PASTORAL −38
さて、サフォント帝と呼び方を戻して……。
クロトハウセにエバカインの警備を任せて、陛下と私はゼンガルセンが書類を作っている執務室へと戻った。自分の執務室に陛下を招く際は、自身でその扉を開けて、中を確認してから陛下を招き入れるのが慣わしである。
よって私も自分で扉を開く。中に居るのはゼンガルセンだ、敵の一人もいなかろう。ゼンガルセン自体が相当危険な相手ではあるが、今の所は脅威ではない。
「待たせたな、ゼンガ……」
あれ? 何故此処にカウタが?
執務室にはゼンガルセンとカウタマロリオオレト……
おそらく私が陛下の元へと急いでいた頃に来訪して、ゼンガルセンが居たのでそのまま室内に入ったのであろう。
あれ? そういえば確か……。サフォント帝は私の執務室に入り、椅子に腰をかける。我々は起立したままでご意見をうかがうのだが……
「先ずは、ケスヴァーンターン公爵から聞いてやろう。何用だ」
位からいっても、事態の深刻度の低さからいってもこの人からだろうな
「陛下。先日の議長か委員長を務めたいとカルミラーゼン大公に申し出ました、その結果が聞きたく」
あ……そんな事もあったな……というか昨日の事だろが。昨日今日で貰えると……思っているのだろうな。
「皇室典範改正委員会委員長、及び皇室典範改正案会議の議長職。余は現在休暇中ゆえに、後日正式な沙汰を出す。下がれ」
さすがサフォント帝、私が申し出ていない事など全くおくびにださずに、役職をカウタに与えた。
「ありがとうございます! 陛下」
嬉しそうに退出するカウタをゼンガルセンと見送りつつ、顔を見合わせた。あの男には相当……無理な、ような……。我が兄サフォント帝は何をお考えなのだろう。
「陛下、皇室典範改正委員会ですか?」
「暫く待てゼンガルセン、詳細は後日教えてやろう。カルミラーゼン、あれの補佐はお前だ。良いな」
「御意」
サフォント帝は、皇室典範の何を改正なさるおつもりなのだ? 考えた所で解かる筈もないので、今は陛下にご報告と対処をお尋ねせねば。陛下はゼンガルセンの報告を受けて
「ゴンドラ街におびき寄せておけ。明日、ゴンドラから狙い打つ」
「陛下がでございますか? ですが、ヤツラの狙いは弟君ですよ」
「ゼルデガラテアを同乗させる」
サフォント帝は『一人になりたい』のでゴンドラに乗られていた訳だから
「特別扱いですねえ」
そう取られるだろうな、実際特別扱いではあるのだが、色々と……。
「ほう? それは知らなかった。余がゴンドラにゼルデガラテアを乗せるのが“特別扱い”になるのか」
「そう、取られるでしょうね」
「ならば、貴様もゼルデガラテアを特別扱いすれば良いのではないか。なあ? カルミラーゼンよ」
「そうですね。銃器の事は私には解かりませんので、ゼンガルセンと協議なさって決めてくださいませ」
「ゼンガルセン、付いて来い。カルミラーゼンはゼルデガラテアの状態を見てまいれ」
そのように仰られて、サフォント帝はゼンガルセンを連れて銃器庫のほうへと向かわれた、そのあとゴンドラ舟のあるほうに足を運ばれて明日の準備をなされるのであろう。敵の襲撃を迎撃する時の準備を、陛下は御自身でなされる。
他の者を信じていないというよりは、自分で調整した方が“やりやすい”配置になるのだそうだ。机の上のペンやペーパーウェイト、採決箱などの配置を考えるのと同じようなものらしい。
私は二人を見送った後、サフォント帝の私室へと向かった。私室のポッドがある部屋で、クロトハウセがラニアミアとモニターを見ながら「薬がどうの」「音波はどうだ?」などと話し合っていた。ラニアミアは陛下の夜伽専用の医師だ。
陛下の御相手が何の病気も持っていないか? を調べる所から始まる。それは基本的な仕事であり、後は失礼のないように体の内部を洗う事もこの医師の管理下。陛下のお体に合わせて部位の緊張を解いたり、必要ならば拘束したり。その他、精子の管理やら一夜の相手の妊娠検査から堕胎まで全てをとりおこなうのだ。
当然誘惑も多い。何せ一夜限りの御相手を務める娘も貴族の令嬢である事のほうが多いのだから。
多額の金銭を持ちかけられたり、偶には命の危険を匂わせられたりと大変なものだ。それらに屈する事なく陛下に仕えれば、陛下のご信頼も厚くなるというものだ。ラニアミアは陛下のご信頼と、クロトハウセの庇護下に入り(別にクロトハウセの愛人ではないぞ……明記しておかねばな、弟の性癖上)その職務についている。
「カルミラーゼン兄、お待ちしておりました」
「どうした? クロトハウセ」
「ロガ兄のストレスが最大値に到達しています」
すまないな……エバカイン……取り敢えず、お前の兄は頑張るよ
ラニアミアの話によると、性行為のストレスではなく日常生活のストレスではないか? とのことだ。
「陛下がお優しいのですよ。ほとんど、正常位ですから。固定用ベルトも必要ないほどに、加減してなさってますから」
サフォント帝は基本的に……まぐろ? 「まぐろ」が何なのか私達には解からないが、とにかく御自身で動く事はない。そういうのを「まぐろ」と言うらしいが、良くは知らぬ。
何せ、ベッドの天板に背を預けて書類を読みながら勝手に動かせているくらいの人だ。あれで書類の計算ミスを簡単に見つけられるのだから、我々とは全く違うお方であらせられる。
