【Eclipse】The first day
手に闇の月

 特徴のないフェールセン人。フェールセン人という特徴は、かなりの特徴ではあるが、それを加味しても特徴のない男と言ってもいいだろう。背が高い、そのくらいの印象しか人に与えない。
「緊急採用書記連れてきた。見るからにフェールセン人だ、読み書きは通常レベルだろから、役立つだろう。行こうぜ、アンセロウム」
 何時かこの日が来ると、私達は知っていた。ドロテアが連れてきたフェールセン人、名は聞かずとも解かる。

エルスト=ビルトニア

 握手する為に、手を差し出す。男は私の手を見て、言った。
「お久しぶりですね……誰でしたっけ?」
 罪を暴かれる事は怖くはない。たった一つ以外
「……ヤロスラフだ、選帝侯。エールフェン選帝侯ヤロスラフ」
 この一つだけは、永久に口にはしない。地上で私以外はオーヴァート以外しか知らない。
「だったら初対面ですね。すみません”お久しぶり”なんて言っちゃって」
 細めた目の奥にある、薄い青色の瞳は皮肉さも何もなかった。ただ、細めて軽い笑顔を浮かべて私を見るだけ。
「似たような知り合いがいるのか?」
 − 知っている −
「全く。周囲に黒髪は、イシリアから来た年下くらいしかいませんね」
 もしもこの罪を懺悔するとしたならば、相手はドロテアだ。”エルスト”相手でもする気はない。
「何してんだよ行くぞ、ビルトニア!」
 ドロテアに引かれて、去ってゆく男の姿に冷や汗が背を伝った。

手に闇の月


「完全に解放した。全ての核が此処に届くだろう」
 ドロテアと子供寝かせる準備を整え、魔法生成物の核を全て此方に転送させる手筈を整える。元々存在していた核の幾つかを、オーヴァートの傍へと運ぶ。全体から取り込むことが出来る状態なので、何処においても核はオーヴァートの身に沈み込んでゆく。
 核が届くシリンダー部分を破壊し、修復しないように細工して、死体を運び出す事にした。バンサーク遺跡側にいた者達に遺体の処理を一任する。オーヴァートの状況を聞かれたので“少々負傷しているが、直ぐに復帰できるだろう”としておいた。それと、付け加えておく。
「ドロテアは無傷だ。オーヴァートが守ったので」
 バンサーク遺跡で指示を出していた者達は、安堵の表情を浮かべた。城に戻り、必要なものを携えて、心配しているマリアにドロテアの無事を伝えて涙され、アンセロウム老にオーヴァートの無事を伝えたが特に言葉はなし。
 ハプルー遺跡へと戻り、簡単に作り上げたベッドに寝かせていた二人、部屋を造り(仕切りを上げただけだが)運んできたベッドに寝かせる。一応部屋らしい造りにして、何時目が覚めてもいいように食事を用意しておく。暫くは目を覚ましそうにはないが。
 それらを終えて、オーヴァートの元へ行く。まだ、不定形なままの姿のオーヴァートは、無限にもたらされる核を取り込み続けていた。
「ドロテアは……」
「どうした、オーヴァート?」
「ドロテアは……」
「極度の疲労だが、命に別状はない」
 さすがにドロテアも疲労の極に達したようだ。ジェダに五十四回も、オレクシーのヤツに一度殺されたのだから。生き返えさせられる事に疲労はないだろうが、五十回以上死の間際を覗いたのだ、精神的に疲れていないわけがない。
「……夢を観た。ドロテアを初めて手に入れた時、夢を」
 硬さを含んだ、反響音のような音声は、語りだした。
「それが?」
「ドロテアは、私ではない別の男と共に行く……行ってしまう」
 観えなくても良い物が、オーヴァートには観える。それは知りたくはなかった未来。
「それが、未来なの……か?」
「未来だった、フェールセン人の男だ。その……男と共にいる……姿を見ようとすると……良くみ、……えない」
 それが<力>の限界なのか、オーヴァートの“観たくは無い”という意思の表れなのか? どうした所で、オーヴァートはその未来を嫌っている。
 最初にそれを見たが為に、ドロテアに対する態度が硬直化したのだろう。何時か自分の元を離れてゆくと、確実に知ってしまっているというのに優しく出来るほど、心の余裕はない。
「オーヴァート」
「理由は解からないが、それが私の力ではない……限界。私自身の限界なのだろう……」
 その未来が観たくないものだとお前が言うのなら、私の取る行動はただ一つ。
「殺して来よう」
 お前が嫌う未来なら、私はそれを変えてみせよう。
「ヤロスラフ?」
「その男が誰なのかくらいは解かるのだろう? 殺してみよう。そして未来が変わるものかどうか……多少観るには辛いだろうが、観てみてくれ」
「ドロテアの未来の……夫だぞ」
「嫌なのだろ? オーヴァート。ならば排除してこよう。その男の名を、フェールセン人だからギュレネイス皇国首都に居るのか?」
 お前の意に添わぬのならば、殺そうではないか
「ああ……名前は……」
「名前は?」
「皮肉にもエルスト。エルスト=ビルトニア」
 エルストとは……それは確かに“皮肉”なものだ。
「時計屋か。眠り、待っているがいい。その男を殺してくるから、未来が変わりはするだろう」

