オーヴァートはドロテアが何処まで知っているかなどを問うことなく、教えようと言い手を差し出してきた。
「付いて来るといい」
差し出された手に躊躇わず、手甲で覆われた左手をドロテアは乗せる。
手を握られ感触を感じた時には、既にマシューナルではなかった。足元はドロテアの眼下に突如広がる《城》
ドロテアが連れて来られた高さでは視界に入りきらない巨大過ぎる城。
「フェールセン城だ」
地表に現れているのは全てではないと教えられても、信じることが出来ない程の建築物。
「全体が見れねえから解らねえが、お前がそう言うんだったらそうなんだろ」
オーヴァートの手を握り返すと、ゆっくりと地上に降り足が地に着いたところで、
「この塔に登る」
そう指差した。オーヴァートは壁を撫で入り口を開く。ゆっくりと落下してくる際にドロテアの視界に入った分では、その塔には何もなかった。その塔には一つだけ “窓” があった。ドロテアの視界に入る範囲になかったが。その窓も小さく、そこを通り抜けるのは不可能だった。
オーヴァートは壁をすり抜けることも出来るだろうが、ドロテアは入り口から入らなくてはならない。
その為の落下で、その為の入り口。
オーヴァートであっても途中に入り口を作ることは不可能な、その城。オーヴァートの後ろについて塔に踏み込んだドロテアは、顔を手で押さえ半歩下がりながら小さな呻き声を上げた。
「っ……」
「どうした? ドロテア」
「真白は目に響くんだよ。痛ぇ……」
足を踏み入れた内部は全て白過ぎるほど白く、眩し過ぎて普通の人間はとても目を開いてはいられない程。
ドロテアも咄嗟に目を閉じ手で顔を覆う。指の隙間からうかがう様に徐々に目を開く。
「それほど、眩しいか?」
「ああ」
一呼吸置いて指の隙間からうかがう様に徐々に、そしてやっとの思いで目を開く。眩しさに顔を顰めつつ、何時もの三分の一に瞼を持ち上げた。
「そこまで眩しいか?」
「眩しい!」
「じゃあ、目を閉じろ。抱きかかえて上まで行くし、目的の部屋は真白じゃない」
言いながら抱き寄せるオーヴァートの首に手を回して、
「嫌だね。俺は何処に連れて行かれるのか、自分の目で確認しなきゃ納得できねえ」
吠えるように言い放つ。
その態度にオーヴァートは整いきった相貌を少しだけ緩め、満足げにドロテアの背中に回している手に力を込める。
「そうか。好きにしろ、急いで上がる」
ドロテアの感覚では瞬きを二回した程度。到着した場所は、銀とは違うが似た硬質な物体で覆われている。周囲の激しい “色” の変化についていけないドロテアは頭を振り、目を何度も瞬かせ、
「おろせ」
「大丈夫か?」
腰を低くして足元の感触を確認する。
「優しくねえ場所だな」
「そりゃまあね。ドロテア、こっちだ」
ドロテアには手招きされた方向は唯の壁にしか見えなかった。オーヴァートがその部分に手を触れると音もなくそこが開く。三度も視界がくらむような所に連れて行かれては敵わないと、オーヴァートの肩越しに向こうを覗き見ると、今居るところと同じ色合いで “慣れてきたから平気だろう” 溜息を一つ付きオーヴァートの後に続くことにした。
開かれた扉の向こう側は、銀色で囲まれたただの四角い箱であった。高い位置にある小さな窓を除いては、四角いだけの部屋。
「ジェダの言ってやがった実験場所ってのは此処か?」
陰鬱などという雰囲気はなく、ただ本当に箱。
其処には血を流したような後も気配は全くなかった。時間の経過のせい、と言えばそれまでだが。
「そうなる。元々、ジェダは此処で作られたんだ 《始まりの人間》 と言えばいいだろうか?」
「あれが……か」
謎とされている「最初の人類は何処から来たのか?」オーヴァートは、いやフェールセンは黙して語らないその真実。
「最初に関しては、ここでの説明を終えてからする。気が狂わなければいいねえ」
「……」
その笑い声を含んだ声は、ドロテアが初めてオーヴァートに会い、抱かれた時にかけられた声そのもの。
オーヴァートが “オーヴァート=フェールセン” に戻りつつあることを感じながら、ドロテアは無表情を貫く。
《始まりの人間》
誰かが誰かの子孫であることを知りたいと思う欲求、その最終到着地点《始まりの人間》
― 俺がそう思っていただけで 全く違ったわけだが ―
オーヴァートや過去の皇帝は怪我を治すことは出来ても、人間を造ることは不可能。それは一般に広く知られている事。
そこに矛盾があることに、ドロテアは気付いていなかった。正確には気付くことが出来ないように “なっていた”
「ジェダはゴルドバラガナに作り上げられた後、ここで記憶を創り上げられた。記憶を創れば創るほどジェダは逃げるようになった。俺達の祖先は当初 “逃走” という単語が思い当たらなく……何より何故逃げているのか全く見当つかなかったらしい。そして俺の記憶にあるジェダは確かに逃げている」
「何処に?」
「外にある筈の己の国。グレニガリアスに帰ろうとしていたらしい。そんな国はないのだが」
哀れな実験体は、ありもしない故国に帰ろうと『人間のような行動』をとる。
ゴルドバラガナはそこに『人間』を見た。
「存在しない国なのか……」
