PASTORAL −120
 長かった。
 余の二歳の頃からの長きに渡った “エバカインをそっと見守る会” は、これで解散する。

『ありがとうございます、陛下』

 余の十八年の生において、初めて母が嬉しそうに笑った。足取りも軽く。そう、まるで少女のような足取りで余の前に進み出た。
 リーネッシュボウワの腹を槍で貫き、床に縫いつけ手足を落す。
「さあ、お前の愛しい皇帝の元へと逝くがよい」
 振り下ろした剣で首を落とす。その顔は笑っておった。
 前帝の四人の正妃を集め、余は三正妃の前で皇后を慣習に従って殺害した。
 それは皇后たっての願い、それを叶えてやったまでのこと。
「さて、他の后達よ。お前達はどうする?」
 皇后が怖ろしかったのか、余が怖ろしかったのか解らぬが、后達は領地も貰わず全員逃げ帰る。

 クロトロリアは、カウタを暴行した一件で使われた自白剤の後遺症でアルコール中毒となった。態々、後遺症が残るように薬を調合させ投与した。結果、クロトロリアは何もしなくとも酷く身体が痛むようになる。
 当然ながらその痛みを和らげる薬は与えられなかった。後宮の権力者である大叔母の怒りの前に、医師達は皇帝クロトロリアの叫びを無視する。
 ただ一人だけが緩和剤を与えられる者がいた。
 皇后が条件と引き換えに薬を与える権限を持っていた。その条件とは、リーネッシュボウワを抱けばもらえるというものだ。
 一時期は沈んだ皇后であったが、再びクロトロリアに対する愛情が戻ったらしい。
 惨めというのか、憎悪になりきれなかった我が母の愛というのだろうか、それとも意地から出た物かどうかは知らぬが、何にせよ皇后のそれは、本人は愛だと信じていた。
 余から見て “皇后リーネッシュボウワ” は何の不足もなかった。他の者にしてみればクロトロリアを独占し過ぎたであろうが、それを子として諌めるべきかは悩むところである。
 母親に向かって実の息子が『皇帝陛下は他の妃とも同衾せねばなりませんから、大公は控えてください』と口にするのはおかしいような気がしてならない。むしろ余がそのような事を口にしたら、余計に酷くなるであろう。配偶者を諌めるのは配偶者であり、この場合は皇帝だ。
 その皇帝・クロトロリアの傍にはリーネッシュボウワ以外おらぬ。
 正妃としてきた王女達はリーネッシュボウワとその背後、後宮に君臨する大叔母に恐れをなし、己の宮で小さくなっているだけ。
 帝后の姉であるエラデォナデア=ナディラを妃として迎えていればまた別であったであろうが、あの賢くリスカートーフォン気性の強い王女は自ら茨の道を歩むことに決め、副王となった。
 リスカートーフォンならば当たり前に持っている軍事的な才能を生かす為という建前の理由で、後継者がいなくなった副王家を受け継いだ。皇帝の妃の座を捨てる事がどれ程のことか知って尚その道を選んだあの副王、それの期待を一身に受けるゼンガルセン。
 正妃の座ではなく、自ら得た副王の座から “王” を育てる気概。帝后でも問題なくやっていけたであろうが……後ろ盾になるタナサイドの頼りなさから言ってそれは無理か。
 何時か余の最大の敵となる男を育てる副王に、ある種の敬意を評しつつ自らの父を見る。
 クロトロリアは薬は欲しかったが、愛情の欠片もない皇后を抱くのだけは拒否し、薬の変わりになる物を求めた、それが酒だ。
 アルコールは確かに痛みを和らげてくれはしたが、同時に依存症にもなってゆく。
 その依存度が高まれば高まるほど、家臣は皇帝を見放してゆく。家臣に見放されている事も良く解っていなかったであろう皇帝だが、余に譲位するつもりはあった。
「なあ、サフォント」
「何ですか、陛下」
「お前が十八になったら退位したいんだ」
 皇帝が退位し次の者に位を譲るとなると、その譲られる相手は最低でも十八歳に到達していなくてはならない。何の事はない、初めて退位・即位を行った皇帝がその年齢であったから。慣習というものだ。
「退位なさるのが陛下の御意思でしたらそのように。退位後は如何なされるのですか」
「リーネッシュボウワを皇太后として後宮に引き取ってくれないか! この通り!」
 そう言って、頭を下げる。これもまた惨めである、余が。両親の不仲などよくある事だろうが、父皇帝から母皇后を遠ざけてくれと依頼される皇太子、それも十代の鰥夫。
 だが、現時点では余はまだ皇帝の家臣。異存は口にするまい。
「皇后に関してはそれがお望みでしたら、私には異存はございません」
 クロトロリアは退位し、大皇となるのか。大皇は大皇で権力があるものだが、この政治からも軍事からも遠くはなれ、芸術方面にも疎いこの男は大皇となっても酒を飲み暮らすだけであろう。そう考えていたら、
「それで余は、アレステレーゼとエバカインと一緒に生活する。未開の地に空母でも泊めて、小さく畑など作って慎ましやかに暮したい」

