PASTORAL −108
カルミラーゼン大公とカッシャーニ大公は、映像を眺めていた。
噴水の縁に座った黒髪の男が、金髪の男を抱きこむようにし、顔を近付けて話かける。金髪の男はそれに嬉しそうに答える。
「気に食わないものなのでしょうかね? カルミラーゼン親王大公殿下」
「気に食わないものらしいぞ、カッシャーニ。私は女ではないから解らないけれどもね」
その二人を少し離れた場所から見つめる、金髪の女性。
「自分は兄と情を交わし、他の妃の結婚、それも栄誉ある皇帝陛下との御成婚を潰したくせに」
金髪の女性の名は、エリザベラ=ラベラ。彼女の視線の先に居るのは夫であるクロトハウセとケシュマリスタ王。
「それとこれとは違うのであろう。己に非がある事を知っているから、クロトハウセの男遊びには強く出られなかった。だが、それは己より血統や階級、容姿などが劣る男であったからであって、自分以上の容姿の男、それも皇帝の容姿と最も惹かれあう男と仲良く語らわれれば、気分も良くあるまい」
「私ならば、笑顔で二人の仲を歓迎いたしますが」
「お前はそう言うであろうな、カッシャーニ。さて、実兄と関係を持ち、命数が付きかけている王女はどう出るか? 楽しみだ」
「お人が悪いですわ、カルミラーゼン親王大公殿下」
「人が良いなど言われたことはないよ」
「あら、ゼルデガラテア大公殿下は親王大公殿下を、お優しい兄上だと思われておられるようですよ」
「それは嬉しいな。それにしても、よくそんな情報を拾い集められるものだな、カッシャーニよ」
「私を誰だとお思いで? あのデバラン侯爵の両手足ですわよ」
*************
カウタマロリオオレトは、覚える能力が極端に悪かった。
例えば彼が完全に言うことの出来る名前はただ一つ、皇帝サフォントの “レーザンファルティアーヌ・ダトゥリタオン・ナイトセイア” のみ。これは彼の両親が、彼を守ってくれる次代皇帝の名を必死に暗記させた結果。
自分の名前を覚えるよりも、皇帝の名前を覚えさせられた彼。
彼には生まれつきの性質で、記憶が不得意だった。
ケシュマリスタ特有の容姿を持つものに多く出る『記憶消去』祖先のエターナ・ケシュマリスタが持っていた、他者と一線を画する特徴。それは強いショックを与えられた際に『全ての記憶が抹消されてしまう』事。
無論血は混じり、エターナ・ケシュマリスタのように『完全消去』が繰り返し行われる人間は減ったが、それでも子孫には強くでる。現在その特徴が最も強くでているのが、カウタマロリオオレト。
カウタマロリオオレトの記憶消去は『人が死ぬ場面に遭遇』と『望まない相手との性交渉(性的暴行)』それにより起こる事が確認されていた。それともう一つ『通常の性行為』でも徐々に記憶が消えてゆく可能性が高いのだが、それは確認されていない。
記憶消去は行われれば行われる程に、通常の記憶にも影響が現れる為、出来る限り彼の記憶を消さないように注意が払われている。
彼が結婚するまでかなりの時間を要したのは、王妃を確りと認識し、交渉を持っても彼女を忘れないようにする為に必要な時間だった。
「ラス、ラス」
人の名前を覚える事が苦手な彼は、彼にしか解らない名前で他人に呼びかける。ラスとはクロトハウセのことをさす。
クロトハウセの名、ケセリーテファウナーフ・ダイシュリアス・アウグスラス。その最後のアウグス“ラス”の部分だけを認識して呼んでいる。名前の一部を呼んでいるだけで、上出来な部類に入る。
「どうした? カウタマロリオオレト」
「本当に退位したら一緒に暮せるの?」
クロトハウセはカウタマロリオオレトの髪に指を絡ませながら、
「ああ、陛下がそのようにせよと。私とでは嫌か?」
カウタマロリオオレトに軽く口付けながら、話しかける。先ほどから、何度も軽く口付けつつ彼は話しかけていた。
「嬉しい! 私、ラスと一緒にいたかったんだ!」
彼は妻が傍に居る事を知りながら、この会話を繰り返していた。
サフォント帝を裏切ったエリザベラ=ラベラ。その行動が弟であるゼンガルセンによって “操られた” 結果である事を彼女は知らない。皇帝の正妃になりたくなかった彼女は、実兄と関係を持った。それは叔母であった前帝后の勧め。
普通の男が相手であれば、あのサフォント帝は浮気であろうが、他の男の子を身篭っていようが全く意に介さずに妻にする。だが、実兄となれば話は別だと何度も聞かされ、彼女はその気になった。
それが実弟の書いたシナリオであるとも知らず。
「大公」
「どうした妃」
そして今彼女は、彼女を破滅させる舞台に知らぬ間に立っていた。
「今聞こえたのですが」
「立ち聞きとは行儀が悪いな」
「悪いと言われようが構いません。大公は本当に退位したケシュマリスタ王の後見人となられるのですか?」
「陛下より申し付かったが、何か問題でもあるのか」
「大公と殿下では」