“グレニガリアスが存在した場所は、グレンガリアと共に消え去った” それ自体が嘘。
ジェダは消え去ったグレンガリアで、過去の己の国の痕跡を探したと……ドロテアに語ったことがあった。
グレンガリアは存在したが、ジェダの国はなかった。
“痕跡は一つもない。さすが皇帝だ”
存在しない場所で、偽りの記憶を裏付けようと一人探しまわった男。
浅黒い肌と赤い髪を持つ男が、何を求めているのか? “人間” であるドロテアには痛いほど良く解った。
「そう、存在していないのにジェダは帰ろうとした。ゴルドバラガナはジェダが “記憶を増やすと” 逃げる事には気付いた。ならばどんな記憶を創ればジェダは逃げなくなるのだろう? ジェダを捕縛する為の記憶の創造が始まった。それが妻だ。ここに行き着くまで結構な努力をしたらしい」
「妻を捕らえたから、逃げるな? って事だよな」
「その通り。その中で何が最も効果的か? それを見つけ出す為に幾つものパターンを試した。“同じ女の設定” では上手く新しい記憶が定着しない。だから “女” を変えて記憶に与えそれで実験した。今ジェダの中にある “妻” が何通りかは知らないが、その記憶にある妻達に対して行った行為は人間の逃走を防ぐ効果がある」
模範的な『王』の行動を教え、大量の愛すべき民の存在だけを与え、愛しい妻の存在を足し、それら全てを踏みにじるジェダの記憶の中だけで行われた実験。
苦しんだのはジェダだけで、誰も存在はしなかった
だがジェダの記憶にしか存在しない人達が、苦しめられたのは事実。
ジェダは塔の小窓の向こうを見ながら、記憶の中にある存在を皇帝により破壊されていった。
オーヴァートは無言のドロテアを背後から抱きしめて、情欲を込めた指で胸を掴む。ドロテアは抵抗しないで、黙って “ジェダが見ていた小窓” を眺め続ける。三年ぶりにオーヴァートと身体を重ねる、それは昔と何一つ変わらず “冷たい” ことを感じるだけの行為であったが。
小窓に小さな輝きが見えたのは、雨粒
オーヴァートの服に包まり、右膝を抱えて窓の外に僅かに見える虹が消えるまでドロテアは無言だった。虹が空から消え、ドロテアの身体から冷たいながらも抱かれた熱が去る。
「ドロテア、魔法において火は何に弱い?」
肌寒さに服に手を伸ばしたドロテアの腕を掴み、身体に引き寄せ視界すらも逃さないように顔を近づけて、オーヴァートは『話し始めた』
「風だな」
「魔法の四大元素を作用で言ってみてくれ」
「風は火に強くて、土に弱い。火は水に強くて、風に弱い。水は土に強くて、火に弱い。土は風に強く、そして水に弱い」
「じゃあ、ドロテア。今お前の左腕を覆っているのは何だ?」
「皇帝金属」
脱ぎ捨てた服の上に転がっている、指が “五本” ある手甲。
ドロテアを抱きしめる腕に力を込めながら、オーヴァートは語る
「かつて世界は五つの元素を持っていたのだよ。世界の構成には存在し、魔法の構築からは抜けている元素、それは金属。私達の祖先は、水でも風でも火でも土でもなく金属を極め、そして世界からはじき出された」
**********
それは死
「ドロテア、敵の攻撃に対する “盾” みたいなのって、土属性の魔法しかないの?」
「いや、火水風土どれでもあるよマリア。盾は全ての属性に含まれている金属を上手く使って盾にするんだ。土属性が良く使われるのは、使用方法原理に近い物があるからだ」
「金属って何処にでもあるの?」
「ある。そう、俺達の身体にも確実に存在する」
それが生
**********
この世界の支配者だと誰もが思っている一族の頂点に立つ男は言い切る。
「私達は迷い子だ」
ドロテアはオーヴァートと自分達が、同じような道を経て生まれてきたわけではない事は理解している。どのように違うのかは、解らないが同じではないことは、非常に不確かだが『本能的』に理解していた。
だが彼等が自分達の主であることも、解らないことを本能的に理解するのと同じ感覚で理解してもいた。
「私達ってのは、フェールセンと選帝侯のことか?」
「違う。この惑星に居る、ジェダ以外の者はすべて迷い子だ。ジェダだけは “ここだけで” 構成されている」
「……」
「この惑星の支配者は我々フェールセンなのは間違いないが、この宇宙においてこの惑星は異邦の物だ」
オーヴァートの言葉に小窓から空を見る。視線を逸らして空の向こうにある、かつて死んだ事もある宇宙を望む。
「ジェダ以外ってのは、どういう意味だ」
「ジェダはゴルドバラガナが “この宇宙に存在する成分のみで作成し成功した、たった一つの動く死体だ」
「この宇宙に存在する成分……」
フェールセン、それは全く違う世界から此処に来た
オーヴァートは堰を切ったように話し続ける。
「ドロテア、私達は何処から来たと考える?」
オーヴァートと自分は全く違う世界の住人だとは誰もが思っている、ドロテアも思っていた。
「この惑星が誕生して、その時間の流れによって……じゃないのか?」
「この惑星上で人類は誕生していはいない。この惑星上に移動し住みつきはした、らしいがね」
「……」
「我々はこの星の上に存在した成分から誕生し進化したものではない」
私達は何処から来たのだろう?
