ビルトニアの女
終わりから始まりに向かう世界へ【6】
 遺跡の攻撃が終了し、聖騎士を守っていた膜がなくなる。
 何の声があったわけでもないが、進軍しろと言わんばかりの晴れた空が広がったように彼等は感じ、進軍を開始する。

 この宗教戦争の最後の直接戦が開始した。
 
 マリアの遺体を守る為に残った二人の従者は聖騎士達を見送った。マリアの空洞になった胸に布をかけて、二人は膝をつき人の気配の全くしない平原で祈りを捧げる。
 どれ程時が流れたのかは解らないが、二人は足元に動きを感じて視線を落とす。そこには、死者特有の肌色になり始めていたマリアの顔に変化が現れていた。
「マリア様?」
 紫色の細かな幾何学紋様がマリアの顔に浮かび、幾つもの小さな光がその迷路のような紋様を駆け回る。不安を感じた二人は胸を覆い隠している布をゆっくりとはがす。
 鎖帷子の切れ間から覗く乳房にも同じような色の紋様が浮かび、細かな光が駆け回っていた。
 何事なのだろうと二人は顔を見合わせるが、答えなどわからなかった。そうしているうちに、マリアの血に濡れた右手指が動き、永遠に開くはずのない長い睫に覆われた瞳がゆっくりと開かれた。
「どういう事なの? 私は死んだはずなのに」
 ゆっくりと上半身を起こして膝をついていた二人の顔を見る。そして自らの胸を触り、空洞の中に指を入れる。
 そこには脈打つ心臓は存在していない。何が起こったのか解らないマリアだが、血の汚れた胸にある見覚えのある紋様を見てゆっくりと立ち上がり声を上げた。
「誰かいるの? これはゴルドバラガナでしょう? これが使えるのはごく僅かの人だって聞いたわ!」
 その声に応えるために彼が現れた。
「きゃっ!」
 地中から突如突き出された両手、そして徐々に現れる頭から体全体。
 真赤な髪と褐色の肌を持つ男とマリアは初対面だったが、男はマリアを良く知っていた。
「あなたは誰?」
「ジェダ」
 マリアにとっては初対面の相手だが、初対面であってもマリアはこの男に良く似た男を知っていた。ジェダと名乗った男はマリアからみるとオーヴァートに良く似ていた。それは取りも直さず常人ではない相手を指す。
 人ならざる気配に、人ならざるものとされたマリアは、従者の二人を自分の後ろにして真意を問いただす。
「私にゴルドバラガナをかけて動かし何をするつもり」
 胸に開いた穴から舞い込んでくる風は、マリアに内臓を内側から撫でる感触をあたえる。その幻ではない感触を与えた男は、幻にはできない相手を求めた。
「あの女に会いたい」
 《あの女》それが誰なのかマリアにも、背後にいる《あの女》に直接会ったことのない従者達もすぐに解った。
「ドロテアってこういう男に狂気のように愛されたもんね……ねえ、ジェダ」
 目の前にいる紅蓮の髪の男にマリアは微笑む。穴の開いた胸と紫の死者の紋様を浮かべ、それでも女は聖なる美しさに溢れていた。かつてドロテアに『マリア以上に綺麗な女はいねえよ』と言われるも、認めなかった男は、
「なんだ? この地上で最も美しいと言われる女。私はそうは思わないが」
 やはり認めはしなかった。
「邪術ゴルドバラガナを使えるということは、かなりの術の使い手よね。私の願いを叶えて」
