ってしまうロガが、ロガを……
「帰ったら、なにをしようか」
 余は眠っているロガに話掛けてみた、当然何の反応もないが。
 以前奴隷区画でロガの家に宿泊し、寝顔を観て幸せな気分になった頃を思い出した。
 質素な家で他の奴隷達と仲良く過ごしていたロガと、今宇宙で最も設備の整っている戦艦の、豪奢な一室で眠るロガ。

 ロガは奴隷区画で生活していた頃の方が、幸せだったのではないだろうか?

「陛下、お飲み物です」
「ああ」
 ミスカネイアが差し出してくれたコップを受け取り、口に運ぶ。
「副総帥閣下には近衛兵団団長が連絡を入れました。お戻りになられたい時にどうぞとの事です」
「あ……ああ」
 グラスをミスカネイアのトレイに乗せ、部屋から去るように命じる。
 余はロガを抱き締めてみた。ロガが目を覚ます気配はないが、
「ロガ、今……幸せか?」
 幸せにできる自信があった訳ではないが、余は不幸にしてしまった様な気がしてならない。
「……ん……」
 そんな事を考えながらロガの寝顔を見つめていると、段々と……

**********

 ミスカネイアとタバイは隣の部屋から窺っていた。
「睡眠薬が効いたようだな。どれ程の量を用いた、ミスカネイア」
 全ての計器がシュスタークが深い眠りに落ちた事を指し示したのを確認してから、扉を開き寝所に近寄り、注意深く眠りやすい体勢に動かす。
「”あなた” でも動けなくなる程の量ですよ」
「そうか……ミスカネイア、気付いているかもしれないが……」
 ぐっすりと眠っている二人から少し離れ、二人は暫しの無言を経る。最初に覚悟を決めたのはミスカネイアの方。
「私は死ぬ覚悟は出来ております。そんな悲痛な表情など、なさらないでください」
「……」
「あなた」
「ミスカネイア」
「あなたは無事に帝星にお戻りくださいね。《后殿下を連れて》」
「ああ……」
 夫が 《連れて脱出》 するのは妻であるミスカネイアではなく、未来の皇后にと切望されているロガ。
 彼女はその事を「寂しいとは思うが、不満に感じたことはない」そうやって理性で自分の感情を押し殺した。
 押し殺さなければ、この場に置き去りにされる恐怖で自分が狂ってしまうことを、誰よりも自分が良く知っている。
 これはもう愛情などで解消できる程度の問題ではない。そして彼女は夫がこのような決断を下す男であることを知って結婚したのだ。

 自ら選んだ道だと言い聞かせ、彼女はその道を選ばせた夫を拒否する。

 ミスカネイアは手を伸ばした夫を拒否し部屋を出た。自ら閉ざした扉に額を預けて、瞳を閉じて彼女は決して届けられない言葉を語る。
「アニエス、貴女の夫に……お腹に赤ちゃんが、それも 《娘》 がいる事は告げないで、私は貴女の夫と共に戦死します。アニエス、そしてハネスト様、息子達のことをよろしくお願いします」

 帝国軍副総帥シダ公爵タウトライバは「皇帝の 《初陣》 終了後、即座に皇帝と后殿下、そしてボーデン卿には帰還していただくこと」を決定した。
 その際の供は皇帝はオーランドリス伯爵キャッセル、レビュラ公爵ザウディンダル。そして近衛兵団団長イグラスト公爵タバイ=タバシュの三名。

 残留部隊は帝国軍に潜む僭主を道連れに最後まで前線に残る。


第六章 ≪狂気≫ 完



novels' index next  back  home
Copyright © Rikudou Iori. All rights reserved.