繋いだこの手はそのままに −92
 突然のディブレシア帝の名前に、
「…………知りません」
 ラティランはそれ以上の言葉を発することはなかった。
 彼は頭の中では自分の所持しているあらゆる情報を反芻し、答えを求めるが何も見当たらない。ただ、目の前にいる白銀の男の内側をも覗き込んでくるような、異様な瞳から逃れようと目を閉じる。
「そうか……それは教えてはやらぬが、いいことを教えてやろう」
 エーダリロクは一端言葉を切り、そして嘲笑うかのような声でラティランに言い放った。
「私は狂っていたし、あれは私のことを語らなかったから、お前たちは私のことは知らないようだ。だから教えてやろう。私はなロターヌ=エターナなのだよ」
 エーダリロクが言い放った瞬間、ラティランは目を開き飛び退いた。
 巧緻なる美と謳われる顔は、怒りと羞恥、そして怯えが入り混じり “ラティランクレンラセオという王” の表情はとしてはあり得ないほどに歪む。キュラの想像もつかないラティランの表情の変化を凝視してしまい視線があってしまった。
 自分の取り乱した姿をキュラに見られたことでラティランは自分を取り戻したが、同時にこの姿を見たキュラに対し憎悪を露わにした。
 その表情は、発狂し叫びだす寸前の人のような空気を纏っている。
「……」
 ラティランがここまで憎悪を誰かに対し向けたのを、キュラは見たことはなかった。そして、この憎悪を向けられた結末は死であることをも感じ取った。
 自分自身の無様な姿を格下に見られて、それを生かしておくほどラティランは優しくも強くもない。
 その飛び退いたラティランにエーダリロクは足をかけて背中から倒し、手首を掴んで上に乗って再び額を押し付ける。
「離れろ! 退けぇ!」
「お前はエターナ=ロターヌなのだろう」
「きさっ! ……」
「お前が “お前の” 我が永遠の友の上に立てるのは、そのせいだろう。それは教えずとも、お前なら解るか。それにしても、使い方が上手いな」
 キュラは二人が何を言っているのか解らない。あのエヴェドリット特有の「カランログ(=)」でケシュマリスタの始祖である姉弟の名を呼ぶことが何を指すのか?
 エーダリロクは「ロターヌ=エターナ」でありラティランは「エターナ=ロターヌ」である。キュラが解るのはそれだけだった。

「さあ憎悪と悪意で私を狂わせてみるがいい。マルティルディの末王よ、お前は私を狂わせられるほどの男かな?」

 ラティランはエーダリロクの下でしばらく暴れたが、逃れることは出来なかった。エーダリロクは何をしているわけでもない、ただラティランの額に自らの額を押し付けているだけ。助けようもなければ、助ける気もないキュラは硬直したまま眺めていた。
 どれ程の時間が経ったのか? 誰にも正確な時間経過は解らないが、この空間を支配しているエーダリロクがゆっくりとラティランから身を引き離す。
「マルティルディの末王よ。貴様は盤上で 《女王の駒》 と共に並ぶ 《王の駒》 に過ぎぬ。動かしているのは死者皇帝。どの死者皇帝かは語らぬが、そのこと覚えておくが良い」
 エーダリロクはこの場に現れた時から変わらないまま、対するラティランは既にキュラのことなど構っている余裕もない程に憔悴しきっていた。
 身を起こし、エーダリロクを見上げる。
「……少しは情報をいただけませんか? 《第一の男》 よ」
 くつくつとラティランを見下ろしながら笑うエーダリロクの目は、まるで物知らぬ年少者を眺めているかのようにキュラには見えた。
「可愛がりすぎたか。そうだな、可愛らしいネヴェルハルファネの曾孫に一つくらいは教えてやろう。ウキリベリスタルはディブレシアの命令により、ザウディンダル・アグディスティス・エタナエルに 《ある男》 の合成脊髄液を投与していた。 《ある男》 が誰なのかは、言わずとも解るであろうマルティルディの末王よ。行くぞ、キュラティンセオイランサ」
 ラティランにそれだけ言い、部屋から立ち去るエーダリロクの背は隠れてる羽が見えるかのような錯覚を二人にもたらした。
 キュラは無言のまま部屋を立ち去り、ラティランは一人床に座ったまま立ち去った 《第一の男》 の恐怖をかみ締めていた。
「帝国宰相か……あの男のことも計算には入れていたが……それにしても 《デイロン・シャロセルテ》 め、そこまで知っていたか。エーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエルの人格により、本来の才能が開花したのか。狂人ゆえの天才か? 天才ゆえに狂人なのか? そして……ディブレシア……っ! ……噂通り両者が記憶を完全に共有できているのか! 厄介な男だ 《バイロビュラウラの第三子》 め! もしかして、ウキリベリスタルも関係しているのか?」

