PASTORAL −157
「レオロ侯爵が陛下の挙式に参列する為に領地を出た、やはり早いな……案の定エヴェドリット領に入ったか。どれ、提出航路は……次はケシュマリスタ領に抜けて、ロヴィニア領伝いで帝星入りか。えらい遠回りしやがる、テルロバールノル領と帝国領を通ればあと二週間は遅く出発しても余裕で間に合うってのに。ま、その方が捕らえやすいっちゃあ捕らえやすいが。さて、どうしたもんか?」
報告を受けたサベルス男爵がエバカインにそう告げたのはカンセミッションを拾った翌日のこと。
「典型的な犯罪者航路を取りますね」
レオロ侯爵がテルロバールノル領と帝国領を通らない理由は、自分が犯罪をおかしている事にある。
家名持ちの貴族は原則的に他王には捕らえられない。彼等を逮捕できるのは皇帝か自国の王のみ。移動中に犯罪がばれた場合を考え、レオロ侯爵は決して逮捕されない他王の支配領を伝って帝星に入る。
「今は何処に?」
勿論、他王に捕まえられないが他国で何かを仕出かせば、殺される可能性はある。殺した貴族の属する王と、殺された貴族が属する王がそれを元に小競り合いをするのは、結構有触れたことだ。
ただ、他王家の領地で殺された場合、殺された方が圧倒的に不利でもある。
何せ殺されたこと自体を隠し切ることもできるので。よって、他王の領地を渡っている時は、自領地内でどれ程横暴な貴族であってもそれは品行方正なものだ。
「エヴェドリット領に入ったばかりだ。領を納めている当主と会談しなけりゃならんから、一日は動かない。どうする? 二人を助けるより先にレオロ侯爵を強襲するか? ダーク=ダーマならギリギリ間に合うだろう。足止めさせても良いが、後ろ暗い事してるやつは、直ぐに勘繰ってくるから」
領地を通してもらったお礼に会合やらパーティーやらを開き、そして小さな贈り物をする。
これらの労力や費用は相当なものだが、それでも奴隷を集めてそれで階級をさらに上げることのほうがレオロ侯爵にとっては重要なのだ。だが、重要であっても保身が一番。証拠を消すことに躊躇いはない。
「それじゃあ、証拠を隠滅される恐れがある」
「そうだよな。お前の目的は捕らえられているラウデとサイルを助ける事で、レオロ侯爵とやりあうのが目的じゃないもんな」
「できれば、帝星に到着する前に捕まえるべきだろうな」
「だが、軍隊がないぞ。ゼルデガラテア大公軍は未だ編成中だ」
「……ご成婚式の後に捕まえるか……犯罪者と解っている者を陛下の華燭の典に並ばせるのも……いや、欠員が出たほうが……」
「空きなんざ簡単に埋められる。陛下のご成婚式に出席したい貴族は山ほどいる。家名持ち貴族でも参加できない者もいる。そういった奴等は、帝星付近まで来てるから呼べば喜んで降りてきやがる。その欠員リストなら直ぐに手に入るし、招待状の手配も整えられる……が、軍隊がなあ。俺の持ってる私設軍隊程度じゃあ、レオロ侯爵家の私軍とは……」
四大公爵の下の位置に割って入ろうとしている侯爵家と、名門ながら代々それほど上昇志向の強くない当主が継いできた男爵家では勢力に雲泥の差がある。
サベルス男爵も私設軍隊は持っているが、それは領内警備程度のもので武力衝突用ではない。
皇族であり大公であるエバカインならまだしも、貴族が戦闘に耐えうる軍隊を持っている方が珍しい……ケシュマリスタでは。
だが支配者が変われば、貴族の質も変わる。とある王領内では貴族が当たり前のように戦闘用の兵力を持っている。それは、
「お貸しいたしますわ、大公殿下」
「カザバイハルア大将?」
軍閥王家・エヴェドリット。その支配下にある貴族達。
「殿下の軍隊が今手元にない理由、殿下もご存知の通り」
エバカインの手元に大公軍がないのは『ゼルデガラテア大公殿下に差し上げますよ』と誕生日に軍隊をくれた筈のリスカートーフォン公爵にある。