**********


 未来は変わったようだった、ただ変わったが好転したわけではない。
「どうした……オーヴァート」
 不定形のままのオーヴァートが……あまり良い顔をしていない事がわかった。
「無くなった」
 表情どころか、顔すらないというのに。
「何が?」
「ドロテアの……ドロテアの……変わらない、どうやっても変わらない。私とドロテアの関係に、あの男は関係ない。だから私の手元からドロテアはいなくなる……だが、その先がない」
「それは、今私がエルストを殺してしまったせいか?」
 そんな事になるとは、思いもしなかった。私の力が弱いから、連なる因果が切り離せないのかとも考えたが、それでもないのだという。ただ、ドロテアの未来が消えてしまうと。
「それ以外は考えられない……何故だ? 今までも、ずっと……」
 オーヴァートは意図して、未来を知りつつ捻じ曲げた事など何度もあった筈だ。
「オーヴァート?」
「あの子供も……あの子供も」
「子供? 寝かせている男児の事か?」
「ああ。あれ、帰り道……強盗にあって、殺される……だから、変えてみたらどうだろうと。あれを助けても、ドロテアの未来に何の変わりもなかった」
「だが、ビルトニアを殺すと全く変わると?」
「そうだ……」
「お前にはドロテアを助ける事は出来ないのか?」
「出来ない」
「……」
 はっきりと言い切ったその“場所”で、オーヴァートが何を観ているのか? 知る事はできなかった。
「ヤロスラフ……殺してきてもらったが、生き返らせる」
「良いのか? 邪魔になる物はすべて排除して来るぞ」
 一人が十人に、十人が千人になろうと、それ程大したことではなかったのだが、
「……いらん……殺してきてまでもらったというのに……悪かった」
 悪かった……とは。色々な物をお前の命令で殺してきて、十二年……初めてだ、そして役に立たなかったな。
「大した事ではない。何よりお前が再び命じるならば、何度でも殺してこよう。エルスト=ビルトニアを」
 望まれた事を喜んではみたものの、所詮はフェールセンより劣る私、フェールセンの望みなど叶えられない。

**********


「っと、あれ? ああ、早く帰って寝るか。何でこんな所で、ぼうっとして立ってるんだ? やれやれ、疲れたな。デート潰れてクララ、怒ってるだろうなぁ」

**********


「あの、トロ……ドロテアサマ〜」
「ドロテアでいい!」
「かつての大寵妃を、名前で呼んだら怖いしな」
「お前”あの頃”仕事してたのか」
「してました。警備隊員として、確りと子供の頭踏み潰しておりました!」
「ふん! だったら余計ドロテアサマなんて言うんじゃねえよ」
「じゃあ、何ってお呼びしちゃったら?」
「知るか!」
「じゃ、まあいっか。で、あのさ、あの選帝侯って、あんな幅広の剣使ってたっけ?」
「あ? ……そういえば昔は細身の長剣が獲物だったが、四,五年前からあの幅広の大剣を使い始めた。武芸全般が得意だから、特に意味はないんじゃねえか? 心機一転とか、そういったモンだろ」
「四,五年前ねえ……あの人を見ると、手と闇と月と細い長剣が思い浮かぶんだよなあ」

 暗がりにも映える、深い紫色の瞳

**********


  歩いている、早くもなく遅くもなくただゆっくりと歩いてくる。高めの身長と、それに見合った平均的な体重。
  黒地に銀の縁取りの入った僧服。
  殆ど観ることはなかったギュレネイス神聖教徒警備隊員。聖職者であった頃にも、出会う事はなかったその教徒。近付いてくる。
 周囲からは隔絶した、それを葬る時、それ以外誰にも見られることはない。
 今更、一人二人殺害した所で、感ずるところがある訳ではない。今までも、そしてこの先も殺すはず。
『ああ、遅くなったな。帰って寝るか、遺跡被害歴史上二番目って……』
 声は良い男だ。心の裡から聞こえるのは、ハプルー落下被害の後始末の事のようだ。石畳を歩く、歩いてくる。
 私が立っている曲がり角までは、あと三歩。剣を構える、あと二歩。全ての気配を消す、あと一歩。
『っ!』
 右順手で構えた剣、肝臓を刺しながら回す。左手を伸ばし、身体を弾き飛ばす。汚れた壁に叩きつけられ、そのまま地面に腰をつける。 震える手で傷口を押さえようとしていた。

 銀光に照らされていた。この場面、オーヴァートには観えているはず

 傷口に手を持っていこうとした男は、寸前の所で意識を失い身体の上に力なく落ちた。口と鼻と目と傷口から血が流れ出す。月明かりに照らされた、闇夜の如き僧衣、その縁を飾る銀。
 銀粉が混じったその僧衣の縁に、強い光が当たり反射している。傷を抑えようとしなかった、投げ出された手が地面の上で一度痙攣する。
 それにつられるように、口から大量の吐血。黒い部分はわからないが、銀縁は血で徐徐に染まってゆく。念のため、私は剣を頭上に掲げ最早呼吸音も聞こえぬ男の脳天から、突き刺した。
 全身が砕け、絡みつくような音が手を伝わってきた。

気付いて欲しくはない、だったら気付かないフリをする


「俺の勘違いだったみたいですよ、ヤロスラフ閣下」
男の細めた目の奥には、つかむ事ができぬ青空が広がっていた。

「ヤロスラフで良い、エルスト」


「緊急採用書記連れてきた。見るからにフェールセン人だ、読み書きは通常レベルだろから、役立つだろう。行こうぜ、アンセロウム」
「何してんだよ行くぞ、ビルトニア!」



「よろしく、ヤロスラフ。エルスト=ビルトニアです」



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