何時気を失ったのか解らないが、ドロテアは気を失っていてそして目覚めた。部屋は暗いが所々に明る過ぎない明かりが存在し視界を確保することができた。
もっとも視界を確保しないでも、腕の感触で隣にいるのが誰なのかは解ってしまうのだが。
ドロテアは自分を抱きしめて目を閉じている男の顔を撫でる。
「ここ、何処だよ」
「フェールセン城。主の寝室だ」
ドロテアはオーヴァートの手を解いて身を起こす。
「天井がない訳じゃねえよな」
もう真夜中になってたのかと呟きながら、ドロテアは何も遮る物が存在しないのではないかと思えるほどに視界に飛び込んでくる夜空とその境を訪ねた。
「天井は透明で夜空を望めるようになっている。美しかろう」
ドロテアは見慣れた夜空を見上げながら、
「さっき俺に見せた宇宙をここに見せてくれ」
もう一つの世界を見せろと言う。
オーヴァートは十字の道の上に乗るように存在するベッドの上に身を起こし、ドロテアを抱き込みその前に記憶にある世界を開く。
ドロテアは視線を降ろし、戻ることの出来ない世界を眺めながらその星々の名を一つ一つ聞いた。
「どこかに皇帝の一族が生まれた宇宙があるのか。それにしてもどうして此処に来たんだ?」
惑星がどのような理由でこの世界に流れ着いたのか?
「解らないな。私たちには伝わっていない」
その理由は誰の手にも入らないものだった。流浪した世界がたどり着いたこの場所、それ以前の場所。
ドロテアは “そうか” と呟き、あとは無言でオーヴァートだけが見せることの出来る世界を眺めていた。かつてこの惑星上から望むことの出来た星々、それが今はどうなっているのか?
「魔法の原理はこの世界にいた頃の私の祖先が完成させたものだ」
魔法の基礎原理を作ったのは皇帝の一族。だれもがそのことに疑問を持たず、魔法により精霊神とつながりを持つ偉業を成し遂げた皇帝に敬服する。
「へえ……」
敬服はするが魔法は本来ならこの世界にあってはならない存在ともいえる。
この見渡す星々とは隔絶した世界。
「魔法を使える、使えないは、戻れない世界に物質の多さによる。お前は魔法を使えるから、体の成分はこの世界よりも次元の向こうの私たちが存在した世界の方が多い。逆にマリアはこの世界の方が多いな。お前は向こうの世界を多く含んだ美女であり、マリアはこの世界の美女となる」
オーヴァートの言葉にドロテアは頷く。
魔法を使えるということは、それだけでこの世界と大きな隔たりがあり、皇帝に近い存在になる。
ドロテアが生涯 “マリアの方が美しい” と言ったのはこのことが関係していた。ドロテアは別の世界を多く含んだ美女であり、魔法を使うことの出来ないマリアはこの世界を多く含んだ美女。この世界で美しいと言われるのは、やはりこの世界をより多く含んだ者の称号だろうと、人々の知り得ない知識を持ったドロテアは考えた。
それは純粋な美しさを称えるとともに、否定される世界を認めるためにも
もっともそれを抜きにしても、マリアの方が美しいとドロテアは言うだろう。
「……いつかお前達が持ってきた物質は、いつかこの世界と溶け合って消え去るのか?」
「いいや。私たち一族をみて解るとおり、決してこの世界とは相容れないから無くなることはない」
融合しながらも、存在を消すことのない物質。
その言葉を背に聞きながらドロテアは目を閉じて、溜息混じりに言う。
「ここまで勝手に連れてきて、お前達の一族はこの世界から去るのか」
非難を隠そうともしない声に、まるで他人のことのようにオーヴァートはかえす。
「そうだ。私たちは魔法という形でかつての世界の名残を留める世界から去る。人々は無邪気にそして畏怖しながら魔法を使う、それが異世界の証とは知らずに。その姿を宇宙にある私たちの骸は見下ろしながら永遠を過ごすだろう」
「見捨てるのか?」
ドロテアの口から零れるのは全てに対しての簡潔な非難。
真実を知ったなら誰もが口にするだろう、その言葉にオーヴァートは透明な天井の内側にこの世界からは決して見ることの出来ないよく似た風景を広げて世界を拒絶し、自らを咎めるドロテアを抱き締めている腕に力を込める。
「見捨てるよ。無責任にも見捨てるよ」
この世界が何故此処に来ることになったのか? それはオーヴァートどころか、歴代皇帝の誰一人として解らないことだった
惑星を移動させた皇帝の一族は、この場に戻ることのできない世界の物質と、この世界を混ぜ合わせて作った愚かな生き物を置き去りにして去ると言う。
「見捨てるな」
それを見捨てると言わずして、何というのだろうか?
