ルサ男爵 エルセ・テル・ラーは着衣に失礼がないことを確認させたあと、昨晩与えられた指示通りにビデルセウス公爵の元へと向かう。
そこで 《7095》 の案内係と、
「教育も担当しなさい」
《7095》 の教育係も命じられた。
「はい」
習った通りの礼をし、退出して書類に目を通し彼は 《7095》 へと向かった。
階級とは主から数えた血の濃さによって、その全てが決まる。
皇帝、もしくは王を頂点とし、その血に近い者ほど特権を得る。
サウダライトが皇帝の座に就いたのは、主家の王太子が皇帝になることを拒否したことが原因。その選択基準は彼の血筋が前皇帝とケシュマリスタ王家の両方に最も近かった事が決め手。
サウダライトの子供達は皇帝の血を引く貴族的な扱いになった。そうは言っても、元々父親が皇帝になれるくらいの血筋だったのだから、生まれてから今まで階級社会において上位であったのは言うまでもない。
そんなシルバレーデ公爵やビデルセウス公爵の様な貴族だが皇王族上位に易々就ける血筋とは反対に、生まれながら皇王族だが死ぬまで飼い殺される階級がある。
皇族は皇帝と正配偶者の産んだ親王大公だけを指す。正配偶者は皇族には属さない。理由はただ一つ、正配偶者は皇位継承権を持たない所にある。
それ以外は全て皇王族となるのだが、それにも限界がある。
生まれた時点で第九親等までが皇王族で、第九親等の生まれの者は帝国から 《男爵》 を授かることとなる。これ以降の血筋は存在しない。
男爵で生まれた者は、全員宮殿で管理され、皇帝の下働きのような役割を仰せつかる。男爵とは言ってはいるが、実際の所、伯爵辺りから完全に帝国上層部にコントロールされ、自由は一切無い。
皇帝は代替わりの関係もあるので、一人一人の家系図はとても細かい。
ルサ男爵の祖は十六代皇帝オードストレヴ。彼の後を継いだ十七代皇帝の親王大公の一人が……と言った流れの末端になる。
子爵であった両親は、好き嫌い関係なく娶されルサ男爵を作った。子爵が作って、または産んで良い子供の数は0.5人。要するに二人で一人の子供を作る権利しかない。その二人がルサ男爵を欲しかったかどうか、男爵自身解らない。
男爵は生まれて直ぐに宮殿内の 《男爵》 を集める施設に入れられ、一度も両親には会った事がない。
彼は子孫を増やす権利はなく、死ぬまで宮殿で男爵として生きる。
それに対し異議を唱えるどころか、意見を持つことも許されない、いや意見を持つと考える思考すらない。
宮殿に溢れる程にいる、使い捨ての 《男爵》
彼は与えられた任務を遂行するべく 《7095》 へと向かった。
地図のナビゲートに従い辿り着いた扉の脇に、入室を許可された者だけが許されるキーを差し込み扉を開き、彼は皇帝の愛妾と出会う。
「失礼致し……」
持参した資料と身分証明書を床の上に落としながら、彼は目の前の光景に言葉を失った。
「リニア小母さん、ごめんなさい」
「謝らなくていいわよ。だから、グラディウス。もう少し大人しくしててね、今解くから」
目の前で繰り広げられている光景は、彼の死にもよく似た静寂の世界ではあり得ないもだった。
「あの……如何なさいましたか? と言いますか、何故そのような状態になられて……」
「あっ! 来られると言われていた男爵様! 済みませんが手伝ってください!」
リニアに言われ、彼はグラディウスに近付き彼女の指示に従って手伝おうとしたのだが、直ぐにソファーで一人黙って座っていることになった。
「申し訳ありません。私、絡まった髪を解くという事を習っていないので」
役に立たなかったのだ。
「こちらこそ申し訳ございません! 男爵様を使うような真似をしてしまって!」
ルサ男爵の目の前に広がっていた光景とは、ホールの観葉植物に髪を絡ませて宙吊りになりになっていたグラディウス。
グラディウスの村には髪を切る専門の場所はなかった。なので男も女も大体が髪は伸ばし放題で、それを結わえて仕事をする。
村で髪が短いのはまだ働けない子供か、年を取って身体が動かなくなった老人かのどちらかくらいのもの。
仕事の出来るものは、全て長い髪を結って生活していた。
平民はそれで良いのだが、貴族には違う決まりがある。女性は独身の場合、髪を結わず、結婚したら髪を結う。