「私は私たちが何処から此処に来たのかは知っているが、それをドロテアに語っても無意味。我々の祖先は別の惑星で生まれ、そして此処に住みついた」
ドロテアは咄嗟には理解できなかった。だが持っている知識がそれをゆっくりながら理解させた。
オーヴァートの声を聞かないようにと小窓から外を望むが、その歌うように語る声は体中に突き刺さり頭を冴え渡らせる。
考えることを拒否したい感情と、それを押し返そうとする気持ちがせめぎ合う。
「ドロテア、この視界に入る宇宙全ての星々と、私達が住んでいる惑星は構成物質が全く違うのだ。この惑星の持っている物質は、この宇宙においては完全なる異物。この宇宙に、この惑星は存在していなかった」
オーヴァートが違うのではない、ドロテアも含めてこの世界はこの宇宙には存在するはずがなかった物質。
景色から目を離し、見上げるようにオーヴァートを睨む。
「どこから……」
「もはや戻れない次元の向こうだよ」
オーヴァートが右手をゆったりと大きく動かすと、そこには宇宙が映し出された。
星々からこの地上からは見えない星々が映し出される宇宙。
「まさか次元を移動したのか? この大きさの惑星を!」
かつて宇宙から見下ろした巨大な惑星が、どこからから移動してきたとオーヴァートは言い、ドロテアの言葉にゆっくりと頷く。
「だから魔法ではこの惑星以上の物質を移動させることはできないんだな」
無制限にみえる魔法だが、実際は限界がある。それらの知識は皇帝により与えられているが、原理はわからない物が多い。
この大陸を行き来する瞬間移動用のゲートの限界、それがこの惑星の重さ以下のものとされている。人間ではこの惑星を移動させるゲートは魔力の関係上開くことが出来ないので、その言葉を確かめる術もなく、誰もが信じて従っていた。
「その通り。この惑星は、別の次元から移動して此処に来た。無論移動する距離とスピード、そして次元の圧縮に全ての生物が死に絶えた。私達の祖先は、その時に難を逃れた “たった一体” にして “原罪の始まりにあたる一体” それが初代。初代は生き抜いた、私達が戻ることの出来ない次元の向こう側にある “元の世界” を知る唯一。私達は初代の記憶を継承しても、理解はできない。それはこの世界、この全てに存在しない出来事を初代だけは体験している、だが私達には無理だ」
オーヴァート達ですら理解できない記憶とはどんな物なのか?
体が冷えてゆく事も忘れて、ドロテアは問いただす。
「待てオーヴァート。お前の身体と俺の身体は全く違うはずだ! それでも異質なのか!」
「ドロテアは半分以上が、私達が違う世界から持って来た物質で構成されている。残りの部分は、この宇宙に存在する物質だ」
「お前達は人間、いや! 生物は作れないと!」
「その答え、お前が喋っていたじゃないか、ドロテア」
「どういう意味だ?」
オーヴァートはドロテアの額に手を置き “世界” を破壊する。
「私達は生物は作れない。だけど、お前たちを作っただろう? トルトリア人はジブリアフェン選帝侯が造った、フェールセン人は皇帝が造った。ゴールフェン人はゴールフェン選帝侯が造った。特殊兵亜種レクトリトアードは皇帝アデライドが造った。でも生物は作れないと人間は信じている。でもフェールセン人を作ったと知っている、そして人間はこのことに関して疑問を持たない。ドロテア、この事実を認めるか?」
オーヴァートの手の下にある瞳が見開かれ、腕の中にある身体が震え出す。
《始まりの人間》には齟齬がある。それを元に造られた人間達もまた齟齬を持つ
「認められるか? ドロテア。お前達はお前達自身が思っているような人間ではないのだよ。私たちと同族に近い、完全なる人間ではない」
「うあぁぁぁぁ!」
ドロテアはオーヴァートから逃れようと、暴れるが叶う筈もない。
髪を振り乱し、見開いた瞳から大粒の涙を流しオーヴァートの身体を腕で押しのけようとする。
そしてオーヴァートはドロテアの “思考の不備” を無くした。意志も確認せずに
「信じられねえ。ジェダに感じた疑問が、自分の中にもあったなんてよ」
ドロテアは繋がった思考にめまいを覚え、崩れるようにして意識を失った。だが意識を失って尚、熱に浮かされたように譫言を呟き続ける。
「この腕の中で、延々と譫言を紡ぎ続けてくれていても……私は構わない」
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