残される事を知った者は冷酷にも滅亡すると言い放つ一族に “見捨てるな” 以外の何を言えるだろう?
この惑星に生きる者達は、知らないままに放り出される。誰も此処に連れてきてくれとは願わなかったのに、ここで捨てられ世界は何処にもゆく事が出来ないまま、理由も知らされぬまま孤独に立つ。
「無理だ、もう私はこの世界を置き去りにすることを決めた。構いはしないだろ? この世界にいる誰一人としてこの世界が異邦の物とは知らないのだから」
皇帝は知識ある物の傲慢さから、無知なる憐れな世界と世界を両方持つ生き物を捨て去る。
何も知らない世界の独り立ちする時間は間近に迫るも、それを人々は知らないから準備する期間がない。
「この世界の人間だけじゃあ魔法に何かあった場合は手に負えねえだろ? 基礎は全てフェールセンが押さえているわけだから、世界から消え去らないとしたら誰がそれを制御するんだ?」
ドロテアの背中に触れているオーヴァートの体。冷たさしかもたらさない情交のあとの、慣れた肌の触れ合い。最初は遠かった、そして最後は近かったと思っていた背中に触れている男の胸中は遠かった。
それが思い違いだったのだと、冷たい体に触れながらドロテアは視界を遮らない程度に瞼を降ろす。
「ん……さあねえ。いつか天才が現れて、我々が積み重ねた知識に到着するのではないかな」
そう言ったオーヴァートにドロテアは体を預け、両手で目の上を隠しながら声を出さないで口を動かす。
ドロテアの口の動きを見てオーヴァートは目を細めて声に出すこと無く笑い、口の動きなど読まなかったかのように、それ以上無言の語りかけを無視するように唇を塞いだ。
**********
……ろう
あの時の俺はまだ若かったのか? 幼かったのか?
それともオーヴァートを信じていたのか?
その全てだったように思える。また陳腐だが全て違うようにも思った
― お前の …… ろう
だがあの言葉を口にしたことも後悔はない
俺はどこにでもいる少しだけ世界が好きな人間だ
オーヴァートがどう言おうとも、認めないとしても、この世界は好きだ
― お前の元に … … 作ろう
それは俺がこの世界しか知らないからだ
だから俺はこの景色を純粋に認められる
この惑星にある景色を、人を認められるから
ジェダも認めることが出来る
あいつは俺に認められたくはないだろうが
― お前の元に戻るから …… 作ろう
俺には世界は救えない
その事実だけが胸に刻み込まれた
― お前の元に戻るから、皇帝を作ろう ―
皇帝は世界を導くことが出来ても、俺は世界を導くことは出来ない
でも皇帝は世界を認めない
俺は自分自身が成長したとは思わないが、少なくとも……世界を救えないことだけは理解した
俺に出来るのは滅ぼすことだけなのだろうと
**********
ドロテアの言葉を全て無視し、口づけを繰り返す。
飽きることなく触れドロテアが拒否するまで続けた。
顎を押されてオーヴァートは引き下がり、そして世界を否定する言葉を紡ぐ。
「この世界は全て作り物だ。作り物に真の美しさはあり得ないから、滅んでも惜しくはない。この世界にある景色は全て私たちが情報をもとに作った物であって、決して自然な世界ではない。本当はこの世界にはこんな植物や動物は存在しなかったはずだ」
全てが失われた世界に再び緑や海のある景色を取り戻したのは彼等だが、それはこの世界の存在ではなく彼等が知識として持ってきた世界を再構築した物であり、その空間に存在するものではない。
「そうだろうな……」
全てを失っていた惑星はこの世界で時間をかけてこの世界に溶け込む事が出来たかもしれないが、それらは彼等の力によって存在する機会を奪われた。
「歪めてしまった世界が織りなす景色の醜さ。だが人はそれを美しい言いその中で生きることを望む。人々が美しいと語る自然の全ては私たちが “どこかから持ってきて、そして作った” ものだ。この世界はもっと美しくなれたかもしれないというのに」
