ビルトニアの女
終わりから始まりに向かう世界へ【9】
 風光明媚な土地に建つ二人の為だけの《小さなお城》
 《小さなお城》と評するのが相応しい、可愛らしく手の込んだ作り。景色に馴染んでいるその《小さなお城》は年に二度、大潮の満月の日に人々に解放される ――

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「何故お前は私のことを“エルセンの”としか呼ばぬのに、あの男をミロと呼ぶのだ?」
「ミロは短いからのお。そなたとて妾のことをクナと呼ぶであろう? 本名はコンスタンツェだ。そなたが妾の名を呼ぶのなら努力もするが“エルセンの”は“エルセンの”で良かろう」
「ヒルデリックはヒルデリックと呼んでいるだろうが!」
「ヒルデガルドとヒルデリックがおるから、略しようなかろうて」
「ガルドとリックでいいだろう」
「どこの世界に帝と皇子の名を略する痴れ者がおるのじゃ。主、国王のころマクなどと呼ばれて許せたかえ?」
 短気な元国王であった夫と、手綱を握っている相当年上の元枢機卿であった妻。
「夫婦喧嘩は犬も食わないってやつ?」
 現法王の下では無害で企みとは無縁といわれていたクナだが、相当なやり手ではないが大伯父との長い確執と忍耐で培った人の話を飄々と聞き流せる能力はとても発達していた。
 勝手に夫婦喧嘩の引き合いにだされたミロは、少し離れたところから二人を眺めつつ隣の男に愚痴を言う。
「仲良くていいじゃないですか」
 話しかけられた方は楽しげに二人を眺める。
「あんたと女帝も仲良いじゃないか」
「仲良いつーか、女帝の方が五枚くらい上手? なんじゃないんでしょうかねえ」
「あそこもクナの方がはるかに上手だ」

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「それでは行こうか!」
 クナは宗教戦争が終結して直ぐに、ドロテアが通った足跡を辿る旅を開始した。
 ”もう少し世情が安定してから”と引き止めるような人が周囲にはビシュア一人しかいなかったこともあり、あっさりとクナとマクシミリアンの旅は始まった。
 足跡はドロテアがウィンドドラゴンを倒したところからにしたので、帝国からマシューナル王国へと向かい、その後ハイロニア群島王国へと入り海路でパーパピルス王国へ。その後、大陸行路を使いエド法国へと一路に進み、そこからかつてのセンド・バシリア共和国、現ハイロニア群島王国領へと行き最後にホレイル王国に立ち寄って帝国に戻ってくるというもの。
 当初は現ハイロニア群島王国領最大の島、旧ネーセルト・バンダ王国をも訪れる予定であったが、あまりの海路の長大さにマクシミリアンの体のことを考慮して計画からはずした。
 旧ネーセルト・バンダ王国が計画から外れた当初、マクシミリアンはすぐに自分のせいだと気付き、クナが勝手に計画変更したことを不服として、一緒に行かないと怒ったが、クナが説得を重ねて二人での旅が実現した。
 クナはマクシミリアンを入れた篭を背負い、興味の赴くままに見て回る。篭の中でクッションを詰められて固定されているマクシミリアンも、周囲を無表情のまま見て回る。
 イリーナは当初、マクシミリアンの無表情さに『本当は怒っているのではないか?』と思っていたのだが、クナが『王は表情をくるくる変えないものぞ。長年王であった男に、突然人前で気持ち赴くままに表情を出せとは酷じゃよ』と言われて、その無表情さから読み取れるように努力をした。
 ザイツは同性ということもあり、イリーナよりもマクシミリアンの性格と態度を容易に理解していた。イリーナがどうして解るのかを尋ねると、ザイツは『コンスタンツェ様とお話しているときの表情を覚えておくと解りやすいよ』とアドバイスを受ける。
 言われたとおりに二人の会話を非礼にならない程度に見守ると、徐々にイリーナにもマクシミリアンの感情が理解できるようになり、最終的には『何故当初は解らなかったのか、いま考えると不思議だ』と思えるほどにマクシミリアンの感情は読みやすかった。
 クナにそのことを言うと『そうか。妾は厚いヴェールの下に隠れている表情を探る時代を生きたお陰か、顔以外でも判断する力が備わった』と過去を語る。

