ALMOND GWALIOR −239
ザウディンダルもカルニスタミアも無事に危機を脱した。
「カルニスのことは心配してなかったけどな」
そして帝王の精神を休ませたエーダリロクも、いつも通りに動き出す。
「よお、エーダリロク」
「よお、乗りそびれたビーレウスト」
ビーレウストは旗艦に乗り遅れ、帝星を目指し進軍した自分の艦隊に置き去りにされてしまった。
「陛下をお守りするのは楽しいからいいんだけどな。それに僭主も大量に残ってるから遊べるしな。ああ、これで……」
「ヒステリー様がいなけりゃ完璧って言いたいんだろ、ビーレウスト」
「その通りだ、エーダリロク! あのヒステリー様さえいなけりゃ、天国……ってわけでもねえか」
「アルカルターヴァ勢、うるせえからな」
「ロヴィニアから見ても煩いのか? テルロバールノル」
「もちろん。あいつら金にもならないこと延々と喋るじゃねえか。俺たちが煩いのは金がかかるときだけ」
少しは声の音量を控えて欲しいものだ――プネモスが少し離れたところで聞いて、眉間に皺を寄せ、こめかみに中指と人差し指を押しつけて……無言を貫いた。
「そう言えば、キュラは」
エーダリロクは”全身整形でもそろそろ出歩けるよな”と、ビーレウストに尋ねてみた。
「見かけてねえよ。将軍様が出歩くの許可しないんじゃねえのか」
「そっか」
**********
「肌の貼り替え終わりました」
カレンティンシスの旗艦のリュゼクの部屋にて”監視されている”ことになっているキュラが”そう”言ったのは襲撃から四日ほど経過していた。
「だからなんじゃ?」
超回復能力をもつリュゼクには縁遠い「治療器」を上手く使い肌を貼り替えてゆくキュラを見ながら、ラティランクレンラセオに言い得ぬ「苛つき」を感じていた。
もちろんリュゼクはキュラのことは嫌いだが、嫌いと容姿を変えさせて配下に置こうとするラティランクレンラセオの態度も容認できなかった。
「違う部屋ください」
「なぜじゃ?」
「リュゼク将軍と一緒にいると息苦しいから」
「ふん。ケシュマリスタ王の”走狗”を自由にしてやると思うか?」
キュラの治療を人目に付かせぬようにしてやると同時に、艦内の安全を確保する目的もあった。治療を終え肌も貼り替えたキュラは一人で放置しておいても対処できると解っているが、同時にそこが問題でもあった。
「あーやっぱり。駄目だとは思ってたけど、言わないと通じないじゃない?」
テルロバールノル王の艦には多数のテルロバールノル貴族が搭乗している。リュゼクを含めて彼らは総じて他貴族が嫌いだ。特に人造王家嫌いが多い。
特に先日の襲撃に関して情報が錯綜しており、テルロバールノル貴族がケシュマリスタ王に殺された等という噂も囁かれている。
個々としては仲は悪い貴族同士だが、同族が他王家に殺されたとなると、途端に連帯感が芽生えるのが常だ。旗艦に搭乗しているキュラやヤシャルに対し、害意を持つ者や実行に移そうとしている者があちらこちらに居る。
ヤシャルは暫定皇太子という立場から帝国軍に完全に保護されているが、キュラにはそれらの保護はない。保護はなくても良い男だとリュゼクも理解しているが、艦内の感情的襲撃に応戦し、同族を殺されると騒ぎは益々大きくなる。
皇帝が正妃と両性具有と共に乗っている艦で、そんな騒ぎを起こしたくはないし、何よりリュゼクはそれらの騒ぎを阻止する立場でもある。
よってキュラは”監視”という名目でリュゼクの部屋に置いていたほうが楽なのだ。ただ彼女の性格上、楽はしない。
「まあな。それで貴様は何処へ行くつもりであったのだ?」
「ただ息苦しいから」
「貴様は目的なく動くような男ではあるまい? ガルディゼロ」
この抜け目なく、半分見捨てられているような男が、自力でどうにかしようとしているのならば、それ相応の手助けはしてやろうと尋ねた。
「ザウディンダルのこと虐めに行ってこようかな……って」
「虐める?」
「肉体的じゃないよ、精神的にさ。怒らないでくださいよ」
