ALMOND GWALIOR −6
「おはようございます、ライハ公爵殿下」
「ヘルタナルグ准佐。本日の予定変更の委細を知っているか」
「存じませぬ」
「そうか。副官には通達できぬ程の大事か……何が起こったのやら……」
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儂は父親が割合好きだった。儂に優しかったからだ。人間、誰しも優しくしてくれる者に懐く。
それが父親であり、その父親が偶々[王]であっただけの事。その父親が、ふと寂しげな表情を浮かべるのは、
「お前が女だったらなぁ」
その一点。
王女に生まれていれば、父親はもっと喜んでくれたのだと幼い頃、純粋に思っていた。実際、喜んだであろうがな。
テルロバールノル王家に陛下の正妃になれる年齢の王女がいなかった事から、父王はよくそう口にしていた。……ただ、現状を見れば本気で儂は女に生まれてくるべきだったと思うが、それは儂が言った所で意味のない事。
もっと子作りに勤しめ、各王達よ……王よりも王妃の方が大変か。実際、王である父親と同格級のロヴィニアの傍系出の王妃だった儂の母親も、儂が男として生まれてきた時、責められたのだ。
それを考えれば完全な格下の家から「王女を産む」為に王妃として迎えられて、未だまだ産めないでいる王妃達の心痛は……儂が考えた所で仕方ないのだが……だが王妃の心痛や重圧など考慮している場合ではない。
王妃達が生んだ王女を迎えて、皇太子を儲けねば成らぬ皇帝陛下のほうが、何倍も重圧が……そう言えば、正妃を平民にすると言っていたな。
確か陛下は我がテルロバールノル領から選んだ平民の娘と[肝試し]とやらに向かわれた筈だな。上手く行ったであろうか? ……陛下、上手くいかれましたか? 失礼ながら貴方様の腰に宇宙の命数がかかっております。ですが貴方様……
……とにかく父親は、儂が王女だったら[皇后にしてやったものを]会う度にそう言っていた。
それを脇で聞いている兄貴の表情は、何時も悔しそうだった。その表情が悔しそうなものだと知るのは、もっと後の事だが。
「儂の子がいますから、カルニスタミアはこれでいいのですよ」
十一歳年上の、次のテルロバールノル王になる兄・カレンティンシスは父親にいつもそう言っていた。
その父親が儂に向かって「女に生まれれば」と言わなくなるようになった。
それは陛下にお会いしてからの事。
儂より一つ年上の陛下とお会いして、直接手に触れて挨拶をした時。
あの時の事、生涯忘れることはない
頭の中に断片的に流れてくる、他人の記憶。陛下も驚き、あの眼を見開かれ、
『お前であったか』
儂はそれが何なのか、知らなかったが思わず笑ってしまった。それが[我が永遠の友]と呼ばれるようになる為の第一段階だと言うことを儂は知らなかった。陛下はご存知であった。
失礼だと周囲の者や父親が儂を叱ろうとしたが、陛下が[よいよい]と手の動き一つで宥める。
それに儂は二度目の驚きを受けた。
それまで儂の世界では父親が最も偉かった。父親を、テルロバールノル王を制することなど誰もできぬ、それが儂の世界だった。だが、儂と手を握り合っている一歳年上なだけの ”陛下” はそれをなされた。
儂はこの方にお仕えするのだな……そう確かに感じておった。陛下は儂に向かって微笑んで視線を外し、穏やかに語れる。
『テルロバールノル王よ、これは我が友になる。故に大事に育ててくれよ』
頭の上を通り過ぎていった言葉。
儂はその言葉が掛けられた「王」を振り返り見る。あの時の表情、あの喜びよう!
