ALMOND GWALIOR −224
 ザウディンダルはプログラムを流し、それが機能するまでの間に考えなくてはならないことがあった。
 扉の向こう側にはリュゼクと僭主ディストヴィエルド。
「……」
 格納庫の中にあった機動装甲ブランベルジェンカIVは動力は残っていたが機体としては破壊されつくしていた。ブランベルジェンカ105も同じ状態。
 ブランベルジェンカ105の動力を破壊しなかったのは、
「こっちが予備か。あのバリアは俺には破壊できないし……」
 そこに艦内機能を乗っ取っている機器が存在しているのだが、ディストヴィエルドが用意したバリアによって破ることができないでいた。
「武器が全部破壊されて……直す時間は……」
 格納庫内にあった武器は、破壊されており直す余裕はない。
 リュゼク将軍に言われた通り、表側から抜けて逃げるべきなのはザウディンダルも解っている。弱い人間がどれ程”気合い”を入れようが、勝てないものは勝てない。
 気持ちだけで勝てるような相手ではないことは、何度かの遭遇で理解していた。理解はしているが、どうしてもリュゼクをおいて逃げたくはなかった。
 自分は嫌われていたという過去ではなく、この危機的状況の際に協力してくれたこと。それに対して自分は何ができるか? を考えて、ザウディンダルは《皇帝の剣》を握り締める。
「プログラムエラーはない……早く早く……」
 プログラムが早く正常に稼働してくれと思う半面、これが稼働したら覚悟を決めなくてはならないという焦りもあった。
 動力に繋いだ操作卓が、様々な色に光る。
「……」
 足元で”きゅるる、きゅるる”と回っているS−555改の鏡のような光沢のある背中部分に映った自分の顔を見た。
 左側の緑の瞳を手で隠し、右側の藍色の瞳だけで自分の姿をみつめる。
 むかし、幸せになった少女が帝国に持ち込んだ”藍色”
「馬鹿だったんだってなあ」
 馬鹿で愚かしいと、そして終生少女と言われ続けたその瞳で己の姿を見た時、
「ここで逃げたら、愚かでも馬鹿でもねえけど……」
 自分の中の何かが消えてしまうように感じられた。今S−555改に映し出されている自分の藍色の瞳は、暗く閉じていっていると。

 頭が悪いと言われた大帝太后だった藍色の瞳の持ち主だったらどうしただろか?

「逃げて助けを呼びに行けば良いんだろうが……」
 戻って来た時に、既にリュゼクが死亡していたら? そう考えると、ザウディンダルは怖ろしかった。
 ディストヴィエルドがエーダリロクの持っている権限の殆どを手中に収めているとしたら、リュゼクの核が存在する場所を知っていると考えて間違いはない。
 ザウディンダルは左目から手を離し、皇帝の剣を両手で握り締めて白い柄に口付ける。
「いいや、馬鹿じゃねえよ。勝てなくても……勝てなくても……それに……」
 柄と同じく白い鞘から刀身を抜く。濡れたような銀の刀身に映る藍色の瞳は、輝きを取り戻した。

―― プログラム起動 ――

「艦外通信回復、艦内空調回復。バールケンサイレ大将、ユキルメル大将からの指示を待て」

 それだけ告げ、ザウディンダルは裏側の先程の入り口へと進み、先程から自分の姿を映しているS−555改の背中を開き、ある機能を稼働させた。

**********


 リュゼクは膝に力が入らないことを感じ、視界に白い小石のような物が飛び散ったのが見えた。それが自分の歯であったことに気付かなかった。
 膝を折り床に座るように崩れ落ち、額も床につきそうになったリュゼクに、黒い軍靴が迫り、爪先が力尽くで口の中に入り込み蹂躙して、歯という歯を砕ききった。
 リュゼクの歯の殆どを砕いた蹴り。それはそのままリュゼクを仰向けにして、今度は床に背中から強かに叩き付けられる。
「パンチはそれこそ鉛のように重いが、鉛程度の重さとも言えるな」
 ディストヴィエルドは言いながら、リュゼクに馬乗りになる。様々な相手と遭遇し、負傷したディストヴィエルドも内臓の治療にかかり切りで、リュゼクに殴られた顔の傷を治す余裕はない。
 口の中が切れ血が溢れ出したリュゼクは、自分に乗っているディストヴィエルドを押すが、
「もう、無理だろうよ」
 全体重を掛けた肘を、豊かな胸の間にたたき込み骨が折られる。痛みと衝撃で呼吸が出来なくなる。ディストヴィエルドは今度は全体重を乗せた拳でリュゼクの顔を容赦なく殴る。
「お前たちは、顔が弱いからな」
 脳を守ろうと必死に頭蓋骨を治す体と、骨を折る感触を楽しむディストヴィエルド。
 顔は腫れ上がり目蓋も開かなくなる程になっても、頭蓋骨は再生され、脳も再生されてゆく。