「なにをするつもりであったのだ? 儂は両性具有は嫌いじゃが、両性具有は陛下の私物。それに危害を加えようとする者には容赦せん」
「そんな難しく言われても。いやね、僕がやろうとしたのは……」
―― 陛下のお力を借りるしかないのが辛いところじゃ
「儂が代わりに”貴様のいうところの”虐めをしてきてやろう」
キュラの説明を聞き、リュゼクはもうしばらく待てと命じる。
「えー僕の楽しみとっちゃうの!」
「両性具有には后が付き添っておると聞いた。陛下も近くにおいでであろうから。陛下にお会いした際に”貴様の処遇を聞いてきてやる”……大人しくしておれ」
「はい」
自らの母親によくにた栗毛が、母親とは全く違う力強い歩みで部屋を去るのを見つめ、キュラは所在なく立ち尽くした。
「さあてと、この先どうしようかなあ。キャッセル様を頼ろうかなあ」
もう用済みだと、ラティランクレンラセオが処分しに来るのは明かなのだが、それに抵抗する術がキュラティンセオイランサにはどうしても見つけられなかった。
**********
帝国から全く連絡が入らないまま、襲撃から五日目をむかえた。
ザウディンダルは四日目の夜に、胎盤二つを排出し、その後徐々に”陣痛”の間隔が長くなりだした。
羊水は未だに作られるが、胎盤が存在していた時ほどの速さではなく、排出されるまでの量も減りつつあるので、回復に向かっているのだろうとデータでエーダリロクが判断を下した。
ザウディンダルの髪を梳きながらロガは腰をさする。
少しばかり余裕が出て来たザウディンダルは申し訳ない気分に陥るも、波のように襲ってくる痛みを前に、そのさすってくれる手や存在その物に安心を覚えるので甘えることにした。
「失礼する」
そこへやってきたのはリュゼク。
カレンティンシスが”后が休憩せん。陛下がお許しになったとは言え、限度というものがある”とリュゼクに漏らしたので、ならば主の望み通りロガを休ませようと。それともう一つの目的もあった。
「レビュラ公爵の容態が落ち着いたと聞いたので参じた。軍人として二人きりで話をしたいので、席を外していただきたい」
「あ……はい」
「その間に休んで体調を調えよ、后。ロッティス、来い」
入室する前に連絡を入れていたので、ミスカネイアはすぐに現れる。ザウディンダルの容態も落ち着きつつあるので、ミスカネイアにも余裕が出来ていた。
「わかりました。ですがザウディンダルさんに無理をさせるようなことはしないでください。軍人はとかく無理をしがちですから」
「肝に銘じておきます」
ミスカネイアと共に去ったロガを見送ったリュゼクは、
「良い面構えだ。一、二年前まで奴隷だったとはとても思えんわ」
《皇后》に聞こえぬよう褒めた。
「横になったままでよい」
リュゼクはザウディンダルにそう言い、自らは椅子に座った。
「リュゼク将軍」
弱まってきたとは言え全身を容赦なく襲う、対処の仕様がない痛みにさいなまれているザウディンダルにとって、横になったままで良いというのはありがたかった。
「レビュラ公爵よ。貴様、生死不明となっておる帝国宰相に関してなにか聞いたか?」
「いいえ……」
ロガが傍にいて、兄弟たちが傍にいないのは”これ”も理由の一つだった。
ロガ以外の兄弟たちが傍にいたら、ザウディンダルは兄デウデシオンがどうなったのか? どうしているのか? 無事なのかを、波のように襲ってくる痛みの合間に繰り返し尋ねた。兄弟たちが答えられないことを知っていても、聞けば聞く程に不安になることを知っていながらも聞いただろう。
だが傍にいるのはロガだけ。
人が多いと疲れると言う理由もあったが、ロガ相手ではザウディンダルも一、二度聞くの限度だった。痛みという面でロガに甘えることはできても、兄に関することでは兄弟たちのように甘えることはできない。
「そうか。ガルディゼロの言った通りだな。帝国宰相パスパーダ大公デウデシオン、いまだ生死不明」
