PASTORAL −138
明日は遂にゼンガルセンの叙爵式だ。あの王に相応しい男が即位する前段階。叙爵されてから自らの即位式を行うのが帝国の法律。
その前に、無駄だと解っておるが注意しに向かうとしよう。
何もゼンガルセンを暗殺しようと考えずとも良かろうが、デバランよ。確かにゼンガルセンは “似て” おるだろうが、強さは段違いだ。
「久しぶりだな、デバランよ」
「お久しぶりにございます、陛下。この老いた身体、陛下に礼を取る事も叶いません」
カウタを “人形のように” 可愛がっている後宮の女怪、デバラン侯爵。
余の曽祖父の妻・帝妃であり、余の母の叔母にあたるこの女、敵に回せば余とてのんびりと宮殿で生活していられぬ程の相手。
「構わぬ。其方に報告しに来ただけの事。来年にはカウタマロリオオレトは退位し、宮殿に入る。其方の望み通りクロトハウセの元で、残りの人生を過ごす事が正式に決定した。二十四年前の礼だ、ありがたく受け取っておくが良い」
ただ、この侯爵が存在してくれていたお陰で、二歳当時無力であった余はエバカインの命を何とか繋ぐことが出来た。
それに関し、言葉には出来ぬ恩がある。
故に余の命と引き換えになるような頼みも聞き入れた。
依頼しているデバランは、その依頼が余の生命を危険に晒しているという認識はない。あったとしても、同じ事を依頼してくるであろうから構いはせぬし、依頼がなくとも余も同じ事をしたであろうから良いのだが。
「陛下」
「其方の第一子にして四十二代皇帝の第九子であった、ハウゼリリアルト。それは幸せになれなかったが、カウタマロリオオレトは幸せになる。余が全責任を持って、あれを幸せにする」
カウタと瓜二つであったハウゼリリアルト。
デバランが初めて産んだ皇子は、別の妃が産んだ皇子と恋仲となる。黒髪の美しいその男、ゼンガルセンの母親の兄にあたる。
二人とも上に数人の姉兄がいた事もあり、周囲は特に咎めることもなく二人を好きなようにさせておいた。唯一人、息子を別の妃が産んだ「次代皇帝の夫」にしようと思う母親だけは、それを認めなかった。
「陛下、ゼンガルセンが生きておりますとクロトハウセが殺される可能性が高くなりますから、あの王になろうとしている男を殺してください」
この女がゼンガルセンを殺したいのは、クロトハウセの事だけが理由ではない。
デバランは未だ息子を『誘惑した男』を恨んでおる、それに連なる血筋をも。
息子の恋人であった皇子を殺害させ、皇子の母親でもあった皇后をも殺害する。皇后が産んだばかりの、皇子とは年の離れた妹であったエセンデラだけは生かされた。
生かされたが、エセンデラが産んだ息子・ゼンガルセンがデバランの記憶の澱みから、あの頃の怒りと執念を蘇らせた。
この女からその恨みが消える事は、死ぬまでなかろう。いや、死んでも消えぬであろう。
「デバラン、殺して全てがおさまるものではない」
「陛下ほどの方が何を恐れていらっしゃるのですか」
真に恐れているのはデバラン、其方だ。言っても聞くまいが。
「デバランよ、殺して済む相手ならば余は躊躇わずに殺す。それがカウタマロリオオレトであろうが其方であろうが、皇太子であろうが余自身であろうが一切の容赦はせぬ」
「では何故あの男を殺そうとなさらないのです。あのような危険な男、生かして何の役に立つのですか?」
デバラン、「役立つ」「役立たぬ」で人を殺すというのならば、其方を生かしておく価値はない。其方は余にとって役立ったが、それはあくまでも個人的なこと。
帝国の大局を見やれば、其方の存在はゼンガルセンの足元にも及ばぬ。そして、その理論をあてはめればカウタも必要は無い。
帝国に必要な、優秀な人間だけの存在を認める世界。それは過去に人類が目指し、失敗したものだ。その過去があろうがなかろうが、余が目指す世界は違う。
それを其方に語るつもりはない。其方は余の理想を語る相手ではない。
其方には理想など必要ない事も知っておる。
