PASTORAL −139
 帝星のいたる所に掲げられたエヴェドリットの旗。
 軍旗といわれる赤い旗が翻る様を、椅子に腰掛けながら窓硝子越しにそれを眺めるデバランの表情は特に変わった所はない。
 あの旗の主を暗殺するように命じた彼女。暗殺など数え切れないほど命じている彼女にとって、即位前から『第三の反逆王』と名高い男であろうが今まで暗殺命令を下した相手となんら変わりはない。宮殿の最奥、最も安全な場所から数々の命令を下す。
 この世に存在していない事になっている王家の『私生児』達、それらの血筋から身体能力の優れたものを集め手足のように使うのが彼女の今までの手段であった。
 それは死ぬまで変わる事はない。
 
「デバラン侯爵殿下。ゼンガルセン=ゼガルセア殿下から、手紙が届いております」
「寄越しなさい」

 親愛なるデバラン侯爵 ラバラーシュラデ・エリザザレティック・アバセルハスマージャ 様

 宮殿の女怪として名高い貴方様からの贈物に感謝を表すために、手紙を送らせていただきます
 貴方が放ってくださった暗殺者、なかなかに面白かったですよ
 我等は平素、数を多く殺す事だけを目的としておりますが
 拷問するのもいける口です。カルミラーゼン親王大公には劣りますが、中々に我も上手です
 このようなことは自賛するべきことではないのでしょうが
 貴方から頂いた暗殺者、皆で楽しませていただきました。誠に我等に相応しい贈物、感謝しております
 贈物の感謝以上に、我は貴方に感謝している事がございます

「……あの小僧……め……」

 貴方がカウタマロリオオレトに執着している事は我も知っております。特に貴方が執着しているのが、カウタマロリオオレトとクロトハウセを共に暮させることと言う事も
 何もおっしゃらなくても結構です
 我は貴方に感謝しているのです
 クロトハウセを宮殿に止めてくれた事を
 クロトハウセの父、サフォント帝の父でもあるクロトロリア
 あれがカウタマロリオオレトを強姦しようがしまいが、貴方はカウタマロリオオレトとクロトハウセを共に暮させ、それを眺めるおつもりだったのでしょう
 昔、自分の息子を皇帝の夫にしようと画策し
 邪魔であった息子の恋人であり、兄でもあった皇子を母である正妃もろとも殺害した程の貴方
 その程度の事ならば簡単にやってのけられたでしょう

 我は貴方のような方が、どんな生き方をする人よりも好きです

(帝妃! 貴様もただでは済まぬぞ!)
(何が唯では済まぬのだ? 老女めが。陛下はこの若く美しい私の言いなりよ。私に対抗心を燃やして、子を身ごもったようだが無様よのお。貴様のような醜い女が死んだところで陛下は何も言わぬ)
(貴様とて)
(黙れ! 人の息子を誘惑するように息子をけしかけた売女め)
(売女の息子に喜んで乗っていたのは貴様の馬鹿息子ではないか。あれには、もう女は抱けまい! あの憎い皇妃の娘の夫には……)
(死ね、皇后)

「…………」

(私を殺せばよかったのですよ、母上! 私は……)
(何を言う、ハウゼリリアルト! お前は皇帝の夫となるのだ。お前を皇帝の夫としてやるために殺してやったのだ)
(私はダトゥリアイナス姉上様の夫にはなりたくはない!)
(何のためにお前を産んでやったと思っておる! 皇帝の夫とならぬそなたなど、私には必要ない!)

 クロトハウセ、あの男がケシュマリスタ軍を率い、サフォントが帝国軍を指揮しては我には簒奪の機会がない
 お解かりでしょうか?
 帝国軍と王国軍がサフォントとクロトハウセの連携のとれた関係になると、エヴェドリット軍だけではとても太刀打ちできないのですよ
 クロトハウセがケシュマリスタ王にならば、ケシュマリスタ軍を率いるように定められれば、さすがの我も、もう少し牙を隠して行動します
 ですがサフォント帝は、何故かクロトハウセだけはケシュマリスタ王の候補から早い段階で外した
 近衛兵団団長を務めている我に、まるで挑戦するかの如く、はっきりと語られました
 