「言ってみろ」
「私を司祭ユリウスのいる場所まで連れて行って」
「討つつもりか?」
「もちろん。例え邪術で身を汚されても、私は聖騎士よ」
「胸骨が開いて人を殺せるような腕力などない。なによりその聖槍を持つと焼けるぞ。それでも行くか?」
「槍を持てるようにして。焼けるのは構わない」
「解った」
 ジェダはその言葉に《なにか》を唱える。胸の空洞はそのままだが、空洞部分に何かがはまっているような感覚が現れ、躯の内側を撫でる風の感触が消え去った。マリアは右手で胸を押さえて、左手で聖槍を拾い上げる。
 聖槍を掴んだ厚手のグローブで覆われている掌は焼けた。聖槍はグローブを通して炎とは違う熱さが皮膚ではなく《身》を痛めつけてきた。《聖なる槍》をふるい続けてきたマリア自身が最後に身を持って知ることになった《聖なる力》
 痛みにしかめた眉と、それを振り払う為に瞼を閉じる。
「出来たぞ」
 ジェダの声にゆっくりと目を開き、左手でしっかりと聖槍を握り締め右手で盾を拾い上げる。
「二人とも、盾を持ってフェールセン城まで来て。貴方達が到着する頃には決着はついていると思うから」
「行くぞ」
 二人に盾を渡すと、マリアは振り返ることなくそのゲートへと飛び込み、司祭ユリウスを討つ。
 死者しかいなくなった司祭の間で、マリアは柱の影にいるジェダに声をかけた。
「私にゴルドバラガナをかけて、どうしてドロテアに会えるの?」
 ユリウスの胸から聖槍を伝い滴り落ちる血の音を聞きながら、死者二人は話を続ける。
「この地上で私がかけたゴルドバラガナを解けるのは、私自身かオーヴァート=フェールセンだけだ……った、過去形になるな。間違いなくドロテアも解ける。お前に死者の術をかけて放置しておけば、ドロテアが必ず解きに来る。その横顔を見たい」
「ただそれだけ?」
「そうだ、それだけだ。もっとも美しい女、お前は男嫌いで話すのも嫌いなのに、私とは普通に話すな。どうしてだ?」
 ジェダの問いに、マリアは笑って答える。
「だってあなた、私のことなんて女だとすら思っていないでしょう。あなたは“ドロテアだけが好き”というのは解るもの。それ以外に興味がないことも。私は私を女として見ない男性は嫌いじゃないわ」
 そう言って笑ったマリアの横顔に、
「あの女が美しいといった理由が解る笑顔だ。そろそろお仲間が来る、じゃあな」
 それだけ言って、ジェダは立ち去った。
 オーヴァートの許可を得て、急いで戻ってきた法王とそれに率いられた聖騎士達は、司祭の間に踏み込んで動く死者となったマリアを見て声を失う。マリアは多くどころか、何一つ語らずに司祭ユリウスを討ったことだけを法王に告げる。
 法王も何一つ尋ねることなく、ユリウスの死体に近付き彼を縫い付けている聖槍を引き抜いて、死体を運ぶように命じた。
 一同は司祭の間から外へと出る。遅れてきた従者の二人に、マリアは法王から聖槍を受け取り、正式に一人には盾を、もう一人には槍を渡して努力を惜しまぬようにと声をかけて、クナから貰った聖印を外して法王へと返す。
 焼け爛れたようになっているマリアの掌に、ゆっくりと触れた法王は《これはどうやって治す?》と尋ねたが、マリアは首を横に振るだけ。