『艦外通信回復、艦内空調回復。バールケンサイレ大将、ユキルメル大将からの指示を待て』

 辛うじて耐えていた鼓膜が、ザウディンダルの放送をリュゼクの脳へと届けた。
―― よし良くやった、レビュラ。あとは儂がここで時間を稼ぎ、逃がしてやるだけじゃ! 死ぬなよ!
 口どころか顔まで腫れ上がった状態のリュゼクに勝機はないが、死ぬまでザウディンダルの避難時間を稼いでやると、その目に再び輝きが戻って来る。
「両性具有が逃げるな。追うか」
 ディストヴィエルドはリュゼクの体から離れて、入り口へ向かおうとする。
 その足首にリュゼクは手をかけて引く。
「無様だとは思わないのか? プライドの高いことが自慢のテルロバールノル属の名門公爵家の当主が、両性具有を守ろうと死に体で床を這い足を掴むなど」
 ディストヴィエルドの言葉は、鼓膜が破損していたリュゼクには聞こえなかった。聞こえたとしても、足首を掴む手を離すことはなかったであろう。
 ディストヴィエルドは体を軽く降ろし、リュゼクの美しい栗毛をつかみ力尽くで引き上げ、格納庫出入り口の扉に向かって投げつけた。

 ザウディンダルが扉が開くと栗色の光沢のある髪と、緋色と黒のテルロバールノル王国軍のマントが乱れ舞わせながらリュゼクが正面から飛び込んできた。
 ザウディンダルはリュゼクを受け止めて床に置く。
「扉が開くとは」
 腫れ上がり元の顔が全く解らなくなってしまった状態のリュゼクと、口の端が切れている程度のディストヴィエルド。
 ザウディンダルは息を飲んだが、ここで引くわけにはいかないと、ディストヴィエルドから視線を外さずに、片手でミスカネイアから貰った治療薬を握り、歯が全部無くなったリュゼクの口に押し込み、近付いてきたディストヴィエルドを睨み付けた。
「なんのつもりだ? 両性具有」
「少し待ってろよ。お前じゃなくて、このリュゼク将軍……いいや、デーケゼンに言っておくことがあるんだ」
 治療薬の入っているバッグを降ろし、錠剤をリュゼクの頭部周辺にぶちまけて声を掛ける。
「聞こえるか?」
 耳は右側だけが聴力が回復していたリュゼクは、頷くことはできた。
 ”なぜ扉を開いたのか?”叱責しようとしたリュゼクだが、口の中は腫れ上がり呻き声すら漏れない状態。
 ザウディンダルは治療薬を注入して、注入器をリュゼクの傍に置いて立ち上がり、皇帝の剣の鋒をディストヴィエルドへと向けた。
「まさか我と戦うつもりか? 両性具有が」
「そのつもりだと言ったらどうする? 僭主」
 ディストヴィエルドは手で顔を押さえて大笑いした。
「両性具有ごときが、相手になるとでも?」
 ザウディンダルはその嘲笑を前に退路を断つ。
「デーケゼン。俺の名はザウディンダル・アグディスティス・エタナエル。紛れもない両性具有だが、もう一つの存在がある。男でもない女でもない、その存在の名はベル公爵ハーベリエイクラーダ」
 もっとも明かしてはならないだろう相手の前で、ザウディンダルはその名を叫ぶ。

