ALMOND GWALIOR −180
 帝国側の作戦開始の合図は、大宮殿の何箇所かを爆破すること。それによって、誰もが動き出す。
 その号令を下すのはデウデシオン。ロヴィニア艦隊と僭主艦隊、そしてケベトネイア率いる僭主襲撃部隊の全てが揃った瞬間を見定めて爆破により合図を送る。
 そのためデウデシオンは、開始時に何処にいても怪しまれない。
 それが神殿の前だとしても。
「……」
 デウデシオンは神殿前庭で、起爆スイッチを押した。
 帝星が一斉に僭主との交戦に神経を向ける時、一人神殿の前で国璽を持ちその扉を見つめる。
 今この瞬間、皇帝になることはできる。そう考えている自分を否定はしない。それ以外の理由でこの場に来るはずがない。
 僭主が欲しケシュマリスタ王も欲している地位が、手を伸ばせば届く範囲にある。
「……」
 だが最後の一線を越えるための《背を押す》人がいない。
 そうなるように周囲から人を排したのだ。同時に引き留める人もいないとも言える。
「……」
 早くこの場を離れねばと思えど、デウデシオンの足は動かない。
「な……」
 そのデウデシオンの目の前で神殿の扉が《痺れをきらした》というように、内側からゆっくりと開き始める。
 シュスタークとエーダリロクが帝星にいないのだから、扉を開かせることができるのはデウデシオンしかいない。
「……なぜ、あなたが……いるのだ」
 デウデシオンは扉に手をかけて現れた人物を見て「もう一人」神殿を自由に行き来することができる人物が「存在」していることに気付いた。
 その人物はデウデシオンが記憶している体より、やや小さめで表情が幼い。
「近寄るな!」
 緊急事態までは理解したが、それ以上の思考は止まり、逃げようとした足はもつれ転ぶ。身体能力の高いデウデシオンは転ぶことはほとんどなく、転んだとしてもいつもならば受け身を取れるのだが、それすら出来ずに床に全身を叩き付ける形となった。
 手から転がり床を滑ってゆく起爆スイッチのことなど、最早デウデシオンの頭の隅にもない。
「なぜ、いるのだ! なぜ!」
 ”逃げる”という思考すら奪われたデウデシオンは、目の前の相手に喉が裂ける程の大声で叫び続ける。
 「存在する」ことはデウデシオンも知っている。だが此処にいる経緯がどうしても分からなかった。
 まともな判断力が働けば「シュスターク、あるいはエーダリロク」の仕業だと《間違っていながらも解釈》はできただろうが、そんな簡単な答えも出せないほど平常心が失われている。
「でうでしおん」
 倒れたデウデシオンの足を掴み、這い上ってくる。
 神殿から現れた相手もまた”這う”ような状態だった。
「うあああああ! 近寄るな! 触るな! 来るなあ!」
 離れろと足で蹴るが、蹴られた方は気にせずに足に絡みつき、腰に絡みつく。

「どうやってシリンダーから出てきた! ”ザロナティウス・クルティルーデ・ナイトオリバルド” 離れろ! 離れろ!」

**********


 神殿には全てではないが皇帝のクローンが存在する
 生まれてすぐに作り、シリンダー内で成長し、寿命を迎えるまで生かされる
 まったく同じクローンだが、呼び名が違う

 名の前後が逆転する

**********



 デウデシオンの足にまとわりついているシュスタークのクローンは、腰に手を伸ばし着衣の上からデウデシオンの性器を甘噛みする。
「でうでしおん」
 その行為に「皇帝との性行為」という、逃れられない悪夢を思いだし、目の前にいるのがシュスターククローンにすら恐怖を覚える。
 それはディブレシアに対する恐怖よりもやや低く、その黒髪ごと首に手をかけて折って殺そうと考えることはできる。
 首に手をかけられたシュスターククローンは唇の隙間から舌を出し入れして音を立てる。
 その動きが、昔キャッセルが見せた口淫する様に似ていて、手に力が入らない。
「あああ! あああああああ!」
 頭の中が真っ白になるどころか、数々の悪夢といままで殺した者たちの顔や経歴が渦となり、呼吸すらできない状態。
「殺せ! それを殺して皇帝となれ!」
 デウデシオンの叫びを裂くように、女の声が響き渡った。
 その声を最初デウデシオンは己の深くに存在するディブレシアと考えたが、足音があり視界に写った。
「エダ……」
 細身の長剣を持ったエダ公爵が、デウデシオンの腰に巻き付き、服の上から噛みつくシュスターククローンの眉間に鋒を当てて牽制しつつ、
「さあこのクローンを殺し、神殿に死亡認定させ、簒奪ではなく正式な手順を経て皇帝となれ! パスパーダ大公!」
 シュスタークの死亡が神殿に認められ、その後に皇帝として自らを登録すれば、見た目どれ程簒奪であろうとも「簒奪」にはならない。
 デウデシオンの心に棘としてあり、行動を引き留めている痛みがエダ公爵の言葉で消えてゆく。
「でうでしおん」