「問題なかろうが。お前は好きな男でも見つけて自由にしろ。何度もそう言っただろう」
皇帝崇拝が強い同性愛者のクロトハウセと、皇帝を裏切った女である妃との関係は破綻する以前の問題。
「ラス、この人誰?」
冷え切った男女の会話の空気も読めぬカウタマロリオオレトは、笑顔でエリザベラを指差した。
彼が彼女を知らない事は確認済みであった。そして彼が「彼」をおぼえていない事も。
「ああ、この女か。お前の学友であったアウセミアセンの妹だ」
そして彼が嘘を言えない事も。
嘘を言わないというよりは、口裏を合わせる能力が欠落している事。それはエリザベラも知っている。
「アオウ? アミセ? 誰?」
「覚えてないのか? お前は誰と子供の頃遊んだ? 陛下と誰だ?」
かつてゼンガルセンはシャタイアスに向かって言った。『覚えてもらってただけでよかっただろうが。あの兄なぞ存在自体覚えていないだろう』
「サフォント帝とレッ君だけだよ」
「ふ〜ん、そうか。陛下とシャタイアスだけか、それは悪かったな。なあ? エリザベラ」
彼女の表情が変わった。
四人一緒にある程度の期間を過ごしたことは彼女も知っている、そしてこの退位間近の国王が、暴行によって記憶障害を引き起こす事も。
「し、失礼しますわ!」
遠ざかってゆく彼女の後姿と、クロトハウセの口元に浮かぶ笑み。そして、
「あの人は誰?」
「エリザベラ=ラベラ。私の妻」
− もうじき処刑されるが
その言葉を飲み込み、クロトハウセ両手でカウタマロリオオレトの頬を包み込み、深く口付けた。
*************
「今は演技する必要はないはずなのに、角度を変えて好き放題なさってますわね」
カッシャーニ大公が笑う。
「そう言うな、カッシャーニ。国家の策略で引き離された二人だ。触れ合えば止まるまい」
「言いながら笑いが止まってませんわよ、カルミラーゼン親王大公殿下」
この作戦を決行する前にクロトハウセはカルミラーゼンの元に来て『必要とあらばあのバカとも寝ますが! 決して本意ではない事だけは覚えていてください! 絶対ですよ!』と叫ぶだけ叫んで行ったのだ。
その不必要なまでに息巻いた姿と、今監視されていることを知りながら、彼の言葉で言い表すなら『本意ではない相手』であるカウタマロリオオレト。その彼に自身が陶酔するほどに口付けている姿は重ならない。
「まあな。あの二人は好きにさせておけと陛下からのご命令だ。さて、後はあの女の前で何度もこの状況を見せ付けてやればよいだけだ」
「それにしても、度胸のない男ですわアウセミアセン」
カッシャーニはルライデが調べた前正妃候補の身体データを見ながら呟く。
「度胸があれば良いというものではないが、姑息というか何と言うか。私が調べれば直ぐに解った事であったが、生憎末弟は疎い。それがまた可愛らしいのだが」
前正妃候補・エリザベラ=ラベラの身体データにははっきりと『処女』と記されている。
彼女は身体データ上、処女なのだ。
「実の兄妹が肛門性交にふけっているとは、あまり考えませんでしょうね。特にルライデ親王大公殿下は、其方に関しては疎そうですし。私もそれ程詳しいわけではありませんけど」
ルライデは普通の行為に関してしか調べなかった。彼はその手の事に関して知識が無かったため。
「陛下と皇君の後朝に『漁獲高』などと口走ってしまうような弟に、後の検査までするような考えがないのは当然だ」
今回正妃候補の身体検査の責任者を受け持ったのは、必然的ではあるがカルミラーゼン。
彼は彼女達を徹底して調べきった。帝后と皇妃はその検査に怯むことはなかったが、帝妃は五、六回気を失ったという。
皇帝の妃候補を抱く事で、長年比較されて敗北し屈折した感情の一部が晴れたアウセミアセン。だが、それ以上に恐怖ものしかかってきた。自分の実の妹を抱くという行為ではなく、皇帝の正妃候補と交渉を持ったことが知られる恐怖。
そして彼は最後の段階で逃げた。
「結局口だけの男というわけですわね。もっとも口にして良い言葉と悪い言葉の判別もついてませんけれど」
「だから挿れる場所も判別が付かず、間違っていたのだろう」
「酷い言い様ですわ、親王大公殿下。ですが、自分は兄に後だけで “殿下” が彼の事を覚えていない、となれば、アウセミアセンが殿下無理強いをしたと考えるでしょうね。殿下がそうであられる事、有名ですから」
カウタマロリオオレトは一ヵ月後には三十歳になる。彼はその三十年の人生で十四回の暴行が確認されていた。
被害者である彼は、その事に関して全く記憶がない。
それと連動するように彼の記憶は前後も抜け落ち、結果何度同じ危険の “前兆” に遭遇しても、それがどのような危険であるのか理解できず、再び同じ相手に簡単に暴行されてしまう。
暴行された記憶が ”前後を含めて無くなる” それが相手に判明した時、その相手がどう出るか? 相手がそれを知っている時にどうなるか?
