ビルトニアの女 外伝1
貴方を抱いた日
この地上で、誰よりも真摯に神に祈る
祈りを捨てた俺が再び祈る

第十七話・通り過ぎた時に落す涙

俺に救いの手を差し伸べてはくれないだろうか? 作られし神ではなく、古来より在る神よ

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「お初にお目にかかるな、魔王何とかさんよ!」

「キサマか! 魔王クレストラントを倒そうとする愚か者よ!」

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 闘技場にオーヴァートと一緒に来たのは初めてだ。通年で確保されている、滅多に使われないオーヴァートの専用ボックス。最初はアンセロウムに使わせていたのだが、あのジジイ「感動は一般席」と叫んで、一般席を陣取って大暴れしている。百五十歳にもなろうか? ってのに。落ち着きのねえ、ジジイだ。
 最も、かなりの食わせ者だ。何を考えているのやら……俺とオーヴァートは上階の専用ボックスから暴れているジジイと、その樫の杖を一々手で止めているヤロスラフを見下ろしながら、出てくるのを待った。
 闘技場最強の呼び声高い、レクトリトアードという名を持つ少年。確かまだ、十六歳程度だが、とにかく強い。
 大して強く見えなさそうな細身の体と、青味を帯びた瞳そして顔を覆うように長い前髪。その髪が風に揺れると、奥には故郷を失った美少年の顔があるんだそうだ。俺は顔には興味は無いが(個人的に、顔はオーヴァートの方が良いと思う。コレばかりは好みだ)故郷を失ったというのが気になっていた。
 レクトリトアードはフェールセン界フェールセン門アデライド網アデライド目バールゼン科バルテンシー属カウトラ亜種。一般的には馴染みづらい名称だが、名称を聞けば基本的に俺達と全く違う生き物だと、少しでも分類系統を習った人間なら解かる。
 それは、四百五十三年前に起こった異変の際、当時の皇帝アデライドが人々に作って与えた戦闘用の特殊兵なんだそうだ。作り方なども説明されたが、俺が聞いて解かるようなモンじゃない。もっと解かりやすく説明してもらえればわかっただろうが、オーヴァートは人にモノを教えるのが苦手な生物だ。
 噛み砕いて教えてくれるが、噛み砕きすぎて細分化されて話が長くなる。誰が、フェールセン界フェールセン門アデライド網アデライド目バールゼン科バルテンシー属カウトラ亜種の細胞に含まれる、酵素配列の構成大分子分解電子から教えろと言った! 頭が良すぎるのも困りモノだ。
 そのレクトリトアードの事だが。俺も気にした所で一応閉ざされた生活を送るのが原則の王学府の学徒。オーヴァートの城と学舎を往復するだけだ、それに……
「ありゃ死んだな」
「人間は脆いなあ」
 見慣れているとは言え、白砂にどす黒い血を飛び散らせ、糞尿を漏らして断末魔を上げるのを観るのが楽しいとは、感じられなかった。何の感慨をも受けないのも事実だが。
