繋いだこの手はそのままに −88
 マニュアルを読み終わったザウディンダルは、ロガの元へと近寄り膝を折って話始めた。ロガ用の小さな銃を手にとって、顔を近づけて話しかける。
 黒い髪とあの藍色の瞳が、とても美しい。平民帝后よりもたらされた藍色と、皇族では初になるだろうロガの琥珀色。
 それが近付いて話をしている姿は、まるで違う世界をみているようでもあった。
 ザウディンダルは異父兄だとばかり思っていたのだが、異父姉でもあった事実に驚いた。だが言われてみると女性のようなところも多々ある。
 肌が女に近い。言っても喜ばぬだろうが……

 ディブレシアの肌そのものだ

 ザウディンダルを見て感じていた他との違いは、この肌なのだと最近わかった。
 ロガの肌にもう少し女性らしさを足した様な、それでいて女性だけが持つ肌ではない。これが両方の性を持つ者の肌なのだろう。余の髪に良く似た光沢のある黒髪と、男にも女にも属さない多く存在しない脆さが余の劣情を煽る……は? 何を言っているのだ?
 待て、シュスターク!
 ザウディンダルはデウデシオンと恋仲……とか言う物であって、余がはまる場所はない。
 いや、まて! シュスターク。ザウディンダルが両性具有だと知って、混乱しているのであろう? なあシュスターク! 落ち着け、シュスターク!
「陛下、どうなさいました?」
「いや、なんでもない。エーダリロク」
 違う! 違うのだ!
 いや、あの……余がロガに対している感情は間違いなく愛情なのだ。
 だがザウディンダルに対しては、ロガに持っているような感情はない。……これは唯の肉欲なのだろうか? 相手が両性具有と知った瞬間に、こんな感情を抱くとは……自分のことながら、ちょっとショックだ。
「陛下、ご気分が悪いのでは?」
「い、いや……あ、そうだ! カルニスタミアとビーレウストは何をしておるのだ?」
 気分が悪いのではなく、あらぬところに神経が集中して必死に抑えているのだ。
 ザウディンダルは余の異父兄であり、デウデシオンが好きであり、またデウデシオンも好きという両想い。ここで余が変なことを口にしたら……デウデシオンのことだ、余にザウディンダルを簡単に差し出すだろう。
 余は僭主の末裔でもある両性具有ザウディンダルに幸せになって欲しく、余はザウディンダルを幸せにすることは出来ない。
 ロガとザウディンダルを並べると、間違いなくロガを選んでしまう。これは、間違いなく余ではなく……余ではなく……


 落ち着け! ラードルストルバイア! ザウディンダルはお前の両性具有ではない!
 昔々ザロナティオンと両性具有で仲違いした実兄ラードルストルバイア。
 お前が欲しかろうが余は欲しくはないと

《ほんとうか?》
− もちろん!

「陛下! あの二人は、俺が作ったこの手榴弾で遠投チキンレースをしてます」
「そ、そうなのか。それで、チキンレースとは何だ?」
 エーダリロクは二人に与えた手榴弾を取り出して説明をしてくれた。爆発時間の設定が出来る、火薬爆発型の手榴弾なのだそうで、あの二人は同じ時間をセットして残り何秒まで持っていられるか? そしてギリギリで投げた際にどちらが遠くまで投げられるかを競っているそうだ。
「あの二人はカンもいいので残り0.1秒を切るまで持って投げますね。腕力の問題上ビーレウストはカルニスタミアには勝てませんけど」
 いつの間にかロガも手榴弾の説明を聞いていた。
「本当に、何時まで遠投して遊んでんだ……」
 二人の遠投能力は凄く、かなり遠くまで飛ばしておった。そして、ほとんど同じところで爆発しているところを見ると……ん?
「やべ! 内装から外装まで亀裂入った!」
 突然警報が鳴り響く。どうやらエーダリロクの作った手榴弾が、二人によって壁にぶつかる程までに投げていた事によって、射撃場を被っている壁に亀裂が入ったらよう……