「最強騎士であった其方の息子、ハウゼリリアルトは何故自殺した。帝国は広く帝国騎士ならば機動装甲一つあらば何処でも生きてゆける、なのに何故其方の息子は死を選んだ。殺せば簡単に諦めると思うたのであろう。其方を信じて戦争に行き、戻ってきたら愛した男の死体が出迎えた」
居なくなったなどと言っては信用しないと、母親としてそれだけは解っていたデバランは、息子の前に皇子の死体を投げつけた。
直接見たわけではない。デバランが支配する後宮で情報を集めるのは苦労した。苦労して集めた情報と、感情は混じっているが委細を知っている者が教えた事を突合せ、事実に近いことは知っておる。余にこれらを告げたのはデバランの姪にして、カウタの母親バルミーシュレベツアデ王。
「……それが何か。私は今は間違っていると “解っては” いますが、今でも間違ったと “思っては” おりません。皇帝陛下の配偶者に、親ならば其の地位を用意して邪魔は排除するのが当然の事」
デバランは壊れたカウタを王にするのは可哀想だと、王にするなと姪に迫った。かつて息子を皇帝の夫にしようとした女の口から出るには、あまりにも滑稽な言葉。
姪であるバルミーシュレベツアデ王は、息子であるカウタを王にする事を半ば諦めておった。クロトロリアに強姦され、通常生活すらままならなくなった息子に王は無理だと、妹である皇后に当時生まれたばかりのルライデを後継者として欲しいと打診しており、リーネッシュボウワも皇帝になれぬ第四皇子(この頃はエバカインは皇子ではない)ならば、ケシュマリスタ王になった方が良いかも知れぬと考えておった。
バルミーシュレベツアデも、その時は母であった。
『退位した私と共に、親子二人で過ごすのも良いのではないかと思っておりまする。カロラティアンのアイリーネゼンとの婚約も破談にして。破談にしたほうが、あの伯姫にも良かろうと。殿下に押し付けるような形となりますが、アイリーネゼンを妃として、ケシュマリスタで後押ししますので正妃として迎えてやってはくれませぬか? 悪い娘ではありませぬ、少々年上ではありますが殿下とは二十歳も離れておりませんので』
そこに余人が介入する必要などなかった。
『よかろう、アイリーネゼンのことは任せておくがよい。だが退位するとなると、二人で別の星域に住まねばなるまい。私の領地にでも住むか?』
『ケネスセイラの持参したエヴェドリット領の惑星に住もうかと』
『そうか』
バルミーシュレベツアデはカウタと共に宮殿からはなれた所で生活するつもりであった。クロトロリアとは違い、あの王はそれを成し遂げる事ができたのだが、デバランはカウタを宮殿に預ければよいと強行に迫った。デバランにとってカウタは『早くに亡くした息子の代わり』
その態度と再三の言葉にバルミーシュレベツアデも意地となる。
『あの子は私の子であって、叔母の子ではない! 自分の失敗を私の息子で償おうなどと! あの子を叔母に獲られるくらいなら!』
バルミーシュレベツアデは王の座から降りてしまえばカウタをデバランに獲られる事に気付き、息子を獲られてなるものかとカウタを王にした。
王にした後、後悔しておった。叔母への対抗心で息子を王位に就けた事を。
デバランという女は、周囲の者を不幸せにしてしまう女だ。自分の描く幸せが、自分以外の者の幸せにならぬ事を知らぬ女。
「其方の生き方も考え方も批難はせぬ。正直に言えば、余は自殺した其方の息子の事など興味すらない。その余が何故其方の息子の事を詳細に知っておるか、答えは簡単だ。其方を動かすには其方の息子を知っておく必要があるからだ。其方の息子は死して尚、其方に使われて居おる。それだけは心にとめておくがよい」
「冷たいお方です。その陛下がどうしてあの男の殺害には消極的なのですか?」