知っている者たちは言う『十四回程度で済んでいるならマシだ』
本当にそれがマシなのかは、当人すら解らない。
「カウタのように身体や本能すらもねじ伏せてしまう記憶消去はただ無防備を作り出すだけ、言った所で仕方の無いことですが。……カウタが陛下とゾフィアーネを覚えていて、アウセミアセンだけを記憶していないのは、ヤツがカウタに構わなかっただけのこと。あの男はカウタに手など出せはしない。それ程の度胸があったら、エリザベラを正面切って抱いたでしょうよ。カウタに手を出していたら、その時点でヤツは廃嫡だろうが。その位の事、気付いて欲しいものだ」
カウタマロリオオレトという王子にとって、アウセミアセンという王子は元々存在しないような相手だった。アウセミアセンは自分よりも高い身分の相手にどう接してよいのか解らず、何時も距離を置いていた。
アウセミアセンの接し方、それは相手高圧的に出る事。それ以外の接し方を知らなかった王子は、自分の上に存在する二人のうち、絶対に頭を下げなくてはならない相手・サフォントに対して屈折した感情を持ち、もう一人カウタマロリオオレトはバカにしつつ、距離をおいていた。
アウセミアセンが正面から接した事があるのは、ゾフィアーネ大公シャタイアスだけ。誰ともまともな関係を築けなかった後継者。それであっても、王となることは出来ただろう、下にゼンガルセンという名の反逆者が生まれなければ。
「エリザベラはそうは考えませんでしょうね。四大公爵の次期当主同士なら、なかった事にすると考える筈ですわ。実際、なかった事になるわけですし。無かった事といえば、ゼルデガラテア大公殿下……陛下の事はお忘れにならないのですね。さすが陛下ですわ」
「当然であろうが、陛下のご寵愛を忘れる訳がない。……陛下のご寵愛と言えば種類は違うが、ゾフィアーネ。やはりあの男、虚偽は報告せんだろうな」
これからクロトハウセは毒を飲む。それも致死量に近いほど。
彼が毒を飲む理由、それはゼンガルセンを帝星に ”証拠” を持って呼び寄せる為。エリザベラを陥れるだけならば、実際に毒を飲む必要などクロトハウセにはない。
後宮に居を構える皇帝を裏切った女を陥れる程度の事は、簡単に行える。クロトハウセに毒を盛ったと各家に報告するだけで彼女を罪人にする事は可能。
だが虚偽報告では、ゼンガルセンが別の方向に動きかねない。助けたくも無い ”姉” が被った冤罪を晴らし救出すると宣言して帝星に攻め込んでくるのは火を見るより明らか。
「しませんね。ゾフィアーネはあの反逆王に偽りの報告をした事はないですからね。陛下にも偽りの報告をしたことはありませんわ」
終生サフォント帝を裏切らなかった男・ゾフィアーネ大公シャタイアス=シェバイアス。だが彼は、大王・ゼンガルセンをも裏切る事はなかった。
「正直、私のような狭量な者には、広量なる陛下のお考えは理解できない部分が多い」
裏切り者は即座に処分するカルミラーゼンにとって、裏切り者にしか見えないシャタイアスを自由にさせているサフォント帝の行為には、意味を聞かされた事はあるが理解できないでいた。
「口にするのもおこがましいですが、正しく深遠なるお考えなのでしょうね。陛下の度量の広さと思慮の深さは何時でも尊敬いたしておりますが……シャタイアスは、クロトハウセ親王大公殿下が毒を飲んだかどうか? それに関しては細かく調べ上げ報告するでしょう。それこそ陛下に真偽を問いただす事も辞さないでしょうね。そして陛下は本当の事だけをシャタイアスに告げるでしょう。陛下はそういう御方ですもの」
「やれやれ、私は弟に毒など飲んで欲しくはないのだが」
Copyright © Teduka Romeo. All rights reserved.