―― なんじゃと……ウキリベリスタル王の時代に殲滅したと。ハーベリエイクラーダ王女の末裔は殲滅したと

 見下し楽しげに笑っていたディストヴィエルドは笑いを収めて、ザウディンダルをみつめる。
「おもしろいことを言うな、両性具有」
「手前に言ってんじゃねえよ。俺はデーケゼンに言ってるんだ。これは兄のパスパーダ大公から直接聞いた。ロヴィニア側でも掴んでいる。だから信じろ、そして俺を刈りに来い」
 リュゼクはザウディンダルが何をしようとしているのかを理解して、立ち上がろうとするが体は全く言う事をきかない。
 この回復の弱点である、内臓機能を優先してしまい、手足の骨折や筋肉の断裂の回復が全く行われていないため、動くことができない。
「テルロバールノルにしてアルカルターヴァ。他の王家の僭主に自王家の僭主が殺されるのを黙って見てはいられないのがお前達だ。俺を刈る為には回復する必要があるだろう? それまでの時間を俺が稼いでやる」
 ザウディンダルは右手に剣を持ち鋒をディストヴィエルドに向けたまま、徐々に間合いをつめて《格納庫》から出ようとしていた。

「でもな、デーケゼン。俺は両性具有だ、生殺与奪は陛下の手にある。だから陛下から許可をいただいて戻って来い」

 言いながらザウディンダルはリュゼクに振り返ることなく、格納庫の入り口から出て扉を後ろ手で閉める。
 扉が閉まる瞬間に”きゅるり、きゅるり”とS−555改が出て行ったが、それに注意を払うものはいなかった。
 扉が閉ざされ、目の前にはザウディンダルが”飲め”とばかりに広げた回復薬。
 リュゼクは必死に頭を動かし床に口を直接つけて薬を噛み飲み込む。

―― レビュラがハーベリエイクラーダ王女の末裔で、陛下に許可をいただけじゃと?

 ザウディンダルはリュゼクに回復の後に逃げろと言ったのだ。誇り高きテルロバールノル貴族に両性具有が逃げろといった所で聞く筈もない。
 だがその両性具有が僭主であれば、動きも変わるだろうと。
 リュゼクは有能な軍人であり、僭主狩りにも関わっていることを知っているザウディンダルは、自分の発言が嘘ではないと”思い当たるだろう”と考えて告げた。実際リュゼクはザウディンダルの言ったことを否定できなかった。
 ザウディンダルが生まれる一年ほど前に、現在は廃止された王族爵位ベル公爵位を所持していたハーベリエイクラーダ王女の末裔が滅亡したとはっきりと書かれている。

―― レビュラがハーベリエイクラーダ王女の末裔であれば、帝国宰相が異父兄弟の父方の系譜を消したことも頷ける

「う……ああ……」
 リュゼクは動かない体に泣きながら、

―― 誰が、誰が……僭主と言えども儂等の王女の末裔。それをあの薄汚れた僭主の手に掛けさせるものか! 儂等の王女は儂の主たるテルロバールノル王家の御方以外が触れて良いものではない!

 自らの全身に”治せ”と叫ぶ。逃げろと”命じられた”ことは解っても、彼女はそれに従うつもりはなかった。彼女に、リュゼク・フェルマリアルト・シャナク=シャイファに命じることが出来るのは二人だけ、テルロバールノル王にしてアルカルターヴァ公爵と皇帝のみ。

「勝負になると思っているのか? 両性具有」
「黙れ。少なくとも俺の手には皇帝の剣はある。その点で貴様より、皇帝の座に近い場所にいる」
「たしかにそうだな。エヴェドリット王子ビュレイツ=ビュレイア系統僭主ディストヴィエルド=ヴィエティルダ。勝負を申し込もうじゃないか」
「テルロバールノル王女ハーベリエイクラーダ系統僭主ザウディンダル。受けて立つ」

―― 逃げてくれよ、リュゼク将軍

 両性具有だから殺されないかもしれないが、相手がエヴェドリットである以上殺されるかもしれる可能性も高い。そんなことを思いながら鋒を向けた時、ザウディンダルは自分が心の底から幸せだと気づいた。
 なぜこの瞬間に、自分が幸せで愛されているのかが思い浮かぶのか? 不思議に感じたが、同時に死の恐怖も襲いかかってきた。

“最後の日の光を僅かに残した、だが確実に闇夜に向かう空の色を思わせる帝后の瞳。黄昏より始まりし帝国の日が沈み夜が訪れた。帝国暗黒時代の始まりである”