誕生日にもらった筈の軍隊は、そのままゼンガルセン王子に従って簒奪に参加し、そのままエヴェドリット領内に駐留している。カルミラーゼンはその事を知っていたが、知らないということを表す為にエバカインの私設軍隊を “それを見越した増強” はしていなかった。
あくまでもゼンガルセンから届く軍隊、それに足りない分を用意して待っていた。
その体裁を保っていた事と、リスカートーフォン公爵になったゼンガルセンが「改めて大公殿下に贈らせていただきます」という申し出があったことで、軍隊の調整は遅れている。その為エバカインの軍隊は[軍隊]と呼べるものではなかった。
現時点では、サベルス男爵が持つ私設軍よりも小さな部隊しか自由に出来ない。
「……まあ、それは……まあ」
それは知っていてもナディアに向かって、ゼンガルセンの直属の配下に向かって肯定するわけにもいかない。
言葉を濁しているエバカインに、
「ですので、私の実家の軍をお貸しいたします。アジェ伯爵軍、エヴェドリット王国の守りの要。強さには疑いありません。それにエヴェドリット領内での捕り物。他の軍に争い事を渡すような我々だと思いまして?」
ナディアは、最強軍の名をあげた。
エヴェドリット国王軍、バーローズ公爵軍、シセレード公爵軍、そしてナディアの実家アジェ伯爵(副王)軍。これがエヴェドリット王国の四強と言われる。
エバカインがサベルス男爵に視線を動かすと、心得たとばかりにサベルス男爵が耳元に口を近付け、
(借りておけよ。お返しにエヴェドリット属の家を代わりに招待すりゃあ良いから、かえって解りやすくていいだろ。それにしても……レオロ侯爵も悲惨だな……よりによって、アジェ副王軍たぁな……)
囁いた。
エバカインの学友になって以来、数多の不幸が身に降りかかっている男が “追撃される犯罪者” に対し同情したくなる軍隊、それがアジェ副王軍。
[エヴェドリット国王軍]今でこそゼンガルセンの支配下だが、元々は父親と兄・アウセミアセンがトップだった軍勢。対するアジェ副王軍は、ゼンガルセンに期待していた副王が彼に長い事自由にさせていた軍。
ゼンガルセンとシャタイアス、持ち主である副王とその後継者ナディアに鍛えられた軍隊が強くない筈がない。その気性の荒い軍隊、まさにゼンガルセン王子そのもの。
「……では、その軍隊をお借りいたしたい……ですが、指揮はヘス・カンセミッションに任せたい。よろしいでしょうか?」
強さには疑いはないが、殺されては困る。
エバカインは漠然とながら、レオロ侯爵の罪を死で償わせるつもりはなかった。エバカインの中でまだはっきりとした形にはなっていないが、レオロ侯爵を司法の場に引き出し、裁きを受けさせたいと考えていた。
どうやったら良いかは全く解らないが、必ずなし得たいと。それは他人には任せられない大きなことになる事も。
他人には任せられない、即ち自分がレオロ侯爵と正面から敵対すること。エバカイン自身は人と争うのは好きではないが、好きではないからと言ってこのような状況を殺して終りにしては、何も “続かない”
確実に裁き、この種の犯罪の掣肘としなければ何もかもが無意味になる。そう、昨日殺した “命令に従っただけの者” が増えるだけになってしまう。
昨日殺した者達のような立場の者が、陳情できる人間がいなければならない。それは、階級社会である以上ある程度の地位と階級がなければならない事も。
それに当てはまるのは自分。
だが、今まで何もしていなかったエバカインがそれを口にした所で誰も信用しない。言うより先に行動で示す必要がある。
レオロ侯爵を戦いではない方法で地に這わせ、この種の案件に関して立ち向かい “勝利” する者が居る事を知らしめなくてはならない、その為には何としてもレオロ侯爵を生かして捕らえなくてはならなかった。
その決意をこめたエバカインの言葉を受けたナディアは微笑み、最大の武力を貸してくれることを約束した。