ざけんな、この野郎!

「宮中伯妃とご生活ですか。構いはいたしませんが、あのエバカインなる者は近衛兵団に入団できる才能と、帝国騎士の才能を持ち合わせておりますから、何れ帝星に召喚いたします。それでもよろしいでしょうか」
 ぐぉぉぉぉ! 余の全神経が、全破壊衝動が! 今目の前に居る皇帝らしい生き物を殺したいと叫んでいる!
 こっ! こっ! これがリスカートーフォンの “我が衝動” という物か! 
 これは抗いがたい! 凄まじい殺人衝動だ! 少しでも気を抜けば、目の前の父親らしい皇帝が肉塊に成り果てるであろう。
 リスカートーフォンは何時もコレと戦っておるのか! そうだとすれば、もっと戦わせてやらねばなるまい! これは苦し過ぎる!!
 はっ! はっ! はっ! 貴様など、貴様など! どのツラ下げてあの苦労したアレステレーゼに一緒に生活しよう? と言う気なのだ?
 あれか? アレか? 強姦しても許してもらえるとか思っているのか? そんなもの、貴様の脳内妄想以外のなにものでもない! 何処の幸せな物語の主人公だ、貴様は。
 生活しようという時の文句はこれだな!
 『本当に愛しているのは君だけだ。皇后との間に子を作ったのは、皇帝の責任としてだけだ。この子に帝国を継がせたくなかったから』
 確かにその通りであろうが、このような台詞を吐く支配者の気が知れぬ。
 回りまわってそれが、国を継ぐ跡取りの耳に入ったら、気分を害すると考えられぬのか? この手の台詞を吐く奴は、大体想像力が枯渇しておるので、強姦してもその後どうなるかなど考えも及ばず、思ったとおりに行動に移し、取り返しの付かぬ事を仕出かす。
 余はエバカインを愛しておるが、皇太子妃との間にできたザーデリアにはそのような事は言わぬ。
 それにな、余が帝国を継ぎ安定させなければ貴様、未開の地でのんびりと暮してられんだろうが! それ “だけ” の為に作った子は苦労するのだ。
 尤も余はエバカインの為に磐石なる治世を敷くつもりであるからしてそれは良いが、貴様の口から聞かされると言い知れぬ怒りを覚える。
 農業をするだと?! 偶におるな、そのような牧歌的な事ほざく人間。だが農業を馬鹿にするな! 皇室育ちの皇帝が、天候制御すらされていない土地で農業など出来ると思うのか? それが可能ならば、帝国の税収はもっと上がっておるわ! 第一次産業を甘く見るな! 未開の地の第一次産業従事者を軽んじるな! そもそも貴様、皇帝としてもなっておらぬであろうが!