「だが、今日の夜は休ませた方が良いのではないか?」
私の質問に、
「出来ましたら、そうしていただきたいです」
ラニアミアが答えた。優しく扱っていても身体には負担になるからな、最高の医学を持ってしても最中は辛いのは古代も現代も変わらない。なので、
「陛下にお願いしておこう」
偶に頑張るよ、エバカイン。兄として兄上を止めてみよう! 一日くらいは。
「では、私もカルミラーゼン兄とご一緒に陛下にお願いを申し出ます」
その後、話をして日常生活の負担をどう取り除くかを話し合った……のだが、私もクロトハウセも宮殿育ち、そしてラニアミアも大公で宮殿育ち。
(カルミラーゼンの大公は“グランアプラセ(親王大公爵)” ラニアミアの大公は“グランアデュカ(大公爵)” エバカインは厳密には親王でないので“グランアデュカ(大公爵)”を賜った)
「誰に尋ねれば良いものでしょうね。私のような無骨で無神経な者には、ロガ兄の繊細なお心を慰める術は思いつきません」
お前がわからなかったら、この場で誰も解からないと思うのだがクロトハウセよ。何時も二十人も男並べて楽しむお前はどうした? ……解からなくて当然か、二三十人並べて遊んでるのだから、繊細さには欠けるか。それにしても、お前が解からないとは困ったものだな……。仕方ない、
「……陛下にお許しを頂いて、エミリファルネ宮中伯妃にお話をうかがってみようか。伯妃であればエバカインの事も良く知っておられるであろうから」
エミリファルネ宮中伯妃、エバカインの母親だ。なのだが……簡単には我々は会う事が出来ない。前皇帝の妾妃(側人)と前皇帝の正妃の子は言ってしまえば他人同士なので、良からぬ事……要するに肉体関係を結んでしまったりする可能性が高い為に、面会が規制されている。
基本的に自分の親以外の正配偶者とは、簡単に会うことは許されていない。
それは親皇帝が崩御しても同じ事で、実際父帝が崩御した後、生家へと帰っていった帝后ラータリア=ラリア、皇妃バウカンスルシュ、帝妃センテロミーハの三名とはこの七年間一度も会った事は無い……いや向こうは皇后リーネッシュボウワの息子など会いたくもないであろうが。
全く関係のない事だが、仕えていた皇帝が崩御した後、正配偶者は再婚出来ても、出産(出産させること)も許可されない。大体の者は宮殿に残り陰謀を繰り広げたり、離宮でのんびりと生活したりするものだ。その際に、子孫を作れないよう処置を施すのが慣わしとなっている。
何せ間違って子供を作ってしまったりしようものなら、その正配偶者の子全員の皇籍が剥奪されるので全員確りと処置して出てゆく。
それにしてもあの三正妃達……宮殿にも残らず、領域も貰わずに実家に逃げ帰るとは……我らが母リーネシュボウワ皇后が、どれ程恐れられていたか解かるというものだ。
それで話しはずれたが、私が宮中伯妃に手紙なり面会なりを行うには、陛下の許可が必要となる。政治などは陛下の手を離れかなり自由にさせていただけるのだが、儀礼は全て陛下のお手を煩わすのであまりやりたくはないが、そうも言ってられまい。エバカイン貞操の危機……ではなく、エバカイン生命の危機だ。
「そうですね。それにしてもエミリファルネ宮中伯妃はお美しい方なのですか? ゼルデガラテア大公殿下のお姿から察すると」
「普通」
「カルミラーゼン大公殿下……」
ラニアミアが私の即答に『あ〜あ』といった顔をしているが、本当に普通の女性である。
……普通は、皇后宮務めの侍女などは見目の美しいものが選ばれるのだが……ほら、我らが母は嫉妬深かったから。綺麗な娘などが父帝の側に近寄れば、花瓶で頭殴りつける事くらい日常茶飯事。
父帝がちょっとでも侍女の方に目をやろうものなら、その目線の先にいた女性の髪掴んで引き摺りまわし、内苑の池に叩き落したり(確か死んだはずだ、この人は。冥福を祈……多数いるから祈りきれないのが実情なのだが)
それがエスカレートして我らが母は自分で侍女を選びに行く事もした。あまり美しくない娘を選びに……それでもヒステリーで八つ当たりして大変だったのだが。
普通にしていれば我らが母の方が美しいのだが、髪を振り乱して窓硝子頭突きして割って額から血を流したり、医師の人体解剖トレーニング用人形(血とか内臓とか完備されてるやつ)を切り裂いたり針をさしたりしながら、父帝を待っていたりしなければ……
私でもあまり訪問したくはないが、そんな正妃……わざわざ正妃と明記する必要もないな、そんな妾妃など存在する筈もないから
そんな事をしなけれ……見た目だけならば美しかったのだがなあ。帝后ラータリア=ラリア、皇妃バウカンスルシュ、帝妃センテロミーハこの三人よりも美しかったのだ、彼女たちの方が若くはあったが、美しさではケスヴァーンターン出の我らが母が最も美しかった。私の遠い日の回想は良いとして、よって宮中伯妃が生きているのは奇跡に近い事でもある。
というか……普通の顔立ちで普通のスタイルだったから、気付かなかったのともう一つ理由があるが、まあ……らしいと言えばらしい……女は「それ」は許せるのであろう。
男としては消し去りたい過去に匹敵するのだが……。まあ、何と言うか……父帝も可哀想な方ではある。
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