ALMOND GWALIOR −186
シュスタークがいる帝国軍が僭主の襲撃を退けた。
報告はロヴィニア軍に届き、バロシアンたちの艦も受け取り、帝星でクリュセークが受け取った。
勝利の知らせだが、それをどうするのかはクリュセークが判断を下すことはない。
「メーバリベユ侯爵閣下に伝えたな。帝国宰相閣下は繋がらない……あとは、お任せしろ」
帝星でシュスタークが無事で、僭主を退けていたことが知らされるのは、これから三日後のことである。
「陛下がご無事でなによりだ。……なんだよ、その顔。メーバリベユ侯爵」
「いいえ。何でもありませんわ、エダ公爵」
エダ公爵は仕事用の硬い椅子ではなく、体を休ませることのできる椅子に腰を下ろす。
「で、どうするんだい?」
「まだ知らせないでおきます。ナドリウセイス公爵、帝国宰相閣下から指示があるまで公表は控えてください」
『かしこまりました』
皇帝が勝ったという知らせは、帝国側の士気を揚げる効果はあるが、同時に僭主の動きが読めなくなる恐れがある。
僭主とはすでに交戦していないのだが、表向きは大宮殿内に争いはすべて僭主との交戦。僭主との戦いとして葬られている皇王族たちが皇帝の生存を知ろうものなら、必死に皇帝に連絡をとり、嘆願をするのはあきらか。
そうなると”困る”
特に誰が困るというわけではなく、この作戦に携わっている者すべてが困るのだ。
**********
『そうかリグレムス』
敵艦橋でロヴィニア艦隊から”シュスタークは無事”の報告を受け取ったランクレイマセルシュは、指揮官の椅子に座っているインヴァニエンスに声をかけた。
「帝国軍が勝利したようだな。では取引しようか、インヴァニエンス=イヴァニエルド」
「なんの取引だ? ランクレイマセルシュ」
「皇帝の座を諦めて、玉座に就かないか? エヴェドリットを奪うなら、協力してやってもいいぞ」
「……金か?」
「当然。私は皇帝の外戚王。帝国の安定のためならば、幾らでもアレは売れるし、お前たちと取引するのはやぶさかではない」
「信用すると思っているのか?」
「信用しないならば、信用せずとも。銃など突きつける必要はなかろう。お前たちは強い。お前とて、私よりは強かろう? 銃器を使わなければ私を殺せない程度ならば、さすがにエヴェドリット王には就けてやれぬがな」
警戒し銃口を向けているディーディスに”下げろ”と指示を送る。
「ロヴィニア風情が偉そうに」
「年増……いや、年上には敬意を払おうか。どうした? このロヴィニア王ランクレイマセルシュ、女の実年齢くらい容易に見抜けるぞ。さあ、どうする? 私に金を積んで、エヴェドリット王位を買う気はないのか?」
「……」
「インヴァニエンスさま! ロヴィニアと金銭交渉は危険です」
ディーディスが叫ぶが、インヴァニエンスは無視して話を進め出した。
「ランクレイマセルシュ。具体的にはどういうことだ?」
「私に高額を払った方に肩入れする。要はエヴェドリット王位をお前とザセリアバが競り落とすだけのこと。私は人を裏切るが、金を裏切りはしない。どうだ? 積まぬか? それとも現エヴェドリット王家ほどの金はないか? 金がなければ盗むという手もあるぞ」
「他王家を勝手に売りに出すというのか?」
インヴァニエンス=イヴァニエルドの問いかけにランクレイマセルシュは、エヴェドリットが人に食いつく時とは別種の「人を食う」表情となり、手を差し出して説明をする。
「私は外戚王だ。外戚王の立場である以上、陛下をお守りせねばならぬ。陛下をお守りできるのであらば、他の王家などどうなっても構いはしない。お前をエヴェドリット玉座に就ける、その後文句をつけて退場させることも出来る。もちろん、お前が細心の注意を払い、私の策を退けて王位を守り続けることも可能だ。ともかく玉座だ。今ならば私が協力してやると言っているのだ」
もともとインヴァニエンスは皇帝の座は得られない立場。だが皇帝の座に就くはずだったザベゲルンが敗北しても、王の座を諦める必要はない。
「面白い。ザセリアバに連絡を付けて、参加させろランクレイマセルシュ」
「インヴァニエンスさま!」
「では、競りを始めよう、インヴァニエンス=イヴァニエルド。さて、リグレムスともう一度話をさせてもらおうか」
「リグレムス。ザセリアバに連絡を付けろ」
ディーディスは”ザセリアバがこの話に乗らない”ことを、エヴェドリットらしくもなく願った。だがインヴァニエンスはすでに金の用意を始めた。
本人の意志を確認せずに”かけ”に持ち込んだランクレイマセルシュ。
ロヴィニア王はエヴェドリット王が―― 乗ってくること ―― は解っていた。
『それですが、機動装甲で帝星に向かっているとのことです』
リグレムスの言葉に艦橋が俄に浮き足立つ。彼らの手の内にも帝国と同様の機動装甲があり、その破壊力を知っているので一斉に危機感が煽られたのだ。
