「できるけれど! 今、リナードスの行方は全くわからないんだ! だからもう頼れるのはドロテアだけだ!」
ドロテア=ヴィル=ランシェは毒神ロインの頼みにより、過去を清算し帰国してすぐに再び旅に出た。
深夜に用意をし、朝一番で出かける際、ジェダに声をかけて出て行った。
「少し出かけてくる。ま、帰ってきてもお前はまだ、その水槽の中だろうけどよ」
それがジェダにかけたドロテアの最後の言葉であった。
かけた本人もかけられた方も、それが最後の言葉になるとは思ってもいなかった――ことであろう。
ドロテアがこうしてマシューナル王国首都コルビロを旅立ち、ハイロニア群島王国に向かってそのまま帰国することなく世界から消えて十一年後、オーヴァート=フェールセンはマシューナルから出て行く。
ヤロスラフは直ぐにでも出国し、ヒルデガルドが作った国に住み着くのではないかと考えていたのだが、オーヴァートは十一年間マシューナル王国に残った。
『どうして此処にまだ居る?』
『ダーフィトが死ぬまでは、此処に居てやる。色々と悲しませたな』
『ダーフィトを? それともドロテアを?』
『伝説の大寵妃に決まってるだろうが。ドロテアはダーフィトのことを気にしていたからな』
破壊され正気を失っている人生のほうが長かった、誰からも忘れられたマシューナル王女ダーフィト。誰もが呼ばぬ称号『最後の皇后』が死んだのは、伝説の大寵妃が世界を去ってから十一年後のこと。
殺して立ち去ることも出来たのだが、オーヴァートは待った。
直してやることも出来たのだが、オーヴァートは死を待ち続けた。
壊れ年老い干からび、そして生命を失う瞬間。オーヴァートはその時を見届けた。あれ程までに焦がれ、死ねるものに対して嫉妬していた自分がいなくなっていることに気付き呆然とした。
オーヴァートにあった死への切望はどこかに消えた。そして彼はヤロスラフと共に出国準備を行う。
オーヴァートが別れに際し作った家の中は、ドロテアが出て行った日のままの状態。
ドロテアは旅に出る前は、戻ってくるつもりであった。それを物語っているような数々の痕跡にオーヴァートは目を細める。自らの手の内に残っているドロテアの思い出を感じながら、時を保管した自分が与えた箱庭を歩き回り、最後に作ったきり一度も踏み入れなかった部屋の扉を開いた。
大きな窓と水の入っていた棺
棺の前に立ち尽くすオーヴァートに、ヤロスラフが後ろから声をかける。
「どうした? オーヴァート」
「ん? この水槽にジェダが眠っていると聞いていたんだがなあ。目が覚めてどこかに行ったようだ……黙ってここに居て、私に処分されてしまえば良かったのに。ジェダよ、お前が愛し私が愛した女は、もうこの地上にはいない」
両手を広げ語るオーヴァートの声は玲瓏にして晴れやか。ジェダは決してドロテアを見つけられない。生きているのに、ドロテアは死んでいないのに見つけられない。それを解っているオーヴァートの声は晴れやで喜びに満ちていた。
「早く片付けて、引越しを終わらせよう」
かつてジェダがオーヴァートの“脆い箇所”としたドロテアだが、それはいつしかジェダも同じになっていただろうと、オーヴァートは確信していた。
かつて重なることなど一つもなかった“この世界”と“見知らぬ故郷”は一人の女を介し、僅かながらに繋がった。
「そうだな。さて」
繋がったからと言って、大きく何かが変わることはなかった
―― この時点においては ――
オーヴァートはドロテアが残した数々の品もろとも家を消し去り、既に新たな家で待っているミゼーヌとグレイの元へ、ヤロスラフと向かう。皇帝がマシューナルに戻ってくることは二度となかった。
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ジェダ=グレニガリアスよ。貴様はこの地上で朽ちることなく生き続けるのか? 貴様の恨む対象であるフェールセンを途絶えさせた私を永遠に恨み続けるのか? そんな事はないだろうな、もしも私がフェールセンを作ったら、それは貴様も愛した女の血を引く子以外にいない。
寧ろ感謝して欲しいくらいだ。貴様に憎まれるだけの対象として存在し続けることを選んだ私、オーヴァート=フェールセンを。
もう塔は破壊され、
手を伸ばしても貴方には届かない
ジェダよ、お前だけではない。私が最終的にフェールセンを滅ぼそうと思ったのはドロテアの夫がフェールセン人だったからだ。私も狂うかのごとく恨んでいた。だがあの男は私の嫉妬を苦もなくかわした。憎かったよ、フェールセンが愛しい女を手に入れるさまは。その腹いせに私は私を滅ぼしたのだ