「次に出てくる特殊兵亜種レクトリトアードは、ヤロスラフよりも強い」
「そりゃ、随分と気合入れて造ったんだな。お前の祖先」
「いや、気合は入れていない。この作り方だと、叛旗を翻した時簡単に対処できるから」
 聞けば全く魔法を受け付けない造りなので、自己修復機能範囲以上に破損した場合、修復機能自体が停止してしまうので手の施しようがなく死ぬしかないそうだ。
 要するに、魔法(治療方法)がかからない=治しようがない=即座に廃棄、といういかにもコイツラらしい考え方だ。
 それと戦闘能力は選帝侯よりも強いが、選帝侯の方が自己修復機能が発達しているんだとか。全部特殊兵のほうが上だったら、悲しいだろうしな選帝侯。最もコイツラの祖先ならしかねないが。
「造る段階から、反逆する事を警戒していたのか?」
 何にせよ、自己修復機能”のみ”を与えた”使い捨て兵器”は、一度破壊すれば簡単に沈黙(兵器機能が完全停止した状態を指す)するので、選帝侯ほど脅威にはならないとのこと。
 ヤロスラフの回復力がどんなモノなのかは、俺は観たことはないが。
「当然だ」
 当然なのか……なんだろうな。
 前フリの長い、案内人の口上が終わり現れた美少年と、間違いなく負けるヤツ。ヤロスラフより強いんだぞ? 勝てるわけねえだろ。
「へえ……白目部分が青いのか」
 オーヴァートから寄越された、オペラグラスからレクトリトアードを観ると、噂以上に俺達が白目である部分が青かった。
「目に特徴があるのは、俺を見て解かるだろう?」
 それで、戦闘は……全く見世物を理解していないであろうレクトリトアードが瞬殺しやがった。此処で十年近くも人殺して生活してるってのに……もう少しこう、見世物だろ?
「あんなんで、一番人気で良いのか?」
「いいらしい。おい、ドロテア。レクトリトアードがコッチを観ているぞ」
 その言葉に見下ろすと、確かにレクトリトアードが俺達を見上げていた。
「珍しいんだろ、お前がよ。それとも宣戦布告じゃねえのか? からかってやったらどうっ……うわっ!」
 いきなり抱きかかえられた、空も見えない漆黒の黒髪に巻かれたと思ったら、既に違う場所にい。
「何だよ、いきなり」
「嫉妬」
「真顔で言われると、怖いんだが」
 片腕に抱きかかえられて、降ろしてももらえなさそうなので空を見た。恐らく日は今昇ろうとしている、そして何よりこの匂い。
「此処、イシリアのヘイノアか?」
 周囲には何もない場所。つい先だって“戦争”が行われた場所は、焼け焦げた匂いだけが鼻をつく。
「そうだ。ドロテア……」
「何だ」
 ヘイノア運河戦、一般市民が巻き込まれた黒い噂のある戦いだ。敵が襲ったのではなく、味方が士気を高める為に(イシリアは狂信者が多いとも言われている)村を虐殺したという。無論、イシリア側は認めないが……それが真実なのだろう。此処での会話を後で思い出し、俺はそう確信している。