父親は儂を王太子であった兄と同格、いやそれ以上に扱いだした。そして、儂を嫌っていた母である王妃も笑顔で受け入れるようになった。
当初、儂が女ではない事を責められていた母だが、儂が「我が永遠の友」所謂「同性でなければあらわれぬ個体変異」を起こした事で、夫婦仲が改善したのだ。
父親は母を褒め、今まで儂を「王女として産まなかった事を責めた」それに関して詫び、母は父親を許す。
儂は王と王妃の愛情に囲まれて過ごす事となった。それはとても楽しかった。両親が仲良く、その両親の仲を良くしたのが自分だというのが、嬉しくもあった。両親仲良く、そして儂に優しく接してくれるのが純粋に楽しかった。色々な事を知った現在であっても、それは否定しない。
その一方で、母の愛を失ったのが兄・カレンティンシス。
父親が責めていた頃、母はカレンティンシスに愛情を注いでいたが、儂が男でも良くなり父親が母と和解する。
父親は愛人を整理し、愛人と過ごしていた時間の全てを儂に注いだ、[皇帝陛下の第一の友人]を育てる為に。
愛人と怠惰に過ごすよりも、儂を育てる方が余程楽しかったらしい。父親は、あれで王であったから人を育てるのは好んでいた。
人を育てられぬ王は、国を失うであろう。
ここでも持って生まれた才能が幸いして、父親の愛情をますます受けるようになる。
『お前は何処に出しても恥ずかしくない王子だ! 容姿も伝統的なテルロバールノルを全て兼ね備えた、まさに正統なる王子よ』
父親は褒めた。そして母も、
『ロヴィニアが表れなくて良かった。テルロバールノルで生まれてきてくれて、ありがとうねカルニスタミア』
自分の一門に似なかった事を喜んだ。
そうやって、徐々に儂から「女に生まれたほうが良かったのかな?」そのコンプレックスは消えて行き、段々と「人の気持ちなど理解できない王子」となっていった。
儂は強くもあった。腕力や体力が王族や皇王族の中でも優れていた……そう、兄よりも。
十一歳年下の儂に剣の試合で負けて、涙を堪えている兄を見ても、儂はなんとも思いはしなかった。弱い兄が悪いのだと、そうとしか思わなかった。皆、そのように儂に教えたからな。
物陰に隠れて泣いている兄貴を見て、儂は兄貴を警戒するようになる
兄貴と儂の関係は、ザウディンダルによって破綻した訳ではない。儂と兄貴の関係は、兄貴と儂の違いによって破綻したのだ
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「あれは……」
右前方の廊下から現れた、緑を基調とした着衣を纏った集団。
ケスヴァーンターン公爵ラティランクレンラセオの一団。
「おはよう、ライハ公爵」
「おはよう御座います、ケスヴァーンターン公爵殿下」
儂が兄貴を警戒するようになった理由、それがこの男だ。
ケシュマリスタ王ことケスヴァーンターン公爵の長男が、現時点で非公式ながら「皇太子」の地位にある。もしも陛下になにかがあり……この男の息子が即位する事となった時、息子を黙って皇位につけるとは誰も思ってはおらぬ。
息子が皇位に就いた所で宰相として権限を振るうであろう。
それはまだ良い方だ、この男の性格からすれば息子を全て殺害し、自分が皇帝の座に就く可能性のほうが高い。
「どこに行くのかな?」
「帝国宰相のもとへ。呼び出された理由は解りませぬが」
「そうか……そうそう、昨日ライハ公爵の兄、テルロバールノル王が帝国宰相から制裁を与えられたようだ」
「お教えいただき、ありがとうございます。用が済み次第、見舞いに向かう事にいたします」
頭を下げ、ケスヴァーンターンの一団が過ぎ去るのを待つ。
兄貴とこの男は精神感応能力の行き来がある関係だ。儂と陛下と同じように。
『ラティランクレンラセオが皇帝だったら、儂が我が永遠の友なんだからな!』
ああ、そうだな……。だから、儂はあんたの事は信用できんのだよ、兄貴。
遠ざかった足音に頭を上げる。
「殿下。お見舞いに向かわれる事を、先触れを……」
「要らぬ。あれはケスヴァーンターン公爵の手前、そう言ったまで。本当に具合が悪いのであれば、儂が顔を見せぬのが最もよい見舞いだ。行くぞ、ヘルタナルグ准佐」
あんたは皇帝の座を狙う男に最も近い。それだけで儂はあんたを警戒する理由となる。儂とあんたは相容れぬ存在なのだ、カレンティンシス王よ。
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