―― デウデシオン! これは何だ? ――

 殺したら自分だけではなく、自分に関わる全ての者の人生が終わる事を知りながらも、デウデシオンはシュスターククローンの首に手をかけた。
「おやめください」
 狂いかかっているデウデシオン、それを教唆するエダ公爵。浮かされたような二人とは対照的な冷静な声が到着した。
「メーバリベユ侯爵……か。一瞬誰か解らなかったよ」
 エダ公爵が言うように、メーバリベユ侯爵の頭部は三分の二がヘルメットで覆い隠され、上半身も似たような、電気信号が送られているのが見える機械的なボディーパーツを着用していてメーバリベユ侯爵の面影はない。
 だが全面にもマントにも、大きくメーバリベユ侯爵家の家紋が描かれているので、判断を下すことが出来るようになっていた。
 メーバリベユ侯爵は夫エーダリロクが作った白兵専用補助服を着用し、僭主に攻撃できメーバリベユ侯爵にも制御できるギリギリの威力を持つ銃を構えていた。
 銃口の先が捉えているのは、デウデシオンでもなくシュスターククローンでもなく、
「見た事のない兵器だ。君の夫は素晴らしいな、メーバリベユ侯爵」
 エダ公爵。
 メーバリベユ侯爵は照準を合わせたまま、デウデシオンに近付く。
 エダ公爵はシュスターククローンから鋒を離して、近付いてきたメーバリベユ侯爵の首筋に刃をあてる。
 崩れ落ちたデウデシオンの頭上で、剣と銃を二人は交錯させた。二人は睨み合うが、言葉を向けるのは足を絡め取られ、虚と現を行き来しているデウデシオンに向ける。
「帝国宰相閣下! しっかりしてください」
「さあ、デウデシオン。殺せ、殺すんだよ!」
 メーバリベユ侯爵は作戦を聞いたとき、デウデシオンがあまりにも自由になることに疑念を抱いた。戦略に疎い自分が気付くのだから、他にも気付いている人がいるはずだと思うと同時に、気付いてもなにもしないということは”その先”があるのだと。
 様々なパターンを考え、そして想像するだけでも危険な《簒奪》という行為に辿り着いた。
「帝国宰相閣下!」
「でうでしおん」
「パスパーダ大公!」
 全てを疑うことを信条とまで言い切る一族の王弟妃になった以上、メーバリベユ侯爵はその疑いを持ち、エーダリロクに話した。
 人を根拠なしに、思い込みだけで疑うのは醜く褒められるようなことではないが、謗られようとも、美しくなかろうともメーバリベユ侯爵はこの帝国を、そしてなにより現皇帝を護りたかった。
 高潔だけが帝国を護るものならば、メーバリベユ侯爵は帝国から去るしかない。
「帝国宰相閣下……私は貴方の傍にいるそれを皇帝などとは認めません。私がかつてお仕えしようとした皇帝陛下は、このような醜悪な生き物ではない」
 メーバリベユ侯爵はエーダリロクに近付きたく皇帝の正妃を目指した時から、自らの意志に忠実だったが、高潔ではなかった。
「一夜限りではありましたが、この身に情けをかけて下さった陛下と、こんな生き物を一緒にするつもりはありません。それは貴方の育てた皇帝陛下ですか? 答えてください! 帝国宰相閣下!」
 一瞬でも皇帝を踏み台にしたことがあるメーバリベユ侯爵には、デウデシオンの気持ちが全てではないが分かる部分があった。だからこそ、戻って来られるはずだとも信じていた。
「パスパーダ大公! なにを躊躇っている!」
「それ以上口を開いたら、撃ちますわよ」
「君が意志により指先を動かさずに引き金を引く前に、僕の剣が君の首を胴体から落とすだけだよ……驚くなよ、メーバリベユ侯爵。頭をそこまで覆って繋がったボディーパーツ、銃の腕前は普通の君。そして機動装甲の開発者が作成で対僭主用となれば、指にかけている引き金が飾りなことくらい解るさ」
 エダ公爵は剥き出しになっているメーバリベユ侯爵の頬に鋒を移動させて刺す。小さな赤い球が頬を伝う。
「君は戻れ」
「断ります。私は止めるために来たのですから」
「強情だな」
「貴方こそ戻ったほうが良いですわよ、エダ公爵」
「何故僕が?」
「一、二度くらい、忠告は差し上げますわ。さあ最後です引きなさい、エダ公爵」
 エダ公爵は”断る”を行動で表した。頬にあてていた剣を首筋のほうへと降ろし”斬ろう”としたその時、
「?」
 自分の体が宙に舞わされたことに気付く。
 見下ろした先には硬直したままデウデシオンと、エダ公爵を見上げているシュスターククローン。そしてまだ銃を構えた形になっているメーバリベユ侯爵。そして、
「ジュシス公爵」
 自分を殴るか蹴るかしたのが現れたアシュレートであることを理解し、エダ公爵は少し離れた位置に降りて構える。
 純粋な強さもそうだが、ジュシス公爵の戦い方の幅の広さの前には、エダ公爵は敵わない。
「酷いじゃありませんかジュシス公爵殿下。せっかく貴方の為に、人員を配置してあげたというのに」
 アシュレートは特徴的な左右不対照の武器を構えたまま、
「デウデシオンに皇帝を殺させようとするからだ。何の為に配置させたと思っている?」
 アシュレートは長剣で動きを止めたシュスターククローンを指す。
「ああ……そういう事ですか。済みません」
 アシュレートは「皇帝」を殺しにきたのだ。その為に様々なトラップを用意して。それを潰そうとしたのだから、殴り飛ばされても仕方ないとエダ公爵は理解し、あとは動かぬまま事態の推移を見守ることにした。
「デウデシオン。皇帝を寄越せ」
「でうでしおん」
「甘えた声は似合わんぞ。先程エダを殴り飛ばした際、お前は視線で追っていたな。動体視力だけか?」
「……」
「さあ! デウデシオン。寄越せ、皇帝を」


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