「……陛下のご許可をいただいてのことか?」
『はい』
暗黒時代の余波で、帝星周辺に破壊兵器を置くことを嫌っていた帝国。
それを知っていたので、インヴァニエンスも皇帝が機動装甲で帝星へ向かうことを許可するとは考えてもいなかった。
だが実際、皇帝は許可を与え帝国領の中心へと進軍が可能となった。
「ならば良い。まあいい、連絡を入れろ。そして僭主艦隊に繋げ」
『御意』
**********
「あ? 通信。ロヴィニア艦隊?」
不眠不休で帝星を単独で目指しているザセリアバは、ロヴィニア軍からの連絡を受けて通信を開き委細を聞き、
「繋げ」
ランクレイマセルシュへと繋がせて、
『乗るか?』
「乗る。話としちゃあ、お前がいま作った口座に二日間で金を振り込めばいんだな? その合計額が大きいほうが勝ち」
『そうだ。細かい競りはお前の性に合わないと思ってな』
「そうだな。じゃあ、あとで」
ザセリアバは勝手にエヴェドリット王位を競りにかけたランクレイマセルシュに文句を言うこともなく参加を表明し、代理人を立てて競らせることにした。
「ああ? アシュレートもイジェルケンも居ないのか」
だが代理人にしようとした二人はどちらも行方不明。
「なんで居ないんだよ」
皇帝襲撃から気分が高揚したままのザセリアバの口調は、王になる前のものに戻っている。
『それは教えられませんわ』
防衛をになっているのは、メーバリベユ侯爵。
隣に立っているエダ公爵に尋ねてみたが、
『今は知らないほうがいいでしょうな。極上の日々を味わっておられますので』
やはり有耶無耶にされてしまった。
女が、それも両者とも海千山千の元正妃候補。その二人が此処まで誤魔化すとなると、追求しても無駄だろうと、ザセリアバは代理人をメーバリベユ侯爵に任せることにした。
「お前のところの王様から、我の王位を競り落とせ。使用して良い金額は、新設口座に振り込ませた。あとは任せたぞ」
通信を途絶し、ただ進む事だけに意識を集中しザセリアバは帝星を目指した。
帝星の安全や王位の競り落としではなく ―― そこにまだ戦える敵がいる ―― それが心躍らせ、気も狂わんばかりの喜びを感じさせ急がせる。
「私が競り落としですか。金額を確認してみましょう」
ザセリアバから他人がみたら重要な役割を任されたメーバリベユ侯爵だが、本人に気負いはなかった。
提示された金額の内訳は「王の個人資産の半分」「国家予算の予備費の半分」そして、
「軍事費の十分の一か。すごいね」
「そうですわね」
エヴェドリットの総軍事費の十分の一。
その金額にメーバリベユ侯爵は苦笑した。軍事費の比率が高いことは知っていたが、目の当たりにするとどうしても笑えてしまうのだ。
同時にザセリアバが本気で競り落とそうとしていることを、はっきりと感じることもできた。
「僕は王様なんかにはなりたくはなかったんだ……この場合は我だろうけれども、そういう思考の持ち主じゃないのは、はっきりしたね」
「そうですわね。姿勢がしっかりとしているようですから、私もしっかりと競り落とさせてもらいます」
「でも、これヴェッティンスィアーン公爵殿下の一人勝ちだよね。どっちが勝っても、両方の金はヴェッティンスィアーン公爵殿下の懐にはいるんだからさ。リスカートーフォン同士の勝負だから、負けたほうは絶対に殺されるしさ。助命嘆願を仲介するとしても別途で料金かかるだろうし」
あのランクレイマセルシュが自分の通帳に振り込まれた金を返すなど、誰も想像できない。
「そうでしょうね。負けたほうは手数料になるのでしょう。では全額振り込んでください」
メーバリベユ侯爵は王の特性を理解しながら、ザセリアバが用意した資金を全額一気に振り込む指示を出す。
「相手の資金とか調べなくていいの? ぎりぎりの所で競り落とすとかしないのかい? 君たちそういうの、すごく尊ぶじゃない。リスカートーフォンの人殺し讃美並にさ」
「そういうことするのは楽しいのですけれども、今は不慣れなれども帝国防衛に専念、完遂しなくてはなりませんから。それにリスカートーフォン公爵殿下は私などよりもずっと王のことをご存じでしょう。振り込んだ金は何をしても返ってこないことは私などが進言する必要もなく理解なさり、納得なさっていることでしょう」
職員の一人がメーバリベユ侯爵の指示通りに、ランクレイマセルシュの通帳へと入金を開始する。額が額なので、振り込むのにも様々な手間と莫大な時間がかかる。
画面に映る「金額」
「ちょっと見直したね」
「なにがですか? エダ公爵」
「僕は上を望む男が好きだ。だから僭主も嫌いじゃないよ、彼らは未だに皇帝の地位を狙っているわけだからね。もちろん僕たちが阻むわけだけど、その思考と行動力は嫌いじゃないね」