「勿論。殿下のご意向に沿った形でアジェ伯爵軍は動きます。艦隊指揮補佐に私の弟・ダーヌクレーシュをお使いください。あれは帝国騎士なので、少しはお役に立てるでしょう。帝国騎士の総括であるオーランドリス伯爵に許可は取っておきますので」
そんな軍に強襲されたら、名門侯爵だろうが何だろうが勝ち目はないに等しい。
実際、カンセミッションとダーヌクレーシュが率いたアジェ副王軍を前に、レオロ侯爵は顔色を失い無抵抗で降伏する。
その後、色々な縁故を使い自分が裁かれないように根回しをするが、エバカインがそれに立ちふさがる事となった。逮捕から五年の貴族法廷闘争を経て、レオロ侯爵は遂に爵位剥奪と死刑を言い渡された。
爵位を持ったままの死刑であれば貴族として葬られるが、爵位を剥奪されての死刑は奴隷と同じで個別の墓すら作られない。貴族であった者が受ける最も重い刑罰。
そのレオロ侯爵が死刑間際に言い残した言葉は[最初の一年目は無罪を確信し、二年目は楽観視して、三年目は鬱陶しく感じ、四年目に焦り出し、五年目には手遅れだった。私は大公を甘く見ていた、そして大公を甘く見ている者達は私の死で彼の評価を変えるだろう]
五年間レオロ侯爵と争った皇君エバカインは、その後もカンセミッションが捕まえてくる大貴族を「貴族法典」に則り裁きの場に引き出して、刑罰を与える事に奔走する。
レオロ侯爵がエヴェドリット領にいる間に捕まえようと、アジェ副王軍を借りるためエバカインはナディアに連絡を入れてもらう事にした。
ナディアが直通コードを入力すると、ほどなく画面に副王が現れる。その副王は “紫色を帯びた液体” の中に居た。
戦闘用バラーザダル液に浸りながら、娘と対面した。
「お母様? どうしまして機動装甲に乗られて」
“ナディアか。今交戦中だ”
「何処と?」
“カッシャーニ・ゼマド大公軍”
何故? 何時の間に帝国と戦争を開始いたしたのですか? エヴェドリット?
全く理由の解らないナディア以外の人達は呆然とするしかない。
その言葉に、ナディアが外側から記録している映像を送るように依頼すると、そこにはナディアの母の搭乗する機動装甲とエヴェドリット艦隊。その向こう側にはカッシャーニ・ゼマド大公混合軍。
そこには、これから行われるレオロ侯爵の逮捕など問題にならないような “本物” の戦闘風景が拡がっていた。
「もしかして、この人の事かしら?」
ナディアが視線を向けると、副王は堂々と頷いた。
おそらく普通に頷いただけなのだろうが、頷き一つが既に支配者。
“そうだ、サベルスを寄越せと向こうから仕掛けてきた”
「あら、大変でしたわね、お母様」
“大した事はない。たかが惑星焼夷弾200発程度、簡単に迎撃できる”
−惑星焼夷弾・地球規模なら一つで焼き払われる。
かつて地球を滅ぼした爆弾の進化系
「お母様は、寝室に機動装甲を配備してますものね」
枕の下に銃などリスカートーフォンでは甘い。むしろその程度の人間など笑われる。
「それって……機動装甲の整備保管庫にベッド持ち込んで寝てる……と言った方が正しいような」
もしかしたら[未来の義理のお母様]になるかもしれない、それはもう妖艶というか強そうというか、恐怖しか感じられないような女性を前に、サベルス男爵は呆けた声をあげるしかなかった。
その隣にいたサンティリアスは、普通に生きていれば一生見ることはなかっただろう「機動装甲に搭乗して戦闘している騎士の姿」を目の当たりにして、
『貴族や王族って大変なんだなあ……』
自分が奴隷として生まれたことを、心の底から喜んでいた。むしろそれ以外の感想を持つ事はできなかった。なんだか色々で。
「カッシャーニ。私の機動装甲の破損率が12%になっているけれど、副王は?」
機動装甲は破損率が15%になると、帰還することが命じられている。それが守られる事は少なく、大体は私的な戦闘の引き際とされる程度。