―― あそこの兄弟はザウディンダルに甘いから、絶対に本当のことは言ってないと思うんですよ。キャッセル様でも”ぼかす”と思うなあ。キャッセル様は弟たちには本当に優しくて、普通の優しさを発揮できるひとだからさ ――
「…………」
「襲撃より六日目となる明日、単騎先行したリスカートーフォン公が帝星に到着する。その時に生死は判明するであろう」
「……」
「お前の兄弟たちは、お前の体調を考えて言わないのであろうよ。ガルディゼロに言わせると甘いの一言であるがな」
「……」
「兄弟の有り様は余程間違っておらぬ限り、他者が口を挟む問題ではない。よってこれらに関して儂はなにも言わぬ。ここからは勝手な推測じゃ。儂等の王カレンティンシス殿下は、もたらされた情報を儂に渡して状況を判断せよと命じられた。情報は相当に少ない。ヴェッティンスィアーン公も囚われているようで、情報は本当に少ない」
「ランクレイマセルシュ王が?」
「集めた情報では、自ら単身で敵旗艦乗り込んだようだ。金で解決するために。ヴェッティンスィアーン公らし過ぎじゃな」
「無事なんでしょうか?」
「勝算があってのことであろう。死んでも戦うリスカートーフォンや儂らが属するアルカルターヴァとは違い、ヴェッティンスィアーンは勝算がなければなりふり構わず逃げる。”読み”さえ間違っておらねばヴェッティンスィアーン公の勝ちであろうよ。報告によれば、帝星襲撃部隊もこちらの襲撃と同規模の部隊だ。”読み”以外では勝ち目はなさそうだがな」
「詳細が判明したんですか?」
「投降した者たちからもたらされた情報である程度は。それにしてもまさかハセティリアン公爵の妃が僭主であったとは。そう言われて初めてハイネルズ=ハイヴィアズたちの”出生偽装”の真意が分かったがな」
「え……あ? デ=ディキウレ兄の妻のハネスト様は僭主?」
「まだ聞いてはおらんかったか。それに関しては後日聞くがいい。現在の状況だが帝星は陥落しておらぬ。市街地は警戒態勢は敷かれているが落ち着いており、被害も出ていない。全ての被害は大宮殿に集中し、そこから一歩も出ておらぬ。敵を封じ込め被害を最小限に食い止めておるようだ」
「防衛は誰が?」
「デファイノスはジュシスと聞かされていたようだが」
「ジュシス公爵……」
ジュシス公爵アシュレート=アシュリーバ。
”見た目”は知的で大人しげなのだが、中身はある一線を越えるとリスカートーフォンそのもので、ビーレウストやシベルハムと何ら変わらない。
彼は頭も良く戦略研究などを趣味としており、様々なことに対処できる。とうぜん被害を最小限にとどめる作戦というのも知っているのだが、それは”彼の性格上”考えられなかった。
「おそらく防衛指揮は違うであろう。貴様もそのように感じたのであろう? レビュラ公爵よ」
知っているからこそ、敢えて逆の行動をとり、被害がどこまで増大するかを見たがるような面をも持っている。
「はい……」
ここでザウディンダルの全身に、慣れつつある痛みが戻って来た。痛みその物も弱まり、自らの手を動かしさすることくらいは出来るが、話をすることはかなり難しい。
軍人には痛みの耐性をあげる訓練もあるが、ザウディンダルはもともと体と精神に負担を強いるような訓練は除外されていた。
ただこの痛みは特殊過ぎ、訓練でどうなるものでもない。
「また痛みが襲ってきたか。収まるまで待つ。先程ロガ后に腰の辺りをさすられていたようだが、それで楽になるのか?」
「……」
未婚で出産も妊娠も経験のないリュゼクは”こればかりは解らぬ”とザウディンダルの腰のあたりに手をおき、出来る限り優しく撫で続けた。
”痛む物だとは聞いていたが、痛んでいる人間を目の当たりにすることは想像したこともないわ”
現在は余程の田舎でもない限り無痛出産が普通で、痛みを伴う出産など知識として知っている程度のこと。
「大分……痛みも引きました」
痛みも弱まり痛む時間も短くなり、その分間隔が延びてきたことでザウディンダルはやっと自分の回復に実感を持つことができるようになっていた。
リュゼクは手を離し話を再開する。