 そのように書き記された藍色の瞳。

 ならばその瞳が次に観るものはなにか? それは深い闇が白みゆく世界。その世界を見る為にも、ザウディンダルは踏みとどまった。

 ザウディンダルは皇帝の剣を構え、ディストヴィエルドは無手のまま馬鹿にしながら首を傾ける。
 ザウディンダルが剣を突き出すと、それを容易く指で挟み、口を大きく開き笑う。
 その笑いはロヴィニアのものではなく、明かに人に食いつくエヴェドリットのもの。大きくまるで裂けているかのように開かれる口と、血肉を求めて光っているように感じられる歯。
「本気できて良いんだぞ」
 ディストヴィエルドは指で挟んでいた剣を突っ返す。ザウディンダルは勢いで数歩よろめきながら後退し、もう一度剣を構え直すものの、
「時間をかけすぎると、あの女が戻って来るだろうからな」
 踏み込み間合いを詰めていたディストヴィエルドに頭を掴まれて”いた”
「え?」
 気付くよりも先に足をかけられて床に倒れる。受け身をとれず背中から床にぶつかり、痛みに驚いているザウディンダルの上にディストヴィエルドが座り、目元から味わうように舐める。
 性的な不快感などはなく、肉食獣の生き餌になった――その感覚のみがザウディンダルに襲いかかってくる。
 同時に動かなければ、逆らわなければ、従えば助かるというなにかが沸き上がってもきた。それは本能であり、また事実でもある。
 黙って時間をやり過ごすのも一つの手段だが、ザウディンダルはそうせず勢いよく起き上がろうとする。
 だが胸に置かれているディストヴィエルドの腕により阻まれた。
「抵抗すると殺すぞ」
 耳元で囁き脅し、舌を耳穴へと押し込む。奧まで差し込まれた舌は内耳を玩ぶ。
 ザウディンダルはそれらの感覚に耐えて、握っていた剣を突き刺すように動かした。
「……」
 剣は服は貫けたが、ディストヴィエルドの体には傷一つつけることができなかった。
「剣の性能がよくても、腕がなければなあ」
 ディストヴィエルドは再生能力もそうだが、体その物も頑丈なので、ある程度の腕力を持って斬りつけなければ、刃が体を傷つけることはない。
「殺すと言ったのに」
 首に手をかけて少しずつ力を込める。
 気道が狭まり、首の後ろの骨が少しばかり軋む。首を絞められて呼吸が不自由になった程度では死ぬことはないが、首を絞められるという行為は両性具有に強烈に死の恐怖を与える。
 ザウディンダルの藍色の瞳に浮かぶ怯えに、手を少し緩め息を吸わせてやって、またじんわりと絞める。
 死の恐怖に怯え、体が硬直したままのザウディンダルの首を、痣にならぬように、舌骨を折らぬように加減して、長引かせて絞める。
 猫が捕らえた鼠で遊ぶように、動けなくなったザウディンダルを開放してはまた首を絞めるを繰り返す。
 そのディストヴィエルドに突如現れ、突っ込んできたS−555改。
「……!」
 ザウディンダルは恐怖を忘れて再度剣を振るう。剣を腕で、もう片手で突っ込んできたS−555改を叩き壊したディストヴィエルド。
「なんだ?」
 そこに次々とS−555改が集まり、ディストヴィエルドに一直線に飛び込んでくる。
「誤作動か?」
 人間には致命傷になったS−555改たちの暴走だが、ディストヴィエルドにはこれといった攻撃にはならない……ものの、時間を稼ぐのには有効であった。
 ザウディンダルは格納庫を出る際に、付いてきたS−555改についている「集合」ボタンを押した。指示を出しているS−555改は少し離れたところで隠れるようにして、仲間を次々と呼び寄せる。
 実際S−555改シリーズは全員ザウディンダルを目指して飛んで来ているのだが、下敷きになっているのでディストヴィエルドに激突する形になっている。
「鬱陶しいな」
 ディストヴィエルドは立ち上がり、頭髪を吸い込もうとしたり、洗剤をまき散らして泡だらけにする清掃機たちを次々と破壊して歩く。
 ザウディンダルはその隙に体勢を立て直して、次に時間を稼ぐ方法を考えたが、思い浮かばず、
「これで終わりのようだな」
 S−555改が呼べる清掃機たちは全て破壊された。
「……もう一回、首を絞めて遊ばせてもらおうか」


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