男性は独身主義を表す場合に髪を結う。四十歳まで独身の場合は結い、また自分の弟や妹など年少者が先に結婚した場合、結婚する意思があるのか無いのかをはっきりとさせるために行われる。
グラディウスは皇帝の愛妾となった事で、階級も名前も平民のままだが、慣習的には貴族に則らなくてはならなくなり、髪を解くことが命じられた。
命じられたのだから従わなくてはならないと、グラディウスは髪を解く。そこに現れたのは、ロヴィニアの指通りの良い、風に流れるような銀髪とは違う、白くて艶のない、指通りの悪い一目で痛んでいると解るもっさりとした白髪の山。
リニアは焦る必要もないのに焦ってしまい、自分のヘアブラシを取り出してグラディウスの髪を梳かすが、それを途中で止めてしまうほどの通りの悪さ。
毎日どうやって三つ編みを結っていたのだろうと、リニアですら驚く程の状態。力一杯引っ張り、傷を付けてはいけないとリニアは蒸しタオルを作りに向かった。
その最中、グラディウスはホールにあった見た事もない木、観葉植物の鉢植えに近付いて行き、その髪が絡まって……
「リニア小母さん! 助けてぇぇ!」
グラディウスの叫び声に急いで戻ってきたリニアは、髪が観葉植物の枝に絡まり宙吊りになっているグラディウスに驚き、気も遠退きかけたが、失っている場合ではない! と言い聞かせて、近くある飾り用の椅子を運び、足を付かせて自分も椅子に登って絡まった髪を解くことにした。
小枝と固く小さい葉が特徴の観葉植物に、グラディウスの髪は巻き取られていて、とんでもないことになっている。
そこに男爵が現れたのだ。
「ありがとうございます、男爵様」
「いいえ、私はなにも」
「冷静な判断をいただけて良かったです、私は髪を外すのばかりに気を取られて」
ソファーに座っていた男爵だが、全体を見てより良い策を組み立てて動いた。彼はゆっくりと観葉植物の鉢を倒し、グラディウスが床に座っていられるようにした後、
『鋏を持っていませんか?』
リニアに尋ねた。手芸が趣味のリニアは、荷物から裁ち鋏を取り出して急いで小枝を切り、少しずつ外した。
「小枝でしたらこの鋏でも……これは園芸用ではないので、刃が痛んだのでは? 観葉植物を無断で裁断したので、裁断に使用した物も提出しなければなりませんから、その際に直すように書いておきます」
男爵はそう言いながら、観葉植物の破壊と損失を総務に提出する。
「今日は時間が遅くなってしまいましたから、最低限必要な施設を案内させていただきます。……?」
書類を提出し、案内した後には部屋の原状回復は終わっているだろうと立ち上がった男爵の目の前でグラディウスは鋏に、親指と人差し指を逆に差し込み空中で 《ちょきちょき》 していた。
そしておもむろに、自分の前髪の部分を掴むとばっさりと切り落とし、
「前見えるようになった」
嬉しそうに鋏を動かし続ける。
「グラディウス!」
「……」
その後すぐに 《皇帝が少し時間が取れたので》 との連絡を受けて男爵とリニアは別室に下がる。
新しい環境に不慣れで戸惑っていないかと心配して来たサウダライトは、観葉植物に巻き込まれた話と、不揃いに切られた分厚い前髪を見て、
「その前髪も良いが、今度からは専門の者に切って貰いなさい」
「……」
「グラディウスの村にはいなかったかも知れないね。髪を切る仕事の人もいるんだよ」
「そうなんだ」
「それじゃあ、夕食は一緒に取れるように時間を調整したから、その時にまた色々話をしてくれ」
「うん。解ったおっさん」
安心して急かす声になど気にせずに、唇に軽く触れるキスをして立ち去る。
「おっさん! お仕事頑張ってね! そして、あてしのお仕事も教えてね! おっさん!」
《おっさん! おっさん》 連呼するに非難の眼差しを向けた者もいたが、気付くわけもなく、
「ああ! おっさん、お仕事頑張ってくるからね!」
言われているほうがこの状態なので、誰も何も言わなかった。
ただ小間使い部屋でこれを観て居た教育係を任された男爵は、
「大丈夫ですか! お気を確かに!」
皇帝に向かって 《おっさん!》 と叫ぶグラディウスを目の当たりにして失神した。
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