 そしてジェダの望みは叶う

 首都フェールセンが、突如赤い色に包まれた。
「これは一体?」
 かつてエルストが《怒った時》この首都を動かした。それが今、再び起こった。
「早く逃げた方が良いわ。ドロテアが来るから」
 マリアは笑顔で立ち止まり、かつてこの色を知っている住人達は慌てて逃げ出そうとする。胸の空洞に手を触れながらマリアは空を仰ぐ。エルストの瞳に良く似た青空から、温かい雨が申し訳なさそうに降ってくる。
 頬に落ちてくるその雨を焼けた掌で拭いながら、その時を待つ。何が起こるのかは解らないが、ドロテアが来ることだけを信じて混乱に陥った人々の声すら聞こえないほどに幸せな気持ちでマリアは待ち続ける。
 マリアの声に首都から脱出した聖騎士達は、振り返り城壁を見上げる。何が起こるのか解らないが《何かが起こること》は誰もが感じて。


「なんか疲れちゃった」
「よお、マリア」
「あら、ドロテア」
「遅くなったな。ほら、背中に乗れよ」
「うん。少し寝てもいいかしら?」
「おう、目的地に着いたら起こすから安心して寝るといいぜ」


 無音のまま首都は赤黒い光に包まれ、逃れそびれた者達が必死の形相で、その半透明の結界を叩くが壊れるはずもない。その有様に目を奪われていたイザボーは、ふと自分の上に影がかぶさっていることに気付き、急いで見上げた。
 そこには黒い手甲がなくなった事以外は全く変わらないドロテアが、マリアを負ぶって立っていた。
「ドロテア!」
 ドロテアは城壁の最も高いところに立ち、聖騎士達を見下ろすようにしているドロテアだが、視線がどこか“ずれて”いた。ドロテアが観ているのは誰もいない“地面”であり、聖騎士でも法王レクトリトアードでもない。
 何を見ているのだろうか? とイザボーやアニスは思ったが、足元を見る余裕はなかった。二人はドロテアの背中にいるマリアを視界から外すことなく、見上げ続けていた。マリアのことを忘れないようにするために。
 そして世界が遂に動き出す。
 ドロテアが口を開き無音で笑う。何事かと聖騎士達が考えた時、彼等の背後には《皇帝》が最後の《選帝侯》を連れて立っていた。褐色の肌に濡れた様な艶を持つ黒髪、作り物めいた無表情に腕を組みながら《皇帝》はドロテアと同じく地表を見つめる。
 《選帝侯》は飛び、マリアの髪を一房つかみ口づけ、再び元の場所へと戻った。
「オーヴァート卿よ、あの女は何をするつもりだ?」
 法王レクトリトアードの問いに《皇帝》は他人事のように答えた。
「フェールセン城を破壊するそうだ」
 自らの居城、この世界の歴史を葬り去ると言ってのけた声は、玲瓏な中に揺らぎがあった。動揺とも期待とも違う、未知なる物を見る時の声。
 人は一生に何度、未知なる物を見ることができるのだろうか? 法王レクトリトアードは思いながら、オーヴァートと同じくフェールセン城を見つめる。彼等が見上げている城壁は徐々に高さを増し、遂に地上から離れた。
 音もなく上空に持ち上げられたフェールセン城と、持ち上げたドロテア。
 人々を巻き添えにして上昇してゆく巨大な城。聖騎士達を覆い隠すほどの巨大さの城が空を支配する。その城が徐々に小さくなってゆく。
「爆縮か!」
 その世界の全てでもあるフェールセン上を内側へ! 内側へ! と押し込めてゆく。遂に掌に乗る林檎程度の大きさまで、世界を覆っていた城は圧縮された。
 生きていた人も何もかも圧縮したその全てでありながら、小さくなった世界をドロテアは世界の外へと放出する。
 大気圏外で破裂したそれは、この惑星を覆っていた《かつての皇帝の血統達》をも巻き添えに塵となる。破裂した時の光に瞬間的に目を閉じ、落ち着いてから恐る恐る目を開いた彼等の前には何もなく、そしてドロテアの姿もなかった。
 目の前に広がる、世界を支配していた城を失った大きなクレーター。
 そのクレーターに向けて、オーヴァートは叫ぶ。
「娘! お前は……お前の未来を視ることなど出来ない! すなわちこの世界の未来を視ることは、もう私には不可能なのだ!」

 世界は《皇帝》の手からゆっくりと、だが着実に離れてゆく。

 ユリウスの死亡と、遺跡の無断使用、そしてギュレネイス皇国の首都フェールセンの消失により、ギュレネイス皇国は滅亡する。生き延びたギュレネイス神聖教、及びブレンネル正統聖教の高位聖職者達は全て処刑され、その領土はエド法国へと合併された。
 民衆の殆どの者はエド法国への改宗に応じる。その改宗の責任者はかつてギュレネイス神聖教からエド正教へと宗教を変えて、高位に上ったクラウス。
 結局クラウスは自分は《この生き方》しかできないのだと、諦めにも似た気持ちを抱えながら改宗を作業のように続ける。僅かに改宗に応じなかった者達は、かつてのイシリア教徒のように王国ランシェへと旅立った。

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姉さんがドロテアさんの背中に乗ってる姿なんだよ。
あの時、あの後姿を見て姉さんも何時か遠くに行くんだなあ……って感じた。
一緒に居られない、勿論姉さんが家を出て行くとかそういうのじゃなくて、
上手く言えないけれど多分姉さん違う所に行くんだなぁって感じたよ
あの日


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 そして遺体のないマリアの柩は王国ランシェに運ばれ、法王が安置されたのと同じ場所に埋葬された。


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