「そうか。では話を続けよう。ジュシスであれば防衛のみに徹したりはしまい。あの男は奇策・奇襲の名人であると同時に、攻撃は最大の防御なりを地でゆく。まあリスカートーフォンは基本姿勢はそれで、なにもあの男に限ったことではないがな。ともかくあの男が指揮していて市街地が無傷というのは考えられん。民間人に被害を出すなというのが帝王の遺言なれども、あれたちは遺言など守らぬ。帝王が生きていたら生きていたで、帝王と刃を交えることができると守らぬであろう」
「…………」
”帝王が生きていたら”その部分にザウディンダルはシュスタークのことを思いだした。はっきりと言われたわけではないのだが、ザウディンダルはシュスタークとエーダリロクが重なって見えることがあった。
その重なりがなんなのか? その答えは「帝王」だと、痛みにうなされながらその考えにばかり囚われていた。
「どうしたレビュラ公爵」
なぜあの痛みが、そんな考えを呼び起こし、それ以外考えられないようにするのか? 自分がなぜそんな事を考えたのか? どこにも”証明”になるものはないのに……と、悩むほどにその考えが浮かび、今も居座り続けている。
「あ、いえ。あの、それで……」
「ここまで徹底し、帝王の遺志を守るとしたら帝国宰相じゃ。あの男は帝王の子孫たる陛下の部下であってこその権力者。陛下のご意志である、帝王の遺志を守ることがなによりも重要じゃ」
「じゃあ……」
ザウディンダルの肌に痛みがもたらす熱による赤み以外の「あかみ」が現れた。喜色は病的な肌色を押しだし、生来の美しさを取り戻してゆく。
「おそらく指示の幾つかは出しておろう。だが誰が責任者として防衛についているのかは、まったくもって不明じゃよ。リスカートーフォンが簡単に権利を譲るとも考え辛いからな」
「兄貴……じゃなくて帝国宰相が責任者として防衛してるんじゃないの……」
「それはない。帝国宰相にしては脇が甘い、帝国宰相の指揮であればここまで被害は大きくはならぬ。陛下にはヴェッティンスィアーン公という、金の使い道に関して、脇で聞いておる儂らですら、鼓膜を自ら破りつつ首を絞めて殺したくなるほどに煩い外戚王がおる。これ程被害を大きくすると、修理費で帝国宰相と大喧嘩になるじゃろう」
「ぷ……」
リュゼクのヴェッティンスィアーン公爵ランクレイマセルシュの評価に、思わずザウディンダルは噴き出してしまった。
ランクレイマセルシュのことを言い当てていることもそうだが、リュゼクがこんな喋り方をするのを初めて聞いたので、意外さのあまり堪えられなくなってしまったのだ。
不安げな光に満ちていた藍色の瞳が明るさを取り戻したのを確認して、リュゼクは話続けた。
「指揮を執っておるのは軍人ではあろうが、軍人らしさの少ない軍人だ。指揮を執ったのも今回が初めてであろう」
過去に指揮を執っていれば”パターン”で誰かを推測できるが、今回の指揮者はそれがなかった。
指揮その物は教書通りで、奇を衒っている部分は何一つ無い。この部分がアシュレートではないと判断される部分なのだが、当事者である僭主たちと”狩られる側”となった皇王族はそれに疑心暗鬼を募らせ、指揮者は能力以上のものを発揮できていた。
その指揮を執っているのは、
「メーバリベユ侯爵とか?」
「ほお! それは想像しておらんかったが……条件に合うな。それならば、大宮殿の破損も既に予算は組んで陛下の挙式前には修復も終わっておろうな。あの元皇后候補であれば予算折衝も上手くやるであろう」
最初の皇后候補だったリュゼクは、次の皇后候補となったメーバリベユ侯爵の灰色と緋色の瞳を思い出す。落ち着きに満ちた灰と何事にも屈しない緋。テルロバールノル王家の色でもあるその緋を宿したあの意思強く、なにごともなし得る行動力。
リュゼクと比べればメーバリベユ侯爵は弱々しさもあるが、それは高次元での話。普通に語る際には、文句の付けようがない。
―― 初の指揮でエヴェドリット僭主の封じ込めとは、度胸もある。度胸という面では皇后ロガの方が上じゃろうがな ――