− 身内殺し −


 オーヴァートは抱きかかえている腕に、力を込めた。
「私は、私の代で皇統を終わらせるつもりなのだ」
 膝に感じる脈拍も、なければ無くても良いものだとは。何のために、この拍動があるのか? 生きる為ではないのだろうか?
「独身のまま死ぬ……って事か」
 オーヴァートが独身のまま人生を終えようとしているのは、何となく解かっていた。その理由を知っているのは、選帝侯だけ。何故なら選帝侯の二人も独身のままだ、皇帝の意思を受けて二人とも独身を貫き通すつもりに違いない。
「そう……前に言ったな、私は自分の望んだ相手だけに子孫を残せると」
「言ったな。覚えている」
「意味は解からなかった。望んだ相手に残す、その意味がな。私の躯がどんなものか、ドロテアはよく解かるだろう」
 あれ程破損しても再生してしまった躯。
「再生能力が強い」
「私達はな、死んでも再生するんだよ」
 外傷で死ぬ。破損が酷すぎれば死ぬが僅かでも肉片が残れば、躯だけは再生されてゆくのだと。最早、其処に“自分”がいなくなっても、躯だけは再生してゆくのだ。拍動のないその躯であっても、再生だけは繰り返される。自分自身の力で、自分自身を消し去る事は出来ない。
「だから、皇帝は次代を造る。自らの身体を破壊させる次代を。継承する者は華やかそうに見えて、実際は遺骸。我等は親を、親族を殺害する為に生産されるだけの物体だ」
 ヘイノアで、高位聖職者は村人を殺害したんだろう……
 泥を含んだような風の中に、まだ焼け焦げた人の匂いがする。朝日とともに集う鳥が、それを啄ばむ。
 回収されなかった肉片というには大きな塊。
 人はそれを悲劇という、悲劇だ。確かに悲劇だが、此処にソレすら叶わない男がいる。死ぬ事すら不自由な男が此処にいる。
「それで良かったのだ。私が相反する感情というモノを、持たなければ。お前が愛しく、お前の子を見てみたいと思わなければ。ただ、それだけの感情に浸れればよかったのだが、私の子である以上間違いなく次代皇帝となる。私は自分の子、いやお前の子に親殺しをさせたくはないのだ。私は、あれが親だと思った事は、この三十五年間なかったが……それでも嫌なのだよ。私はリシアスを殺した時、悲しかったに違いない……知らなければ良かっただろうが、最早知ってしまった事をどうする事もできない」
 オーヴァートの肩に手を置いて、周囲を見回す。彼らは殺されるとき、真摯に祈ったのだろうか? 
「なあ、オーヴァート」
「何だ、ドロテア」
「此処で殺されたヤツラって、火にまかれた時、神に祈っていたのか?」
「祈っていた。神が願いを聞き届けてくれぬと嘆きながら」
 人生で最も純粋に祈ったに違いない。だが、現実は目の前に広がる焼け焦げた大地が広がるのみ。彼等の神は願いを聞き入れてはくれなかった。
「オーヴァート。神を作った一族の子孫は、神以上に人の願いを聞き入れる必要はない」
 結局、そういう事なんだ。
「お前、二年前に“トルトリアを元通りにしてやろうか?”って言ったよな。あの時俺は断った、そして今言おう。トルトリアを元に戻して、俺とお前が出会わない未来を俺にくれるか?」
 喉の奥で空気を吸い上げる音、空気も必要無いのにその喉は吸い上げて、情けない音を上げる。
 俺を見上げる、その笑うのに失敗したような、歪んだ表情。
「私は……俺は、人の願いを聞き入れないでも?」
「ああ、お前は神以上だ。だから神以上に冷酷で人の願いなど無視すればいい」
 人間は人間だから、人間らしさが必要なのであって、この強大な力を持った男を、人間的な感性を持ってはいけないのだ。。
 この強大な力の自制、そして調和が冷酷さの中に存在していた。他人に、人に対しての無関心、自身への嫌悪感、そして選帝侯への暴虐。今まで、この長い歳月の間皇統はそれで危うい均衡を保ってきていた。



「俺は願う、神に。だが、お前は叶えるな」



 祈る事を、願う事を辞めた神に祈る。この男を欺けるなら、心の底から祈ろう。
 俺の願いを全て叶えようとするオーヴァート。
「お前は……」
 頭の後に手をかけられて、引かれそして口付けられた。
 この男は俺が望めば、トルトリアの崩壊をも無かった事に出来る力を持つ。歴代の皇帝達は、そんな事を考えもしなかった。それは、当然の事。際限がないのだ、何処までも過去を修復してしまい、永遠に未来にならないだろう。
 永遠に未来が来ない、それは滅びるも同然。
 口を離し、俺はオーヴァートの目を触る。鈍色の瞳に濡れた感触はない。そして、言った。
「私達には涙はない。泣く事がない」
「だから、ギュレネイスに雨が降る」
「そうだ。……私はお前の願いを叶えたい。だが、お前は……」
 俺は首を横に振る。神は冷酷で人に中々力を貸さないで、見捨てているくらいが丁度いいんだ。
「オーヴァート」
「何だ? ドロテア」
「お前の躯、地上に残していいのか?」
「遺跡の数が一個増える。この地上で最も危険で、厄介な遺跡が。遺跡だけではない、この地上のいかなる事をも知る事が出来る書物ともなる。どうされるのだろうな……私の躯は」

 人は知識を求めて、その躯を細かく切り裂いて、そして再生する能力を目の当たりにして歓喜の声をあげるだろう。何度も何度も切り裂いて、それを探るだろう。
 その行き着いた先が、此処にある事も知らずに。
 自らの手のうちに在る物は始まりではなく、終わりだとは気付かないまま。