「それも止めてくれないか。折角だからさ、怪我とかさせないで生活させてやりたいじゃないか。苦労もかけたし」

 その苦労を救おうとしておらなかったであろうが!
 貴様が四方に手を尽くせば、あの二人は宮殿で妾妃と大公という身分を与えられ、そして! そして! 余と一緒に生活できたのだ!
 そうなれば余は、毎日エバカインの頬をぷにぷにと掴んで朝の挨拶をし、昼は頬ずりをして共に午睡し、夜は寝室に忍び込んで寝顔を見て、偶に添い寝したりして暮せたというのに!
 貴様が皇后やケシュマリスタ王を怖がり、自ら『アレステレーゼを妾妃にする』と言わなかったから、余はどうする事もできなかった。
 皇太子が皇帝や皇后に向かって『私生児を認知しましょうよ』などと言えるか!
 だが貴様にその気があれば! 貴様が少しでもその気があったなら、余は! 余は協力したのに。今になってコレかっ!
「畏まりました」
 クロトロリアが皇帝であり大皇となるから否定できない、そして、それ以上にエバカインが父親を欲しがっている事実もある。
 余は両親は揃っておった、揃っていただけだが。だが、エバカインには父親が居なかった。それで、男親に憧れを持っておるそうだ。観れば幻滅するかも知れぬが、父親はおるのだ。クロトロリアの望みはどうでも良いが、エバカインの父性に対する望みを叶え……却下!! 却下!! 却下ぁぁ!!
 あの男、余の神聖なるエバカインを! エバカインを! 自慰の道具にしておった! 撮影させた映像を観ながら自慰をしておる。
 エバカイン! そなたも、もう少し気を使え! シャワーの後、上半身裸ハーフパンツにサンダルを履いて庭に出て水撒きなど、その美しさ! 帝星の軌道が狂う所では済まぬぞ!
 そして、そこの男! 皇帝・クロトロリア! エバカインの映像に貴様の精液かけるな! 汚すな! 全く知らぬところで犯しおって!
 はぁはぁはぁ……だがこの状態は罪には問えぬ。映像に白濁を掛けているだけでは、皇帝を罰する事はできぬ。
 それにしても誰だ、父親や母親を敬えといった者は。
 侍女を強姦して身篭っても見放し、我が友を犯し壊し、そして実の息子の映像で自慰。これらを観て尊敬しろと? 敬えと? ふざけるな!
 こんな物に尊敬を抱くような人間は、皇帝として向かぬ! 断言できる! これを敬えというのならば、余は新法制定する。そんなものを敬う必要は無いと、皇帝の名によって発布してやろうではないか!
 この男、殺す。
 絶対に抹殺してみせる。
 誰が暮させてやるものか! 間違いなくエバカインを蹂躙する気だ。身体能力ではエバカインの方が上であるが、アレステレーゼ! 母であるアレステレーゼの身の安全をちらつかされればあの母親思いのエバカインは身を自由にさせるであろう。
 いくら貴様が短小であっても、実の父親に襲われたらエバカインが壊れてしまう! 精神的に!
 正直に申せば、余もエバカインを夜伽にしようと思っておるが、貴様は! 何の手順も踏まずにそれか!
 余の身体能力からして、クロトロリアを殺害するのは容易いが、公然と父帝殺害をしてしまえば余は即位できない。余は皇帝となることは捨てられない、余は皇帝の座を欲しておる。皇帝の権力を持って停滞している帝国を建て直し、異星人との戦闘にも『勝利』がある事を臣民に知らしめてやりたい。
 よって、公然と殺害するわけにはいかぬが、他者の手を借りるわけにもいかぬ。事が露見した際に、余の罪を被せられるのは本意ではない。
 皇帝となれば切り捨てる事をもやってのけるが、それは余の意思で行われる事であって、他者に決定させるつもりなどない。余の意思以外で他者が切り捨てられるのは、良しとはせぬ。
「アルコール中毒が、もっとも狙いやすいか」
 あまりやりたくはなかったが、余はクロトロリアと毎晩酒を飲み交わした。余は然程飲んでおらぬのだが。
 退位前に聞いておきたい事があるという口実で。実の息子である余と酒を飲んでいるクロトロリアは、楽しそうであった。
「こうやって酒が飲めるのなら、偶には宮殿に戻ってきてもいいな」
「そうですか。そうそう、エバカインの事ですが、最終的には如何なさいますか? 独身のまま生涯を終らせるのも可哀想かと」
「あれに妻はいらない。余のものにする」
 言い切ったなこの野郎!
 酒で判断力が鈍っておるからして、尤も殆ど鈍りきっておるのだが、そのような事を口走れるのであろう。余が十八歳になるまで後三ヶ月。殺しきれるであろうか?
 そのように思っていた所、とある相手から助け舟が出た。皇后、即ち余の母であり、皇帝の妻である。
 皇后は、余とクロトロリアの会話を聞き及び、余に取引を持ちかけてきた。取引といっても、余が母である皇后を殺すだけだが。
 クロトロリアは退位を表明し、それは何の障害もなく受け入れた。それを受け入れられ、あとは自由になる日を待つのみのクロトロリアとは違い、他の者達は皇帝の退位までが正念場である。
 通常であれば余も、カルミラーゼンやクロトハウセ、ルライデなどが敵に回り皇位を狙ってきてもおかしくはないのだが、弟三人は全員余に恭順の意を示した。出来の良い弟であり、それを教育した『皇后』は褒めてやってもよい。
 余や弟達にも準備があるのと同じように、正配偶者も己の立場を決めねばならぬ。
 伯母であるケシュマリスタ王は母である皇后には宮殿に残り、次代皇帝の母として権勢を得て欲しかったようだが、悲しいかな母は父帝を愛しておった。素で強姦魔なのだが、それでも良いらしい。
 ただ、悩みもしておった。
 姉王が皇族の権勢を欲する理由が『カウタマロリオオレト』にあることを知っているため。あれを考えれば皇后は宮殿を出て、大皇となったクロトロリアを追うわけにも行かぬ。
 例え追ったとしても、追い返される事もある。宮殿という場所において “皇帝” と “皇后” なる立場ではじめてクロトロリアを束縛できたのであって、大皇となるクロトロリアと皇太后となるリーネッシュボウワ、二人が共にいても他者には何の利益もない為、誰も協力はせぬ。
 そして二人の間にも一方的な、決して交わらない感情しかない。
「大皇となり宮殿を出て行けば、私は追う事ができない。だから! あの侍女に渡すくらいならば!」
 んにゃ、侍女じゃなくて息子。余の可愛い可愛い×324……ふと思い、それを口にした。
「クロトロリアが最終的に手の内に納めようとしているのは、息子。あの美女皇后ロガに似た色彩を持つ息子に劣情を抱いていますよ」
「な、なんですって! あ、あの人! 信じられない! 男の方が好きだっていうの! だったら! あの侍女に手を出さなくてもいいじゃない!」
 母はショックを受けておったが、余も大ショックを受けたのだ、この衝撃くらいは共有しようではないか! 母よ。
 それにしても、やはり女は女に対して憎悪を抱くのだな。それは構わぬがな、精神構造が違うのが人間であり、個人であるからして。
 だが皇后は協力したいと申し出てきた、あの女の息子に取られるくらいならば殺してしまいたい! それが本音であり、隠そうともしなかった。
 余は皇后と話を詰めた。時間が残り少ないので、頻繁に酒に逃れるようにさせなくてはならない。
 その為に母に毎晩迫ってもらった。毎晩というよりは、毎日。
 皇后を抱く事に精神的苦痛を感じ、自白剤の後遺症で身体的苦痛を味わっていたクロトロリアにはきいた。酒を口にしない時間がない程、追い詰められていった。