「ジュシス公爵になにかあったのかな」
「死んではおらんだろう。死んでおったらメーバリベユに権限は渡るまい。生きて権限を貸していると考えるべきであろう。ジュシスが死んだら別の指揮官も当然用意されおる」
「まだメーバリベユ侯爵と決まったわけでは」
「メーバリベユではないとしても、ジュシスの配下にしては温い指揮だ。ジュシスが死んだ場合の指揮を任されているのはバーローズだ。あの戦争狂人の末裔に指揮を執らせてみろ、良くて今頃帝星の半分は消し飛んでおろう」
ザウディンダルは「バーローズ」の名を聞いて納得した。戦死したシセレード公爵と伝統的に不仲なバーローズ公爵家の当主。前者は殺戮人と呼ばれ、後者は戦争狂人と呼ばれた者の子孫で、その血は全く薄まっていない。
その当主が自分の属する王家の僭主と交戦となれば、まさにリュゼクが語ったことが起こっても不思議ではないどころか「半壊で済んでよかったな」と言われてしまう。
「ジュシスのことじゃ、どこかで僭主を追い詰めて遊んでおるのじゃろう。あの男は一匹の獲物の能力を解明してから殺す研究熱心じゃしな。よほど興味深い、追い詰めるに相応しい獲物が現れたのであろうよ」
ザウディンダルが本当に知りたいのはデウデシオンの生死だが、今は”分からないということ”を知っただけでも充分だった。
リュゼクは話は終わったと立ち上がってから、
「レビュラ公爵……薬物を投与されたと聞いた」
もう一つ聞きたかったことを、見下ろすような体勢で尋ねた。
「……」
「誰に投与されたか解るか」
解るとザウディンダルは頷くが、
「その相手、教えてくれるか?」
この問いには首を振り否定する。
リュゼク将軍は再び襲ってきた痛みに体を丸めるザウディンダルの腰と腹を再度さすり、
「身の程を弁えた両性具有だ。それで良い。……いずれ儂らも対処する」
納得の意を込め呟き痛みが治まるまで傍にいた。
「それではな、レビュラ公爵よ」
―― たとえ僭主であろうとも、たとえ両性具有であろうとも。儂等の王の末裔じゃ。誰が人造王の自由にさせるか
**********
ザウディンダルの部屋から出たあと、ロガに挨拶をして去ろうとしたリュゼクの元に、
「リュゼク」
「陛下」
やや落ち着きのないシュスタークが近付いてきた。
「ガルディゼロの容態はどうだ?」
皇帝に話しかけられたらすぐに返事をするのが筋だが、皇帝と立ち話をするわけにもいかないので、場所を移動するか? この場に椅子を用意させるかを提案し、大至急椅子を運ばせシュスタークが座り、その前に跪いてからリュゼクは答えた。
「もうすっかりと治っております。陛下に心配していただけるとは、ガルディゼロも幸せな男です」
融通が利かないと言えばそれまでだが、皇帝の有り様を徹底するという面では正しくもあった。
それにリュゼクとしては少しばかり話をしたいので、座ってもらったほうが彼女としても話しやすい。
リュゼクの性格では、皇帝を立たせたまま話すなどできない。
「そうか。あのなロガがガルディゼロのことを心配しておってなあ。解っておる、ラティランクレンラセオのことがあるから自由に出来ぬのであろう? だが少しでいいからロガに会わせてやってくれ」
「陛下が家臣の臣である儂ごときに”してやってくれ”などと言われるな」
頭を上げずに言い返す。
礼儀作法には厳しい一族は、皇帝が礼儀作法に則っていなければ、相応の物言いをする。もちろん《皇帝が受け入れてくれる度量がある》ことが前提。
「ご、ごめ……じゃなくて、その……だが命令ではない。リュゼクはこの艦を守ることと、カレンティンシスを守ることが使命であろう。その使命を果たすためにはガルディゼロを手元におき、監視するほうがよい。それを余の一存で曲げてくれと言っているのだ。これを頼まずに命じることは軍の総司令官として間違っていることだと解っておる。だから……その……」
長い左右の人差し指を遊ばせながら焦るシュスタークを頭上に感じながら、
「陛下」