 死せる子供達は過去となり、次々と聖職者はヴェールを外していた。

 マクシミリアンとクナの旅路の最後であり、クナの故郷・ホレイル王国に立ち寄った。クナの思っていた通り、女王となっていたマルゴーはマクシミリアンに侮蔑とそれ以外の差別的な眼差しで眺めるが、彼は全く気にしなかった。
「血統でも産まれでもなく、育ちで王器は育つ。女帝ヒルデガルドと女王マルゴー、そして枢機卿であったお前を見ると本当に良く解る……私も産まれに寄り掛かって何もしなかったが」
「卑下する必要はない、と言うよりも卑下するそなたは不気味じゃよエルセンの。何よりそなたは高慢な姿が良く似合う」
 白銀の体を覆い隠すほどの長髪を風にたなびかせ、二人は夜の防波堤から海を見る。迫り来るような大潮の海面は大きな満月を映していた。
 その黒い海面が突如青白い光に覆われた。それは聖火ではなく青白く光る透明に近い石が並べられたものによるもので、海面を見ていた者たちや、その突然の光に気付いた者たちは驚きの声をあげる。
 マクシミリアンやクナも驚きの声を上げた者たちの中にはいっていた。
「これは一体なんだ? クナ」
「知らぬよ。ホレイルの文献にも載っておらぬであろう……どうしたエルセンの?」
 篭に入り海を見ていたマクシミリアンが、突然頭を下げて次ぎの瞬間に籐の篭が吹き飛ぶ。何事かと思い近寄ったクナは、自分が月影の下にいることに気付く。視線の先には、男物の靴。ゆっくりと顔を上げると、そこには英雄となった『勇者レクトリトアード』を成長させて『法王レクトリトアード』の自信を足したような男が立っていた。
 長い銀髪と、いまは無くなったエルセン王のみが身に付けることを許された特有の刺繍を施されたマントに、腰から下がる長剣。
「エルセン……かえ?」
 言われた男はクナの肩に手を乗せて、笑みを浮かべ答えた。
「そのようだ」
「治った……のか?」
「違う。一夜だけだそうだ……頭にあの女の声が木霊した。“マルゴーがむかつくから、少しテメエの身体で遊ばせもらう”と。遊ばれるのはこちらとしては、それこそむかつくが手足の存在を前に文句は飲み込める。……海に出ようか」
 そう言うとクナの答えも聞かずに抱きかかえて、防波堤から海へと足を使って降りる。青白く光る透明な石の感触を確かに感じながら、マクシミリアンは防波堤に振り返り叫ぶ。
「お前たちは降りるな。ここは私とクナのためだけに用意された場所だ」
 そのまま海の上を歩きだした。
 海の上を歩く王者と、その腕に抱えられた同い年の妹の幻想の世界を前に、初老の女王は泣いた。
「歩くの上手いのぉ」
「海の上だから歩けるそうだ。この石は私の夢、考えていたことを表すことが出来るものだと……伝えてきた。何処まで本当かは知らないが、この足は私の足ではない。この偽りの足は地を歩くことは出来ないが、歩けるはずのない海の上なら……これは現実ではない世界だから許されるのだろう」
 黒い海面と大きな月の境で独り言のように語る。
 防波堤が遠に小さく見える辺りまで来た頃に、クナはマクシミリアンの腕の中で照れる。
「そろそろ降ろしてくれぬかのう。妾はそう軽いわけではなから、腕も痺れたであろう」
「痺れてはいないが意志は尊重しよう」
 マクシミリアンは腰を下ろしてゆっくりとクナの足を石の上に置く。そしてゆっくりと顔を上げてマクシミリアンの腕に触れながら思ったことを正直に語った。
「手足があれば、貴族の姫たちが放ってはおかなかったであろうよ」
「そうだろうな。お前には見向きもしなかっただろう」
「はっきりと言うのぉ」
「なくて良かった。あの女が最後の最後まで指を再生しなかったと聞いた時に、何故なのか解らなかったが……いまならば解る。無意味だ、いや無意味どころか愚かにすらなる。私は両手足を失ったことで、少しだけ賢くなった。なっていたのだ。それに気付くまで時間がかかり、それに気付かせてくれたのはお前だ、コンスタンツェ」
 二人は腕を組み無言のまま、ホレイルへと戻るべく歩き出した。現実味のない夜空の下の海の上で、波音を足下に聞きながらクナはマクシミリアンの横顔に永遠に告げることのない思いを胸にしまい込む。
 『この姿でエルセン王国国王マクシミリアン四世を見たかったなあ』
 この男に手足があれば世界は少しは違っていたかもしれないと思わずにはいられなかった。
「マクシミリアン」
「何だ、コンスタンツェ」
「名前を呼んでみたのだが、照れるものだなぁ」
「こっちだって同じだ」
 ホレイル王国の大潮の日に《あの女》が見せた夢は、当然ながら直ぐに終わる。
 翌朝には手足の消え去ったマクシミリアンは、篭とクッションが出来上がるまでホレイルに滞在する。ザイツに抱えられ水平線を見るマクシミリアンの眼差しは、欠損を補う為に領土を渇望していた頃の熱いような輝きは消え去り、海の上を歩いた日に降り注いでいた月の光のようなものに変わっていた。
 マクシミリアンは夜の海の上の美しさは語っても、一夜の手足について自ら語ることはなかった。噂として流れたので、尋ねられることも多かったが答えは何時も同じ『一晩で充分だ、もう満足した。手足など二度と要らない、見たくもない』と完全否定する。
 興味本位で尋ねた者たちのほとんどは、その言葉の真意を理解できずに自らの話題を濁して立ち去ってゆく。