エダ公爵が皇帝を目指す男が好きだ。
「今のリスカートーフォン公爵殿下には覇気を感じたことはなかったと」
「君もあまりなかっただろう?」
皇帝を殺すために従った男の子孫としては、大人しいとエダ公爵は感じていた。ザセリアバにもっと皇位を狙う覇気があったならば内に秘めたる野心を嗅ぎ取ることに長けているエダ公爵は《愛人》になっていた。
「ええ、エダ公爵のそれらを判断する能力は、高く買ってますわ。だから私は神殿で相まみえることができたのです」
だが愛人となったのはラティランクレンラセオであり、もう一人関係を持ったのはデウデシオン。
「なるほど。振り込み未だ終わらないね」
「笑える程の金額ですからね」
「そうだね。ところで、メーバリベユ侯爵。対空防御は? そろそろリスカートーフォン公爵殿下が戻って来るなら、対空にも注意を払わないとね」
「戦艦の破片や、流れ弾ですか」
「そういうこと。この場合はどうするのかな?」
「近衛兵の皆さんに、対空砲を担いで市街地で頑張っていただきましょう」
「合格だね。僕はこの管理室上空防御につくよ。大宮殿に被害を集中させるといっても司令塔は守らなくてはならないからね」
**********
最初の混乱の時から周囲から忘れ去られたかのごとく静かだった皇婿宮に、帝国の未来を変える一人が誕生したのは、襲撃開始から三日目のこと。
皇婿宮が混乱に巻き込まれなかったのは、皇婿とテルロバールノル王家がこの作戦の深い箇所に関わっていないことが理由だった。
再建後皇帝を出していないテルロバールノル王家と、率先して殺そうとしている帝婿や、ディブレシアの手足となり動きつつ帝国宰相の作戦にも関係している皇君とも違い、そこは隔絶されていた。
警備だけは他の宮と同じように敷かれ、宮には避難してきたアニエスと皇帝の甥たちが、息苦しいながらも普通に近い生活を送っていた。
子供が生まれたことは皇婿に報告されたが、性別は隠された。
この状況でシダ公爵の長女誕生となれば、何かを手に入れ、自分を守るしかなくなった皇王族が何をしでかすか解らないためだ。
生まれたてでまだはっきりと顔は解らないが、黄金の髪を持つ「少女」がこの世に誕生した。
「手をずっと握っていてくれてありがとう。アルテイジア」
人心地ついたアニエスは、ずっと傍にいてくれたアルテイジアに感謝を述べ、アルテイジアはガーゼにくるんだ娘を渡す。
アニエスはその頬を優しく撫でながら、
「……ありがとう」
その”ありがとう”は生まれて来た娘に向けたものなのか、それとも他の誰かに向けたものなのか? アルテイジアには解らなかった。
ただ母子の体調を気遣い、眠る二人のそばにいる。アルテイジアにできることは、その程度であり、それが重要だった。
黄昏れるゆく空は戦火が交わることはない。
先日異常なほど騒がしかった皇帝と奴隷から正妃となった少女が住んでいる宮の奥も、今は静かだった。
―― もしかしたら、静か過ぎるというのかもしれない
そんなことを考えながら、アルテイジアは母子が休むベッド脇に用意した、リクライニング椅子に腰を掛けて目を閉じた。
アルテイジアが黄昏れゆく空の静けさに、少しの恐怖を覚えたころ、皇君宮の一角で二体の命が費えかけていた。
「皇君さま……寒いです」
「寒いです」
”キャッセルに似せて”作ったザンダマイアスが、造り主の皇君に抱きつき”寒い、寒い”と訴える。
皇君は二体をマントで包み、両手で両者の背を叩きながら、覚えている歌をうたう。
「皇君さま、皇君さま」
「皇君さま、皇君さま」
ザンダマイアスが機能停止し、それを片付けるのも造り出した皇君の当然の仕事だ。片付ける方法はいたって簡単で、機能停止したものを体に取り込むだけ。
「我慢できないほど、寒いかね?」
「我慢できません」
「我慢できません」
「仕方ないな。では機能停止前に我輩の元に戻ってくるかい?」
二体はひび割れた顔に喜びを露わにし、皇君の背中へと周り開いた背中に自ら入り込み、
「ただいま、皇君さま」
「さよなら、皇君さま」
二体は温かくなった体に喜びながら、皇君のなかに溶けていった。
「……」
自分の分身が消えた部屋の中に残る、彼らの痕跡。
「自分なのに、自分ではないようだね」
部屋から二体が消えたことを寂しく感じると同時に、皇君は二度とあの二体のような”誰かに似せた者”は作りたくないと考えながら目を閉じた。
脳裏には自分に還ってきた二体が楽しそうに遊ぶ姿が映る。
それが己の妄想なのか、本当に二体が還ってきて楽しんでいるのか? 主であるはずの皇君には判断がつかない。
―― 皇君さま。一緒に遊びましょう ――
―― 遊びましょう! ――
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