藍凪の少女・後宮配属・愛妾編[10]
 グラディウスは壊れた硝子球を握りしめながらベッドの隅ですすり泣く。
 その悲しさの理由が解らないグラディウスは、大声を上げるほど泣けず、手を傷つける硝子球を握りしめる手の力を加減することも知らない。
 グラディウスが村に住んで居た頃、私物は最低限以下の日常品だけだった。それに危害を加える事は、グラディウスを殴って追い出した兄嫁ですらしなかった。彼等の世界に私物を破損させるという考えはない。
 彼等にとって私物は壊して悲しませるものではなく、また壊された方も困りはするが悲しむものではない。
 生まれて初めて嗜好品を手にしたグラディウスは、それを手にした故に悲しむ事になった。
 経験した事のない喪失感と、目に見えない悪意に対する悲しさ。
 肩をふるわせて泣いているグラディウスから離れた所に座っていたサウダライトは、声を掛けずに落ち着くのを待っていた。
 しだいにすすり泣く声が弱くなり、
「眠ったか」
 疲れ果てて眠りに落ちた。
 掌は細かい傷が無数に付き、傷だらけになっているが、それでも手から離すことは無かった。
 全てを拒否し、傷ついた掌に壊れた 《宇宙》 を握りしめ、ベッドの隅で丸まって寝ているグラディウスに毛布を掛けてサウダライトはベッドから離れた。
 何故このような事をしたのかと、娘がぼかした 《黒幕》 に直接尋ねるが、黒幕王太子は何時もと同じく悪びれる事なく傲慢に言い返す。
『うるさいなあ』
「マルティルディ殿下」
『あのねえ、僕の企みに気付けなかった君が悪いんだよ』
「……」
 《寵妃にしてやろう》 と言った時に、裏があると考えていたサウダライトだが、これは思いつかなかった。
『君は君に出来る範囲の事をするといい。僕は僕で行動する。頑張れよ、皇帝陛下』
 そう言い、彼女はサウダライトからの連絡を切る。
 これ以上は言うと無意味どころか、彼女の反感を買い面倒な事になるのは目に見えていたので、サウダライトはこの件に関して全ての処分を彼女に一任する。
 グラディウスの洋服を裂き、宝物を壊した者達を追求するのはサウダライトではなく彼女・マルティルディ。
 サウダライトは部下を使い、粉々になったベゼラの全てを拾い集めさせ成分を解析させ、誰が作った物なのかを捜索させる。
 作り主を特定し、もう一度作らせてグラディウスに機嫌を直してもらおうとしたのだ。
「ケーリッヒリラ? か……」
 サウダライトは報告を受けて、訝しげな声を上げた。
「はい。確認も取りました」
 報告した部下は、皇帝が納得していないと証拠の品を幾つも提示するが、サウダライトは手を振り、
「いい。連絡を付けろ」
 目的を果たす事にした。
 サウダライトが訝しげな声を上げたのは、グラディウスが硝子球の制作者を 《おじ様》 と言っていたところにある。
「ルサの方が老けているような気がするのだがなあ」
 ケーリッヒリラ子爵とルサ男爵では後者の方が、年齢もそうだが見た目もかなり老けて見える。
 ルサ男爵はサウダライトから見ても、外見年齢は三十歳を越えているように見える。対するケーリッヒリラ子爵は息子ザイオンレヴィと見た目変わらない。
「平民には別に見え……」
 《平民》 と大きく括りかけてサウダライトは頭を振る。
 グラディウスを平民代表にするのは危険過ぎると、今までのグラディウスとの生活を思い出し、その考えを否定する。
 皇帝から名指しの指定を受けたケーリッヒリラ子爵は破片とグラディウスが握りしめている硝子球の断片を観て、復元可能だと言い皇帝はそれをグラディウスの目の前で行うようにと命じる。
 その命を遂行するために、ケーリッヒリラ子爵は帝星へと引き返す。
 サウダライトはその命令を下した後、ベッドが見えるソファーに腰を掛けながらグラディウスをどうやって慰めようかと悩みつつ本を開いたりして時間を潰した。
 今日の夜は皇帝に伴われたグラディウスの為のパーティーが開かれる時間だったので、余裕があった。
 微睡んでいたサウダライトは、
「……ん、……さん」
 擦れた鼻声と袖を引く感触に目を開き、その相手を見た。
「おっさん……」
 それは当然ながらグラディウス。
 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔は、お世辞にも綺麗とは言えない。世の中には泣き顔も美しいと言われる人も存在するが、グラディウスはそれに当てはまらないタイプで泣き顔は悲惨な有様。
「どうした? グラディウス」
 そのあまりにも無様な泣き顔に、サウダライトは ”この子は泣かせないようにしなければな、そう思った” 後に皇太子に語った程の有様だった。
「おっさん、あてし……し、死んじゃう……」
「どうした! グラディウス! 何があったんだ?」
 グラディウスは不細工に泣きながら下半身を覆っている服を全てずり降ろし、
「なっ! ……泣きすぎ……て、血が……出てきっちゃ……お腹痛いし……死んじゃうのかなあ……」
 血が出てきていると思しき箇所を指さした。