「どうした? リュゼク」
この皇帝が自分たちの王の主であることの幸福を噛み締めながら、まとまるように話を続ける。
「ガルディゼロに関しては儂はなにも言えませぬ。陛下が儂等の殿下に命じて下され。儂等の殿下であるカレンティンシス様は”この儂”に――ガルディゼロにどのようにして自由を与えるべきか――に関して意見を求めるでしょう。その場で儂が陛下のお心に添えるよう意見させていただきます」
「お、おお! そうか! 頼むぞリュゼク!」
「陛下」
「なんじゃ! で、ではなくて、なんだ?」
「ロガ后の飼い犬、ボーデンと言いましたか?」
「ボーデン卿だが」
「卿のお世話は誰が?」
「誰とは決まっておらん。この艦で一番暇なのは余なので、余が受け持っているが……まあ、この通りなので……」
長椅子の背もたれに俯せつつ体を預けるシュスターク。
「タカルフォスを借りてやってください。あれの犬好きは陛下もご存じでしょう」
タカルフォス伯爵の顔を見てボーデンのことを思い出したくらいなのだから、シュスタークも良く知っている。
「もちろん知っておる。ボルゾイが特に好きと聞いた。だが余はあれと直接話が出来ぬから」
会話ができないというのは、話を聞くこともできない。聞こえてはいるのだが、聞こえたとして動いてはならないのだ。
シュスタークが目の前で喋ったとしても、間に入った者の言葉を聞いてからでなくては、タカルフォス伯爵は返事もできない。それはシュスタークも同じで、タカルフォス伯爵が喋った言葉は聞こえていても間に入った者が繰り返してからでなくては「聞こえた」と反応してはならない。傍目から見ていると滑稽だが、その滑稽さが懲罰となる。
それに付き合う皇帝も大変だが、これで皇帝の気分が害するのが目的にもある。鬱陶しさを感じ遠ざけること。
「間に人を置けば解決しますな」
もう一人疎まれる立場になるのが、間に入る人物。
同じことを全く同じに繰り返すことが必要で、かなり精神を使う立場となる。
「そうだが、誰が間に入る。かなり大変であろう」
ただしシュスタークはシュスタークなので、鬱陶しさを感じることも、間に入る者が多少略して喋ってきても怒りはしない。
そんな鷹揚な皇帝だからこそリュゼクもこのような提案をすることができるのだ。
顔を上げてシュスタークを真っ直ぐに見て、真意が伝わるように、だが直接的な言葉は使わない。貴族や皇帝はとかく面倒が多いなと思いながらも、必ず解ってもらえると信じて。
「タカルフォスは粗忽でおっちょこちょいな小童ですが、強さに関してはこの儂も諸手を挙げて認めます。そうですなあ、経験では劣りますがガルディゼロと遣り合うことくらいは可能でしょう」
”本気で遣り合ったら、ガルディゼロに出し抜かれるでしょうがな”という部分は敢えて触れなかった。
強いが頭の回転や裏を読む能力がキュラの八分の一程度(リュゼク判断)のタカルフォスでは簡単にやり込められることは解っている。
だが今はそれらを語るのではなく、あくまでもキュラを自由にするのが目的であり、キュラもそれに応えることが解っている。
る。
「……そういうことか! 解った」
少しの間をおき、シュスタークは手を打ち鳴らし意図を理解し、全身で露わにした。
リュゼクは警備と艦内についての幾つかの注意をして、頭をより一層下げる。額が床につく程下げて”皇帝が立ち去る”のを待つ。
リュゼクの話は終わったことは解ったが、シュスタークには言いたいことがあった。床に流れ広がる美しい栗毛を見ながら。
「リュゼク」
「はい」
「ザウディンダルのことを守ろうとしてくれたそうだな」
「当然のことにございます。陛下の両性具有、誰がむざむざと僭主の手に渡しましょうか」
「ザウディンダルのことを守ったことは、そなたの誇りであり隠れた忠義でもあろう……今のことは聞き流せ」
「……」
リュゼクは反射的にあげたくなった頭を全ての精神力で抑え付け、床を凝視し続けた。シュスタークの言葉から、皇帝はザウディンダルの出自を知っていることがはっきりと解る言葉。