 ディブレシアよりも前に死んだ男がディブレシアの真意を知っている。彼が知った真意は、彼が手にした物ではない。それを知ることが出来るのは彼を内在する、前ロヴィニア・バイロビュラウラ第三子。新たなる巴旦杏の塔、二代目の管理者。

**********

 エーダリロクは無言のまま、ケシュマリスタ王旗艦の通信室に向かい、その心臓部に自らの権限を使い入った。
 周囲は当然のことながら人の気配はなく、他人の目と耳を気にせずに話すことが出来る。
「話は解ったな、キュラティンセオイランサ」
 エーダリロクは振り返らずにキュラに尋ねた。
 キュラとして、この状態のエーダリロクと向かい合って話をする気にはなれない。近寄る気にすらなれず、少し距離をおいての会話。
「あ、ああ。それで、君が……いや、あなたが后殿下を身篭らせて皇女が生まれたとしても、それは皇女殿下ではないでしょう?」
 古代ならいざ知らず、今は誰の子なのかを判別する技術は完璧に揃っている。
 皇帝以外の男の子が『皇太子』に認定されるはずもない。
「その前に、私を見て何か気付かないか? キュラティンセオイランサ」
「どこかで拝見したことがあるような気はしますが……ですが違うような気もいたします」
 キュラの背後から、先ほどラティラン向けたのと同じ笑い声が聞こえる。先ほど暴れた後のラティランにかけたものと同じ老成した、とてもエーダリロクのものとは思えない笑い声。
 エーダリロクの容姿は “ロヴィニア” の特徴を完全に兼ね備えているので、見たことがあって当然。だが容姿ではなく、その中にある人格と評するしかない、目に見えない “エーダリロクではない物” が強く存在を主張していた。
 キュラの答えを聞き、その少しの笑いをまるで自らに聞かせるかのように笑い続けた後、彼は言った。
「私は 《デイロン・シャロセルテ》 だ」
「っ! …………」
 その名を聞き、キュラは目を閉じて恐怖の根源を理解し、声を失う。
 最も新しい伝説の彼の “一つ”
 この中に潜む彼が相手では、ラティランであっても恭順するしかない。
「このことはヒドリクの末である私とその父達、そして四王と……帝国宰相は知っているだろうが、その程度で殆どの者は知らない。ディルレダバルト=セバインの末伯爵も知らないといえば、どれ程知られていないか解るだろう」
「あ……あ……」
「私は人体生成プラント機能を有している。これに関して知っているのは、ヒドリクの傍系王と人造人間の情報を大量に有するマルティルディの末王だけだ」
「……」


「《デイロン・シャロセルテ》 そう私はヒドリクの末の前であるが、同時にヒドリクの末でもある。ヒドリクの末と私は色合いは違うが同じ。キュラティンセオイランサ、お前は解るだろう? 私達は髪色は違っても、同じ存在である場合が往々にしてある。この身体は人体生成プラントであり、エーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエルは天才で、この体の全機能を使うことが可能。だがこの体には唯一欠点がある、それは無性を持つ故に、女しか作れぬ欠点だ。私が作れるのは私であるヒドリクの末の娘だけ。私はヒドリクの末が作る遺伝子情報の全てを網羅することができる」