「……」

 それは当然ながら間違っていたのだが。

 サウダライトが微睡んでいる最中にグラディウスはトイレへと向かった。用を足し終えて立ち上がった時、血が出ている事を発見してパニックになって、何でも教えてくれるおっさんの元へよろよろと向かう。
 トイレからおっさんの眠っているソファーまでの間、悲しさと心細さと不安に押しつぶされそうになり、止まっていた涙まであふれ出しやっとの思いでサウダライトの袖をひっぱり声を掛ける。
 声をかけられたサウダライトは、深い溜息をついたあと、グラディウスの傷の付いている左腕を引き体を抱き締めて声をかける。
「それは大丈夫。病気じゃないから心配しなくていい」
 抱き締められたグラディウスもサウダライトの背中に手を回し、
「ほんとに? ほんと?」
 耳元で鼻を啜りながら聞き返す。
「本当だよ。まずは洋服を着替えてからおっさんとお話しようね。それと手の傷も治した方が良いな」
「やだ! おっさんにくっついてる!」
 グラディウスは抱きついたまま ”いやいや” と首を振る。
「そうか。もう少しこうやっていようね」
 サウダライトは抱き締め優しい声をかけ、髪を手で梳いてやりながら周りにいる自分の部下達に無言で指示を出す。
『それにしても……三日後に初潮だと聞いていたのだが。興奮して少し狂ったか』
「おっさん、おっしゃん……おっしゃんあのねえ」
 グラディウスが洋服を引き裂かれ、硝子球を壊された事を伝え終える頃にはサウダライトの肩は涎と鼻水で濡れかなり冷たくなってしまった。
「宇宙が、宇宙が壊れちゃったよ」
 涙が止まらないグラディウスにどう声をかけた物かと悩み、サウダライトはグラディウスの頬を軽く噛む。
「?」
 突然のことに驚いたグラディウスは、一時的に泣き止みサウダライトの顔を何時もの大きな藍色の瞳でのぞき込んできた。
「グラディウスのほっぺ、涙の味がするなあ。おっさんはグラディウスの甘いほっぺが大好きなんだけどね」
 言われたグラディウスは涙等で濡れている頬を傷ついていない方の掌で拭い舐める。
「しょっぱ……」
「洗ってみようか。そしたらおっさんの好きな、グラディウスのほっぺになるかもしれない」
 そう言ってグラディウスを抱きかかえて浴室へと連れて行く。洗われお湯で体が温まると、グラディウスも少しは落ち着きを取り戻した。
「おっさん、おっさん」
 顔を洗ったグラディウスがサウダライトに向かって頬を指さす。
「どれどれ」
 唇だけで軽く食んだサウダライトは、その後に頬にキスを何度もする。
「おいしくなったよ。笑ってくれたらもっと美味しくなるかもね」
 サウダライトは何時もはグラディウスに体を洗わせているのだが、今日は事情が事情なのでと侍女を何人か用意させて、自分の体を洗わせる。
 湯に自分の顔を映して頬を撫でているグラディウスの手を引き湯から上がり、着替えさせてからゆっくりと 《血が出ている》 事の説明をした。
 何時もは何度も繰り返さなければ理解しないグラディウスだが、出産を行っていた村長が折に触れては説明していたので、これは一度で理解することができた。
「そっかぁ。あてしも赤ん坊産めるようになったんだぁ。赤ん坊かあ」
 言いながら幸せ一杯のグラディウスの笑顔に、サウダライトは初潮を迎えた事を心底喜び、胸を撫で下ろし安堵した。
「食事にしようか」
 機嫌の良いうちにグラディウスの最も好きな食事をさせて、気分良くもう一度寝かせれば何とかなるだろうとサウダライトは、目線を下にしてグラディウスに話かける。
 すると突然グラディウスが真剣な面持ちになり、
「あてしお仕事するよ!」
 言いだした。
 何を言っているのか解らないサウダライトの目の前で、グラディウスは着せられたネグリジェをまくり上げパンツを下ろし始める。
「グラディウス。今日はそれはしないよ」
 膝までパンツを下げたグラディウスは驚いた顔でサウダライトを見つめ、
「じゃ、じゃあお掃除する!」
 ネグリジェの裾を巻き込んでパンツをはきなおして、裸足のまま駆けだした。
「ま、待ちなさい! グラディウス!」

 ちなみに、実際はショーツなのだがグラディウスがはくと何でも 《ぱんつ》 に見えてしまう。
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