「王家の名誉は守ってやる。ではな」
シュスタークが去ってゆく足音、その震動を額で感じながらリュゼクはきつく目蓋を閉じて、しばらくの間その場で唇を噛んで泣いた。
**********
リュゼクはカレンティンシスの執務室へと向かった。
「失礼します」
扉を開かせて礼をしてカレンティンシスの前に立つ。長い時間を共に過ごしているカレンティンシスは、リュゼクの表情がいつもと違うことを感じたが触れることはしなかった。
シュスタークとの話合いから時間をおいての訪問なので、すでに「タカルフォス貸し出し希望」が届いていた。
それに至る迄の経緯とキュラを間に置くことを説明する。
「ガルディゼロは信用出来ぬがなあ」
「あの男は儂やカレンティンシス殿下の信用など欲しておりませぬ。もちろん人造王の信頼も。あの男が欲するのは皇帝と后の信頼のみでしょうぞ」
「なるほど、信頼を得るためには……か。よろしい、委細は任せてよいか? リュゼク」
「はい」
その後、帝星の状況を再度検討しあう。その際にザウディンダルが言った「防衛の指揮官はメーバリベユ侯爵」ということをカレンティンシスに案の一つとしてリュゼクは伝えた。
それらを聞き、カレンティンシスは”そろそろ”判断を下そうと、図らずも行動を共にしたリュゼクに真価を問う。
「リュゼク」
「はい、カレンティンシスさま」
「レビュラのことだが」
「なんでしょう?」
「あれは帝国でやっていけると思うか?」
「性質としては脆く依存度が高くて幼児のようですが、それと相反するように芯の強さを持ち合わせおりますし知性も高い。仕事をさせる場合はある程度の地位ある者の直属配下に置けばよろしいかと。王家ごとの責任者も置けばよろしいのではないでしょうか? ロヴィニアはセゼナードで決まりでしょうが。他の王家は知りませぬがテルロバールノルで引き受ける者がなければこの儂が引き受けます」
「お主がそこまで言うのであれば問題なさそうじゃな。そしてその任はカルニスタミアが喜んで引き受けるであろう。エヴェドリットあたりはデファイノスよりもジュシスのほうが良さそうじゃがな。もっとも問題のあるケシュマリスタとの調整があるが、今回のことを陛下に取りなす際にある程度の譲歩は引き出せよう」
**********
そして襲撃から六日が経過し――
「陛下。ハーダベイ公爵より通信が」
「バロシアンから通信? 何事だ」
「帝国宰相の……」
伝令の言葉を最後まで聞かず、シュスタークへ部屋から飛び出し艦橋へと向かった。自分の旗艦ではないが、どれも同じ作りなので艦橋まで迷うことはない。
自らの手で扉を開き、
「デウデシオン! 無事か! 無事なのか? デウデシオンは」
”無事か! 無事か?”と叫ぶ。
「デウデシオン」
『陛下。ご無事でなによりで御座います。陛下が僭主に襲撃されたと《リスカートーフォン》に《いま》聞かされました。陛下の危機を事前に察知することできず、また危機に駆けつけることもできず、この帝国宰相、弁明の余地もありません』
大画面に映し出されたデウデシオンは何時もと変わることなく、シュスタークに話しかけた。無事であることを確認したシュスタークは腰を下ろしたばかりの椅子から立ち上がり、
「デウデシオン、その右目は? 右目はどうした?」
画面に向かって指をさす。
『転がって機器の隙間に挟まってしまいました』
シュスタークに指摘されるまで気付いていなかったデウデシオンは、表情には出さなかったが、当然「しまった」と心中で舌打ちをした。
皇帝の前に出る際に、こんな姿で出るなど非礼以外の何者でもない。
シュスタークの後ろにいる艦の本当の主カレンティンシスの、怒り出す寸前の表情を盗み見て、素知らぬふりをして話し続ける。
「目が外れる程の戦闘か。大丈夫なのか?」
『ご心配ありがとうございます。ですが陛下、私の右目は……過去に負った怪我で外れやすいのです。癖のようなものです。それと大規模戦闘などありませんでした』