胸に響き泣くほどに美しい景色は此処には相応しくないと言い放つ。
「世界の景色は変わらない、私の目の前に広がり続ける、そんな人造の箱庭に飽きた」
「飽きた……ねえ」
景色が、人が、全てが美しいとドロテアは語ることはないが、思うことは止めない。これがドロテアにとっては故郷であり全て、それは全ての人にとって同じ事
マリアは美しいとドロテアは言う。この世界を自分より多く含むマリアは、この世界の美しさなのだと。それを知らないでも、ドロテアは美しいと言うだろう。
二人はフェールセン城を去り、現在住んでいるマシューナルのコルビロの傍に舞い降りた。
街路樹のある大きな通り、高い城壁と城門。
そこに暮らす人々の平和を守るため、そして統治する物の権威を示すための建築物であっても、壮麗であり荘厳であり質実であり剛健である。存在している物全てに対して人は色々な感情を呼び起こされ意見を持つ。
「俺は世界のことなんざ知らねえ。俺が聞いたのはジェダの顛末だけだ」
世界は誰かが作った物であったとしても人は認めるだろう。
ドロテアは世界を美しいと言い続ける。この眼前に広がり、体を包む世界に生き、それを否定する男を否定するために。
― 世界を救う力もなければ、世界を滅ぼす力もなかった頃の思い出だ
無理をして存在を褒めそやしたわけではない。生きていることを喜ぶときに世界を否定することができなかっただけのこと。生きていくことに倦み疲れることの出来ない、前だけを見続ける《無力な女》にとって、それだけが男への抵抗だった。
女は世界を認める、この箱庭だと言い切られた世界は唯一の世界だと。
女はあまりにも自分を認める事が出来る存在だったが為に、世界をも容易に認めてしまえた。力のないことも、才能に限界のあることも認めそしてそれを否定せず、他者と比べ劣ると言いながら自らの殻に籠もり、他者の才能や美貌を引き合いに出し逃れることなどせずに歩み続ける。
他者を許し包み込む慈母のような愛情も、胎児を力に換えることを己の一存で決めたときに捨てた。
人が羨むような容姿ではなく、目の前で弟を殺されもせず、優しい心だけで誠実な男を愛し、愛される存在であったなら女は幸せだったろう。だがそれはこの女ではない。それは他者が享受する幸せであり、ドロテアという女の通る道にはないもの。
ドロテアは背を向けて歩き出す。
「薄情だな」
「この世界を置き去りにしていくヤツに言われたくねえよ」
一人で生きることを選んだ女は、一人で滅んでゆく男に背を向けて、空気の香りに目を細める。
「ドロテア」
「何だよ、オーヴァート」
「お前はこの世界で唯一、世界の違和感を知る事が出来るように “した” この先、いや死ぬまで世界の歪みと異質を感じていくだろう」
「うるせえよ。この世界を捨てたヤツがグダグダ言うな!」
― もしもお前を自分の手で殺すことができるなら殺そう。世界を見捨てさせはしない、世界から奪い去る。お前は悪くないと……どうして? お前は本当はこの世界に存在しない《存在》なんだろう? だから見捨てる権利はない。例えお前が世界を見捨てたと言い張っても、俺はお前を世界から奪い去る。そうだな、それは断罪なのかも知れない。お前を裁ける日なんざ、訪れることもないだろうが
ドロテアは足を止めて振り返らずに、あることを聞いた。
「おい! オーヴァート!」
「なんだ?」
「ジェダの記憶は絶対に戻らないのか? 間違いを間違いと認識できないままなのか?」
「戻すことは出来るらしい。どこかに切欠が存在している。私はその存在が何なのかは知らない」
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