 クナが病に倒れ、マクシミリアンが看取る形で二人は永遠の別れを迎える。
「楽しかったのう」
「そうだな」
「なあエルセンの」
「なんだ」
「色々あったが妾も大伯父に少しだけ感謝しておる。あの大伯父の醜いまでの権力に固執する姿勢がなければ、妾はホレイルで普通の貴族と結婚するか、修道院に入ったままエルセンのに会うこともなかったであろうからしてな。楽しかったぞ、マクシミリアン。求婚してくれてありがとうな」

 マクシミリアンはかつて王であったからクナが死んでも泣くことはなかったが、王ではなくなったので悲しさを隠すこともなかった。

 手足がない為、溺れると困るという事で水辺から離れた場所で一人佇むマクシミリアンは、
「邪魔だ」
「ちょっ! ミロ、貴様!」
 情け容赦なく蹴り転がされる。
「ああ、マクシミリアン様でしたか。小さくて見えませんでしたよ……とっと死ねよ、マクシミリアン。俺が面倒みてやれる間に死んでくれないと困るんだよなあ。他に迷惑かけるなよ、従兄弟」
「ほっとけ! 貴様が長生きするといいだけだ、ミロめ」
 ミロは蹴り転がしたマクシミリアンの襟元を掴み文句を言い、掴まれたマクシミリアンも負けじと怒鳴りつける。それを見ていたヒルデリックが止めに入ろうとするが、一人の男性が笑いながら制する。
「あの人たちはいつものことですから、気にする必要はありませんよ帝王ヒルデリック。仲が良いだけですよ」
「そうはいわれましてもねえ、ミゼーヌ卿」
 初老の大臣が壮年の大臣を蹴飛ばして転がす姿は、ランシェの首都では頻繁に見られた。
 ミロがあまりにやりすぎて、偶にマクシミリアンに魔法で反撃されている姿も見られることもあった。魔法で反撃された後は、悪かったとミロは謝罪しそれで直ぐにマクシミリアンは許す。かつて不仲であった国王同士の姿はそこにはないとは言い切れないまでも、過去として消化されていることは誰の目にも明らかだった。
 ミロとマクシミリアンの希望通り、マクシミリアンの方が先に寿命を終えミロは希望通りの墓を作り埋葬する。喧嘩する相手のいなくなったミロも、直ぐにその後を追うかのように死んだ。
 ミロは“ここに古き勇者の血途絶える”と言い残し、その遺体は帝国の法王たちが眠っている広場に埋葬された。
 マクシミリアン、ミロ、法王レクトリトアード、シスター・マレーヌ。全ての者が何も残さずに去っていった。彼等は話し合ったわけでもなければ、確認しあったわけでもない、ただ自らの意思で滅亡を望む《皇帝の意思》に従った。

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 クナとマクシミリアンは帝国ランシェの首都ではなく、帝国エルセン領の北、ホレイル王国と旧エルセン王国領の二つを同時に望める場所に二人だけの墓を建て並んで埋葬された。その墓は《小さなお城》と呼ばれ、人々に親しまれ続ける。


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