「うわぁぁぁぁ!!」


 壁がペリペリと言う音を立てたかと思ったら、いつの間にか……うわあああ! う、宇宙に! 宇宙にとびだー!
「陛下ぁ!」
「お待ち下さい陛下!」
 カルニスタミアとビーレウストが追ってくるのだが “お待ち下さい” といわれてもこの勢いはちょっと……

 結果だけを述べると、助かった。
 あの後、直ぐにエーダリロクが重力を発生させてくれて、宇宙空間に飛び出すのを防いでくれている間にカルニスタミアとビーレウストが余を掴んだ。そんな訳で余は無事であったのだが、余は皇帝なので……皆、叱責される為に各々の王の元へと戻っていった。
 手榴弾チキンレースに参加・協賛していなかった、ザウディンダルとキュラティンセオイランサは残ったが。
 それにしても……大宇宙に飛び出し単身宇宙旅行に出るところであった。

(陛下、それは ”飛び出す” ではなく ”吸い出された” が正しいと思われます)

**********


『良くやった、ザウディンダル』
 兄貴に連絡を入れた。緊急の連絡は入っていたらしいけど、詳細聞いて眉間に皺が益々刻まれた。
「いや、このくらい出来ないと」
 でも兄貴に褒められたのは嬉しい。
『ザウディンダル、この先の進軍も注意を払え。あの馬鹿王子共はアテに出来んからな。期待しているぞ、ザウディンダル』
「努力するよ、兄貴」
 通信を切って少しすると、陛下が突然現れた。
 ここは演習場の脇にある簡易の通信室で、狭くて何もない。陛下は休憩室で驚きのあまりに興奮状態になってしまい(無重力訓練してないから当たり前の事だが)医務室に運ばれた后殿下が落ち着くのを待たれている筈じゃあ?
「ザウディンダル」
「はい陛下」
「ロガを助けてくれてありがとう」
 わざわざそんな事を言いに足を運んだのか。
「いいえ。当然のことをしたまでです」
 当たり前のことですから、わざわざ礼なんざ言わなくても良いんですよ。……でも本当にあの后殿下が好きなんだろうなあ……
「ああ、ザウディンダル」
「陛下?」
 そう思っていたら、陛下が突然手を伸ばしてきて……俺は抱きしめられた。
「陛下?!」

 何か違う! これは……これは……! 陛下だけど、陛下じゃない!

「陛下! 陛下! おやめ下さい!」
 陛下じゃなけりゃ誰だ?
 この黒髪と白が基調の軍服に、肩から下がる章の数々。
 陛下以外、あり得ないのに……違う。
「陛下……」
 振り払う力がないから、両手で陛下の頬を包み込んで、顔を真っ直ぐに見てみた。
 何だろう……誰かに似てる。
 シュスター・ベルレーでもなく……ザロナティオンでもない。
 そういうヤツじゃなくて、俺が直接会ったことがある相手だ。…………っ!

 エーダリロクだ!

 この状態の陛下とエーダリロクが何で似ているんだ? 似てるって言うか……陛下とエーダリロクの見分けが付かない。
 見分けられるけど……見分けられない……なんだ? この恐怖感は?