 背を向けあったまま語り合う二人は、互いが笑っていることだけは解る。
 感覚ではなく、数々の輝く金属が彼らの姿を幾重にも反射させて、視界に入る場所に映りこんでいるからだ。
「…………解り辛い喋り方をする方なのですね。もっと砕けた方かと思っていました」
 キュラは必死に言葉を記憶に焼き付ける。
 『“デイロン・シャロセルテ” は、王を系統の末王と呼ぶ癖がある……らしい』
 彼の内心は全く知られていない、そして何よりも彼が人語を発していた記述も記録もない。彼は言葉ではなく、端末で意志を文字として、政策を数字として打ち出し人の視覚のみで意志を伝えた。
「私は会話が出来た期間はごく僅かで、エーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエル以外と会話するのは今でも苦手だ。だがこれでも随分と普通に会話できるようになった方だ。エーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエルが教えてくれたよ」

 賢い男ではあったが “狂っていた”

「ああ、そういう事ですか。エーダリロクも天才の珍しくない帝国において、無類の天才と言われる程の男。普通の人間とは思考回路が違うので、彼と会話している貴方様は喋り方が独特になるのでしょう」
 《彼》は死後エーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエルの中で会話することを覚えていった。
「そうか」
「貴方様を有したのがエーダリロクで良かった。常人では支配しきれない。私などでは到底無理です」
「私もそう思う。私が見る分では私を有しても壊れないのはエーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエル以外ではあのカルニスタミア・ディールバルディゲナ・サファンゼローンくらいであろう。あの男では私もさすがに出てくる隙がないようで眠っているが」
「カルニスタミアの中にも貴方様が眠っているのですか!」
 愛しい男の名が出たことで、恐怖を忘れてキュラは振り返る。
 それと同時に無機質な機械の中にまるで溶け込んでしまうかのような、銀狂を内在した王子も同時に振り返った。
「居る、あそこにいるのは 《第四の男》 だ。だが強すぎて現れる隙すらない……もっとも、これは誰も知らない。そう本人もヒドリクの末すらもな。ヒドリクの末は両性具有を兄に持ち、ルクレツィアの王弟は両性具有を兄に持つ。そしてヒドリクの傍系王子は無性を姉として持つ。私は特殊性とは切っても切り離せない。いや、私は離れるつもりはない」
「……」
 揺れる白銀の髪と、鋭い目を少しだけ細めて笑いかけてくる。
 《彼》 は死して尚、二人とともにある。
「ああ、話が逸れたな。先ほども説明したが、もう少し詳しく……言えるかどうかは解らんが、基本ベースは私であるが故に、私が作ったヒドリクの末の遺伝子情報に私の特性が乗ってしまう。その結果として奴隷后に 《ヒドリクの末の遺伝子情報》 を持った皇女を孕ませることができるのだ。これは調べようとも、私かヒドリクの末かの判別は付かない」
「貴方様は……両性具有と無性の特性は、それ程までに強いものなのですか」
「強い。これに抗えるのは 《真祖の赤》 だけであろうよ。そして解ったな、キュラティンセオイランサ。あのマルティルディの末王が私を恐れる理由。そしてもう一つ、奴隷衛星に居る時にマルティルディの末王はお前に奴隷后が懐妊したら直ぐに教えろと命じて、何度も連絡を取っていたな」
「知っておいででしたか」
「《今は》 通信技術者を名乗っておるからな。その理由は私の子は必ず女だが、男性型両性具有を直ぐ上に持つ 《私のヒドリク》 の最初の子は統計上95%越の確率で女になる。私は無性の直ぐ下に生まれ、《私のヒドリク》は男兄弟だけを持ち、両性具有の直ぐ下に生まれた、この意味が解るか?」
「規則性……ですね」
 彼等は全て人間が手を加えて作った為に、生成パターンに規則性を持ち、その規則性は数値として定まっている。