そして余のエバカインはクロトロリアに汚される事はなかった! 

 余の勝利だ! 勝利のトロフィーとしてエバカインを持ってまいれ!
 その前に即位式典と葬儀を執り行わねばな。
「クロトロリアよ、主の思い通りに宇宙は動かなんだ。宇宙は皇帝の意思に副うのではない、宇宙を皇帝の意思に副わせるのだ。主はそれが理解できなかったようである。さらばだ、銀河帝国第四十四代皇帝クロトロリアよ!」
 だがな、クロトロリアよ。主がアレステレーゼに詫びて許され、本当にエバカインを本当に息子として愛して、慎ましやかに生きていくのであったなら、余は涙を飲んで送り出した。皇后も後宮に引き止めておいた。
 アレステレーゼは主が詫びれば、許したやもしれぬ。息子が、エバカインが父親を欲しがっている事を知っているゆえに。
 身の危険から解放された幸せな家庭というものを、手探りで不器用ながら探し生きていくというのならば、余はお前にエバカインを任せた。
 そして偶に宮殿に戻ってきて、一緒に酒を飲みたいと申すならば付き合いはした、クロトロリアよ。
 だが! 息子の半裸の映像を観ながら自慰にふける父親の後姿は、さすがの余ですら泣けてきそうであった。お前は此処で死んでおいた方が、自分自身のためにも良いであろう。そうとしか言えぬ、お前に対しては。
「カルミラーゼン」
「はい、陛下」
 余はカルミラーゼンを従えて、晴れてエバカインを皇族として迎え入れる。
「先帝クロトロリアの私生児、エミリファルネ宮中伯妃の子エバカインを皇子として迎える。クロトロリア帝第三子待遇で」
 
 これからは “エバカインを傍で見守る会” を結成する! 会長は余であり、会員は  “エバカインをそっと見守る会” 名誉特攻会員であったクロトハウセだ!


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