「あの時、ハプルーで死なせれば良かったか」
「そんな事はない。あれは私の意思で助かろうと思った……私は、死にたくはなかったよ」
 何をどうすればいいのか? 最高の学府を卒業する事になった俺には、何の解決策も造る事はできない。
「泣くな、ドロテア。泣けばお前の脇にいる赤子もつられて泣き出す」
「……アーサー?」
「生まれて直ぐに死んだ子だろ。殆ど姿はないし、最早消えかけているが、お前が泣けばつられて泣く。ほら」
 淡い光の中、懐かしい弟の姿があった。直ぐに居なくなってしまった弟の姿が。
「オーヴァート、これは成長しなかった俺の弟だ……これで我慢しないか?」
 最早消えそうな、罪なき魂をこの世に引き止めないか? 罪を二人で。
「……それ、犯罪じゃないか」
 二人で罪を育てないか? 俺達の間にある、親を殺さなくても良い子はこれくらいしかない。
「お前が、言うな! 乗り気じゃねえなら、別にいらねえが」

神に誰よりも真摯に祈り、それが届かないから此処に罪を

「俺、卒業と同時に……別れたいんだが……良いか?」
 戦争で殺された死者の声と、鳥達の鳴き声を聞きながら、俺は別れを切り出した。
「ああ……そろそろ言う頃だ」
「お前の事だから、解かっていたんだろうが」
「解かっていた」
 それ以上何も言う必要はなない。
 聞こえる死者の声は、祈りに答えてくれぬ神への憤怒、絶望。その目から血の涙を流し、皮膚が剥がれ落ちてゆく様を聞きながら、ヘイノアを去る。
 同胞に、身内に殺された者達の慟哭すら……

 その後、住宅地の一角にオーヴァートは屋敷を建てた。皇帝金属で立てた、邸宅。一人で住むには大き過ぎるが、何時か俺は誰か別の人間と此処に住むのだろう。未来はわからないままでいい
 そして、神の残酷を嘆いていられた頃が懐かしい


「タダでは乗れない話だな」
「当たり前だ、誰もタダとは言っていない。トリュトザは金を出すだろうが……最もテメエが金なんざ、欲しがるとは思えんがね」
「愛人になれ」
「……俺がオマエの愛人か?」
「そうだ。それと引き換えに、愛しい男の国王の座、守ってやろう」



 優しい神など必要ない。何でも無条件に叶えてくれる神など傍に居なくていい
 オーヴァート、お前は俺の願いを叶えないでくれ
 俺がお前に「願いを叶えるな」と言う度に、お前は「悲しい」と。俺はただの人間だ、何も望まないで生きる事は不可能……だから、お前の傍からいなくなる

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「とっても美味しかった! ありがとうね」
 最高神を拾った。……普通拾わないよな。自称最高神だったら困るんで、自宅に連れて戻った。
 神をも弾くその建物に、あっさりと足を踏み入れる聖火神。
 積みあがった皿と、クリスタルのような姿を前に俺は頼みごとをした。
「あのな、一つだけ頼み事を聞いてくれないか?」
 神様はことのほか優しく、直ぐに“良いよ”と言ってきた。
「あっちの方向に、この手甲と同じような物体が“ある”筈なんだが」
「あるね、とても怖ろしい物体が。どこかで観たことがあるような……あれがどうかしたの?」
「完全に破壊できるか?」
 神は逡巡した。神をも逡巡させる程の躯。
「うん、大丈夫そうだ! 壊せると思うよ」
「あの……俺が死んだら、あの物体を粉々にしてくれないか? この手甲と一緒に。地上に一欠片も残さないで」

 シャフィニイは笑って快諾してくれた。

 俺が死ぬ前に、オーヴァートが死んだら、気前の良い神様から貰ったこの力で直接……破壊できるだろうか?

 オーヴァートで試す訳にもいかない、法王もヤロスラフもマルゲリーアも試しに使う訳にはいかない。
 居るといわれているリンザードならば、試しに最高だが……見つけられない。レイに向かって放つ訳にもいかないだろうし……そうこうしている間に、最適の相手と遭遇する。








「お初にお目にかかるな、魔王何とかさんよ!」
 “コレ”なら試しに最適じゃねえか!
「キサマか! 魔王クレストラントを倒そうとする愚か者よ!」
カモがぁ!


「ビルトニアの女 序章」に続く


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