「機動装甲に乗っておるようだが、機動装甲が攻めてきたのではないのか?」
機動装甲は攻めてきた。
シュスタークが援軍にと特別許可を出したザセリアバが、デウデシオンと刃を交えた。だが、
『いいえ。《一機たりとも攻めてきておりません》帝星に到着したのは《僭主を狩るためにやって来たリスカートーフォン公爵の機体》のみで《よく戦ってくださいました》リスカートーフォン公爵のお陰で私は機動装甲で《僭主と戦う必要はありませんでした》。私はただ念のために機動装甲で待機していただけのこと。陛下がリスカートーフォン公爵に許可を出したことを知らなかったので危うく戦いかけてしまいました。陛下からの命を受けたリスカートーフォン公爵に対して攻撃をしかけたこと、謝罪いたします』
それは駆け引きに組み込まれて、真実は消えた。
「攻撃したことは良い。あとで余がザセリアバに言っておく。それと勝手なことをして、悪かった。早くに僭主を排除しようとザセリアバに機動装甲で帝星に近付くことを命じてしまって。結果としてデウデシオンに怪我を」
『勝手などと。全ては陛下の物、ご自由になさって当たり前のことです』
「あのな……デウデシオン…………帰還したら色々と話したいことがある」
一時期デウデシオンが生死不明であったことで、シュスタークは様々考えることが”できた”このような事がなければ、決して考えたりはしなかったであろう事を。
『はい。私も楽しみですが、少々お時間をいただきたい』
「時間? とはなんだ? デウデシオン」
『陛下とアルカルターヴァ軍の到着を四日ほど遅らせてください』
「なぜだ?」
『まだ帝星には《僭主》がおります。それらを全て刈り終えて、安全を確保するまであと四日必要です』
残り四日でデウデシオンは残りの皇王族を殺害し、僭主を新たなる皇王族に仕立て上げ、シュスタークの凱旋式典の用意を整える必要がある。
「……解った。無理はするなよ、デウデシオン」
それが帝国宰相デウデシオンの仕事。
『はい』
「それでは帝星で再会すること、ロガ共々楽しみにしているぞ、デウデシオン」
『はい』
画面からデウデシオンが消えたのを確認し、
「皇帝らしからぬ取り乱しようを見せてしまったな、カレンティンシス」
「陛下にこれほど思われているとは、帝国宰相は幸せな輩ですな」
カレンティンシスに声をかけて艦橋を後にし、付いてきたタウトライバと共に私室へと戻り、
「デウデシオンが生きていたぞ!」
喜びを爆発させてタウトライバに抱きき、
「はい! 生きておりました!」
二人で抱き合い、喜びを爆発させた。
そしてもう一人、喜びを爆発させた人がいた。
「ザウディンダル!」
部屋に転がるようにして飛び込んできたタバイに、ミスカネイアとザウディンダルが驚く。タバイは身体能力が優れているので、転ぶようなことはない。
体の動きも優雅ではないが、完璧で、重心が狂うこともなく、右手右足が一緒にでるようなこともない……はずなのだが、二人の目の前にいるタバイはアルカルターヴァの高級絨毯に躓き、手足の動きがバラバラ。
「タバイ兄、疲れてるんじゃないのか?」
「あなた?」
入り口からベッドまで、大した距離ではないのに、タバイは苦労して近付き、ザウディンダルの頭を撫でながら、
「生きていたぞ。兄は生きていた!」
デウデシオンが生きていた――それを理解するのに時間がかかった。驚き過ぎて頭に入ってこなかったのも事実だが、その時のタバイの表情があまりにも「デウデシオンの弟」で、
「良かった! 良かったな! タバイ兄」
心から嬉しくなった。ザウディンダルが物心ついた時にはデウデシオンもタバイも「兄」で、タバイには自分たちのような弟らしさを感じたことはなかった。
「ああ、良かった! 良かったな、ザウディンダル」
「タバイ兄も嬉しいだろ?」
「当たり前だ!」
互いを抱き締めあい、喜びを分かち合った。
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