「其方はまだ気付いておらぬようだからして、説明だけはしておこう。ゼンガルセンがエヴェドリット王でなければ、クロトハウセを帝国軍の総帥としておいて置く事は不可能だ。ゼンガルセンは反逆の意があるだけではなく、実行できる才能もある。余一人ではゼンガルセンを抑えきれぬ故にクロトハウセは帝国軍を率いて此処に残れるのだ。ゼンガルセン以外の者が王であれば、余の能力から言ってもクロトハウセは必要ではない。そして帝国には軍人を、指揮官を欲しておる国が一つある、ケシュマリスタだ。良いのかデバランよ? 叙爵式においてゼンガルセンを殺害しても。そうならば、カウタマロリオオレトはクロトハウセと共には居られぬぞ」
他にも理由はあるのだが。
最たるはクロトハウセを帝国においておく為。
「……クロトハウセが行かぬと、申しましょう……ぞ」
「言わぬ」
「言い切られますか、陛下」
「言い切って当然であろう。クロトハウセは余の忠実なる家臣であって、其方の想い出を美化し、其方が壊した息子の幸せを思い描いた箱庭で動く人形ではない」
クロトハウセは余とカウタ、どちらかを選ばねばなければならぬ時が来れば間違いなく余を選ぶ。クロトハウセはゼンガルセンがエヴェドリット王でなければ、帝国軍から去りケシュマリスタ王国軍の総帥となる道を選ぶ。
「カウタマロリオオレトが泣きます」
たとえ一生会えずとも、カウタが生きているだけでクロトハウセは “生きてゆける”
「カウタマロリオオレトは余の決定には異義を唱えぬ。そして、クロトハウセの栄達を止めるような事を口にするような男ではない」
デバランの息子とエセンデラの兄がそうであったかどうかは知らぬが、クロトハウセとカウタはそうなのだ。
「はっきりと言い切られますな」
「当然であろう。余とカウタマロリオオレトは永遠の友よ。そこに余人は存在せぬ、それが我が永遠の友。余の考えこそが我が永遠の友の考えであり、我が永遠の友が思えば、余も同じ事を思う。傍に居れば相手に同調する事ができ考えを知る事が出来、そして制する事がきできる。それが永遠の友であり、カウタマロリオオレト以外に余の永遠の友はおらぬ。それはカウタマロリオオレトも同じ事。あれは決してクロトハウセの栄達に口を挟まぬ。黙って身を引くのみ。信じぬのならば試してみるが良い、デバランよ」
『一緒に帝国の王様になって、頑張ろうね! ムームー』
『余は皇帝になるが』
カウタが生きている間、余は死なぬ。
エバカインを助けてくれたカウタが壊れながらも生きておる間は、決して死なぬ。
出来うる最大の幸せをカウタに与え生かそうではないか。
『あのね、ムームー! あの星が僕で、回りの暗い所がムームーなんだよ』
『色々な事知っているのだな、カウタは』
エバカインの身の安全を図ってもらった帰り道での出来事。お前はそれも言う事ができなくなってしまったが、忘れていない事は余が知っておる。
言葉を失っているデバランに、最後の忠告をしてゆこう。
「デバラン、忠告しておこう。其方の権力は衰えてはいない。だがそれを上回る者が現れる事もある」
「それがエヴェドリットの新王になる男だと?」
「信じるも信じぬも、それは其方の自由だ」
「……陛下、明日の叙爵式無事に行われればよろしいですな」
叙爵式の会場付近に暗殺者を放つつもりらしいが、あのゼンガルセンが遅れをとる事はないであろう。シャタイアスがこの情報を掴んでいない筈がない。
「そうだな、デバラン。余は其方に次に会うのは、其方が息子に会いに逝く時と決めておる。あまり無理はするな」
「二十四年前、必死に頭を下げたカウタマロリオオレトが可愛くて助けてやったあの子。そのお陰で貴方に対して私は多大な影響力を持ちました。私は息子が男と幸せになろうとする事に祝福は今でも言えませんし、死んでも言う気はありませんが、貴方にならば言えます。陛下、エバカイン・クーデルハイネ・ロガとお幸せに」
「受け取っておこう」
デバランよ、後僅かの間、後宮の女怪として支配するがよい。それが其方の望みであろう。そなたの寿命が尽きるまで生きるがよい。
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