 サフォント帝ほどの男が、自らを敢えて危険の中に立たせた

 我には理由は解りませぬが、サフォント帝は貴方の “昔自分で否定した世界の再現” に応える為に自らを危険に晒した
 あの用意周到で用心深い皇帝らしからぬ行動です
 無論皇帝は大胆なところもありますが、大胆と無謀は違います
 知りつつ危険な状況に自身を置いた
 その行動を取らせたのは貴方
 貴方がサフォント帝にそれ程までに影響力を持つ事になった原因
 二十四年前の出来事だと言う事までは調べがつきましたが
 サフォント帝も警戒しているのか、それ以上は調べられませんでした
 二十四年前に何があったか教えてくださいませんか?
 教えて下さったら、カウタマロリオオレトは生かしておいてさしあげますよ

 我が帝国を獲ったとしても、生かしておいてやるぞ
 さあ、言え。老女。言えばお前も生かしておいてやる
 生きておらねば権力は使えぬぞ



 権力の亡者め



(母上は権力が必要なのですね……母上の望みは叶えられそうにないので、私……死にます)
(お前のような息子など要らぬわ! 神経が崩壊する前にどこぞで死ぬがいい! 死に顔すら見たくもない! 役立たずが!)


 貴方が殺した母の母である皇后、そして母の兄
 母は恨んでいたようですが
 我は恨みはしておりませんよ
 我は邪魔なので私の母を殺しましたから
 貴方の息子は優しい子で良かったですな
 貴方の息子の力ならば、殺せたでしょうに


 真に愚かな息子ですな
 貴方にお似合いの息子ですよ


 叙爵式に参列していただけないそうで、とても残念でございます
 暗殺者も全て殺し尽くし、安全な状態でありますのに

 我が皇帝になる道を、サフォント帝に付け入る隙を与えてくださってありがとうございます

 言い尽くせぬ感謝を込め それではお元気で

 ゼンガルセン=ゼガルセア・ナイサルハベルタ・アーマインドルケーゼアス

− 貴方のベッドの枕を引き裂いて中をごらんあれ −

「軍人に似付かわしくない優美な字を書きおって。黙って画家にでもなっておれば良いものを」
 言いながらその手紙を握り締めた自分の掌に汗が滲んでいる事を、デバランは認めたくはなかった。
 認めたくはなくとも、窓の向こう側にある高くに掲げられた赤い旗が白い旗と共にはためく音が、聞こえはしないはずの音が耳元から聞こえてくるように感じられる。握った手紙を持ったまま立ち上がり、壁に飾られている剣を乱暴に掴み鞘を床に投げ捨てて自らの寝所に向かった。
 朝と何らかわらない自分の寝室、そしてベッド。
 大きなベッドには七つほどの枕が置かれている。一つ引き裂いては中から羽毛をつかみ出し、投げ捨てる。それを四回ほど繰り返した時、
「小僧が……」
 羽毛の中に手を入れた時に触れたもの。
 握り引き出したそれは、デバランの予想通り “腕” 冷たいそれを握りながらベッドの上に座り、どの部屋からも見る事が出来る、どの部屋をも見下ろす赤に図案化された夕顔が描かれた旗に向け、冷たくなっている腕を投げつけた。
 届くもなければ意味のない事だが、そうせずにいられなかった。
 窓にぶつけられた腕が床に落ちた時、手紙を握り締めている掌に爪が食い込んでいるのにデバランは気付く。握り締められ、ぐしゃぐしゃになった紙、それが自らの権力を具現化したもののように見え、腹立たしげに尚一層手を握り締める。奪われまいとその手で強く握り締めていた権力は、何時しか爪が自らの手に食い込み自らを傷付けていた。それに気付いたとしても、彼女はその手を開く事はない。
 暫しの間、掌を握り締めていた彼女の元に先ほどの執事が声に恐怖を滲ませ報告に来た。
「デバラン侯爵殿下」
「どうした」
「に、庭に!」
 齎された報告『放った暗殺者が全て殺害され、庭に棄てられております』
 デバランは震える声を押し殺して急いで処理せよと告げると残りの枕をも引き裂き、羽毛を部屋中にばら撒く。
 宙を舞う羽と、その向こうに見えるエヴェドリットの旗。

(シャタイアス? あの男に似た者など私の視界に入れるな、気分が悪い! あんなの後宮から追い出してやりたいわ!)

「羽根の息子……此処まで来おったか」

『私は邪魔なので私の母を殺しましたから』

其方の権力は衰えてはいない。だがそれを上回る者が現れる事もある

「…………今更この生き方、変えられるものか。死ぬまで私はこうよ……今更、今更……だが、私も歳を取った……な。……この権力に囚われた私であっても、解っておりますよ。陛下とエヴェドリットの小僧は敵対しつつも、共に宇宙の未来や理想を語り合える者同士。ですが私は……この生き方を選ぶ……これが私の望んだ生き方よ!」


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