《よぉ ひさしぶりだな     》

 陛下の内側から誰かが呼んでいる気がする。ザロナティオン? 違う……多分違う……なんだ? この感触は。

 しばらく黙って俺に頬に手を添えられていた陛下は、腕を放してくださった。
「悪かった、ちょっと混乱していた」
 身の危険を感じて 《帝王》 が現れたんだろ……でも 《帝王》 って感じはしなかった。
 エーダリロクと親戚だから似ているんじゃなくて……内側にある……まさか。そんな事言ったら、エーダリロクの内側にも 《帝王》 がいることに……。
 でも ”存在しない” とも言い切れない。
「落ち着かれましたか? 俺のことは気にしないで下さい。何でも致しますので、はいお望みであらば……」
 陛下は后殿下が大切で、触れられないのも引き金なんだろなあ。
「いや、本当に悪かった。悪いとは思うが、今のことはその……皆に秘密にしておいてくれ」
 陛下は俺に頭を下げて、そして呼ばれた声に部屋を去っていった。
 一人きりになった俺は床に座って、動けなかった。兄貴に 《帝王》 の事を聞いても答えてくれないだろうけど……
「エーダリロクに聞いたら教えてくれる……だろうか」

**********


「ナイトオリバルド様!」
「ロガ! 驚かせてしまい、済まなかったな」
 ロガはザウディンダルが抱きかかえて守ってくれたので、無傷で済んだ。ザウディンダル……済まん! ぎゅっ! と頭の中にしまい込んで!

《こんなぴりぴりしたくうかんじゃあ、きえないぞ。まぬけなきゅうでんならあんしんしてねむれるが》

 やはり前線に向かい、戦争をするのだから、まだ先は長いとは言え空気は宮殿とは比べものにならない程に緊張している。
「ナイトオリバルド様……あの、ザウディンダルさんのことなんですけど」
「お、おお……なんだ? ロガ」
「ザウディンダルさんて、本当に男の人なんですか? あの、さっき捉まえてくれてた時に抱きついてて、ちょっと……」
 ロガは本当に賢いなあ。そうであったな、ロガは見た目だけでザウディンダルが姉でありカルニスタミアが弟であると判断できたくらいだ。触れるとより一層はっきりと解るであろう。だが……
「あのな、ロガ。それに関しては、今は秘密ということにしてくれないか?」
 両性具有に関し、教えるか? 教えないか? その判断は余がするべきことであり、余はいまだ結論に至っていない。
 あの賢帝オードストレヴに『ジオの賢さを本当の賢さというのだ。余はただの知識あるだけの男だ』と言わしめた軍妃ジオは、真実を知っていた。だがサウダライトの正妃、ザウディンダルの瞳の色にも残っている帝后グラディウスは『知らなくても良い。幸せであってくれれば良い』と言われて帝国の全てを知らぬまま人生を幸せに終えたという。
 どちらが良いか、それは……
「ん? どうしたロガ」
 ロガが人差し指で自分の唇をなぞっておる。
「お口にチャックしておきますね」
 そう言って笑ってくれた。
「ロ、ロガ……もう一回やってくれるか? お口にチャックとやらを」
 すごく……なんか、可愛い。
 あまりに可愛らしくて何度も頼んだら、ロガが顔を赤くして俯いて、
「何回もやると、恥ずかしいです」
 項まで赤らめてしまった。
「済まぬな。あの、あまりにも可愛かったので……その……」
 言いながら両腕でロガを抱きしめた。小さな身体は余の身体にすっぽりと入って……ああ、ザウディンダルと違う。
 ロガは抱きしめている腕の内側にいるのが「ロガ」と確かにわかり安心できる。だが、あのザウディンダルを抱きしめた時に腕に感じたのは、ザウディンダルという人ではなく……。
「ロガ」
 余にとってザウディンダルは異父兄であり異父姉であるだけだ。


《いいのか?》
− もちろんだ


「ナイトオリバルド様」
「もう少し、抱きしめているだけで許してくれ。触れられないことを気にしているかどうかは知らぬが、もう少しだけこうやって抱きしめるだけで」
 少し力を入れるだけで折れてしまいそうな肩に指をかけて、膝をついて壊れぬように抱きしめる。
「……はい」

 あのザウディンダルを抱きしめた時に感じた抗いがたい深い澱みにも似た色が、余の中にある肉欲の真の姿なのだとしたら……ザロナティオン、それは抱いた相手を食い殺し続けた皇帝であり、余はまた……


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