 元々彼等は生きた商品、所謂ペットの一つで、人間とは違い容姿で判別されて売られるものであったから、不確定要素は少ない。その詳細を所持しているのが、彼等自身が搾取し続けられていたケシュマリスタ王家になる。
「お前は良い子だな、キュラティンセオイランサ」
「いいえ、全く……感情の赴くままに人を殺しますし、命令されれば犯しもします。されなくとも……」
「私に比べたら可愛いものだよ」
「貴方様と比べられるような存在ではありません。デイロン・シャロセルテ、ケシュマリスタ王との会話に突如現れたディブレシア帝ですが、あの皇帝は帝国の為に両性具有の弟に皇帝が生まれるよう調整したのですか? 盤上の駒を操る死後皇帝とは、ディブレシア帝なのですか?」
「そこまでは教えてやらんが帝国は途切れない。この私が途切れさせはしない。さあ! 幸せになるが良い、ガルディゼロ。生きている者は幸せになるべきだ、私はそのために内乱を終結させたのだ。そうエーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエルも幸せになるべきだ。聞こえているだろう、エーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエル!」
 内側にある人間に話しかけるために、声を出して叫ぶ 《彼》 の声は記録に残っているよりも一層低かった。
 機器の稼動音に消されることなく、ただ静かにキュラの耳に届く。
「エーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエル殿下が幸せになる為に尽力させていただきたいと思います」
 この声が自分をも越える奇声を上げたとは、キュラには信じられない程に。
「要らぬよ。キュラティンセオイランサ、お前が幸せになって余裕があらばで良い。エーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエルは強い。何せ、自分の意思で私を封じ、そして自ら戻ってくることができるのでな」
 そう良いながら自分の頬にそっと手を添えた男に、キュラは狂気を見つけることができなかった。
 その穏やかさと自分をも受けていてくれそうな笑顔に 《彼》 は全く語られていないことを知る。
 キュラは頬に触れている手を両手で包み込み、目を閉じて尋ねる。
「最後にデイロン・シャロセルテ。貴方様は何故妃を避けるのですか? この私が見たとしても、貴方は妃を嫌っていない」
 エーダリロクが妃である、あの美しく健康的なメーバリベユ侯爵に触れない理由は見えた。
 二人の間に 《姫》 が誕生すると、ラティランのシュスタークに対する作戦が直ぐに決行されてしまうためだ。
 それを防ぐ為に、ここまでエーダリロクの傍目から観ると 《馬鹿な行為》 で引き伸ばしたが、此処で唐突に限界が来た。
 シュスタークが、よりによって初陣前に奴隷であるロガを自らの意思で選び妃とした。それはエーダリロクにとって最悪な事態だが、止めることは決してない。

ー 私は私を幸せにする為に存在しているのだ ー

 この事態になってしまったのだから、妃に触れて姫をシュスタークに差し出した方が、シュスタークの身の安全を図れるのだが、エーダリロクはその道を選ばない。
「それは教えられん、何よりその妃は私の妃ではなく、エーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエルの妃だ。理由は知っているが、妃に対する想いは私が口を出すべき箇所ではない。それではな、ガルディゼロ伯爵……いや今は侯爵か。そして二度と私に会うことがないように 《私の為》 に祈れ。そう 《バオフォウラー》 が私の為に祈ったように」
 流暢な、そして回りくどい 《帝国語》 を話し続けていた男は突然 《ロヴィニア語》 を混ぜた。その皇帝の名をその言語で発音するのは唯一人。


 帝王ザロナティオン


 彼だけが呼ぶことを許された名


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