対異星人戦役でも戦死は良いが、私的な戦闘で大事な戦力が減るのは帝国の痛手となる為。そこら辺のことは心得て「私闘」しなくてはならないのだ。
「副王は8%くらいのようね」
機動装甲 対 機動装甲。
息子・ダーヌクレーシュが「母の短パン姿は……」と語った副王の戦闘している姿は、直視できないくらいに怖い。
副王の為に言っておけば、機動装甲に乗り戦っている姿は[殺戮・闘争本能]だけが表面上に出ている状態なので、誰であっても怖い。初陣のエバカインはそれ程必死ではなかったので、闘争本能が面に出る形相になるような戦い方をしていなかったので変わらぬ状態だったが、そのエバカインであっても単騎で敵陣に乗り込めば常人には直視し難いほどの形相となる……だろう。
特にエバカイン以外の騎士は、殆どが王族や皇王族なので髪は長いわ、顔は怖いわ……普通にしていても迫力があるというのに、紫色の液体の向こう側に見える顔や体、頭などに機器をつけた姿は違う生物にしか見えない。
「そう。仕方ない、私は帰還するわよ、カッシャーニ。あの副王を振り切るためには2%の破損は考慮しなくてはならないから」
「そうね……ゼマド大公、帰還を許可する。それにしても、さすがあのデバラン侯爵が最も恐れた女・アジェ副王エラデォナデア=ナディラ。仕方ない、全軍! ゼマド大公を収容後退却する。追撃されることを考慮し、退却体勢に入れ」
何にせよ、事態は[カッシャーニ VS ゼンガルセン]を越え、遂に帝国二大女怪[デバラン侯爵 VS アジェ副王]の激突となった。
己の威信と権力と名誉と意地をかけて戦う女達の戦利品は、
「ひぃぃぃ……どうにかならないか、エバカイン」
自分の手には負えない世界での出来事に、軍隊を借りる話をナディアに任せ、エバカインの手首を握って遁走。部屋に入るなり頭から毛布を被り、頼りない皇族に助けを求めていた。その頼りないが頼られた皇族エバカインは、
「あのさ、アダルクレウス……デバラン侯爵って……何?」
事の重大さを全く理解していない始末。
「おっ! おまっ! デバラン侯爵知らねえのか!」
「四十二代皇帝の帝妃だってのは知ってるけど……違う人なのか?」
「大馬鹿がっ! 良くそれで宮殿で、後宮で生活してられたな!!」
男爵は滔々とエバカインに、後宮大権力者デバランの恐ろしさ教えてやらなければならなかった。
そのサベルス男爵の言葉を最後まで聞いて、
「お前、凄い人と結婚するんだなアダルクレウス。なんか、遠くにいってしまうような」
背後に付いている女の人が怖いんだね! と目を細めた作った笑顔で肩を叩き “ご愁傷様” をこめて話しかける。
「その遠くは、死んだという事か?」
そんな軽口を二人で叩き合いながらサベルス男爵は元気を取り戻しはしたが、本当に遠くにいっているのは「男皇帝と正式に結婚した異母弟」エバカインの方。その事実を、二人はまだ知らない。
「というわけなの。良いかしらお母様」
“皇君、それもゼンガルセン自らエヴェドリット属に加えた正配偶者にこの軍を貸すこと、異存はない。なんなら我が直接レオロを叩いてやろうか”
「レオロはお母様が行かれる程の相手ではありませんよ。ウィリオスで十分ですわ。ウィリオスを鍛える為にもあれに行かせましょう」
“そうか。ならば帝星より呼び戻し配置しておく。存分に使うように伝えておくが良い”
「はい」
ダーヌクレーシュ男爵は、母の呼び出しに一人機動装甲に乗りワープ装置を駆使し目的地までひた走った。母の呼び出し命令に遅れたら大変なことを彼と、統括のオーランドリス伯爵は良く知っていた。その為、ダーヌクレーシュの移動許可はすぐに下りる。
尤も、遅れなくても姉の結婚騒動で大変な事になっているのだが。
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