サフォレーゾ・ビファイバムは卑怯ながらも望郷の念に囚われていた。
建物の角に背を預けながら、彼は四年程前に死んだ少女・マロバーテ・セザニアルのことを思い出し、深い溜息をつく。
サフォレーゾは田舎から、一旗揚げようとして帝星に出て来た男だった。そんな希望は、すぐに潰えて悪党の下請けの手先に良いように使われる程度の仕事につき、日銭を稼ぐような生活を続けていた。
彼の仕事は、世間知らずの少女を騙して借金を背負わされるような店に連れて行くというもの。小悪党の手先の下っ端は、良心を押し殺しつつそんな仕事をしていた。
死ぬまで追い詰めることのない ”悪事” だと自分に言い聞かせながらの毎日だったが、二年以上前のある日、自分が ”嵌めた” 少女が殺害されたというニュースを見て、怖くなった。恐怖を感じてこの場から逃げて、捨てたはずの故郷に戻りたくなったのだが、恐怖があるためにこの場から逃れられなかった。
「は〜」
人生何してるんだろう……朝っぱらからそんなことを考えていた彼の所に、仲間と呼びたくはないが同じ仕事をしている男が声をかけてきた。
「サフォレーゾ」
「何だよ」
「あそこに立ってる、あの褐色の肌の娘。すげー訛りで馬鹿な田舎娘だから、お前に譲るわ」
「?」
男が指さした方角にいたのは、
「……貧乏過ぎだろ」
ツギハギだらけの、サイズが全く合っていない洋服を着た少女。
「売るなり何するなり頑張れよ」
それだけ言って、馬鹿な田舎娘に最初に声をかけた男はその場を去った。
街角でみるからに貧乏そうな少女。おまけに ”馬鹿” ときたものだ。サフォレーゾはその少女の傍に近寄り、声をかける。
「お嬢さん、何処に行きたいのかな?」
「あてし、お兄さんのお家に行くんだ!」
「そうなんだ。お兄さんはどこにいるの?」
サフォレーゾの問いに、少女はこれもまたツギハギだらけで、服よりも酷い縫い目の目立つキャンパス地の鞄からメモを取り出し、
「ここに行きたいの!」
サフォレーゾに見せてくれた。
行き先を見て、頭のてっぺんから足の先まで少女を見て、彼は近くの無料端末で直通が出ている宇宙空港を調べて、少女を連れて行くことにした。
「案内してやるよ」
「いいの? おじさん!」
「おじさん……おじさんでいいか」
大きな藍色の瞳を前に、うだつの上がらない雑魚の手下は、溜息混じりに笑った。
「あっ! あのね、あてしグラディウス! グラディウス・オベラっていうんだ! おじさんの名前は?」
「! ……いや、まさかな……同姓同名だよな」
サフォレーゾは[グラディウス・オベラ]という名を知っていた。現在帝国で最も有名な少女の名である。帝后になった平民として。
「なにが? あっ! あてしのことはグレスって呼んでね!」
「あ、ああ。そうだな、グレスはいいな! それでおじさんの名前はサフォレーゾ・ビファイバム。少しの間だけどよろしくな」
生活に疲れていた男は、偶にリフレッシュしたいと、何時もなら食い物にする少女を何の見返りもなく宇宙空港まで案内してやり、港内にいる案内役に引き渡した。
「おじさん! ありがとう! あのね、お礼はね!」
首に提げている紐を引っ張り、カードケースを取り出した少女の頭を撫でて、
「要らない要らない。元気でな。悪い人に引っ掛かるなよ」
自分が悪い人の自覚があるサフォレーゾは苦笑しつつ、そう言ってグラディウスの前を去った。
後日彼は捕らえられ尋問された。
”グラディウス・オベラという名を聞いて、なぜ帝后殿下だと解らなかったのだ?”
その問いに、彼は控え目ながらも正直に答えた。
”あんなボロボロでツギだらけの、サイズも合ってないような洋服を着て一人出歩いている子供が、次代皇帝の生母だなんて、思いませんよ……俺の田舎にだってあんな格好で出歩くヤツ、いませんでしたよ”
彼はその後、特殊な人生を歩むことになるが、それはまた別の話。
空港でグラディウスを案内を引き受けたのは、ショルティス・ディラフィンという青年であった。彼はピラデレイス・ドミニヴァスと同じく、端末を使えない者達の案内役である。
グラディウスの格好を一目見て、勝手に奴隷と勘違いした彼は、お金もないとこれまた勝手に判断を下し、グラディウスが行きたい惑星に向かおうとしている人を探す。
その人達の 《小間使いとして》 仕事を引き受けさせる代わりに、連れて行ってもらう様、手筈を整える。
これは一般的なことであり、少しばかり移動料金が嵩むが栄誉なことでもあった。なぜなら、空港で一時的な奴隷の同行移動を許されるのは、本人はもとよりその第三親等までが犯罪の前歴がない者でなくてはならない。
「それはありがたい」
「お嫁さんにも、これ以上の証明はないですねえ」
ショルティスがグラディウスに引き合わせたのは、初老の平民夫婦。帝星の下町といわれる区画で、古書店を営んでいる。
今回は息子の再婚ながら結婚式に向かい、その後帝星に移動になった息子夫婦と共に戻って来ることになっていた。
「ではよろしくお願いします。ドミニヴァス夫妻」
この二人こそ、グラディウスが会いに行こうとしているピラデレイス・ドミニヴァスの両親であった。
夫のイルドラスと妻のクライヒネは、人の良い息子ピラデレイスを育てただけあって、本人達も非常に人が良かった。
「あてしのこと、グレスって呼んでね!」
「そうかい、グレスか。良い名前だね」
「うん! エリュシ様が付けてくれたの!」
先ほど別れた ”おじさん” ことサフォレーゾが[最初からグレスだけを名乗る練習しておけ]と言われたので、グラディウスは深く考えないでそれを実践した。
サフォレーゾがグラディウスにグレスと名乗ることを勧めたのは、近いうちに帝后と同姓同名の平民は全て名前に変更がかけられることを知っているためだ。
未定であり、候補の段階だが皇太子の生母である帝后と姓名が同じ平民は、間違い無く名を変える指示が出される。
嘗て平民から皇妃となったジオ・ヴィルーフィがそうであったのだから、今回も同じ事が行われるのは、疑う余地もないこと。
そうなった場合、自分で新しい名前を提出するのだが、その際グラディウスは ”グレス” と提出するだろうと考えた。
そして[グレス]名乗る練習をしておけとサフォレーゾは気を回してやった ”つもり” だった。
これが大事件に発展するなど、彼には知る余地もない。
「うわあ! 宇宙! 宇宙! あてし宇宙大好き!」
こうして「帝国で今、最も華やかで人々の憧れの的である帝后グラディウス・オベラ」は「どこからどう見ても貧しそうで頭の弱そうな田舎娘グレス」として、優しい老夫婦と共に生まれ故郷へと帰ることになった。
ちなみにショルティス・ディラフィンに対してのお咎めはなかった。彼は自分の失態を、人々に語ることもなく生涯を大過なく終える。帝后を奴隷と間違ったことで、すでに人生最大の大過をおかしたとも言えるが。
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